第24話 南条キサラ
「…………はぁ」
東雲藍が死んだ。今、そこに怪物テセウスはまだ居るのかもしれない。
だけど、このセーフルームに居る限り、私は彼には殺されない。
「ぐっ……」
私は縛られたロープを何とか外そうとする。
身体中が痛い。東雲さんに痛めつけられた場所が、じんじんと痛む。
「はぁ……! はぁ……!」
ベッドの端にロープで縛り付けられた私の両腕。
せめて、これが角張ったモノであれば、時間を掛けてロープを切る事も出来そうなのに。
繋がれたのはベッドの端にある、丸いパイプだ。
擦っても、引っ張ってもロープは切れそうにない。
「ぐ! うぅぅ……! うぅぅ……!!」
ロープが解けない。ロープが切れない。
このままじゃ、このままじゃ。
「ぁあああ……、あああああ……!」
部屋には異臭が立ち込めている。東雲さんが高圧電流によって焼け死んだ臭いだ。
肉が内側から焼け焦げ、可愛かった彼女の姿は見る影もない。
糞尿さえ垂れ流しているかもしれない。吐き気がする臭い。
……武と一緒に駆け込んだ、このセーフルームさえ醜い記憶に上書きされる。
「ああああ……! ぁあああああああ!」
ボロボロと涙がこぼれても、私はそれを拭う事さえ出来なかった。
……このままでは、私は死ぬ。
ただ、死ぬのではない。
苦しんだだろうが、それでも一瞬で死ねた東雲さんの方がマシかもしれない死に方で。
餓死。
怪物は私を殺してくれず、私はラビュリントスに囚われたまま。
ただ時間を掛けて、じっくりと死に至る事の……恐怖。
「ぁあああああ! うぅあああああああ……!!」
必死に両腕を動かす。だけど、ロープを解く事は出来ず、床に固定されたベッドはピクリとも動かない。
(……いや。いや、いや、いや)
こんな死に方は嫌だ。こんな惨めな思いをしながら死んでいくのは嫌だ。
生きたい、生き残りたいという希望さえ塗り潰すような、待ち受ける苦痛の死。
「ぁあああああ! ぁああああああ……!!!」
叫んでも、泣いても、誰も私を助けに来る事はない。
……もしも、ここに誰かが来るとしたら、それは。
「あ……」
ストン、と。私は……力が抜けた。
生き足掻く為の行動を、脱出の為の足掻きを、放棄した。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を整えて。涙が枯れるまで、心を落ち着けながら。
(……待つ、のよ。だって)
このまま終わる筈がないのだから。
終わらせるワケがないのだから。この死のゲームを仕組んだ黒幕が。アリアドネが。
……そして、
「…………」
どれだけの時間が経っただろうか。
私は、ピクリとも動かず、時間を過ごしていた。
嗅覚が麻痺してしまったのか、もう部屋の異臭は気にならない。
東雲藍は、まだ生きているかも、なんて可能性すらなく、動きを停止している。
どれ程の時間が経過したのか分からない程の……長い、長い時間。
私は、もう眠ってしまいたかった。
でも、身体中の痛みが中々それをさせてくれない。
眠るのではなく、気絶するように。意識を断続的に失う。
縛られたままでは身体も休まらなかった。
徐々に、私の体力は削られていく……。
コッ、コッ、コッ、コッ……。
どこからか音が聞こえた。足音だ。誰の?
(……決まっているわ)
もう、このラビュリントスの中で生き残っている人間は二人しか居ない。
だから、歩いて来るのは、彼女に違いない。
ピー、という電子音と共にセーフルームのドアが開かれた。
「…………」
そして彼女は部屋の中に入って来る。何を思うのか。
同じ歳の、同じ学校の、ただの女の子が惨たらしく死んでいる姿を見て。
「……起きてる?
私の事をそんな風に言うのは、二人だけ。もう一人である東雲さんは既に死んでしまった。
だから、そこに居る女が誰かは決まっている。
「……、……ええ。
私は、彼女を見上げ、そして睨み付けた。
彼女は……ニタリ、と残酷な顔をして微笑んで見せる。
ラビュリントスに閉じ込められた生贄の数は
一緒に入ったのは英雄テセウスではない。
だってミノタウロスの退治は、とうの昔に終わっているのだ。
ここは未来のラビュリントス。
赤い糸は、怪物テセウスを
けして彼を逃さないように。
今度こそテセウスが、アリアドネの元から去っていかないように。
生贄の少年少女達と共に迷宮へ入ったのは英雄ではなく、裏切り者の少女だった。
「貴方が……アリアドネだわ。南条キサラ」
「ふふ。ふふふ。何を言っているの? 恵ちゃん。今、ロープを解いてあげるね?」
解く? どうして? このまま放っておけば、私は悲惨な末路を辿るだろう。
「ほら。固くならないで、ね? 落ち着いて」
「……っ! 近寄らないで!」
南条キサラは、膝をついて、私に視線を合わせる。
女の私でさえゾッとするような美しさを、今の彼女は兼ね備えていた。
「ふふ。ふふふ。怯えちゃって。可愛い。恵ちゃん」
ツーっと私の頬を指で撫でる南条キサラ。
「触らないで!」
「だめよ。だぁめ。貴方に抗う権利なんてないの」
「なっ……!」
強引に。彼女は私の頬を両手で押さえ、そして。
「んんんっっ!?」
……私の
(いや! 嫌、嫌! 何!? なんで!)
