第26話 最後のゲーム

 場所は『EXIT』と書かれたネームプレートのある部屋。

 一番初めに中津アキトが死んでしまった、死のゲームの始まりの場所。


 私、西川めぐみは、再びこの部屋に帰って来た。

 そして、この場所では『最後のゲーム』を行うと言う。


 ……運営側の存在である南条なんじょうキサラは、このゲームをクリアすれば外の世界へ帰れると言った。


 手元にあるのは、武の……スマホ。

 残りのバッテリーは10%を切った状態で電撃を切ってある。


 ……このバッテリーが尽きた時、私はこの『アリアドネの迷宮』に取り残される。

 そして、いずれは『怪物となった英雄テセウス』に喰い殺されてしまうだろう。


 私が挑む最後のゲームの名は【アリアドネの赤い糸】。


 とうにミノタウロスが朽ちた後のラビュリントス。

 その迷宮の支配者、未来のアリアドネの名を冠するゲーム。



「……武っ!」


 部屋の中には、私の恋人、北元武が立っていた。


(……生きてた! 本当に生きてたのね!)


 涙が溢れる。私は、すぐに彼に駆け寄ろうとして。


「近付くなッ、恵!」

「えっ!?」


 ……どうしてか、彼に拒絶された。必死の形相で私が近付くのを拒む、武。


「な、何故……」


 じわりと私の目に涙が滲む。

 私は、こんなに弱かっただろうか。

 何度も叩きのめされて、自尊心が壊れかかっている。

 死に恐怖し、暴力に屈し、脅迫に屈して。


 ……もうイヤだ。彼に抱き締められて、ただ身を委ねてしまいたい。

 そんな風にさえ思うのに。彼に近付く事すら赦されない、なんて。


いるんだ・・・・! そこに! 怪物が! テセウスが!」

「え?」


 ……私は今、スマホを使ってない。

 だからAR上にしか姿を見せない怪物テセウスを見る事が出来ない。


 それは武も同じように思う。彼だって今、スマホを掲げてないんだ。

 だって彼のスマホは今、私が持っている。


「……そうなんだろ、アリアドネ?」

『ふふ。そうです。彼は、テセウスは既にこの部屋の中に居ます』


 やはり、また音声だけのアリアドネが武の質問に答えた。

 スマホを掲げれば、赤い髪をした美しい異国の女性が立っているのかもしれない。


 ……彼女が愛した英雄、怪物となったテセウスと共に。


「ふふ。恵ちゃんは、こっち。だね」

「な、何よ」

「いいからいいから」


 何も良くない。けど、この状況では私は逆らえない。


 南条キサラに手を引かれ、私は扉から見て左側の中央付近に移動させられる。

 武が立っているのは、ちょうど反対側。

 扉から部屋の中を見た時の、右側の中央に彼は立ち尽くしていた。


「はい!」


 私が移動させられた後、バタァン! という大きな音と共に『EXIT』の扉は閉ざされた。


 ……これで、ここは密室。

 アプリを立ち上げてないから分からないが、内側からあの扉は開けないかもしれない。


 そもそもあの扉を開いた所で、その向こうにあるのはラビュリントスだ。

 入っても何の意味もない。



 今、この閉ざされた空間の中には3人の人間が居る。

 私、武、南条キサラ。

 そして、AR上ではアリアドネと、おそらくテセウスが。


 他にこの部屋にあるのは。



「二人とも、まだ動かないでね。動いたら、その時点で死ぬから」

「……っ!」

「くそっ……」


 南条キサラは余裕を持って部屋の中央へ。そして。


「アリアドネ。降ろしてくれる?」

『かしこまりました。南条キサラさん』


 ビーーー! という電子音。そして当初、予想した通り、天上の中央。サークル上の切れ込みが開いた・・・


(……やっぱり、あの場所が、真の出口)


 この部屋の四方には扉がない。地面にもだ。壁や床を叩いてみたが、扉らしき手応えはまるでなかった。


 あるとすれば、天井だけ。

 そして、やはりそこに出口はあった。


 開いた天井のサークルから、スルスルと赤色の縄梯子が降りてくる。


(……あんな物で、このラビュリントスの出入りをしているの?)


 大の男を含めた7人を誘拐し、この中に運び込む作業があった筈。

 とても、あんな場所からどうこう出来る作業とは思えない。


 ……おそらくラビュリントスのどこかには資材搬入口のような、秘密の抜け道だってあったのだろう。


 でも、その場所を探し当てる術があるとは思えない。

 つまり、別の脱出手段は……ない。


「…………!」


 今、走ればあの梯子に捕まり、昇る事は出来るだろうか?

