第23話 囚われた恵

「……ったく、重いって言いたいのに軽いわね!」


(…………)


 私は、今。朦朧とした意識のまま廊下を引き摺られていた。

 服を引っ張って、何の配慮もない引き摺り方。

 荒々しく、私に対する優しさはない。


 声からすると、私を引き摺っているのは東雲しののめ藍だった。


 私を、このラビュリントスへと誘った、彼女。

 友人になれるかもしれないと思っていた、女。


(……痛い)


 頭を何かで殴られたのだろう。迷宮の中にそんな武器があった事が驚きだ。

 身体は動かなかった。

 私は抵抗すら出来ずに東雲さんに引き摺られていく。


「アリアドネ! このセーフルーム!?」

『はい。こちらは既に南条キサラが使用したセーフルームです』

「じゃあ、私が先に入ったら……この女には意味がないセーフルームになるのね!?」

『ふふ……。私は、未来のアリアドネ。テセウスと結ばれる事が目的……』

「答えなさいよ、この役立たずッ!」

『ああ。彼が呼んでいるわ……』

「おいコラ! 消えるんじゃないッ!!」


 ……どうも、アリアドネによって誘導されていたらしい。


「最低! どいつもこいつも……ここはクソよッ!」


(……それだけは同感だわ)


 そして扉を開く音がして、それからまた私は東雲さんに乱暴に引き摺られていった。


「くそっ、くそっ、くそっ!」

「…………」


 しばらく彼女の悪態と、私を乱暴に扱う作業が続く。


(……どこかに縛り付けられてる。両腕を)


 おそらくはセーフルームの中。

 彼女は、何故か私をセーフルームの中に運び込み、そして縛り付けているらしい。

 それに彼女は私の服をやたらとまさぐり、探っている。


「鍵は! 鍵はどこよ! 出口を開く為の鍵は!!」


(……この子、勘違いしてる)


 私と武が、出口を開く為の鍵を手に入れたと思っているのだ。だから私を襲って、そしてセーフルームの中で探している。


(鍵なんて、ないのに)


 哀れに思えた。

 この子だって必死に生きようとしている。


 好きな人と両想いになりたいって、そう思っていただけの、普通の女子高生だったのに。



「くそっ! どこだ、鍵はどこだあああああ!!」


 バシン! と私は、彼女に引っ叩かれた。


「ぅ……ぐ……」

「はぁ……はぁ……! 起きたの!」

「…………東雲、藍……」

「鍵は! 鍵はどこにあるの!? あんた、まさか汚い所に隠してんじゃないでしょうね!? この変態女がッ!!」


 ……酷い言われようだ。


「は……ぁ……。鍵は……、なかった……」

「はぁ!? そんなワケないでしょうがッ!」


 バシン! とまた頬を叩かれた。


 頭を強く殴られた後のこれはキツい。吐き気さえしてきた。


「鍵なかったら、どうやってここから出るってのよ!!」

「……知らない」

「ふざけんなっ!!」

「ぐぶっ!」


 蹴られた。それにどこかに縛り付けられているから避けれない。


「はぁ……はぁ……」


 私が縛り付けられているのは、セーフルームのベッド。

 地面に固定されているベッドの端のパイプに、両腕を上げるような形で拘束されている。


 両腕を万歳して、地べたに座っている私を、彼女は引っ叩いたり、蹴ったりしているのだ。

 縛っているのはロープ。こんな物を一体どこから見つけてきたのか。


「……はぁ……。どうしても鍵を渡さない気?」

「持ってない……。好きなだけ調べたらいいわ……。どうせ抵抗できないじゃない……」

「チッ!! ああ、そう!!」


 また暴力を振るわれる。そう覚悟したけれど、東雲藍は、壁の隅の食料が入れられた箱へ移動した。


(……あれ? このセーフルーム……)


 私は、ある事に気付いた。

 でも、どうして。だってアリアドネは。


(……違うわ。アリアドネは味方じゃないのよ。だから。そう、だから)



