第6話 事態急変

 中津アキトが死んだ。目の前で。


 肉が焼け焦げる悪臭が、空間を満たす。

 彼の断末魔と、死に逝く姿が目に焼き付いた。


「アキ、ト? アキト……」


 私達は、3人共、目の前の光景に立ちすくんでいた。


(何が、起きたの?)


 人が死んだ? 死んだ? クラスメイトが。

 言葉を交わした事のある同級生が。


 人間が死んだ。いいえ、殺された・・・・のだ。


 元々、私達はこの場に誘拐されてきた。

 明確な悪意によって、この場所に居たというのに。私達はどこか呑気だった。

 どこかで元の生活に、日常に帰れるのだと信じていたのよ。


 それが今、目の前で否定された。一人の人間の死という、既に起きた現実によって。


「あっ、うっ、あっ、アキト! アキトぉおお!」


 東雲さんが、焼け焦げた死体に縋りつく事さえ出来ず、絶叫する。

 ……彼女は、死んだ彼が好きだった。


 きっと私では想像もできない程の衝撃だろう。

 私は? 私、西川恵はどうなのか。


 きっと彼女よりまだ冷静になれる。いいえ。ならなくちゃいけないわ。

 だって。だって、私達はまだ脅威から逃げ切れていない!


 中津アキトの幼馴染である彼女は今、危険な筈だ。そして私も、その状況は変わらない!


「……!」


 私は、自身のスマホを掲げて中津くんの死体を映した。

 画面に表示されるのは現実よりも悲惨な光景。


 現実では、おそらく高圧電流によって身を焼かれただろう彼の死体だが、AR上では見るも無残に怪物に引き裂かれ、食い荒されていた。


「うっ……!」


 こんなにもグロテスクな映像をわざわざ誰かが用意していたと言うのか。

 それも中津アキトの顔、そのままを再現して。

 流血、肉片、そのようなものまで。


 人間の技術を使って、悪意を表現していた。


 怪物はたしかに居る。それは、私達をこの状況に押し込んだ何者かという怪物だ。


「はっ……はっ……!」


 呼吸が荒くなるのを必死で抑えた。

 今、すべき事。最適な行動は……。


「ダメよ! 東雲さん! 近付いちゃダメ!」

「えっ……」


 私は、モンスター……ミノタウロスに近付くリスクを承知しながらも、前に出て東雲さんの腕を掴んだ。


「そこに、そこに居るの。中津くんを殺したモンスターが! ……逃げるのよ!」

「えっ、でも、アキトが」

「……彼は、もうダメ。貴方まで死なせるワケにはいかない。彼もきっと望まないわ」


 そんな事分からない。私は中津アキトの内面を知りもしなかった。

 彼がどれだけ東雲さんの事を思っていたかなども、知らなかった。


 だから口から出てきたのは出任せ。ありきたりな一般論だ。

 だけれど、ここで彼女を見殺しにするのは絶対に違う。


 今、この場に放置すれば……。やがてモンスターは中津くんの死体を喰い切って、次に彼女を襲うだろう。

 そうなる前にこの場から逃げなければ!


「……行くわよ!」

「でも、アキト」

「それでも行くのよ! 南条さん! 彼女を一緒に連れて行くわ!」

「わ、分かったわ!」


 放心したままの東雲藍を、南条キサラと共に両端から支え、来た道を引き返す。


「この扉を閉められれば……」


 時間稼ぎが出来る。出来るの?

 だって相手は現実に居るモンスターじゃない。


 壁など何の意味があるだろう。壁を越えてAR上に描写されれば、それで終わりだと言うのに。



「くっ……! 南条さん、ドアのハンドルを映して……!」

「え、ええ!」


 掲げられた彼女のスマホ画面を見ながら、私は必死にハンドルを回した。

 手応えがないのが嫌らしい。


 AR上に描写されたに過ぎないハンドルを私は、回す事が出来ているのか。



「ダメよ、恵ちゃん。この扉は閉じられない。ミノタウロスは、ラビュリントスに解き放たれてしまったんだわ」

「くっ……!」


 たしかに。何の反応もない。

 もしかして一度開いた扉は二度と閉じられないの?


