第25話 誘い

「はい。恵ちゃん」

「…………」


 拘束されていた両手の縄を解かれた。

 南条キサラは私に手を差し出す。

 ……私は、その手を無視した。


 痛い。ずっと手を上げさせられる格好だったから。

 私は、麻痺したような感覚の手をだらりと下げる。

 本当は立ち上がる元気さえもない……。


「ほぅら。恵ちゃん。私に逆らって・・・・いいの?」

「くっ……!」


 その言葉に私は彼女の手を取るしかなかった。


『北元武がどうなってもいいのか?』


 ……そういう意味だとしか受け取れない。

 私は武を人質に取られている。

 そして、それが有効なのだと把握されているんだ。


 すべての元凶であるこの女に従わされている……。



「……ふふ。やっと握手できたねぇ。恵ちゃん。私、ずっと恵ちゃんと友達になりたかったの。だからね? これから私達、友達になろうよ! 仲良くできると思うな! 私!」


 反吐が出る。何が友達だ。


「どうしたの? 恵ちゃんも友達、欲しかったんだよね? だから藍ちゃんの誘いに乗ったんでしょ? やったね! これで恵ちゃんの目的は達成だよ!」


 おぞましい。ふざけるな。どこまで私の気持ちを踏みにじればいい?


「……だとしてもアンタはごめんだわ」

「まぁ! ふふ! もう、恵ちゃんって素直じゃないんだねぇ。ふふ。そういうのもいいよ、うん。すごくいい」


 気持ち悪い。何がいいんだ。

 私は何も良くない。最悪だ。最悪の気持ちしかないというのに。


「ふふ。恵ちゃんのその態度がどこまで貫けるか。ホント楽しみぃ」

「……ッ!」


 私に下手に出ろと言うのか。武の命を脅しに使って。

 私の尊厳を、どこまでも踏みにじろうとしてくる。


「……どうすればいいって言うのよ」

「んー? ふふ。いいんだよ。恵ちゃんはね。そのままで。ありのままで凄くいいんだから! ふふ! あはは!」


 悔しい。今すぐこの女を殴ってやりたい。

 だけど。だけど、武は。武は救わなくちゃ。

 彼が生きているのなら……。


「……スマホ」

「うん?」

「東雲さんに奪われたの。だけど電流で、きっと壊れた」


 ほとんど使い物にならなくなったかもしれない。

 私はフラフラとした足取りで東雲さんの死体の元へ向かう。


 きっと全てをポケットか何かに入れていた筈だ。

 彼女が所持していたスマホは、東雲さん本人の物。武の物。そして私の物。


 ……大森コースケの物は、わざわざ拾いに行ってはいないだろう。

 外山シンイチのスマホは南条キサラが回収しているかもしれない。

 セーフルームには小島アカネの死体と共に彼女の物があるだろうか。


「……、……ごめんね。東雲さん。貴方を、助けなかった・・・・・・わ」


 東雲藍の死体に私はそう呟いた。

 私は彼女を見殺しにした。それが出来る精神状況だった。

 もっと言えば、私は大森コースケが死ぬのを黙って見ていた。

 ただ、ラビュリントスの奥へ進む為に。


「ふふ。恵ちゃんは、気付いてたもんねぇ? この部屋が貴方と北元さんの『愛の巣』だったって。惜しいなぁ。その時に北元さんとエッチしてたら伏線としても完璧だったよね! 凄く盛り上がってたと思う!

 そうして藍ちゃんにこう言うの。この場所は、よく覚えているわ……って!

 アキトくんとそういう仲にさえなれなかった藍ちゃんとの対比!

 もう、恵ちゃんの完全勝利になってたよ! きゃー!」

「…………」


 死ね。素直にそう思う。


「……どうして?」

「うん? 何がかな? 恵ちゃん」

「東雲さんを殺したのは、私じゃない。ほとんど貴方とアリアドネの策略だったわ。

 彼女は、貴方達に誘導されて命を失った。

 きっと私を憎んでいた事さえも貴方のせいでしょう? 何故そんな事をするの。そんなのは」

「そんなのは?」


「……フェアじゃない。私達が自発的に殺し合うならともかく、黒幕側の貴方達が騙し討ちのような真似をしたら、私達に避けられる筈がないじゃない」


「うーん。そうかなー? フェアだったと思うよ?

