第20話 3つの扉、3つの通路

「小島さんと、外山が、死んだ」

『はい。そうです、北元武さん』

「……嘘じゃ、ないんだよな?」

『はい。彼等が死んだ場所へ案内しますか?』

「…………いや、いい。そんな事をしている場合じゃ……ないんだろ」

『ええ。貴方達が生き残りたいのならば、ラビュリントスの奥へ進むしかありません』

「……今、外山が死んだんだよな?」

『はい。そうです』

「……恵。急ごう。今の内だ。ラビュリントスの奥を目指すなら」

「……! そう、ね。そうだわ。アリアドネ! すぐにラビュリントスの奥へ案内して!」

『かしこまりました。西川恵さん』


 私達は、目的地をセーフルームからラビュリントスの奥へと切り替える。


 この迷宮から脱出する為に必要な『ミノタウロスを暴く鍵』。

 それを手に入れる為には、迷宮の奥へと進まなければならない。


 だけど、そこへ辿り着くには……どうしても犠牲者が必要になる。

 ミノタウロスが足を止めるのは、生贄を食べている時間だけなのだ。


 その時間に足を進めなければ、外山シンイチの犠牲は無駄になってしまう!


「急ぐぞ!」

「ええ!」


 私は武と手を繋いで駆け出した。


『こちらです』


 アリアドネに先導され、二人でスマホを駆使し、ドアを開く。

 走る道は、ぐねぐねとあっちに行ったり、こっちに来たり。


 ……この道順を覚えるのは不可能だわ。

 目印となる物がない。同じ場所をぐるぐると回っている錯覚さえある。


 でも、おおよそ進んで来た方角自体は把握しているから、進んでいる事は分かった。

 アリアドネが私達を惑わすつもりで、同じ場所を走らせている可能性は否めないけど。


 少なくとも今は、ある方向に向かって進んでいる事が理解できた。


『この道の先に3つの扉があります』

「3つの扉?」

『はい。それぞれの先に長い通路があり、その通路を越えた先に、ミノタウロスを暴く鍵があります』

「よし。じゃあ止まっている暇はない。行こう、恵」

「ええ、武……さん」

「……呼び捨てでいいよ」

「う、うん」


 よく考えたら年上なんだけど。しかも高校生と大学生。

 年齢差が一番気になる時期だ。……今はそれどころじゃないわね。


「3つの扉の部屋!」

「どの扉でもいいのか!? アリアドネ」

『はい。どの扉でも構いません』

「わかった!」


 私達は一番近い、右端の扉を開く。


 扉を開けた先には、たしかに長い通路が。……けど、これ。


「……透明?」


 一瞬、足を止めてしまった。


 右端のドアから入った通路。

 その向こうは、ここまでのコンクリート剥き出しの通路と違って、白い床や天井で構成されていた。


 それだけでなく、通路の左側。


 左側の壁がガラス張りで出来ている。

 境界線が分かり易いようにか、一本の赤いラインが引かれているが……。


 つまり、左側を見ると先程の3つの扉から出る他2つの通路が見える。


 ガラス張りの壁と壁の間は……、どうも分厚い透明な壁があって割って移動できる様子ではなさそうだけど。


「と、とにかく進みましょう。武」

「あ、ああ! そうだな」


 通路の異質さに気を取られてしまったけど、私達はとにかく奥へと急いだ。


『ああ。他の皆さんも来ましたよ』

「え?」


 自分達の通路を振り返る。同じ道には来ていない。

 けれど、透明な壁の向こうの通路には人影が見えた。


 ……大森コースケと、東雲藍の2人。


 目が合う。東雲さんには憎悪の籠った目付きで睨まれた。

 まだ一方的な憎しみを募らせている様子だ。


 彼女程ではないけれど、大森コースケもそう変わらない。



「……行きましょう」

「そうだな」


 私達は、無視して奥へ走り始める。どの道、違う通路を選んだのなら、奥まで行かなければ衝突しない。



『南条キサラさんも通路に入った様子です』

「…………」


 わざわざアリアドネが、こう告げる意図は何?

 私達は、今度は立ち止まらず、走りながら透明の壁の向こうを見る。


 南条さんが入って来たのは一番左端の通路みたいだ。

 大森コースケと東雲さんの選んだ通路は真ん中。


 ……これは偶然? それともアリアドネの誘導によるもの?

 しかし、それを考察する時間はなかった。



『オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


「ぐっ!?」

「きゃっ!」


 通路に怪物の咆哮が響き渡る!


『彼は外山シンイチを喰い殺し、もう動き始めたようです』

「くそっ……! 間に合わなかったのか!?」

「走るわよ! 走るしかない!」

「ああ!」


 彼の命を無駄にしてはいけない。

 だから私達は奥へ向かうしかないのだ。


 一生懸命に私達は走った。走ったのよ。なのに。



『──止まってください、皆さん』


「はっ?」

「……なに?」


 アリアドネが、そう声を掛けて、私達は足を止めるしかなかった。


『彼は、もう貴方達に狙いを定めたようです。貴方達の臭いを嗅ぎつけてしまいました』

「なんだと……!?」


 私はスマホをかざす。けど、ミノタウロスの姿なんて、どこにも……。


「あっ!」


 ……居た。怪物が。ミノタウロスが。


 それが居た場所は……通路と通路の間。透明な壁の中に、ミノタウロスは存在していた。


 スマホの向こうでAR上に再現された怪物がたしかにそこに居る!


「ぐっ! ミノタウロス……!」

『はい。彼は、すぐ傍に来ています。ですので動かないでください。彼は、この通路を先に進もうとする者に、きっと襲い掛かってくるでしょう』


 なんて事なの。

 間に合わなかった。間に合わなかったのだ。


 外山シンイチの犠牲は無駄になってしまった。


「……進まなければ、襲われないのか?」

『どうやら、そのようです。彼にとっても、この先にある鍵は大事な物。ですから通路を先に進もうとする者に襲いかかってくるでしょう』


 ……立ち止まっていれば襲われない?

 でも、それじゃあ。


「でも、俺達が迷宮から脱出する為には、その鍵が必要なんだろ?」

『はい。貴方達が生きてここを出たければ、鍵を手に入れるしかありません』


 進めば怪物に襲われる。進まなければ喰い殺される。


『ですが彼は貴方達を襲おうと考えています。ですので目は向けていて下さい。彼は獣のような人になってしまった。ですから目を逸らしたら、いつ襲い掛かってくるか分かりません』


 ……それは、つまり。


「スマホの電源は切るな。アプリは起動し続けろ。でないと死ぬぞ、って事か」

「……スマホのバッテリーは、いつまでも保たない。いつかは」

「タイムリミットありって事だな」


 誰かが。誰かが犠牲にならなければ、先へ進めない。

 そうなれば全滅しか道はない。


「くそっ……」


 私達は先に進む事も出来ず、恐ろしい怪物の姿を見続けるしか出来なくなった。


 チラリと透明の壁の向こうを見れば、他の3人も立ち止まっている。


 やがて、東雲さんが透明の壁を叩きながら、こちらを睨んできた。

 壁の向こうで何か叫んでいるけれど……。


「……まるで私が先に行くように促しているみたいだわ」

「まるでじゃなくて、そういうつもりだろ、アレは」


 アンタが生贄になりなさいよ。……東雲さんは、きっとそう言っているのだろう。

 隣の通路の声が聞こえないのは幸いだ。


「……けど、どうする。何を叫ばれようが知った事じゃないけど。自分から生贄になりたいヤツなんて居るワケないだろ」

「そうね……。動くワケない」

「前に進めないなら……、戻るか?」

「……戻ってどうするの」

「だよな……」


 来た道を戻り、そして合流して話し合いでもする?

 そんな事をすれば、東雲さんや大森コースケは私が生贄になれと怒鳴りつけ、或いは暴力にまで訴えてくるだろう。


 私にとって、それはリスクしかない。


「……アリアドネ。どうすればいいの? 私達の誰も、このままじゃ踏み出さないわ。進めるワケがないのよ」


 誰だって死にたくない。当たり前だ。

 でも、このままじゃ全滅。


 だからって自己犠牲を買って出る? 誰の為に。


 ……武の為?


 たしかに私は今、彼が好きだ。その気持ちはある。

 でも命を賭けられる程の愛はまだ芽生えていない。


 武だってそうだろう。

 お付き合いを始める程度の好意が生まれていたとしても、命懸けの愛情など芽生えている筈がない。


 では、この感情は欺瞞なのだろうか。

 所詮は吊り橋効果で燃え上った程度の恋なのか。


 違う。そんなんじゃ……。


「一番、最初にスマホのバッテリーが切れるのは俺達か、南条さんだ」

「……え?」


 武は言う。


「俺のスマホのバッテリーは、残り30%。恵は?」

「……65%。減りが早いわ……」

「……南条さんが、外山のスマホを拾っていたら、彼女は今の俺達と同じだけの時間、生き延びられる」

「ええ」


 一番、消耗しているのは武と外山さんのスマホ。

 私と東雲さん、大森コースケのスマホのバッテリーは、同じぐらいの減りだろう。


「恵。俺のスマホを持って。そして、恵のスマホの電源を落とすんだ」

「え? 何を……」

「俺達は、ここから二人で一人として行動する。……スマホで怪物を映し続けなければ危険かもしれないが。こうして手を繋ぐぐらいの距離で、両方共が狙われるって事はないと思う」