「なら先に進むしかない!」

「元の部屋に隠れるのは!?」

「ダメよ! あそこは閉ざされている! 逃げ場さえない!」

「……なら、行くしかないのね?」


「……そうよ!」


 私達の逃げ場は……ラビュリントス。

 既に出逢ってしまったミノタウロスが生贄の子供達を食べる為に住んでいる迷宮だった。



◇◆◇



 東雲さんのを真ん中にして、私達3人は廊下を駆け抜ける。

 モンスターの居た扉とは正反対の迷宮の扉を抜けた。


「こっちも一応、閉じられるか試す?」

「それは……でも」


 猶予時間は、あまりないように思う。

 中津アキトの死体が、ミノタウロスに喰われるまでの時間。

 それだけが私達の命綱なのだ。

 下手な時間は使えない。それは彼の死の冒涜とも言えた。


 少なくとも彼の幼馴染である東雲藍だけは助けてあげなければ……私は彼の死に報いる事ができない。


 それは、きっとダメな事のような気がした。


「彼女を連れて先に行って! 私が扉を閉じてみる!」

「えっ!? でもっ」

「いいから! 時間があるかも分からない! ダメだと判断したらすぐにおいかける!」

「でも、でも、どっちの扉へ!?」

「そんなの……!」


 部屋には3つの扉がある。

 一つは今、入ってきた大きな扉。私はこの扉を内側に表示されたARのハンドルを回して閉じなければならない。


 もう2つはネームプレートさえない鋼鉄のドア。

 進めば引き返せるかさえ分からない。


 ここはラビュリントス。人を迷わせる為に作られた迷宮なのだ。


「どっちでもいい! 私達に正解は分からない! ヒントもないのだから! 正しい事は素早く開く事、それだけ!」

「わ、分かったわ! 藍ちゃん、行くよ!」

「あ、う」


 東雲さんを南条さんに任せ、私はAR上のハンドルを回し始めた。


 出口の扉と違い、このドアのハンドルは……動く!

 反応があるわ!


「早く、早く……!」


 目視では見えない怪物が、今も目の前に迫っている恐怖を感じた。


 喰らわれれば、中津アキトのように……頭と足に付けられた器具から電流を流され、見るも無残な死体へと成り果ててしまう。


(嫌、嫌よ、そんなのは嫌……! 死にたくない! 私は死にたくないわ……!)


 扉が酷くゆっくりと閉っていく。

 どんなに素早く手を動かしても、AR上のハンドルは予め定められた速度でしか回ってくれない。


 スマホを廊下の先へ向けたい衝動に駆られた。

 でも私は、その恐怖からの行動を必死に押し殺して、ひたすらにハンドルを回し続ける。


 無駄な動きは出来ない。

 今はとにかくハンドルを回し続ける事が最優先。


 これは生死の掛かった問題だった。


 動揺し、心底の恐怖に駆られながらも死に物狂いで冷静な判断を導き出す。



 ゴゴゴ、ゴォン……!


 鋼鉄で出来た大きな扉がハンドルに合わせて、ようやく閉じられた。

 ホッとしたのも束の間。次の瞬間に。


 ドゴォオ!!


「ひっ!?」


 扉が大きな音を立てて、衝撃に震える。

 私は、スマホを掲げて扉に向けた。


ドオォッ!!


 現実に映し出される扉よりも、いっそうに激しくAR上の扉が揺れている。


 怪物は、もうこの扉一枚を隔てた向こうにまで迫ってきていたのだ。


 もし怪物の姿が目に見えていたならば、本当にすんでのところまで迫っていたのかもしれない。


「に、逃げなきゃ……」


 フラフラと後ずさりしながら、先へ進んだ2人の後を追いかける。

 生存本能が、腰が抜けそうになる私の身体を無理矢理に立たせ、動かした。


 開いた扉の先では南条さんと東雲さんが手を繋いで走っている。

 廊下。同じような作り。横道はない。進む先は1つだけ。


 迷う場所はないけれど、隠れる場所もなかった。

 それでいいのかもしれない。

 下手な横道でもあろうものなら、きっと私は目の前にある偽りの安全に身を委ねてしまっていただろう。


 隠れるのは最終手段なのだ。

 多く見てきた映画で、その決断をした者の末路は分かり切っていた。


 今、この場面は隠れる時ではなく、震える足を引き摺ってでも力の限りに、逃げ続けるのが正解……。


 ドゴォオオッ!!