 いえ、ダメね。それはルール違反。

 この場に怪物テセウスが居ると明言されている以上、従わなければ殺されるだけ。


「ふふ。二人とも良い子だねー。よしよししてあげなくちゃね? それともご褒美? ね、北元さん。貴方、格好いいからね。恵ちゃんの前で、私を抱いてもいいよ? きゃっ!」


「……ッ!!」


(……落ち着いて。こんな挑発になんて乗ってたら生き残れない)



「……何がしたいんだよ、お前は」

「んー? 何がかなー。このゲームを盛り上げたい、かな?」

「運営側、か。最初からそうなのか?」

「うん! そうだよ。最初からそう。知ってる? ミノタウロス伝説ではね。ラビュリントスの中に入る生贄の数は7人なの。これはアリアドネが説明してたかな?」


「……つまり、最初からお前はゲームの人数に入ってなかった」

「そう! たとえばこんな風に」


 と。南条キサラは、自らの頭部に着けられた器具を……いとも容易く外して見せた。


「な……」

「ふふ。これ、着けてると違和感あるよねー。足のも、よっと!」


 足枷も、だ。私達に高圧電流という死を与える装置から、彼女はこんなにも簡単に逃れてしまう。


「あ、言っておくけど二人のは、こんなに簡単に外せないからね?」

「……そうでしょうね」


 最初から。彼女には死のペナルティなど与えられていなかった。

 私達とは立っている場所もまるで違っていたんだ。


「ゲームをキチンとクリアした後で、私達の方のスタッフが正規の手段で外してあげる事になるよ。そうしなきゃ危険だからね。つまり、二人が本当に解放されたいんならルールには従わなくちゃいけないって事。分かるよね?」

「…………」

「…………」

「ふふふ。本当にいい子達。お姉さん、嬉しいなぁ」

「……お前、何歳だよ」

「私? 17歳だよ。正真正銘ね」

「なんで、そんなに歪んじまったんだ。普通じゃないぞ、お前」

「あはは! 私のことー? いいの? 恵ちゃんの心配しなくて。それとも私の方が好きになっちゃった? 恵ちゃんより」

「……誰が」


(……武)


「んー。でも。今、見て貰って分かるように。私はいつでも脱出できる。貴方達と同じ立場じゃないからね。だから……ふふ」

「!?」


 意味深に、彼女は私を見つめた。


「北元さんだけでも先に助けてあげようか?」

「……、……はぁ?」


 何、を。


「恵ちゃんのゲームは別に用意すれば良い話だからねー。うん。それもいいかな? このゲーム、恵ちゃんの適性テストだから」

「適性、テスト? 何の話だ」

「スカウトだよ。私達の側に、恵ちゃんを勧誘したの。んー。つまりデスゲーム運営側に? あ、北元さんの前でバラしたの、マズかったかな? 恵ちゃん? 彼には最後まで・・・・隠しておきたかったよね、ごめんね?」

「……何を言っているの?」


「ふふ! そうだよね。ごめんごめん。ふふ、ふふふ」

「……、……恵が、お前達の側に寝返ったって、匂わせたいワケか?」

「なっ! ち、違うわ! 武!」

「分かってる。でも、そういう匂わせをしておきたかったって事だろ」

「そ、そうね」


 ……何がしたいのよ、この女。


「でもねー。スカウトするのは恵ちゃんだけ! 分かるかな?」

「……?」


 私、だけ?


「こっち側としては欲しいのは恵ちゃんだけなの。北元さんは、ちょっと違うかなーって。だからね。今後、ウチで働くとしても……働くのは恵ちゃんだけだよ!」

「…………誰が」


「ふふ。それでねー。私達のゲームのこと、他人に話したらね。殺されちゃうから。恵ちゃんのご両親と北元さんのご両親が」

「っ!?」

「なっ!」

「恵ちゃんは分かるよねぇ? 貴方の家族の事なんて全部、把握しているって」

「…………!」


 冷や汗がダラダラと背中を流れた。

 そうよ。お父さんの異動まで奴らは操っている。


 ならば両親の事なんて当然。


「でも、そう。恵ちゃんがウチでバリバリ働いてー。守秘義務・・・・をキチンと守ってー。そんな生活してたらね? 病んじゃうかもしれないでしょ? だからね。元からウチの事を知っている北元さんになら打ち明けていいよ? でも、それ以外はダメ。ルールを破ったら親を殺す。子供が出来ていたら子供を殺す」


「くっ……!」


 逆らえない。何一つ逆らえない。


「安心して? ウチも鬼じゃないからね。お金もちゃんと沢山出るから! ふふふ。つまり恵ちゃんが稼ぎ頭になって、北元さんは家で彼女を支える! うーん。令和の恋人関係って感じだね!」

「……何が言いたいのよ!」


 いい加減にして欲しい。彼女と話していると気が狂いそうになる。


「ふふ。じゃあ、そろそろゲームの説明をしてあげるね?

 ゲームの名前は『アリアドネの赤い糸』」


 その名前はさっき聞いた。


「これはラビュリントスから脱出する為の最後のゲームだよ。

 やる事は至ってシンプル!

