第27話 アリアドネの赤い糸
「……生き残れるのは、どちらか、だけ?」
「そう……」
ほんの数メートル先。そこに立っている武。
今すぐに彼の元へ行き、その手を取り、抱き締められたい。
そう思うのに、それが赦されない。
私達の間には、見えない怪物テセウスが居る。
一歩でも動けば、私達は喰い殺されてしまうだろう……。
「そんな……、」
「……うぅ、ぁああ……」
「恵、恵。泣くな。な? 落ち着け、落ち着いて……」
だって! こんなの、こんなのって!
あんまりだ。どうして。何故。
こんな風に殺し合いをさせられるのなら……彼の事を好きになりたくなかった。
いやだ。だって、イヤだ。
死にたくない。でも、だけど。彼にだって死んで欲しくない……!
「恵。恵。大丈夫。大丈夫だから。……恵は生きて帰れる。だから、な?」
「……ッ!」
ゾッ、とした。私が生きて帰れる? その意味が分かっているの?
「ダメよ! 武は死んじゃダメ!」
「……っ。いや、でもな? 本当に落ち着けよ。そう、落ち着け。仮に。本当に、仮にだぜ?」
「…………」
「どちらかが、どちらかを犠牲にするにしてもだ。……タイミングは合わせて。覚悟を決めてからじゃなきゃ、ダメだ」
「かく、ご?」
何を言っているの。
「そう。覚悟だ。……要は、どっちかが時間稼ぎをするって事だろ?
じゃあ、だ。どちかがやられている間に、足を止めるようじゃ、ダメだ。
予め覚悟を決めておいて。よーいドンで走って。そして一気に上まで昇る。
この迷宮を脱出する。……振り返らずに、だ。
その覚悟がなきゃ片方は無駄死にになっちまう。
だから。だから、今はまだダメだ。俺も恵も、どっちも覚悟が決まってない。
このままじゃ、二人共が死んでしまう。それはダメだ。
だから落ち着け。そして動かないで。な? 恵。
今、たとえ恵が勢いで命を投げ出したとしても。俺はすぐに出口に走れない。
きっと驚いて固まって……立ち尽くしてしまうと思う。それは、きっと恵も同じだろ?」
「……、……うん。うん……。きっと、そう」
今。武が命を投げ出したとしても。私は泣き叫ぶばかりで立ち止まってしまう。
「だろ? だから、まずは落ち着かなくちゃいけない。
俺達には覚悟を決める時間が必要だ」
「……うん。うん……うん……」
私は、手で涙をぬぐう。
武の言葉だけでこんなにも落ち着く。
手放したくない。彼と一緒に居たい。彼を失うなんて耐えられない。
「まずは深呼吸しよう。一緒にだ。こう見えて俺も落ち着いてない。恵以上に動揺しているからな。だから一緒に。深呼吸しよう」
「うん……うん……」
私達は、離れた場所から互いを見つめ合いながら、ゆっくりと息を吸い、そして同時に吐き出していく。
武も私も、一緒になって、一緒に生きを合わせた。
それを繰り返していると、だんだんと気持ちが落ち着いてくる……。
ほんの、少し。少しだけれど。
「……恵。まず、情報を整理する事から始めよう。思い込みは良くない。俺達は、最初にミノタウロスの正体や、アリアドネの正体だって見抜けなかっただろ? それと同じだ。
パッと見でそう思った事でも、それが真実とは決まってない」
「……どういうこと?」
「うん。だから、まず二人の内の一人しか生き残れないって、その考えが合っているのかを考えよう」
「……でも」
「恵。今、恵は心が傷つく事を恐れてるんだと思う。
『もしも、考えて考え抜いて。二人で生き残れる希望に舞い上がって』
『その果てに他に答えがなかったら』
……その絶望に備えて、最初から希望を持たないようにしてる。
でも、今はそれじゃダメだ。最後に突き落とされるのだとしても。
二人で生き残れる道を、一生懸命に探そう? 俺だって怖い。絶望に負けそうになる。
でも……恵が居るから。恵と一緒なら、考えられるって思うんだ」
「……武」
「な?」
……本当に。貴方は。どこまでも私を助けてくれる。
まるで本物のヒーローだった。私だけの、ヒーロー。
「うん……。分かった。考える……わ」
「よし!」
彼は、こんな時だというのに私に笑顔を見せてくれた。
「まず、だ。あの女……南条キサラや黒幕は、俺達の事を監視してた。どういう関係になったかも把握してる。で、いいな?」