「んんんんっ!!」」
「……ちゅ……はぁ、ふふ」
「げぇ! はっ、はぁ、……ぁあああああ!!!」
「ふふふ。すごくいい反応。どうしたの? キス、初めてだった? 恵ちゃん、そんなにキレイなのに」
キス、された。キスされた!
女なのに! 私だって女で!
生理的嫌悪が湧き起こる。
初めてのキスだった。好きな男の子としたかった。
……武と、したかった。
また一つ、彼と積み重ねたかった思い出が穢された。
「綺麗な女の子って損だよねぇ?」
「はぁ……はぁ……! 何なの、何なのよ!」
「ふふ。あのね。恵ちゃん。貴方、すごく綺麗だから。可愛いから。知ってる?」
「だから……何よ!」
南条キサラは、そういう性的倒錯者なのか。
それとも精神が元から男性の女性?
だからって、それが私に何の関係があるの!
「ふふ。誤解よ、誤解。別に私、女の子が好きなんじゃないの。心だって女の子だよ?」
「じゃあ、なんで!!」
「うーん。恵ちゃんなら分かると思ったんだけど」
「分かるワケないじゃない!」
ぞわぞわと鳥肌が立つ。
気持ち悪い。今すぐに口を
「だからね。綺麗で、それから賢い女の子って、損だよねぇって」
「……何の話!」
「貴方の話よ、恵ちゃん。……貴方、もしかして偶然、自分が選ばれたって思ってる?」
「……は?」
何? 一体。何の。
「違うんだよねぇ。違うの。全然違う。間違ってるよ、恵ちゃん」
「な、にが……」
「──
「は……?」
私が、選ばれた? 何に? え?
「何の……話?」
嫌だ。嫌。聞きたくない。聞きたくない。
「だからね。このデスゲーム。誰を参加させるかっていう話でね。そこに選ばれたのが……貴方なの。すべては貴方から」
「……なん、なん……で」
この発言で、南条キサラがやはり黒幕側の人間であった事が確かになった。
だけど。
「恵ちゃんって綺麗で可愛いでしょう? 自信持っていいと思う」
「何を言っているの……」
「うーん。分かんないかぁ。恵ちゃん、あんまりネットとか見ないタイプ?」
「何の話!」
「だからねぇ。恵ちゃん。デスゲームに参加させるに当たってね? 貴方って、すごく、
…………は?
「ば……え……る……?」
意味が分からない。理解が出来ない。
ううん。理解したくない。
「うん。
これは、このゲームはリアリティ・ショー。
誰かが見ている。
誰かが見ていなければ、こんな大掛かりの仕掛けの設備の意味がない。
そして見ている者が居るならば、その者達を
物語には美女が登場する。
それだけで価値が生まれる。
「だからねぇ。貴方が最初に目を付けられたの。貴方の参加だけが決定したの。後は残りの人選だよね? 誰が選ばれるべきかなぁ。こういうのって共通点探しから始まったりするんだけどね? 例えば、誰かの復讐の為に集められたんじゃないかー、とか。そういうの、私達ってしなかったよねぇ」
嫌。嫌だ。聞きたくない。
「私達の共通点。それが分かる? 恵ちゃん」
「共通、点……?」
「そう。正解したら飴をあげちゃう。ふふっ」
分からない。分かるワケない。せいぜい地元で、近くに住んでるぐらいの。
大学生グループに至っては会った事もなかったのよ。
私達にある共通点なんて。
「分からない? 恵ちゃんって賢いから分かると思ったんだけどな。いっか。言っちゃうね?」
南条キサラは、心底愉快そうに続けた。
「
「なまえ……?」
何を、言っている。
「『
嫌だ。嫌だ。そんなの。そんなの。
「あとはねー。『
『
この辺は一括りのグループだよね。なんだかおかしい。ふふふ。たぶんねー。
つまりねー。つまり」
嫌だ。嫌だ。嫌。嫌。嫌。
「『
恵ちゃんが、綺麗で、可愛くて、賢い、女子高生で
そして苗字が西川だったから。ふふ。そういう意味では、皆、あなたのせいで死んじゃったみたいなものだねぇ。
……北元武さんも、ね?」
……涙がこぼれた。ボロボロと。
「ぁあああ……ぁああああああ……」
「うふふ。泣いちゃった。いいよ。すごくいいね。綺麗な女の子が泣くのもいいよねぇ。ふふ」
なんで。なんで、なんで、なんで。
「なんで! なんで!!」
「んー? だってねぇ。せっかく謎を用意したんだもの。解いてくれなきゃ
観てる人達も、ミノタウロスだ、アリアドネだ、テセウスだって言われただけじゃ興味が湧かないじゃない?
頭の悪い人だったら、せっかく用意した謎も全部、無視しちゃうでしょ?