 今、この赤い梯子は……外へ通じる唯一の道だって事は分かるよね?」


 南条キサラは、部屋の中央に降ろされた、天井の穴から伸びる赤い梯子へ手を掛けた。


「ここがラビュリントス脱出の為の道。つまり出口である事は真実だよ。疑わなくていい。頭を空っぽにして、ここから出る事を考えていいよ」


「…………それで?」


「うん。そして今、この部屋の中には、怪物となった男。英雄テセウスが居るよ」

「……!」

「ただし、今、二人が立っているその場所に居れば、テセウスは貴方達に襲ってこない。セーフルームと同じ扱いだね」

「この、場所に」


 だから、さっきから武は動かなかったのだ。

 おそらく、事前にアリアドネから説明されていたのだろう。


 つまり私達は……こんなにも近くに居るのに。

 触れ合う事さえ、出来ない。


「ルールはこれだけ・・・・

「…………は?」

「はぁ?」


 何を、何を言っているの? どういうこと?


「じゃあ、頑張ってゲームをクリアしてね。また学校で会えるの、楽しみにしてるよ。恵ちゃん。ふふ! バイバイ」


 そう言って。南条キサラは赤い梯子に捕まって昇り始めた。


「ちょっ、待て! 待てよ! なんだそりゃ!? 何の説明にもなってないだろ!」

「そうよ! どういう事!? ゲームをするんでしょ!?」

「うん。だから今、私が話した事が全部だよ。このゲームの全部のルール」


「説明になってない!」

「そうよ! どうすれば脱出できるの!? どうすればクリアなのよ!」

「んー? 恵ちゃん、どうしちゃったの? 急におバカさんになっちゃった?」


 そう言いながら彼女は梯子を昇るのを止めなかった。


「待って! 待ってよ! お願いだから待って! どうしたらいいの、どうしたらいいのよ!」

「だから、この梯子を私みたいに昇って、上に上がれば脱出! ゲームはクリアだよ? もちろんラビュリントスの方も脱出って扱いだから安心してね!」


 は? いや、だから。


「……ふふ。今までと同じだよ。ラビュリントスの奥まで辿り着いたように。

 怪物テセウスから逃れて、そうして脱出を目指すの。二人で・・・協力して・・・・


 ────。


「ま、さ……か」


 それは、つまり。


「ほら。分かっちゃった。やっぱり恵ちゃんは賢いね。こういう土壇場でも頭が回転する。それって、やっぱりレアだよ」

「……待って。待って、待って」

「め、恵?」

「ふふふ。だぁめ」


 南条キサラが、一人で梯子を昇ろうとする。

 だめ、だめ、だめ。彼女を止めなきゃ。


 靴でもなんでも舐めてでもいい。

 彼女に泣いてすがって、赦しをわなくちゃいけない。


 だって、ダメだ。そんなの、イヤだ。


「待って!!

「恵! 止まれッ!!」

「っ!」


 私は思わず足を踏み出そうとして、武の声で止められた。

 ……動いていたら死んでいた。また武に助けられる。


 武。武が好き。私は武と一緒に生きたい。だから、だから。


「お願い、待って! なんでもする! 何でも言う事だって聞くから! お願い! 南条さん! お願い!!」


「あははー! 恵ちゃんが泣いて『なんでもする』だって! うーん、えるね!

 今のシーンだけで100万再生イけちゃうんじゃないかな?」


「南条さん! お願い! お願いよ、お願いだから……!」


 私は、必死で涙を流して彼女に縋った。なのに。


「──だぁめ・・・。これは死のデスゲームだから。

 お願いしただけで解放されるなんて思っちゃ、ダメだよ? 恵ちゃん」


 悪魔は、私を見放した。


「──ハッピー・デス・ゲーム!」


 それだけを言い残して、南条キサラの姿は見えなくなる。


「あ……あぁ、あああ……」

「め、恵。落ち着け。落ち着くんだ。な? 大丈夫。大丈夫だから……」


 武。武が優しい声を掛けてくれる。だけど近寄れない。

 近付く事が出来ない。


 もう一度、彼に手を握って欲しい。彼に泣いてすがりたい。なのに。


「恵。どういう事なんだ? ルールが中途半端過ぎる。説明を切り上げられたようにしか……」

「…………、説明は、……十分だったの」

「は? どういう事だ」


 私達が今、立っている場所だけがセーフポイント。

 ここから動けば怪物が襲い掛かってきて、死ぬ。


 そして私達の間、ちょうど真ん中には脱出の為の赤い縄梯子がある。


 ……動けば死ぬのに、その縄梯子に辿り着き、そして上へ上がらなければならない。


 ……その為には。


「私、達の……。どちらかが、……テセウスの、犠牲に。そして片方を犠牲にしている間に、もう片方がラビュリントスを、脱出……するの。だから」


 だから。


「……生き残れるのは、私達の内の一人だけ」


 これは、私と武による、殺し合いのデスゲームだった。

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