「……うん。全部観られてた。たぶんセーフルームの中も。監視カメラがないなんてウソ」
「そうか。まぁ、だろうな。この迷宮全部に監視カメラがあるとして、あそこに仕込まない理由が向こうにない」
そう思わせる効果はあったかもしれない。
ここなら監視されていないから、と。
でも、あの部屋から脱出の糸口は、おそらく見つからなかっただろう。
……南条キサラに至っては、あそこで私と武が結ばれる事……つまり『濡れ場』のシーンを期待していたと漏らしていた。
極限の状況で盛り上がった男女が、性行為に至る。ありえる話だ。
現に今の私は、もう彼の事を……武の事をそれぐらいに想ってしまっている。
きっと、ここを無事に二人で生きて出られたら、彼と結ばれる事を望むだろう。
「俺達が、その。恋人、つまり彼氏彼女の関係になった事も知られてた」
「……うん。そう」
「だよな。だから、この最後のゲームが成立すると思ってる。互いに何も想ってなかったら、こんなのゲームとして成立しないからな。いつまで経っても相手に先に動けと罵り合うぐらいが関の山だろ」
「……そうね。この最後のゲーム『アリアドネの赤い糸』は、私達の関係だから成立してる」
アリアドネの赤い糸。
運命の絆で結ばれた恋人同士を示すようになった言葉。
そして、ラビュリントスからの脱出のキーワードだ。
「ここは未来のラビュリントス。ミノタウロスは既にテセウスによって倒されている」
「ああ」
「でも、伝説の最後。兄ミノタウロスの討伐を手助けし、ラビュリントスからの脱出まで手伝ったアリアドネを、テセウスは裏切って捨ててしまった。
諸説はあるけれど、ここでは、その二人が結ばれなかった話が採用されているわ」
「そうだな」
「時は経ち、どういう経緯かは分からないけれど。テセウスは再びラビュリントスへ訪れ、そして逃げられなくなった。アリアドネによって、彼は次のラビュリントスの
そして英雄テセウスは、哀れにも迷宮で生贄を喰らって生き残る怪物と成り果ててしまった」
それが、この【アリアドネの迷宮】における物語。
……このデスゲームにおける舞台設定だわ。
「相当、怒っていたし、ショックだったんだろうな。アリアドネは」
「……そうね。きっと絶望した筈だわ。何度も何度も、どうしてってそう思った筈。そして、その愛は、身を引く愛にはならなかったの。こうしてテセウスを閉じ込め、怪物に変えてしまう『愛』になった」
「愛憎、か」
愛は反転し、憎しみとなった。執着であり、怒りとなった。
アリアドネはテセウスを殺さないだろう。
けして死なせず、彼女の元で生かし続ける。
「……テセウスを生かす為には生贄が必要だわ。私達は、彼の食事。餌。アリアドネは……私達を逃がす気はない?」
本当にそうだろうか。
私は、武との間にある赤い縄梯子を見た。
天井の脱出口は、まだ開いている。
……南条キサラは、初めからカウントされていなかったからイレギュラーなのだとしても。
この『赤い糸』が存在するのは、少なくとも『助ける気がある』からじゃないの?
「……アリアドネは、
「うん? どういう事だ」
「南条さんはともかく、こんな脱出口をわざわざ用意する理由がアリアドネにないのよ。だって私達は『餌』に過ぎないんだから」
「……たしかにそうだな。今まで考えてきたアリアドネには、俺達を助ける動機がない筈だ」
「そうよ。条件は厳しいかもしれないけど、温情はおそらくある。そして、それは……彼女個人が、そう認める理由の筈だわ」
「アリアドネが認める理由?」
「ええ。……私達が恋人なのも無関係じゃない……設定かも」
「……なるほど。これって、要は試されてるんだよな? ただ、単に俺達に殺し合いをさせたいだけじゃない」
「そうだわ」
他にも何か引っ掛かる事がある。あった筈。
それは、たとえば南条キサラの話の中に。
…………そうだ。
「どうして南条さんは、あんな話をしたの?」
「うん? あんな話?」
「私をスカウトして、その後の待遇の話」
「待遇? あー、えっと、お金が沢山出るとか?」
「違うわ。それも関係しているけど……彼女、私が稼ぎ頭になって、武が家で支えればいい、と言ったわ」
「言ってたな。俺が専業
料理。彼との生活。それは私に希望を抱かせて突き落とす為の前振り?