それじゃダメなの!
……私の前には悪魔が居た。
私という人間を。生まれ持った全てを身勝手に利用し、喰いつくそうとする悪魔が。
「中津くんもけっこう
このゲームって、けっこう賢い人が居ないと、やっぱり成立してなかったと思うの。
その点、恵ちゃんはパーフェクトだったよ! こっちが用意した謎をきちんと解き明かした!
それに、ミノタウロスのお墓にまでちゃんと辿り着いて見せたし!
やっぱり奥まで行ってくれる人でないとね。そういう意味だと小島さんなんてダメダメ。
分かってないよね、あの人って。盛り上げ所が。だから食べられちゃったの。当然だよね。
それに引き換え、恵ちゃんはアリアドネの思惑にまで気付いた! ……その上」
ニコニコ、ニコニコと。悪魔が笑っている。
「……北元武さんと恋仲にまでなった。ふふ」
「っ……!」
「美人の貴方がレイプされかかるっていうのも映えるのは映えるんだけどねー。
やっぱり純愛の方が王道だよね!
北元さんと恵ちゃんが結ばれてセックスするのでも良かったんだけど。
ほら。セーフルームには監視カメラがないって言ってたでしょう?
あれってね。安心して、ここでエッチしちゃっていいよ、って事だったんだよ?
ほら、盛り上がる所だからね。チャンスあったと思うんだけど、流石に時間がなかったかな?
大丈夫! ちゃんと大事な所は隠される筈だよ!
チラ見せの方が良いって言ったら分かるかな? 直接的なものだと違う話になっちゃうから」
「……何なの。あんたは……あんたは一体、なんなのよッ!!」
「んー。裏切り者? アリアドネ? ふふ。ふふふ。
恵ちゃんって、やっぱり素敵。立ち回りが完璧だったよ。
そうして泣きじゃくるのも、怒るのも、ぜーんぶいい!
藍ちゃんに叩かれたり、蹴られたりしたのも興奮できる所だよね。
そうして両腕が縛られて動けない姿もいいよ?
スカートなとことかもポイント! ほら、太ももが見えてる!」
「…………!!」
「ふふ。恥ずかしい? でも両腕が塞がれてて隠せないねぇ。ふふふ!
恥ずかしがるのも素敵。北元さんとのピュアな恋とかも良かったよねぇ」
……この女は、私のことを、商品とでも思っている。
デスゲームという舞台に置いて、見栄えのいい商品。
こんな女に。こんな奴らに。
「……私を、これから……どうするの」
「うん?」
「……ゲームは終わったわ。私は動けない。貴方は……黒幕側。
ARじゃなく
……これではゲームなんて成立しない。貴方の……勝ちよ」
どうしようも出来ない。東雲藍の相手とは違う。逆転の手は私に残されていない。
「うーん」
そもそも東雲さんは私が倒したんじゃない。
すべて、この南条キサラとアリアドネによって誘導されて死んだ。
……彼女は哀れにも、悪女の毒牙に掛かっただけなのだ。
「ロープ、ほどいて上げるよ?」
「……何を」
「その代わり、私に乱暴しちゃダメ」
「……素直に言う事を聞くと思っているの?」
「どうかなー。恵ちゃんって賢いからなー。私を殴ったりするのって何か意味、あるかな?」
「…………私の
「あら。うふふ! やっぱり最高よ、恵ちゃんは」
何一つ嬉しくない。
「そんな恵ちゃんに、朗報」
「……何を」
南条キサラは、ビッと指を差した。東雲藍の死体を。
「藍ちゃんは、あの通り死んじゃってるね?」
「…………」
「もっと言うと、小島さんと外山さん。それから大森さん。あと、中津くんも死んでるよ。これについては嘘は吐かない。本当の事。話がややこしくなるからね?」
「…………、…………まさ、か」
「あら! ふふ。もう私の言いたい事、わかっちゃった?
もう恵ちゃんって賢過ぎるよねー。ふふふ」
まさか、まさか、まさか。
「あの3つの扉が並んだ部屋。墓標の部屋の一つ前の部屋でテセウスに襲われたでしょう?」
「…………」
「その時、北元さんが貴方を庇ってテセウスに
「噛み、つかれた」
ならば。
「でもね。テセウスは、その後
おかしいよね? タイムラグが、なさ過ぎた筈。
だって一人喰い殺した怪物は、もっと足止めされていなければならない筈。つまりは?」
武は……武は……。
「そうだよ。──北元武は
「あっ……」
じわりと涙が目に浮かんだ。それが事実ならば、嬉しい。
希望だ。でも、でも、でも。
「北元さんはテセウスには喰い殺されてなかったの。怪物は、あの時、恵ちゃんを狙って動いていたからね。アリアドネの真実を暴いた貴方を殺そうとしてた。だから彼は助かった。今も生きているんだよ」
「武が、生きている……」
「そう。そうだよ。恵ちゃん。ふふ。希望が湧いた? ねぇ、
「……信じて、る……」
「ロープ解いてあげる。でも私に逆らっちゃ、
希望という感情まで。
私は、この悪魔に握られてしまったのだ。
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