第21話 ミノタウロスを暴く鍵

 大森コースケを犠牲にし、私達は3本の通路の先の扉に辿り着いた。


 東雲藍は、大森コースケとミノタウロスから逃げる為に通路を引き返している。


『そちらの通路の先が、ラビュリントスの奥となります』


 アリアドネが、そんな言葉を告げた。


「奥まで来たのか。来てみれば意外と遠くなかったのかもな」

「……でも、ここから私達は『EXIT出口』まで引き返さないといけないわ」

「そうなんだよな。だからまだ半分か。……だってのに」


 4人。犠牲者が出た。

 最初は8人居た筈だったのに、もう半分に減ったのだ。


 その内、一人は私達が見殺しにした。明確な意志を持って。


「…………」


 親しい人間ではない。それは同じ大学に通っていた武もそうだっただろう。

 でも殺したい程、死んでいい程に憎い相手ではなかった。


 正当防衛でもない。自ら手を下したのとも違う。

 それでも死なせた。助けようとしなかった。


 自分達が生き残る為にその死を利用した……。


「……気分、悪いわ」

「……だな」


 一生残る傷だろう。それは、もちろん中津アキトの死もそうだったが。

 大森コースケの死は、もっと大きな。

 私達の人間としての何かに傷をつけた……。


「恵。行こう」

「……うん」


 私は、武と手を繋ぎ、先へ進む。


「南条さんは、通路を進まなかったのかしら」

「来てないみたいだな。となると俺達だけで『鍵』とやらを手にれないといけないか」

「そうね」


 あの時、私達は先へ進む道を選んだが……。進めば、それだけでミノタウロスに喰い殺される危険があった。

 なら、私達に奥へ向かわせるのは間違った選択じゃない。

 彼女自身の命だけを考えるなら。


 ……その、どちらが罪深いか。私には分からない。


「スマホ、起動する?」

「うん? ああ、どうするか」


 今、私は自分のスマホをスカートのポケットに入れ、武のスマホを手にしている。


「さっきの感じだと、2人で一台のスマホでも良さげな判定だったよな」

「そうね。たぶん、そうだと思うわ」

「じゃあ、俺達が協力するなら、節約の為にも一台だけ使うのでいいだろ。また迷宮を戻らなくちゃいけないし」

「……うん。そうね」


 私は、繋いでいる武の手をぎゅっと強く握った。

 この手を離してはいけないわ。


 そのまま二人で通路の奥を進む。


 最後の扉の前に立つとスマホを掲げた。

 ネームプレートがAR上に描写される。



GRAVEグライブ MARKERマーカー


 ──墓標ぼひょう


「なんだ?」

「墓標。お墓って書いてあるわ」

「お墓? ……誰の?」

「……分からないわ。開けてみないと」

「そうだな」


 誰の墓? まさか私達の? こんな迷宮を走らせておいて、そういうオチだと?


 最後の扉を開く。

 開いた先の部屋は、そんなに広い部屋じゃなかった。


 最初に目覚めた部屋と同じぐらいの広さの四角い部屋。


 ただ一つ、違う事があるとすれば……そこにはオブジェクトがあった事だ。



「……何、これ?」

「骨の。標本? 墓標、らしいけど」


 立てられ、組まれた木の棒に、骨が飾られている。

 骨格標本のような雰囲気だ。


 ただし大きく違う点がある。それは見るからに人間の骨じゃなかった。


 正確には下半身は、おそらく人間の骨だ。

 でも、その頭部だけが人間の物じゃない。

 何よりも角が生えているし、平たくて。


「牛の頭……? じゃあ、この骨は」

「人間の身体に牛の頭の骨。ミノタウロスの骨って事か?」


 そうだ。これはミノタウロスの骨だ。

 だが、どういう事だろう。何故ここにミノタウロスの骨がある?


「恵。スマホ。ARに何かヒントがあるかも」

「あ、そ、そうね」


 私は、武のスマホを掲げる。もうバッテリーがかなり少ない。


「骨に何か掛けられているわ。看板? 何かが書いてある」



 ──MINOTAURミノタウロス.



「……これ、だけ? この骨がミノタウロスの物で、だから?」

「他に何もないのか?」


 私達は部屋を隈なく調べた。もちろんミノタウロスの骨もだ。

 念入りに。そして必死になって。


 もちろん、AR上の調査も怠らない。時間を掛けて全てを入念に調べる。



「……何もない。ここにあるのはミノタウロスの骨だけだわ」

「何なんだ。おい、アリアドネ!」


 呼びかけるが、いつの間にかアリアドネは居なくなっていた。

 そして呼びかけにも応えない。


「……、ラビュリントスの奥に辿り着いて。だから私達はミノタウロスを『既に倒した』っていうこと?」

「そういう、事なのか? じゃあ、あとは出口に引き返せばいいだけか?」

「……でも、それだと」

「何かあるか?」

「……帰り道に危険がなくなるわ」

「危険?」


盛り上がり・・・・・に欠ける・・・・。そう思うの。だってスマホのバッテリーさえあれば、ただ私達が出口まで戻るだけなのよ? ミノタウロスは死に、私達の脅威はなくなったのなら」