「……彼女はね。『ここを出てからも北元武との生活が続く』前提で話をしたの」
「あっ!」
そう。そうなのだ。もちろん、それは絶望の為の前振りとも取れるけれど。
「って事は、ここを二人で出られるパターンもある! って事だな!?」
「……そうよ。きっとそう。彼女は、あえてヒントを漏らした。気付かなかったら私達のせいだって笑う為に」
「くそ。それも、この手の話のパターンだもんな」
『あーあ。あんなにヒントは与えていたのに殺し合っちゃったね?』と。
『二人で生き残れる可能性もあったのに、一人で生き残っちゃったんだね』と。
……そう言う為に、その可能性は残されている筈なのよ。
「悪趣味だな。でもいいぞ! 希望が見えてきたじゃないか!」
「うん。うん……」
だけど、どうすればいいの? ここから二人で脱出する為には何をどうすれば……。
ヒントはある? どこに?
その手段があるとするなら、このポイントを多少動いたところでテセウスには襲いかかられない?
……猶予がある筈。
動いて即死という事なら希望もへったくれもないのだから。
だけど、その猶予時間は、ごくごく僅かなのだ。
「……ねぇ、武」
「ああ。どうした」
「……貴方はどうやってここに来たの?」
「うん?」
「ここ。この『EXIT』の部屋に。だって、あの時、貴方はラビュリントスの、かなり奥で襲われたわ。そこで気を失ったのよね?」
「ああ。そうだな。あの時、恵を助けようとしてミノタウロス、じゃなくてテセウスに噛みつかれた。衝撃だったけど……、死ぬ程の電流じゃなかったな」
「……意識はあったの?」
「意識、は……どうかな。あったような、なかったような……。完全には気絶してなかったかもしれないけど、まとも頭が動いてなかったと思う。その間にどれだけ時間が経ったか」
……何も不自然な点はない。
「うん。それで意識を取り戻して……どうなったの?」
「そうだな。気付いたら、そうだ。俺、気付いたら壁に寄りかかってた」
「うん? 壁に?」
「えっと。部屋の真ん中でぶっ倒れただろ? でも、意識が完全に戻った時には壁に寄りかかるような感じで移動してた。自分で移動したんじゃないと思う」
「……南条さんね。彼女はテセウスには襲われない。アリアドネからも情報を得ていた。悠々と武の元まで行って、貴方を介抱したんだわ」
「そうか。……なんかヤダなぁ。黒幕じゃねぇか」
「……ごめんなさい」
「は? 何が? なんで恵が謝るんだ」
「……あの時、生きていた貴方を置いて行ってしまったわ。私」
「へ? ……あ! ああ、いや! それは仕方ないだろ!? あの状況だぞ!? むしろ、あの場に残ってたら恵がやられてた! 俺を助け起こせたのは、あの女が
「……うん。それでも。謝らせて欲しい。ごめんなさい、武」
「いい! いいから! そういうのは、うん! 赦す! オッケー! ていうか、あの場合、俺も悪いだろ? いや、悪いっていうか、本望? みたいなところじゃん? 恵を助けられたからヨシ!」
「……ふふ。ありがとう、武。私、貴方の事、好きよ。
「うおっ……。おお……。あ、うん。えっと、俺も恵のこと好き、だし。……あ、愛……その」
彼、すごく照れている。恥ずかしがっていた。
日本の男の人って『愛している』って言わないとか聞いた事があるっけ。
こんな状況なのに私はなんだかおかしかった。
「いいのよ。恥ずかしいなら。私も、だって『たぶん』って付けたし。でも本心からそういう気持ちがあるって言えるから」
ただ、時間が。あまりにも出逢ってからの時間が短い。
愛を確信と言えるには、きっとまだ時間が必要なのだ。
……その為の、彼との時間が何より欲しい。
「いや! ここは! 言わせてくれ!」
「……うん。止めないわ」
そう言いながら。また彼は深呼吸して。
「あ、愛してる。恵。俺も、お前のこと」
────。
「……うん。うん。嬉しい。凄く、嬉しい……」
叶うなら。今すぐ、彼と抱き合いたい。キスをして、互いの愛を確かめ合いたい。
生き残る。生き残らなければ。二人で。彼と共に。