 それにフェアさ加減を問うんなら、恵ちゃんにも逆転のチャンスがないと。

 それこそフェアじゃなかったじゃない?」

「…………」


「結局、恵ちゃんは気付いていたでしょ? でも藍ちゃんは気付かなかった。

 気付いて、すぐに逃げなかった。

 うん。やっぱりフェアだったよ。藍ちゃんは読み負けたの。

 だって、どれもこれも恵ちゃんなら回避できた罠だったじゃない。

 アキトくんもそうだよ。だから私は全部、理不尽なんかじゃないと思うな。

 これは公平なゲームだったよ」


「どこが!? 中津アキトこそ理不尽な死に方をした筈よ! ルール説明の前に死んだのよ、彼は!?」


「でも恵ちゃんは回避してたじゃない? たぶん、貴方は最適解を序盤から選んでたと思う。……自覚、あるでしょ? 何より恵ちゃんだったら、あの場面で『ミノタウロスに殴り掛かる』なんてバカなこと、してないでしょ?

 全部、慎重に考えて、行動して、貴方は生き残ってきたじゃない」


「そ……! そ、れは……」


「ふふー。ダメダメ。どれもこれも恵ちゃん自身が回避しちゃってるじゃない。

 アリアドネの謎解きだって解いちゃってる。

 だから、どの子も理不尽に死んでなんていないよ。

 すべて恵ちゃんのように立ち回らなかったから悪いの。だから死んだ。

 貴方のようでない人が、ぜんぶ悪い。

 だって、このゲーム。恵ちゃんに合わせて作られてるからねー。ふふ。

 西川恵が・・・・主人公・・・だったんだよ?」


「……ッ! 私が主役なら、アンタは最低の悪役よ」

「ふふ。それ、誉め言葉だよねぇ」


 私が何を言ってもこいつには響かない。


 ……東雲さんの死体を探る。

 ポケットに入っていたスマホ、2台。

 ……ダメだわ。電源が入らない。どころか少し焦げている。


 彼女が手に持っていたのは、武のスマホだった。

 ……最初の電気ショックで倒れ込んだ表紙に手から落としたヤツだ。


「こっちは、無事。だけど」


 武のスマホは起動していた。

 だけどバッテリーがもう10%を切っている……。


「あーあ。恵ちゃん、せっかく自分のスマホは節約してたのにね。残念だね」


 10%。これだけじゃ、アリアドネの案内なしでは『EXIT』の部屋まで辿り着けない。

 武が生きていたとして、彼が倒れている場所へ辿り着く事も。


 大森コースケのスマホを回収できる? ダメダメ。

 私はテセウスから逃げようと必死に走った。道順なんて覚えてない。


「…………」


 ……私は、南条キサラを見上げた。

 ニコニコとさも天使のように微笑んで私を見下ろす悪魔。


「……武は、生きているのよね?」

「うん。今は・・ね」


 くそっ。やっぱり彼は人質だ。


「どうして、欲しいの? どうしたら武を、彼と私をここから逃がしてくれるの?」

「うーん。教えて欲しいの? 教えて欲しいのかな、恵ちゃん」

「……ッ! だから! どうして、欲しいのよ……」

「うーん。ふふふ。どうしよっかなー。何して貰おうかなー?」


 私は怒りを堪えるのに必死だった。

 何もかもコイツの手の平の上だなんて。


「じゃあ。ふふ。恵ちゃん。地面に両手を付いたまま、私の靴を舐めて・・・・・みて?」

「……!?」


 まさか、そんな古典的な事を言い出すだなんて。


 ニヤニヤと笑いながら南条キサラは、足を差し出した。


 悔しくて悔しくて、噛み締めた歯が砕けそうになる。

 握り締めた拳に爪が食い込んだ。


(……だけど。だけど、武が。武の命が、こいつに握られている……)


 私のプライドと、武の命。

 そんなもの、天秤にはかけられない。


 何をしてでも、武を救わなくちゃいけない。



「……分かった、わ……」

「ふふふ。やっぱり恵ちゃんは賢いね。賢過ぎて、他の答えが思い浮かばないんだよね? ふふ」


 私は、南条キサラの前にうずくまり、そして両手を床につく。


「…………」


 そして、頭を下げて、彼女の、靴に。

 ヒビが入っていく。私という人間に。その誇りに。


(武の為。武を守る為。武を救う為……)


