第17話 はぐれた者達

『この先のドアの向こうがセーフルームです』


 そう言うアリアドネの言葉と、ミノタウロスの咆哮が響き渡るのは、ほとんど時間差がなかった。


『ォオオオオオオオオオオオオオッ!!』

「くそっ! 俺が一番先だ!」


 そのドアは、ドアノブではなくハンドルを回して開閉するドアだった。

 大森コースケはAR上に描写されたハンドルを回す仕草をしながら、必死にドアを開こうとする。


 セーフルームが機能するのは先着2名まで。

 未だに目の前で人が死んだ場面など見ていない彼だったが、何度も聞こえてくる怪物の咆哮には確かな死の恐怖を感じていた。


(こんな所で死んでたまるかよっ! 就職だって決まってる! 俺の人生は、これからなんだよ!)


 幸い、北元武が居なくなった事で、今のグループの中では一番に体格がいいのは自分だ。

 だから大森コースケは、いざとなれば力尽くで他の人間を押しのけてセーフルームを牛耳ればいいと考えていた。


「……! 藍ちゃんがその部屋に先に入って!」

「えっ!?」


 ハンドルに手間取る大森の後ろで、女子高生の一人、南条キサラが声を張り上げた。

 序盤は大人しくしていて、ずっとツレの女子高生に寄り添っていた女だった。


「外山さん! 2人しか意味がない部屋なの、私達は別の部屋を探さないとダメ!」

「えっ! ぼ、僕も探すのか? 二人は友達同士で、」


 話を振られた外山シンイチは驚愕した。


 だって目の前の扉の向こうは安全地帯だ。すぐ近くに迫っている死の恐怖に怯えているのは彼もだった。

 生死の懸かったこの場面で、男も女もない。


 それに南条キサラと東雲藍は、外山達と合流してからずっと一緒に居たのだし、2人ずつで別れるのなら彼女達と、そして自分と大森であるべきだと考えていた。


「ここで争っている時間なんてないよ! 大森さんと喧嘩する!? それとも藍ちゃんを押しのける!? 出来ないでしょ!」

「……! そ、それはそうだけど」


 さっきから外山シンイチは、南条キサラの意見に流されっぱなしになっている。


 そもそも彼は、なし崩し的にはぐれてしまった先程の出来事にも納得がいっていなかった。


 西川恵が、裏切者の疑念を持たれた時。

 北元武は彼女を庇って、東雲藍よりも彼女の方が冷静だと言っていた。


 外山シンイチも同じ考えだった。

 閉じ込められた8人の内、彼女が一番、冷静で的確に見えたし。


 それに『赤い糸』の話し合いをした時、どのような心理か、西川恵は他の誰かではなく、外山シンイチを選んだ。


 残っていた男は3人だけ。


 金髪で、体格はいいが、柄の悪い大森コースケ。

 好青年で、如何にも爽やかな大学生といったイケメンの北元武。

 そして、眼鏡をかけて、どうにも野暮ったい印象の、外山シンイチ。


 ……この3人の男の中から『赤い糸』の相手として外山を選ぶ女子は、そうは居ないだろう。

 外山シンイチは、経験からそう考えていた。


 たった、それだけのやり取りだが、そんな風に選ばれては外山とて悪い気はしない。

 だから出来れば西川恵と一緒に行動したかった。


 どこかに下心もやはりあった。西川恵は、綺麗な女の子だったからだ。



 だというのに、さっきは南条キサラの言葉に流されてしまった。

 この迷宮ではスマホのバッテリーが生死の鍵を握る。


 集団行動を前提で、外山と北元がスマホを使っていたが……前提が覆ってしまった。

 アプリを起動していなければ、怪物に襲われる可能性が出てきたのだ。


 もうスマホの電源を落とすワケにはいかなくなったし、バッテリーの残っているスマホ持ちと一緒に行動するしかなくなった。


 だから西川恵と北元武が別の道を選んだ時、外山と同じくバッテリーを消費していた北元とチームになっては、早期に立ちいかなくなる……そんな風な説明に、外山シンイチは流されてしまった。



(……北元くんの立場になっていたら、彼女と二人きりになったかもしれなかったのに)


 こんな状況で、とも思う。

 だが、こんな状況だからこそ芽生える事がある事も、また広く知れ渡った事実だ。


 生死の懸かった状況の男女。吊り橋効果というものだ。


(……どうせ、そういう期待・・もあるんだろ?)


 外山シンイチは、このゲームを仕掛けた運営に、そう心の中で揶揄した。


 セーフルームにはベッドまである。

 しかも使えるのは2人まで。


 命懸けで逃げてきて、安堵する2人だけの空間。


 おあつらえ向きに『神の目』などと言う監視がないと聞かされた。


(実際にそんな事あるワケないのに)


 迷宮の通路すべてが監視されていると言うんなら、セーフルームの中だって監視カメラはある筈だ。


 でも、バカは言葉通りに受け取って、この部屋の中では『見られてないから』って盛り上がる。

 実際には、ばっちりと撮影されているにも関わらずだ。


(デスゲームなんてそんなもんだ)


 死の淵に立たされて、人間がより本能に近い行動を選択するようになる。

 命の危機になれば子孫を残したくなる欲求が高まると言うし。


(わざわざ若い年齢の男女を揃えたのだって、そういう事だろう)



 ──大いにさかれ。と、そう言っているも同じ事だった。



(……もしかしたら、この怪物の襲撃も?)


 外山シンイチは、ある事に気付いた。

 さっきから怪物の咆哮は聞こえるし、ドアの薄皮一枚、向こう側にその怪物は居る設定だ。


 だが、それはあくまで電子的な怪物・・・・・・に過ぎない。


 すべてを運営に制御された、ただの盛り上げ役。それがAR/ミノタウロス。


(アリアドネも、どこか僕達を誘導してる節がある)


 ……きっと、このゲームの運営は、自分達を分断したいのだ。

 だから、このタイミングで怪物に襲撃させた。


 となれば、これは規定路線だ。まだゲームは序盤に過ぎなくて、今これは『赤い糸』で結ばれた男女を演出するだけの。


「……早く! 外山さん!」

「う、うん。一緒に行こう、キサラちゃん・・・・・・

「……!? え、ええ!」


 突然、許可もしていない名前呼びに南条キサラは慄いたが、それを言えば南条キサラも、よく人の名前を下で呼ぶ。

 東雲藍や、西川恵、そして中津アキトに対してもそうだった。


 だから彼女は、外山の言葉を流して、別のドアへ向かった。


「南条さん!」

「藍ちゃんは、早くセーフルームの中に逃げて! 私達の事は気にしなくていいからね!」


 東雲藍は、南条キサラと別行動する気などなかったが……、今の状況はそんな場合でない事も理解していた。

 何より、今の彼女には別の目的がある。


「わかった! 後で、後でね! それまで死んじゃダメなんだから!」

「うん! また後でね!」


 西川恵に対するそれとは全く違う言葉を掛けてくる東雲藍。

 その事に、辟易しながらも外山シンイチは駆けだす南条キサラの後を追った。


(まぁ、この子だって十分に可愛いし)



 この迷宮に閉じ込められていた3人の女子高生は、どの子も本当に可愛くて綺麗だった。

 中でも、この南条キサラと西川恵は、きっと学校でもトップカーストなのだろうな、と想像できる。


 当たり前に。

 自分達、男に一人、彼女達の誰かがあてがわれる。


 そして恋仲にまで発展し、そういう関係になって結ばれるだろう。


 そんな妄想を頭の中に巡らせ、外山シンイチは南条キサラの後ろ姿を眺めた。




『次は、あちらのドアを進んでください。南条キサラさん、外山シンイチさん』


 サポートキャラクターらしいアリアドネは、彼女達についてきた。

 西川恵達の事もサポートしていた事から、それぞれの場所に現れて、誘導する事ができるのだろう。


 赤く綺麗な長髪と、赤い瞳。異国の美女という表現が、もっとも似合うキャラクターだ。


(……あれ?)


 アリアドネを観察している内、外山シンイチはある事に気付く。


(誰かに、似ているような……違う。誰か、じゃない)



 すぐ近くで、まじまじと観察し、そして外山シンイチは同行者の姿と見比べた。


「……なんかキサラちゃんとアリアドネって、そっくりじゃない?」

「え?」


 AR上に描写されているキャラクターはデフォルメされているものの、等身大の体型をしている。

 髪の色が違うせいで判別が遅れたが、どこか2人の姿は似ているように思えた。


 まるでアリアドネというキャラクターが、この南条キサラをモデルに作られたような、そんな印象だ。



「何の話?」

「い、いや。ちょっとそう思っただけで」

「そう? とにかく今はセーフルームに向かいましょう」

「そ、そうだね」


 気付けば、怪物の咆哮は遠ざかっている。

 設定的に言えば、おそらくは別のグループの元へ向かったのだろう。


 それが西川恵と北元武なのか、それとも東雲藍と大森コースケの元へなのかは分からない。



『そのドアの先がセーフルームです』

「やった! 怪物に見つからずに済むわ!」

「うん! やったね、キサラちゃん!」


 死の危険から逃げ、可愛い女の子と共に喜びを分かち合う。

 外山シンイチの人生にはなかった潤いだ。


(悪くないじゃないか)