嬉しくて涙が零れた。こんな状況なのに、私は幸せな気持ちを感じていた。
……なのに。
『──西川
「!?」
な、何? この声は。
「アリアドネ?」
『はい。どうか私の、私達の姿を見ていただけませんか? 貴方は、彼の、テセウスの事を見抜きました。私達の真実に辿り着いた。だから、そんな貴方に提案があるんです』
「……提案」
私は警戒する。武に視線を向けた。彼も警戒しているようだが。
「武」
「……聞いてみるしかない。俺は今、スマホを持ってないから」
「武のスマホ、私が持ってる……」
「恵のは?」
「……東雲さんに奪われて、そのまま彼女と一緒に電流が。使えなくなったわ」
「そうか。いいよ、恵が持ってて」
「う、うん……」
私は、武のスマホを取り出す。
電源を入れて、アプリ【ミノタウロスの迷宮】を起動した。
スマホを掲げて室内を観ていく。
扉。武。赤い縄梯子。倒れている中津アキトの死体。そして、奥には。
『オォオ……』
怪物テセウスと、赤い髪の異国の美女アリアドネ。
テセウスの腕に抱かれながら、アリアドネは幸福そうに笑っている。
当然だが、彼女は喰い殺されなどしない。
本当の恋人のような仕草で抱き寄せられている。
(……そんなにも仲が良いのなら外に出してあげれば良いのに)
『西川恵さん。貴方に提案があります』
「……聞くわ。アリアドネ。提案って何?」
『はい。提案とは、……貴方が次の【アリアドネ】になりませんか?』
「…………は?」
次の、アリアドネ?
「どういう意味?」
『言葉通りです。
「……次のゲームって何よ。これが最後のゲームなんでしょう?」
『ええ。今回のゲームはこれで終わりです。私が言っているのは、次の生贄が集まった時の、
貴方が死に追いやった者が増える程、報酬が増えます。
まず一人、死においやれば、その時点で北元武さんの安全を保障しましょう』
「な……」
「ふざけんな! 何言ってやがる! 恵に何をさせるつもりだ!」
『これはゲームではなく
「なん……だって?」
「ここから……出られる……武と一緒に」
それは、なんて魅力的な響きだろう。だけど。だけど。
「……その提案を受けて、貴方が約束を守る保障は? アリアドネ」
『私は約束を破りません』
「皆を騙しておいて?」
『…………』
彼女はAI。人工知能に過ぎない。所詮は黒幕のいいように動く道具。
設定上、たしかにアリアドネは悲劇の女性なのだろう。
だが、それは神話と空想の産物に過ぎない。
「……武。私達は協力すれば一緒に助かる道があるんだわ」
「え?」
「……こんな横槍を入れてきたのは私達のやり取りを確認したからよ。本気で提案したいなら、もっと早くにそう言えばいい。これは、ただの運営の妨害工作に過ぎないわ」
「た、たしかにな」
『本当にそれで良いのですか? 後悔しませんか? せっかく彼を助ける手があると言うのに』
「…………」
『西川恵さん。貴方にとって、どちらの方が確実な選択ですか? ここであるかも分からない二人で生き残る道に挑戦しますか? それとも。確実に彼と共に日常に帰り、次のゲームで、彼に生贄を捧げるか。
どちらが実現性の高い、北元武の生存方法ですか?』
「くっ……!」
「め、恵」
他人を騙す。騙して殺す。南条キサラが東雲藍を嵌めたように?
彼女と同じ事が出来るなら……、ここで別の手を探すよりも。
「恵。考えるな。やっぱり聞いたのが間違いだった」
「……武?」
「選択肢が2つ、与えられるとそれの事ばっかり考えてしまう。思考リソースの無駄遣いだ。今、俺達が考えるべきは、この場を二人で切り抜けられる方法だろ?」
『……ですから、その提案を私はしているのですよ。北元武さん』
「ふざけんな! そんなの受けたら、恵がまたこんなクソゲーに付き合わされんだろうが!」
『そうですね。ふふ。彼女はとても優秀ですから』
……何なの。このアリアドネは、運営の手先。
それはそうだ。でも。設定上はテセウスを愛したからこそ、こんな事をしている女じゃないの?