 恥辱、屈辱を感じて頭を上げそうになる身体を、理性で必死に抑え込む。


(武の為、武の為、武の為……)


 私の舌が、彼女の靴に触れるかという瞬間。



「ごめんごめん、ウソだよー! 恵ちゃん!」


 ……南条キサラは足を引いた。


「あはは。本気にしちゃった? ごめんね? ウソウソ、そんな事させないよー。だって私達、友達だもんね!」

「…………、そう、ね」

「うふふ! ありがとう! やっぱり持つべきものって友達だよね!」


 彼女は、しゃがみ込み、私に視線を合わせて、言う。


「でも恵ちゃん。北元さんの事、そんなに好きなんだね。私、感動しちゃった。

 それはねー。もう、愛だよ。愛! ふふふ」

「……分からないわ」


 感情がぐちゃぐちゃだ。私は今、彼女に弄ばれている。どうする事も出来ない。


「…………これから、どうするの」

「うん?」

「ゲームは、貴方達の勝ち。私は今、貴方に従うしかない。……だったらどうなるの。私は。私達は。このまま迷宮に」


 放置されるのか。そして餓死する?

 最も苦しい死に方だと東雲藍が言っていたわね……。


「そうだね。とりあえず、ついて来てよ。あー。スマホの電源。切ってていいよ?

 だって恵ちゃんは私の言うこと、何でも・・・聞いてくれるもんね!」

「……そう、ね」


 再び手を差し出されたる。私は、その手を取るしかない。


「じゃあ、行こっか。恵ちゃん。仲良く、ね?」


 悪魔は、そう言って微笑んだ。



◇◆◇



「…………」

「ふふーん」


 私と南条キサラは、手を繋いでラビュリントスを歩いていく。

 ……武に手を引かれて駆け抜けた思い出さえも穢された気がする。


「学校でねー。私と恵ちゃん、なんて呼ばれてたと思う?」

「……知らない」

「ふふ。『天使』と『女神』なんだって! おっかしい! どっちが天使で、どっちが女神なんだろうね? 恵ちゃんは自分がどっちだって思う?」

「……分からないわ」

「綺麗ってだけで色々と言われるんだよねー。別に他の女の子達だって普通に可愛いのにね? でも、あの学校だと私と恵ちゃんがツートップっていう扱いだったみたい。変なの!」


「…………それが、理由なの?」

「うん?」

「……転校してきた私が、鼻についた? 私と貴方がツートップだと言うんなら。私が転校してくる前は、学校では貴方が一番だったということ。……だから、私に目を付けたの?」


 一番を脅かす存在が気に喰わないから。


「違う違う! 誤解だよー! もう、恵ちゃんったら。そんな事で目を付けたりしないってば! ぷー!」


 ……彼女はわざとやっているのか?

 ぶりっ子みたいに。可愛らしく。

 その仕草は、私に苛立ちしか感じさせないのに。


「恵ちゃんの事は、転校してくる前から・・・目を付けていたんだから! だから学校での評判なんて関係ないよ!」

「……は? 転校してくる、前って」

「うん! 恵ちゃんのお父さんね。お仕事、栄転になったでしょ? それで異動になって、お引越し。転校。恵ちゃんが転入する学校もウチ指定。ふふ!」


 ゾクリ、と。背筋に寒気が走る。


 つまり、彼女は、こいつらは。私の家族の事まで全て知って?


「あれ? 驚いた? そりゃそうだよー。恵ちゃんが主人公なのに調べないワケないじゃない! 恵ちゃんのお父さんの職業も、お母さんの普段の趣味や、友人関係だって、ぜーんぶ知ってるよ? えへへ!」

「な……ん……」


 すべて。すべてが、筒抜け?

 それにお父さんの、職場での異動まで、操作できる?