 襲われて、誘拐されて、こんな場所に閉じ込められて。

 人生で最悪の日だと思っていたが……。


 もしかしたら、ここで人生の伴侶と出逢い、それこそ赤い糸で結ばれるかもしれない。


 そう考えたら、この迷宮も悪くないものに思えてきた。

 それも普通だったら知り合えない、近付く事さえできないようなこんな美少女と結ばれるかもしれないのだから。



『……お二人には残念なお知らせがあります』

「え、残念? 何が」

「こ、ここは僕らが使えるセーフルームなんだろ?」


 安全地帯を目の前にして何を言い出すんだと、外山シンイチは震えた。



『ラビュリントスに閉じ込められた生贄が、一人、彼に喰い殺されてしまいました』

「えっ!?」

「なんだって!?」


(また……犠牲者が!?)


 外山シンイチは既に死体を見ていた。丸焦げになった男子高校生の死体だ。

 確かに彼、たしか名前は中津アキト……は、事切れていた。


 よくある死亡偽装トリックなんかじゃなく、本当に彼は死んでいたのだ。

 だからこのゲームが本物のデスゲームなのだと理解はしていた外山だったが……。


「だ、誰が死んだんだ!?」

「そうよ! 誰が死んだの? 教えなさい・・・・・、アリアドネ」


 南条キサラが凄む。それは、ここまでの彼女の印象とは違った声色だ。



『……新たに死亡したのは、小島アカネ・・・・・さんです』


「こ、小島さんが!? えっ、でも!」


(彼女は、最初のセーフルームに一人で残っていた筈だ! まさか、部屋から出たのか? なんてバカな女だ!)



「……小島さんは、セーフルームの中に居た筈だけど?」

『はい。その通りです。彼女はセーフルームの中に居ました』

「えっ!? 外に出たから殺されたんじゃないの!?」


(は、話が違うじゃないか? だってセーフルームの中は安全なんだろ!)



「……そっか。先着2名のルール。外山さん、あの最初のセーフルームに入ったのって、最初は誰だったの?」

「あっ! そ、そうか。あの部屋も2人しか安全じゃないなら……」

「うん。そうだよ。あそこには皆が揃っていた。でも誰か2人にしか、その安全保証が機能してなかったのなら」



 小島アカネは、セーフルームの中に居ても全く安全ではなかった。


 ……そういう事だ。


(たしか、あの部屋に最初に入ったのは……そう、北元くんだった)


 4人の中で、彼が率先して部屋に入って安全を確かめたのだ。

 外山シンイチは、その行動をヒロイックだなと思いつつも、どこかバカにしていた。


 この状況で目立って善人的な行動をするのが、最善の行動とは思えなかった。


(北元くんの次は、たしか大森さん……くそ。僕は、あのセーフルームに居ても意味がない!)


 危なかった、と外山は思った。

 だって自分がもしも小島アカネとあの部屋に残っていたら……今頃、外山シンイチも怪物に喰い殺されていたのだ。


(小島さんは……運が悪かったな。例の男子高校生と一緒だ)


 こういうゲームでは運営が、あえてルール説明をしない場合が多々ある。


 嘘は吐いていないが、本当の事もすべて話していない、といった具合だ。

 それに最初に、ただただ運が悪かった者が死ぬというクソゲーの場合もある。


 映画を見終わった後で『理不尽じゃないか』なんて批判するのだ。


 でも、だって、そういうものだ。デスゲームなんて。外山シンイチはそう思う。

 生き残る者が必ずしもの必然だとは限らない。


 主人公・・・になれるか否かは、運の要素だって大きいのだ。


 ……『主人公だと思っていた人物』だって死ぬ事がある。



 だけど、概ね。そう、概ね。視聴者が求めるものっていうのは下世話だ。


(男女二人が結ばれて、そして交わって、最後まで生き残る。それが王道っていうものだし)


(死んでしまったのなら、それは主人公じゃなかっただけの話)


 自分と彼等は違う。

 だって今の自分には、こんなにも綺麗な南条キサラが傍に居るのだから。


 きっと彼女は、自分を勝利に導いてくれる女神に違いない。

 そんな事を思いながら。


 外山シンイチは、セーフルームの扉を開いた南条キサラの背中にただ、ついていくのだった。

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