「……たしかにな。そんな中途半端な事をするかと言われると」


 しない。人の命を弄んでおいて、そんな事。


 私達が完全に、このラビュリントスを脱出するまで、死の危険は常に近くにある筈だ。


「考えなくちゃいけないわ。これで終わりの筈がない。たしかな確信がなければ出口に戻っても脱出できないかもしれない。そうしたら、こっちに戻ってくるだけのバッテリーはもうない……」


「……そうだな。何度も往復は出来ない。たとえ、ミノタウロスがもう既に死んでいたとしてもだ」


 そう、そうなのだ。

 往復する余裕は私達にはない。


 何かヒントはなかっただろうか? 気になる部分だ。

 与えられた情報の中で謎が解決していないところ。


 あった筈だ。既にヒントは与えられている筈だと思う。


 でなければフェアじゃない。ゲームとして成立していない。


「ここにあるのは間違いなくミノタウロスの死体。それは、きっと『事実』だと思う」

「……ああ。そうだな。ここで騙す意味がない気がする。この真実を突きつけられて……そう。俺達が驚く所なんだ」

「うん。と、いう事は」


 ミノタウロスは、もう既に死んでいる・・・・・・・。ならば?


「……私達を、追いかけていた怪物は……?」


 あれは、あの怪物はミノタウロスではないんだ。

 だってミノタウロスは伝説上、一人だけの筈。二人目のミノタウロスは居ないのだ。


「ミノタウロスを暴く鍵、って言ってたよな? つまり、この言葉と、この骨は……あの怪物の正体を暴く鍵?」

「そうよ。きっとそうだわ。私達は怪物の正体を見つけなければいけないのよ」


 あの怪物の正体はミノタウロスではない。

 見た目は確かにそうだったが……いや、待て。


 私は、もう一度、ミノタウロスの骨を見た。


「……大きいわ」

「何?」

「ミノタウロスの頭。すごく大きい。人間のサイズじゃない。これがミノタウロスなら……、あの怪物の牛頭は小さ過ぎる」

「って事は?」

「……ニセモノ・・・・よ。アレは牛の頭をしていない。ただ、牛頭の被り物をしているだけの、中は人間なんだわ」

「コスプレかよ。ここに来て。でもさぁ」


 武は呆れたような声をして言う。


「マスクを着けた怪人が居たとするだろ? そして俺達は今、その正体に肉薄している。でもさ。そういうの、俺達が『知っている誰か』じゃないと衝撃が薄くないか?」

「知っている誰か?」

「ああ。だって、まるきり知らない赤の他人が、ミノタウロスのマスクを外して顔を見せたとしてさ。『お前、誰だよ!』って思うだけじゃないか」

「……それはたしかにそうね」


「それでさ。衝撃的な人物ってなると、誰になる? 俺達が知っている中でだ。これが現実に居る仮面男なら、……失礼だけど。最初に死んだ男子高校生の彼だった! とかなるのが一番なんだけど」


 中津アキトが、ミノタウロスの正体?

 ……それはないわ。だって彼の死は確認している。


 彼は私達の前で焼け焦げて死んで、その後もその死体はピクリとも動いていない。


 何より、それではおかしい。

 ミノタウロスと中津アキトが両方、同時に存在した事になる。


「そもそも、あの怪物は現実に居ないんだ。だからその正体が現実の誰かって線もない。つまり、その。……亡くなった小島さん、外山、大森さん。それに男子高校生。そういう4人の誰かじゃあない」

「……そうね」


 AR上の怪物の正体を暴かなければならない。

 しかし、該当する人物など出ていたか?


「ミノタウロス伝説の登場人物は、そう多くないわ」


 このラビュリントスは伝説をモチーフにしている。

 とりわけARの向こうの世界の人物にはアリアドネやミノタウロスといった人物が登場している。


 ならば、その正体も伝説上の人物?

 他には誰が居る。


 ミノタウロスとアリアドネの父、ミノス王?

 それとも、その妻、パーシパエ?

 ミノス王が怒らせたという海神ポセイドン?

 ラビュリントスの建造を王に命じられ、作ったという名工ダイダロス?


 或いは生贄を出す事を余儀なくされた、アテナイの市民達?


 それとも、それとも。


 …………英雄・・テセウス・・・・



「……テセウス」

「うん?」

「このラビュリントスで、テセウスだけは名前が出ている。それもアリアドネが自ら口にした名前よ。質問に答えてではなく、彼女から説明したのは、ミノタウロスの他はテセウスしか居ない。

 ……このラビュリントスの登場人物は、アリアドネとミノタウロス。その他には……テセウスしかいないわ」



 英雄テセウス。

 アリアドネと赤い糸で結ばれた男。

 ミノタウロスを倒した英雄。


「じゃあ、あの怪物の正体が……ミノタウロスじゃなく、テセウス?」

「……そう。ミノタウロスは死んでいたのよ。既にテセウスに倒され、骨になった後だった。とっくの昔に伝説は終わっていた」

「とっくの昔に。あっ。アリアドネ! あいつ、自分の事を『未来のアリアドネ』って言ってたぞ!?」

「……!」


 そうだった。アリアドネは初め、私達に『未来のアリアドネ』と名乗っていた。

 あの時は意味不明だったが……。


 ここにミノタウロスの骨、墓標がある事でその『未来の』という言葉は繋がる。


 伝説は既に終わっていた事なのだ。遥か昔に幕を閉じていていた。

 ミノタウロス退治は、既に終わっていたのだ。英雄テセウスによって。


 ……だと、言うのに?