「……どうして?」

「ぁあ?」

「……なんで私をセーフルームに連れて来たの? 鍵を探したいなら……殴り倒した、その場で出来たわ。怪物・・も来ていなかった筈。来てたら、そもそも運ぶ事だって出来ないから……」


「ハッ! 分かんない?」

「ええ……。分からないわ」


「へえぇえ!? あの西川恵が! 賢い女面してたアンタが! わっかんないんだッ!?」

「……何が言いたいの?」


「は……。アンタさ。ここ、どこか分かる?」

「……セーフルーム。先着2名・・・・までが、怪物の襲撃を避けられる場所……」


「そうよ! 知ってた!? あのおばさん! 小島って言ったっけ!? 最初にセーフルームに籠ってたバカ女! あいつさぁ、セーフルームの中でおっんだんだって! あはは! 笑っちゃうよねぇ?

 自分だけが助かるつもりで居残って! それで死んじゃったんだって! 先着2名なんて聞いてなかったから!」


 そう。このセーフルームは先着2名しか守らない。

 最初に自分だけは安全地帯に居るつもりで居た小島アカネは……怪物によって喰い殺された。


 あのセーフルームに最初に入った2人は、彼女ではなかったから。


「でね。アンタに良い事教えてあげるよ、恵ちゃん・・・・

「……なに?」


「ここ。先に南条さんが使ってたんだって! だから最初の1人は南条さん! そして、次に部屋に入ったのは、この私! ……この意味、アンタに分かるぅ?」


 セーフルームが怪物の襲撃から守ってくれるのは先着2名。

 南条キサラと東雲藍に、もしもその権利があるのならば。


「…………私は、ここに居ても安全じゃ、ない?」

「そうよッ!!」


 だから縛り付ける? ああ、彼女は。


「アンタがさぁ。そこで死ぬとこ・・・・。見ててあげるわ。

 アキトと同じように!! 電気ショックで! 顔なんて分からない程、焼け焦げて死ぬとこ!

 あんたが殺したアキトと一緒の死に方で……お前も死ねッ!!」


 ……やっぱり。だけど、それは。



「……私は、中津くんを殺してない。貴方だって見てたじゃない」

「アンタが殺したんだよ! アンタがアキトを嵌めたんだ!! アンタがアキトを誘惑して、ここに連れ込んだんでしょうが!!」

「……何を言っているの?」


 私をこの死の旅行に誘ったのは、彼女の方なのに。

 どうして、それが中津アキトを誘惑して誘い込んだ事になると言うのか。


 ……彼女はおかしくなっている。或いは。


「はぁあ!? しらばっくれても無駄なんだよッ! 私、知ってるから! アンタ、南条さんを脅して今回の旅行、仕組んだんでしょうがッ! 私らを誘い込んで!! 裏でほくそ笑んでたんだろうがよぉッ!!」


「……何を言っているんだか分からないわ」


「しらばっくれてんじゃねぇよッ!」


 ドッ! と私はまた蹴られた。痛い……。


「ぐっ……」

「ねぇ、楽しかった? 私らが右往左往するとこ見てさぁ。楽しかったかって言ってんのよ! ぁあ!? アキトが死んでいくのを見て、てめぇは笑ってやがったんだろうが!! 死ね! 死ね! 死ね! この淫売女!」


「ぐっ、くっ! うっ……!」


 叩かれ、蹴られ、私はされるがまま。


(痛い……)


 涙が滲んだ。どうして私はこんな目に遭っているのか。

 それも、まったく見当違いの罪で糾弾され、怒りをぶつけられながら。


「あんたが居るから! あんたが生きてるからアキトが死んだ! お前のせいで死んだんだよ! 死ね! お前が死ねば良かった! なんで今、のうのうと息してんだよ! 死ね! 今、死ね! 早く死ね! 死ね! 死ねぇえええええええッ!!」


 酷く。酷く。私は痛めつけられた。

 彼女の晴れない怒りの捌け口にされた。


「……もう、やめて……痛い……やめて……」


 ボロボロと涙が出て来る。どうして。どうしてこんな事になったの。



「はっ……。ははは、あはは! あははははははは!! あーっはっはっはっは!!