「……それは、そうかもしれないけど」

「少なくとも大森さんと東雲さんが協力は出来ないと思う。俺達みたいには」

「……あ」


 そうか。分かった。彼の言いたい事が。


「分かったわ。でも私がスマホを持っていていいの?」

「いいよ。そこは、なんていうか、ちっぽけな男のプライド」

「……武」


 危険な賭けではある。だけど手を打たなければ、どの道なのだ。

 ……私は、差し出された武のスマホを受け取る。


 そして武の腕に組みついて両手を使って、自分のスマホの方の電源を落とした。

 落とさないようにスカートのポケットに入れる。


 武のスマホを使ってAR上にミノタウロスを映し続ける……。


「壁に寄ろう。寄りかかって。体力を残しておくに越した事はない」

「ええ」


 私達はミノタウロスを警戒しながらも……他の3人の様子を窺った。


「……!」


 東雲さんは私達を、私をずっと睨んでいた。だから何をしたのかに気付いたのだろう。


 私と武は、二人で一人分。スマホのバッテリーを節約できる。

 だから二人で65%と30%の時間を稼げるわ。


 南条さんが外山さんのスマホを拾っているなら同じぐらいの長さ。


 大森コースケと東雲藍が完全に協力するなら、最も長い時間を稼げる筈。


 ……だけど。



「……!」

「……! ……!」


 やっぱり。


「よし。仲間割れし始めたな。あの二人」

「そうね……」


 東雲さんと大森コースケは、互いを信じる理由がない。

 だから。


 どちらかのスマホの電源を落とすなら、相手にそうして欲しい筈だ。


 たしかに、それは同じ事かもしれない。

 しかし、スマホを切ったら怪物に襲われるかもしれないリスクは高まるのだ。


 このラビュリントスで、スマホの電源が切れるという事は……最もおぞましい結末を迎える危険性がある。


 合理的に考えれば、プラスの要素もマイナスの要素もある。

 でも。でもだ。


 あの二人は『一緒に生き残る』事は目的にしていない。


 自分だけが生き残る事が目的の筈なのよ。


 そうなれば……そうなれば。



「……私憎わたしにくしで協力を始めるかも。或いは、私達みたいに恋愛感情に芽生えて協力するか」

「かもしれないけどな。でも、この状況でやれる事は、これしかない」

「……そうね」

「それに、その。東雲さんは、亡くなった彼の事が好きだったから恵を憎んでいるんだろ?」

「……うん。私のせいだと思い込んでる」

「だったら、大森さんとそういう関係になるって事はないんじゃないか? 時間が経てば別だけどさ」

「……そうね」


 その気持ちは何も悪くない。

 死んだ彼に操を立てたい。それもまた当たり前の感情だ。


 私達は、彼女のそんな人間性を利用しようとしている。



 そこでは大森コースケが自分勝手で、かつ暴力的な男である事がメリットになった。

 彼は、自分を危険に晒したくない。


 でも、どちらかのスマホの電源を落とさなければいけない状況。

 自分のスマホの電源を落とせば、節約になる。


 しかし、同時にこの場でミノタウロスに喰い殺されるリスクが爆発的に高まってしまう。


 そのリスクを避ける為には、代わりに東雲さんに電源を落とさせるしかない。

 けど、東雲さんだってそれは嫌なのだ。


 二人は協力し合えない。信じ合えない。言い争いになる。そうなれば、残るは暴力的な解決しかない……。


「あっ」


 東雲藍が殴られた。大森コースケに。


 そして彼女のスマホが奪われる……。


 もしも、この状況で行動不能にされれば。

 あの二人には『私を生贄に捧げる』という考えが元からあった。


 ならば今、目の前に出来た無力な女を、大森コースケが利用しない手はない……。



『オオオオオオオオオオオオッ!!』


「くっ!」


 ちょうどタイミング良く、怪物は咆哮を上げた。


 私達の注目は当然、怪物に集まる。

 こちらに来るようならば引き返さなくてはならない。


 せっかく来た道を戻って……。



「…………!!!」


 その時、隣の通路でも動きがあった。

 東雲さんが……大森コースケに逆襲したのだ。


「ヘヤピンか、何か?」

「……分からない、けど」


 大森コースケは東雲さんが持っていた何かに目を刺された。

 彼の顔に血飛沫が飛び、スマホを取り落とす。


 東雲さんは自分のスマホを拾い上げ、そしてすぐ様、通路を引き返した。


 大森コースケは叫びを上げている。頭に血が昇って……。


「…………」


 私と武は、その光景を黙って見ていた。息を殺して。

 怪物に目を付けられないように。


 やがてミノタウロスは動き始めて。



『オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 再びの咆哮。怪物は動き始める。向かった先は、真ん中の通路。


 東雲藍は、入口の方へと走りさっていて、そこにはスマホを取りこぼした大森コースケだけが居る……。


「……! ……!!」


 彼は恐怖に怯えて、上手く立ち上がれないようだった。


 走って逃げる事も忘れて……、こちらに向かって何かを叫ぶ。


『助けろ』なのか『助けてくれ』なのか。


 どうにかして欲しいと。憎んでいるのか。恐怖しているのか。


 大森コースケは、必死に何かを叫び、助けを求めながら……そして。



『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』

「…………!!」


 AR上の怪物と、現実の彼が重なる。

 大森コースケの身体は跳ね上がり、電流が目に見える勢いで迸った。


「……っ! 喰いついた! 行くぞ! 恵!」

「ええっ!!」


 私達は、大森コースケを犠牲にして、ラビュリントスの奥へと走り始めた。


 ……彼は、もう助からない。


『大森コースケさんが亡くなりました。生贄の数は、残り4人です』


 アリアドネが無情にそんな言葉を告げた。

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