 ならば。ならば、一体この状況は?

 何者が私達『生贄の少年少女達』を求めたと言うのだ。既に怪物は居なくなったのに。



「…………それでも、彼は、テセウスが私達を襲い、喰い殺してきた事実は変わらない。

 私達はテセウスに襲われ、テセウスに喰い殺されてきた……」


 つまり生贄はテセウスの為に捧げられてきた。

 何の為に? 食う為に。私達は、ただの彼の食糧に過ぎない。


 ラビュリントスに閉じ込められたテセウスは、生贄を食べる事で生き残っている。


 彼は英雄。そして純粋な人間の筈なのに。


 ……私達が生贄である事を無視すれば、それは惨たらしい仕打ちだ。

 人肉だけを与えられて生かされている男。


 既に正気など保てていないだろう。私だったら、とっくに発狂している。


 英雄である筈のテセウスが、誰にそれ程の仕打ちを受ける恨みを買ったのだ?


 それは、それは。



「……アリアドネ・・・・・。そうだわ。アリアドネが」

「な、なんだ?」


「ミノタウロス伝説において、テセウスは怪物を倒した後、アリアドネの赤い糸を伝ってラビュリントスを脱出したの。そして赤い糸で結ばれた二人は運命の恋人として結ばれる筈だったわ。だけど」


「あっ」


 そう。だけど。


「……アリアドネとテセウスは、結局は結ばれなかった。諸説あるけれど、この彼等の設定では、彼女は明確にテセウスに捨てられたと言っていた。それに、それに。彼女の目的は『テセウスと結ばれる事』だと言っていた!」


 つまり。それがアリアドネの目的なのだ。



「このラビュリントスに、自分をかつて捨てた恋人、英雄テセウスを閉じ込めて。

 赤い糸で繋がれた運命の恋人であった日々を過ごしたい。

 永久にテセウスを自分の物にしておきたい。

 たしかに運命で結ばれていた、ラビュリントスの中にテセウスが居た時のように。

 ……それがアリアドネの目的。未来のアリアドネのテセウスへの愛。


 私達を誘拐し、ラビュリントスに閉じ込めた黒幕は……、アリアドネよ──」



 彼女は私達を助けるつもりなんてない。

 私達は生贄。私達は『食料』でしかない。


 だとしたら、ここからの脱出なんて。



 ──ビーーー! ビーーー!



「きゃあっ!?」

「うわっ!」


 突然、部屋の灯りが真っ赤に染まった。そして警告を示すようなアラートが響き渡る。


 一体、何だと言うの!?



『オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 そして怪物の咆哮が響き渡る。

 やはり怪物は死んでなどいない!


「ミノタウロス、いや、テセウス! ……不味い! 来た通路は一本しかないぞ! 恵!」

「うん!」


 私達は手を繋いで扉に走る。

 一本道で鉢合わせになってしまえば、そこでゲームオーバーだ。

 せめて、さっきの3つの扉がある部屋まで行かなければ、死ぬ。


「たぶん、恵の推理は合ってたんだ。答えに辿り着いた所を見計らって、あの演出だ」

「そう、ね。たぶん、そうだと思うわ」


 確信がある。自信がある。だけど。

 黒幕がアリアドネだとすれば、私達がラビュリントスを出る為の赤い糸は……。


『オオオオオオオオオオオオオオッ!』

「うぐっ!」


 一本道は何とか抜けた。けれど、3つの扉がある部屋には……既に、怪物が待ち構えていた!


「た、武! 一番遠いドアへ!」

「あ、ああ!」


 怪物が同じ部屋に居る! 最初、武に出逢った時よりも危険な状況。ドアを開かなくては。時間が。


『オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 ……怪物の咆哮は、すぐ耳元で聞こえた。

 私達が嵌められた頭周りの器具から出ている音声だ。


「きゃあああああああああっ!!」

「恵! 先に行けッ!」


 私は、武に思い切り手を引っ張られた。

 ぐん! と力強く、私の身体が前へ。彼と繋いでいた手が離される。

 でも、それじゃ。


「武ッ!」

「大丈、」


 そこで。


 ──バチバチバチバチバチッ!!


「ぎゃ、ぶッ!」


 武の身体に電流が流され、彼は倒れた。


「武ッ!!」

「…………」


 一瞬で。沈黙し、意識を失ってしまった彼。


「あ、あ、あ……」


 無意識のようにスマホを掲げる。そこにはAR上に描写された怪物の姿が。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』


「ひっ! あっ、ああああぁあああ!」


 私は。


 ……私は、武を置いて逃げ出した。


 怪物の咆哮から逃げ出し、扉へと逃げ込んだ──

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