 あら、泣いちゃったのぉ? 恵ちゃん、可哀想ねぇ? あははははは……!!」


 彼女が悪魔に見えた。

 同じ、ただの、普通の女の子だった筈なのに。


 こんなにも。こんなにも悪意と殺意を私に向けて。狂ったように笑う、彼女。



「アンタさ。分かる? これからどうなるか」

「……うぐ」


 彼女は私の首を掴んで無理矢理に顔を上げさせた。


「ミノタウロスがやって来るわ。そうして、私を襲わず、アンタだけを襲うの。あのバケモノは。

 ふふふ。アンタが必死に助けを求めても、私、絶対に助けてなんてあげないから。

 あんたが! アキトを! 見殺しにしたみたいに!!

 アンタが電気で焼かれて、苦しんで死んでくのを私が見ててやる!!」


「私は中津くんを殺してないッ!」

「黙れッ!!」

「あぐっ……!」


 東雲藍は、また私から離れて食料の箱へ近付いた。


「……仮に。あの怪物がもう来なくなったとしても。アンタは、ここで死ぬわ」

「…………どうして」

「スマホ」


 彼女は、ポケットからスマホを取り出した。


「……私の」

「そうよ。そんで、アンタが色目使ってた、あのボンクラ男のスマホも」


 武のスマホも。


「……返して」

「あ?」

「武のスマホ、返して。それがなかったら」


 彼の居た場所が。彼の家族に対する手掛かりが、なくなる。


 本当の本当に、彼との思い出が、このラビュリントスの中にしかなくなってしまう。


 イヤだ。そんなのはイヤだ。


「それがなかったら? 何? これ使ってなぐさめでもすんの? きっしょ! やっぱビッチだったんだ。アンタ。どうせパパ活でもやってたんでしょ? ほんと気持ち悪い。死ねよ、クソ女」


「…………ッ!」


 私は、歯を食いしばった。


 ……彼女の悪意は晴れない。殺意は消えてなくならない。


 誰かにそれを燃やされたのだ。


 復讐心が大きく、大きくなるように。私への憎悪が膨らむように誰か・・に吹き込まれた。

 そして、その誰かは。アリアドネは。


 ……おぞましい手を打っている。わざわざ、そう私に分かる形で。


(……どこまで人を馬鹿にしているの)


 東雲藍を助ける・・・事は出来るかもしれない。

 でも、その選択肢を彼女自身に潰させている。


 愉快だろう。楽しいのだろう。私達が思い通りに動く事が。



「バケモノが来ない方がいいかもねぇ?」

「……どうして?」


「食料。全部、私が食べるから。それでアンタが持ってるスマホも全部奪う。水だけ残してあげようかぁ? 長く苦しむかもね。でも、アンタは……ここからどこにも出ていけなくなんの。スマホがないから!

 そんでアンタは、ここで餓死がしするんだよ!

 あはは! 知ってる? 死ぬのってにが一番! キツいんだって! 辛いんだって!

 あはっ! アンタに相応しい死に方じゃん! 生きてる間にも地獄に落ちろよ、クソ女が!!」


「…………」


 ……もう、彼女に掛ける言葉などない。


 膨れ上がった悪意と殺意、憎悪は私が死ぬまで消えないだろう。

 あとは……。ただ、待つだけ。


 私を苦しめようと彼女は、食料に手を出していく。

 乱暴に食い散らかすその様は、本当に餓鬼か何かのようだ。


(……人は、こんなにも憎しみで変わり果てるのね)


 あんなに可愛らしかった東雲さん。

 中津くんの事が好きだって分かる、ただの女の子。


 彼の死が、彼女を狂わせてしまった。

 きっと、それだけ彼女にとって中津アキトは大切な人で……。



(……私は、武の死に、そこまでの感情を抱けているかしら)