つまり自発的にテセウスを捕まえてラビュリントスに閉じ込めた女。
違うって言うの?
「……貴方は、誰に従っているの? アリアドネ」
『…………』
「貴方自身が、テセウスを望んだんじゃないの? それとも誰かがテセウスを閉じ込めたの? 貴方は、それに便乗しただけ?」
『……ご想像にお任せします』
「そう。分かったわ」
所詮はAI。だけれど。
彼女には設定が、物語がある。
……それは、まるで【未来の私】の姿。
デスゲームの運営によって愛する者が囚われた。彼を生かす為に、彼女は戦っている。
彼女の目的は生贄を餌にする事だけれど、それは彼女の意志ではない?
……テセウスを貶めてやれ、生かせるかどうかはお前次第だ。
アリアドネは、そんな風に誰かに突きつけられている?
「……貴方は、テセウスを生かしたいのね。アリアドネ。たとえ、どんな行為に手を染めたとしても。どんな地獄にテセウスを貶めているのだとしても……。貴方はテセウスに生きていて欲しいんだわ」
『…………』
「何者かがテセウスをラビュリントスに閉じ込めた。その犯人は貴方じゃなかった。
……貴方は、囚われたテセウスを生かす手段をこれしか知らなかった。或いは出来なかった。
生贄の命を犠牲にしてでも、テセウスだけを生かしたい。
彼を捕らえた者達には逆らう事なんて出来ない。だから足掻いている……」
『…………』
未来の、私の辿る姿。
私が武を生かしたいのと同じように。
テセウスを生かす為に、地獄の道を歩く女、アリアドネ。
それは間違いなく愛だった。
「……テセウスは、もう十分にお腹を満たしたと思う。少なくとも東雲藍を食べたばかりよね?」
『……まだ足りません』
「でも腹ペコじゃないわ」
『……そうかもしれません』
そう。彼は空腹じゃない。まだ。
「テセウスは何に向かって動くの?」
『……何に?』
「だってテセウスは南条キサラを襲わなかった。それって変じゃない? もしも映像として私達の姿を認識しているのなら」
南条キサラだって認識していい筈だ。
それとも見えないだけで彼女にも襲い掛かっていた?
或いは、彼女を狙わず、私達だけを狙う何かがある。
その、何かとは。
「…………アリアドネ」
『はい。何でしょうか。西川恵さん』
「……貴方に見せてあげるわ」
『……? 見せる?』
「ええ。……私と武が、ラビュリントスを出た後も。ずっと愛を語り合える姿を」
『…………』
「テセウスの気持ちは知らない。後悔したのかもしれない。でも、後悔するぐらいならアリアドネを捨てるべきではなかった」
『…………』
「アリアドネは、そんなに彼を憎まなかったかもしれない。憎んだかもしれない。どちらでも。もし。もしも。テセウスが、ラビュリントスを出た後も……アリアドネに永遠の愛を誓っていたならば。
……きっと、こんな事にはならなかったよね?」
『…………』
「アリアドネ。貴方が私の未来の姿かもしれない事はわかった。でも、だからこそ。……貴方が辿れなかった未来の姿を私が、私達が見せてあげるわ」
『……どうやって?』
どうやって。それは。
「……武。今から貴方のスマホを投げる」
「あ、ああ」
「……私を信じてくれる? 武」
「………………信じる。恵を信じる。何かが思いついたんだな?」
「うん」
これは賭け。それも私ではなく、彼に命を賭けさせるやり方。
「……彼」
「うん?」
私は、武の方に近いソレを指差した。
「……男子高校生、の、死体?」
「そう。中津アキトくんの死体。……彼の死体は、まだAR上にも残っているわ。
「食べられる、肉」
「そうよ。現実の彼は死んでいるのだとしても。AR上では、テセウスの『食料』としての機能を、まだ残している」
つまり。
「……
そうだ。中津アキトの死体を、さらに踏みにじる。
……東雲藍に、憎悪されてもおかしくない所業だ。
「そうよ。でも、その為には条件がある。……武が、中津くんの死体に駆け寄り、そして彼の死体と共にスマホを掲げる。テセウスが彼の肉に喰いつくまで。それを確認する」
「…………」
「そして、中津くんを食べ始めたら、武は赤い縄梯子に来て、上へ脱出するの」
「それは」
「……私は、武が行動し、テセウスがそっちに向かった瞬間に、赤い縄梯子に向かって、
ゴクリ、と彼が息を呑んで喉を鳴らす音が聞こえた。
「中津くんの死体は、武の方にある。だから……これは武にやって貰うしか、ない」