「ひっ!」


 背後で、さらに大きな音が鳴り響き、衝撃が伝わってきた。

 まさか、もう扉を開いてきたのか。


 現実の扉を怪物が開いたかのような錯覚。


(違う。これは……そういう『設定』なんだわ)



 だって、この環境は何者かの悪意によって構築されている。

 実在の怪物でない以上、もっとも盛り上がる・・・・・アイデアが採用されるのだ。


 だから私達は、ミノタウロスをどこかに閉じ込め続ける事は出来ない。

 檻や扉は必ず破壊され、モンスターはどこまでも人間を追いかけてくる。


(なんて悪趣味!)


 今だって、このタイミングで扉をぶち破られたのは……最後尾の私が逃げ切れるかどうかギリギリのタイミングだからだ。


 逆を言えば、誰かが最後尾であるのなら、前の人間は怪物には襲われない……。


「くっ……!」


 私は、異常な程に頭を回転させながらも全力で走り続けた。

 振り向かない。振り向く時間さえも勿体ない。


 いいえ、その姿を見るのさえも恐ろしい。


 スマホの向こうに映る怪物の姿は、私の死そのものだ。

 恐怖に負ければ、私の足は動かなくなる。


 そうなれば確実なデッドエンドが待っている。

 そんなのは嫌だ。死にたくない。私は……こんな所で……!


「恵ちゃん! もうすぐ後ろに、ミノタウロスが迫ってる! 後ろ! 後ろよ!」


 前方でスマホを掲げた南条キサラが、走り抜ける私の姿を映しながらそう叫ぶ。

 きっと彼女の目には私の背後にモンスターが迫っている光景が見えているのだろう。


 その言葉に私は、何度も振り向きそうになる。

 だけど、けっして振り向かない。前だけを見る。


 怪物を見て、女の子らしく悲鳴をあげてやる姿なんて、悪意ある連中に見せたくはなかった。


 それは盗撮だ。ポルノを撮影されるようなおぞましさを感じる。


 悲鳴をあげる私の姿を見て、誰かが喜ぶなんて気持ちが悪い。

 南条キサラのスマホが、まるでその悪意のカメラのように思えた。


(死にたくない、振り向かない、私は、私は……)


「もう、ダメよ……! 閉じなきゃ、この扉を!」

「待って!」


 本当にギリギリのタイミング。南条さんは、自らの命を優先する。

 それは人間として当然の判断。でも、その決断をされれば私は死ぬしかなくなる。


「恵ちゃん、急いで! お願い! 後ろ、後ろよ!」

「分かってる!」


 何度も後ろと叫ぶ言葉に悪意すら感じる。


「ダメ! もう閉じる!」


 叫ぶように絶望を宣告する南条キサラ。

 自然と私の目に涙が浮かぶ。


 これも演出? 私が間に合うギリギリの所で、あの扉は閉じられるの?

 そうして私は怪物の姿を目撃するしかなくなるの?


 まるで映画のワンシーンのように。

 そして、東雲藍と南条キサラにカメラは移り、私の断末魔は扉の向こうで響き渡る?


(そんなの嫌、嫌だ! 私はっ……!)



「──まだ閉じるなッ!」

「えっ!」


 ドアの向こうで待機していた南条さんを押しのけて、誰かが飛び出してきた。


「手を!」

「え、あ、はい!」


 若い男性、日本人……が、急に現れ、私に手を差し伸べた。

 思わずその彼の手を取り、私は謎の男性と手を繋ぐ。


「来い!」

「は、はい!」


 彼の手に引っ張られるように、私はドアの向こう駆け込んだ。

 閉ざされたドアの向こうに1人、取り残されるシーンはこれで回避された。


 転がり込むように私達は床を統べる。

 男性と手を繋いだまま。膝をついた。



「すぐに閉じろ! 早く!」

「え、あ、わ、分かった……!」


 男性が南条キサラに指示を飛ばすと、彼女はすぐにドアを閉じた。


 そして……今度はミノタウロスが扉を叩く事は……なかった。


「……助かった、の?」

「たぶんな。一時的にだろうけど」


 私を助けて、手を繋いだままの男性は、優し気な瞳で私を見つめてそう言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る