「どれ、だけの……規模の、そんなこと」


「恵ちゃん。このラビュリントスを作るのだって、凄いお金が掛かってるんだって分からない? ARアプリの開発とかもねー。ミノタウロスのオブジェ製作とか! そりゃあ大きな組織だよねー。

 仮に恵ちゃんが、ここから脱出できたとして。いくら恵ちゃんが賢くても。

 ……ふふ! どうにか出来るかな? 自信、ある?」


「け、……警察、に」

「あはは! 警察! 警察かー。うーん。知らない人なら、きっと動いてくれるかもね! でも、偉い人になると分からないかもなー。どうだろう? 殉職・・する人が増えないといいね! 恵ちゃん・・・・のせいで・・・・

「…………ッ!」


 そんな事。そんな事が、ある筈がない。

 だって、そんなの夢物語でしょう。


 ああ、だけど。だけれども。


 今、私の目の前にはラビュリントスが広がっている。


 少なくともこの大規模な迷宮を建造できるだけの資金力がある。


 南条キサラは、まるで見て来たかのように私の挙動を言い当てていた。

 それに監視を匂わせる言動。


 ……これだけの規模なのに、至る所に監視カメラが設置されている?

 全ドアの電子制御。アプリ開発に位置座標の検索。

 高圧電流を流す拘束具。


 人間7人を誘拐するだけの襲撃者の用意と、その装備。

 目撃者などを出さない手回し。


 私の家族についての情報を細かく知っている情報網。



 ……組織だ。大きな、組織だ。

 でなければ話にならない。このラビュリントスは建造できない。


 それにこのデスゲームを観ている存在が居る。それは居なければならない。

 だって、このゲームは復讐などの為に用意されたゲームではない。


 配信動画として・・・・・・・楽しむ為・・・・に用意されたモノ。


 映像を受け取る顧客が居る。フィクションではない、本当の人の死を楽しんで観る連中が。



「ふふー。どうかな。恵ちゃん。勝てる? 勝てそう? いける?」

「……勝つ、なんて」


 無理だ。一人の力でどうにか出来る相手ではない。

 仮に同様のゲームが他所でも繰り広げられていて、被害者の集いがあったとしても。


 大抵、私のようにそれらは強い存在じゃない筈だ。

 寄り集まった所で、どうにも……なるワケがない。



「ふふ。まだまだ。折れなくていいよ。恵ちゃん。あのね。本当に言うけどね? 恵ちゃんってレア・・だから」

「れあ……?」

「そう。レア。さっきも言ったけど。

 容姿が良くて、賢くて、それから……ふふ。乙女・・で!

 中々ここまでの条件が揃った子なんて日本中探してもそうは居ないよー」

「……だから、何?」

「んー。だからねー。貴方をね? スカウト・・・・しようとしているの。私達は」


 …………は? 何、て?


「綺麗、賢い、乙女。流石に女子高生ブランドは、いつまでも保たないけどー。これだけでレア! 死のゲームには特にね! 我々は、常に新鮮な女の子を求めてるのです! ふふー!」


 ……異常だ、ついていけない。ついていけるワケがない。


「……私に断る権利なんて、ないんでしょう?」


「ううん? そんな事ないよ。それにスカウトって言っても、まだ決まったワケじゃないから。やっぱりね。適性を見せて貰わないと、ね? ふふ」


 適性ですって?

 ……イヤな予感がした。


 こんなゲームの運営側の適性がある人間なんてロクでもないヤツだけに決まっている。



「だからね。恵ちゃんには、最後のゲーム・・・・・・をして貰おうと思うの」

「最後の、ゲーム?」

「そう。良かったね! このゲームをクリアしたら……ちゃんと外の世界に帰れるよ!」


 南条キサラは、そう言いながら私を誘導し続けた。


 ……その先に何が待ち受けている、というのか。



「最後のゲームの名前は」


 その名前は。


「──アリアドネの・・・・・・赤い糸・・・


 運命の恋人達を結ぶ赤い糸。

 ラビュリントスを脱出する為には必須だったものの名前。


 そして……脱出の後では、恋人同士の絆を繋げ続けるには、あまりに細い糸。


 やがて南条キサラは『EXIT出口』の扉へまで私を案内した。

 彼女が操作するまでもなく、大きな扉がゆっくりと開いていく……。



『──ようこそ。ラビュリントスへ。西川恵さん。貴方の恋人がお待ちですよ』


 スマホを掲げていない私に、アリアドネの声だけが聞こえた。

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