けど、この方法は。まるで武を囮にして自分だけが助かりたいように感じる。
「……、……。ふぅぅ」
「……武」
「…………上手く行く保障は、確信は、ないんだな? 恵」
「うん……。でも思い浮かぶのが、これぐらいしかない」
「…………そうか。まぁ、なんだ。一度、恵を庇って死んだ、ようなもんだしなぁ」
「武。私は、貴方の事だって」
「うん。一緒に生き残ろうと、精一杯考えてくれたんだよな。俺には思いつかないような事を考えついて」
「……でも」
武は困ったような顔を浮かべながら、眉を下げながら……笑った。
「信じるよ。恵のこと。でも、恵も俺を信じてくれなきゃダメだ」
「武を?」
「ああ。……俺しかスマホを持っていないならテセウスの動きを読み取れるのも俺だけだ。恵が動き出すタイミングも、俺が指示しないといけない」
「……うん」
「……恵の方にテセウスが動く可能性もある。って、恵なら分かってるな?」
「……うん」
姿の見えない怪物。
もし、テセウスが私を狙って動いていたとしたら。
……武は、それを黙って、逆に私を囮にして逃げる事が可能となる。
「俺を、信じてくれるか? 恵」
「……ええ。貴方を信じる。貴方を信じるわ、武」
「……ヨシ! じゃあ、その作戦で行こう。スマホを。あっ」
「な、なに?」
何か問題がある?
「いや。恵ってコントロールいい? ここでスマホを投げそこなったら、もう目も当てられないんだけど」
「……運動神経は良い方。小・中でも体育の成績、5だった」
「マジ? 俺でも4なんだけど? 運動神経もいいのか、恵って」
「……まぁ」
「成績優秀、美人で可愛くて、運動神経も抜群かぁ……。そりゃ、そういう、アレか?」
「……南条さん、デスゲーム運営に目を付けられた理由?」
「ああ」
「……納得したくない。こんな事に巻き込まれるぐらいなら、そんな能力、なくて良かった」
「そりゃそうだ。ごめん。変な事言った」
「ううん。いいの。武に褒められたら嬉しいから」
「恵」
甘い。私達の中に甘い時が流れる。こんな状況なのに。
「……外に無事に出たら、思いっきりイチャついていい? もうベタベタと」
「…………うん。いいよ」
「よーっし! やる気出てきた! じゃあ、投げてくれ」
「分かった」
私は、彼の目を見ながらタイミングを合わせる。
「いち、にーっの! さん!」
「……おっし!」
武のスマホを投げて、彼は見事にキャッチした。
その動きにさえ、胸がきゅんとときめく。
「……よし。じゃあ、まず俺が動く」
「うん」
「今、テセウスはアリアドネと一緒にあっちに居る状態だ」
「ええ。私もさっき確認した」
「俺が、彼の死体まで走って、そして彼の死体を囮にする」
「……うん」
「俺が、テセウスの動きを見ながら恵に合図を送る。そうしたら、恵は先に赤い梯子から上へ上がる」
「……ええ」
そう。これしかない。ない筈だ。あっても私には見つけられない。
「……恵。もし、だけど」
「うん」
「このプランが上手くいかず、俺がテセウスに殺されたとしても」
「……武」
「振り向かずに上へ昇るんだ。信じろ。まず自分が生き残る事だけ考えて、安全な所まで行け。……元々、俺はラビュリントスの奥で死んでる筈だっただろ? それでも今、生かされてるのは……、恵が恋人に選んでくれたからだ。
この『アリアドネの赤い糸』の為に」
「それは……」
……きっと、そうなのだろう。
武はラビュリントスの奥で怪物に捕まった時。確実に殺されている筈だった。
そうでなければならなかった。だって、そうして他の皆は死んでいったのだから。
でも、彼は生きたまま放置された。
きっと、この最後のゲームをする為に。
「俺の命は、恵が居てくれたから助けられた命だ。だから最期まで恵の為に使わせてくれ。……そういうのが、その。愛……、好きだから。男として、好きな女の子にそうしてやりたいから。それでいい。そういうもんなんだ」
「……武」
「いいな? これは、そういう覚悟の話だ。もちろんお互いに生き残ろうとする。だけど、今から恵のする事は……俺の指示で走り出し、振り向かずに全力で脱出する。それだけだ」
「……わかった。覚悟、する」
「よし」
私達は、最後の確認を終えて、見つめ合い、頷き合った。
……これが私達のラストゲーム。
「……行くぞ」
「……ええ」
武が、中津アキトの死体へと駆けだす!