 積み重ねた時間があまりにも短い恋人。

 今だって……助けに来て欲しいとは願うのに……。気持ちは消えていないのに……。


 順番が違えば、きっと私も東雲藍かのじょのようになっていたのだろう。


 私と彼女に違いなんてありはしないのだから。



『ォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』


 ビクン! と私達は、その咆哮に身を固くした。


「……っはは! 来たわ! 来たわ! ねぇ、恵ちゃん? どんな気持ち? 今、どんな気持ちなの!? アンタ死ぬんだよ、もうすぐ死ぬんだ! アキトみたいに! アキトのように!!」


「…………」


 私は沈黙する。彼女を喜ばせたくないからじゃない。


 ……彼女をこの場に引き付ける為に。真相を明かさない。



『ォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 2回目。



『ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』


 3回目。



 ──ドォオオオオンッ!!



 そしてセーフルームの扉が叩かれた。


「……来たわッ!」


 東雲藍は、スマホを掲げる。

 私は両腕を縛られたまま。怪物の姿を見る事は叶わない。


 バァアアアアアンンッ!


 ……扉が自動的に、凄い勢いで開いた。

 きっとAR上では今まさに怪物が部屋に入ってきた所なのだろう。


「あはっ、あはは! 来たよ、来たよ、恵ちゃん! すぐそこに居るわ! ミノタウロスが!」

「…………、テセウス、よ」

「……あ?」


「……彼はミノタウロスじゃない。英雄テセウス。食人鬼に成り果てた、ただの人間」

「何言ってんの、アンタ。これから死ぬって時に」

「……私は死なないわ」


「はぁ? あんたには見えないだろうけど、今そこにバケモノが迫って……は?」


「私の方に。来る? 来ないでしょう?」


「待って。待って待って、待って! なんで、なんでなんで!? なんでこっちに来るのよ!」


「……だって」


 この場所は。


「──この部屋、私と武が・・・・先に入った・・・・・セーフルームだもの」


「……は?」


「ここのセーフルームに守られる先着2名は、私と武。だから今、この部屋に守られているのは……私だけ」


「はぁあ!? ありえない! だって! 南条さんが使ったってアリアドネが言ってた!」


「……嘘は言っていないんじゃないかしら。きっと、私と武が使った後で・・・・・。南条さんも、この部屋を使ったのよ。それなら辻褄が合うでしょう?」


「あ、ありえない! なんでそんな私を騙すようなこと、アリアドネが言うのよ!」


「……アリアドネが黒幕だから」


「は!?」


「アリアドネは、私達を生贄としか見做してない。だから貴方の事だって騙す。ねぇ、アリアドネは言ってくれた?」


「な、何を……」


「このセーフルームは『東雲藍にとって安全ですよ』って……言ってくれたかしら?」


「…………」


「言わなかったでしょう? 言ってくれなかったでしょう? 誤魔化すように貴方の前から消えたでしょう? ……それは、きっと貴方を騙す為だわ、東雲さん」


「嘘よ、嘘、嘘。ありえない、ありえない。く、来るな! 来ないで! いや、いや、いや! バケモノ! やめて! 来ないで! いや! やだ、やだ、やだ、助けて、助けて、アキト! やだ、私、死にたくない! 死にたくない! アキト! アキトぉっ……!!」


 半狂乱になった東雲藍が、それでもなんとか逃げようとしたけれど。



『ォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 バチバチバチバチ!!



「ぎゃば!」


 ……容赦なく高圧電流が流された。


 私にじゃない。彼女に。目と鼻の先で。


「ぎゃばばあぶ、ばあががび、ぎぎゃあぐだで、ばッ!」


 それは中津アキトと同じように。


 生きながら、肉を内側から焼かれ、人間としての機能が終わっていく姿。

 異常な臭いが部屋の中に立ち込める。



「がびゃががやぎゃががが、だず、だずげ、だずげデ、じにだぐなッ!」



 ……両手を彼女によって縛られた私は、どうする事もしてあげられない。



「や! だ! ア、ギ、ドぉッ……」


 ……そんな言葉だけを遺して。


 東雲藍は、焼け死んだ。

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