『オオオオオオ……ォオオオオオオオオオオオッ!!』
「っ……!」
私は、身体を固くしながらも、すべての動きを見守る。
武は、中津アキトの焼け焦げた死体の元へ駆けつけた。
……武は、彼の死体の傍でスマホを掲げる。
そして。
「恵! 今だ! 行け! 行けぇええええッ!」
「……ッ!」
私は彼の言葉を聞いて、赤い縄梯子に駆け出す。
恐れない。武の言葉を信じてる。
(……! 届いた!)
怪物は私の方に駆けてこない。私は、必死に縄梯子を駆け上がる。
武の方に動きはない。
……もう視線を向けない。ただ、素早く上へ。
ここで私がモタついたら助かるものも助からなくなる。
だから振り向かない。視界にも入れない。
今、すべきなのは上へ行く事。上へ上へ。
このラビュリントスの外へ──!!
「っぁああ……!」
そして、とうとう。私はラビュリントスを抜け出した。
別の部屋。明らかに今までと違う雰囲気の空間。
南条キサラの姿はない。ここは安全? 追ってこない?
「……武!」
そこで初めて私が上がってきた穴を振り向く。
「っ……ぉおおおおおお……!!」
「ああ! 武! 武!!」
彼が走っている。彼は怪物に食べられてはいない!
(やった! やったんだわ! 作戦は成功した!)
中津アキトの死体を囮にして、怪物に喰いつかせる。
そして、その隙をついて武が赤い縄梯子に辿り着いた。
「ああああ!」
いける! いける! 私は身を乗り出そうとするけど、邪魔になると思い、すぐに身を逸らす。
「恵ぃ!」
「武ッ!」
彼の手が! 私が居るフロアへと伸ばされた!
「武!」
「めぐ、」
バチィイイ!
「ぎぁっ!?」
「なっ!?」
(電撃!? 足に!? テセウスに追いつかれた!? でも、だめ!)
「武!!」
「が、あ……」
頭部からの電流は流れていない!
足枷の方からの電流! 死に至る程じゃないもの!
私は、必死に彼の腕を掴み、服を掴んだ。
「武、武! ぁあああああ……あぁあああああッ!!」
必死に。すべての力を出し尽くすように。
私は、彼の身体を上階へと引き上げた。
自分でも驚く程の力を出せたと思う。今程、自分の運動能力に感謝した事はなかった。
彼の身体は重い。ぐったりしてしまっているから余計に。それでも。
「あああああ! 武! 武……!」
「う……あっ……め、ぐ、」
彼を私に覆い被せるような形で引き上げて。
(……助かった。助かったんだわ! やった、やったのよ、私達)
二人で。武と二人で生き残った──
『おめでとうございます。西川恵さん。北元武さん。ゲーム、クリアです』
そう。アリアドネが、告げた。
──ドオォオオオオンッ!!
「ひっ!?」
……なのに。
私と武が必死に上がったフロアの、奥のドアが音を立てて開かれた。
そこには。
「なっ、あっ、なんで、なん……で」
──牛頭をした、怪物が、居た。
「なんで、なんで、なんで、なんで!!」
だってミノタウロスは、ARの中の住人だ。空想の住人だ!
現実に居るワケがない! スマホの中にしか居ない筈なのに!!
『ォオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
「いや! いやあぁああああ!!」
「め、めぐ、み」
胸に抱いた武の身体にしがみ付きながら、私は悲鳴を上げた。
そして。
──バヅン!!
「ぎっ!」
身体中に電気が流し込まれ。
……私は意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます