第14話 誘導

『彼は、すぐ近くまで迫っています。お腹を空かせている様子です』


 凄まじい咆哮の後に、アリアドネが淡々と告げる。


『皆さんの臭いを嗅ぎつけたのかもしれません』

「臭い!?」

「……そういう設定って事?」

『皆さんは、今のままでは逃げ切る事は難しいでしょう』

「おいおい! ざけんなよ! なんだそりゃ!」

『真実から目を背けてはいけません。彼から逃れる為には、彼の姿を見なければならないのです』


 見なければならない? まさか。

 私は、すぐにポケットから自分のスマホを取り出して、電源を入れた。


『……そうです。西川恵さん。目がなければ立ち向かえない。真実を見る事はできない。それではミノタウロスを暴く鍵を見つける事は出来ません』

「……いちいち名指しするの、止めて欲しいわ」


 これでは余計に注目されてしまう。

 既にここに居るメンバーは、裏切者扱いをされているというのに。

 ……北元武だけは私を庇ってくれたけど。


「目がないと鍵を見つける事はできない……。つまり『鍵』ってのは現実じゃなくてAR上にあるって事か?」


 その北元武が、アリアドネの言葉からヒントを得る。

 ……このラビュリントスでは、やはりAR上にある物が重要なのだ。


『目がなければ、彼から逃げる事は出来ません』

「おい、これ、どういう意味だよ!」

「……スマホの電源をつけて、ううん。アプリを起動していないと逃げられない?」

「逃げられないって何だ!? 誰かがドア開けりゃ、それでいいだろ!?」


 そうだ。一緒に行動している限り、それで助かる筈なのに。

 いや、違う。そう。これはただの怪物からの逃亡ではない。


 AR上にプログラムされた怪物との逃亡劇なのだ。



「……違うわ。これはルール・・・よ。皆、スマホを立ち上げて! アプリを起動していない人間が喰い殺されるんだわ!」

「はぁ!? なんでだよ!」


「それがルールだからだ。大森さん。何も見えていないって事は『すぐ後ろに怪物が居ても』あんたは気付かなかっただけって理屈がまかり通る。そういう理屈で……いつ、どこに居ようとも、殺される可能性が生まれる?」


「そうよ! スマホでミノタウロスを見なければ助かるんじゃない。いつでも、どこにでもいる怪物は、ARアプリで『ここに居ない』と証明しなければ『すぐそこに居る』のと同じなのよ!」


 そう、私の言葉が皆に届いた瞬間だった。

 再び、怪物が咆哮を上げる!



『ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 くっ! 凄い音量! 本当に近くまで怪物が来ているように感じる。

 私は必死で起動したARアプリ【ミノタウロスの迷宮】で、自身の周りを確かめる。


 居ない。今いる通路には居ない筈だけど。



『……目を開いたなら皆さん、あちらのドアへ進んで下さい。私がセーフルームへと誘導します』

「セーフルーム!」


 安全地帯。このラビュリントスにおいて、唯一やすらげる場所。


「くそっ、電源落とせって言ったり、つけろって言ったり!」


 全員が、自身のスマホの電源を入れ、アプリを起動しながらアリアドネの誘導に従う。


『ただし、セーフルームに入れる人間は限られています』

「なっ!?」


 そこで、アリアドネから驚愕の事実が突き付けられた。


「おい! どういうことだ!」

『……正しくは、セーフルームはミノタウロスから身を守る為の条件があるのです』

「条件!?」

『セーフルームは神の目から外れています。その為、彼はセーフルームの中を見る事が出来ず、入って来る事ができません』


 神の目。おそらく、私達を誘拐した連中の監視。

 あの部屋の中に監視カメラはない?


 つまり、それって。


「……まさかミノタウロスを動かしている『プレイヤー』が居るの? そいつは私達を『殺す側』?」

「なんだと!」

「……そういうタイプのゲームか」


 激昂する大森コースケの代わりに、外山シンイチは納得したように頷いた。


「どういうことだよ、外山」

「ジェイソン・ゲームだよ」

「ジェイソンゲーム?」

「13日の金曜日のアレを元ネタにしたゲーム。ネット対戦が出来る」

「……ネット対戦って」


 とてもふざけた響きだ。


「プレイヤーは、ランダムで役割を与えられるんだ。即ち『殺人鬼ジェイソン』側か、『逃げ惑う一般人』側か。一般人側は、もちろん殺人鬼から逃げ延びる事がクリア条件だ」

「……殺人鬼側は?」

「プレイヤーの全滅が条件」

「くそっ! マジかよ!」

「じゃあ、ミノタウロスを操るプレイヤーがいるの!? 私達を殺そうとしてる!?」


「……殺そうとしてるか分かってない可能性もあるな」

「どういう事なんです、北元さん」


「AR技術は発展してるだろ? ……もしかしたら『画面の向こう』のプレイヤー様にとっちゃ、俺達の姿も、なんか雑な『3Dキャラクター』として描写されてるのかも」


「そりゃ、一般人か何かがそうと知らずに、遊び半分で! 俺を殺そうとしてるって事かよ!?」

「腹立つけど、そういうことだよ!」


 ……ありえる話だ。

 今、このラビュリントスの中の映像がリアルタイムでどこかに配信されている。

 けれど、実写としての映像はない。


 現実の私達に覆い被せるような形で3Dキャラクターを描写し、ミノタウロスを操るプレイヤーは、相手を人間とは知らずにゲーム感覚で私達を殺そうとしている……。



「ルールに従わなくちゃ生き残れないの? 恵ちゃん」

「……たぶん、そう。少なくともルールでしかミノタウロスから身を守る術がないわ」


 南条キサラに私は答えた。彼女は、そのままアリアドネへと向き直る。


「……そう。アリアドネ! ルールを教えて! どうすれば私達は皆で生き残れるの!?」

『……貴方達は、怪物から身を守らなければいけません』


 もどかしい返答だ。どうすればいいかと聞いているのに。



『目がなければ、彼に喰い殺されてしまうでしょう』


 アプリを起動していなければ殺されてしまう。


『セーフルームでは、ミノタウロスの襲撃から身を守る事が出来ます』


 セーフルームは安全地帯。


『ただし、セーフルームがその安全を保つ為には条件があります。それが人数制限』


 限られた人数だけ。


「何人までなら入れるの!?」


『セーフルームで身を守れるのは2人だけ・・・・です。その2人は、セーフルームに入った順番で決まります。最初に入った者。次に入った者。その2人だけが、そのセーフルームで身を守る事が可能です』


 ……先着2名まで!


 私達の間に緊張が走る。やはり、これは生き残りを賭けたゲームでもある。

 少なくとも、この局面ではアリアドネの誘導に従ったところで助かるのは2人まで。



「どこだ! どこだよ! さっさと案内しろ! 俺が先に入る!」

「……!」


 大森コースケが騒ぐ。彼は、集団の一番先を走り、アリアドネの誘導に従っている。


 ……もしも助かる2人になっても、あの男と一緒になったら私の身は危ない。


 私は、背後を振り返った。そしてスマホを掲げて通路を見る。

 ……アリアドネの誘導は、焦りを生んだ。ミノタウロスの咆哮も私達に恐怖を植え付けた。


 だけど、現実問題としてミノタウロスはまだ来ていない。


「恵ちゃん!?」

「……アリアドネ! 近くにセーフルームは、いくつあるの!?」

『……いくつもありますよ、西川恵さん』

「じゃあ、私を大森コースケ、それから東雲藍とは別のセーフルームに誘導して!」

「なっ!?」

「はぁ!?」


『良いでしょう』


 と。アリアドネは私のスマホに映し出される近くまでやって来た?


「え、あんた分裂とかすんの?」


 北元武が、そんな風に間の抜けた反応を示す。分裂?



『私は未来のアリアドネです』

「未来人だから分身ありって設定? ゴリ押しかよ!」


『大森コースケさん。東雲藍さん。貴方達は、あちらの通路に。他の方はどちらにでも』


「……何よ! あの子の指示には従うの!? やっぱり!」

「てめぇ……!」


 大森コースケ、東雲藍が私を完全に敵視する。

 違うって言っても聞き入れそうにないわ。



『ォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

「くっ!」

「うるさい!」


 音量が大きくなっている! 本当にすぐ近くまで来ているように。

 ……まさか、この咆哮は、ミノタウロスと衝突するカウントダウン?


「……早く移動しよう! どうせセーフルームは定員制なんだろ!? ならこのまま別行動だ!」

「でも、その女が、」


 ドゴォオオッ!


「きゃあああああッ!? 近くよ! すぐ近くでドアが震えた!」


 ……まさか、あのドアの向こうに既にミノタウロスが居る設定?



「大森さん! 今は逃げるのが優先だろ!」

「くそっ!」


 そして、大森コースケと東雲藍は、私とは別方向へ走り出す。

 私も彼等とは反対のドアへ走った。


 このラビュリントスは、基本的に1つの通路に対して2つか3つのドアがある構造だ。

 通路と言ったが、ドアの隣接した部分は、長方形ばかりじゃなく、部屋のような作りの場所もある。


 今、私達が別れた空間には来た道を除いて2つのドアがあった。


「北元さんは、こっちへ来て! 恵ちゃんと行ったら危ないよ!」


 東雲藍が、そう叫んだ。……如何にも彼を私から遠ざけたい様子だ。

 ……女の勘、ね。私の気持ちを見透かしている。


「……! いや、俺は彼女と共に行く!」

「なっ!?」

「てめぇ、北元!」

「今のアンタ達より、彼女の方がよっぽど冷静で的確だ! 一旦、頭を冷やせよ、大森さん!」


『……早くしなければ追い付かれますよ?』


 アリアドネが冷静にそう諭してきた。その冷静さが腹立たしい。


「……私は、藍ちゃんと一緒に行くわ! シンイチさん! 貴方は、……こっちに来た方がいいわ!」

「えっ!? え、僕、名前呼び? え、なんで。僕も彼女の方が冷静だと、」


「貴方のスマホ! もう電源が切れかかってるんでしょう!? あの2人のチームに行ったらバッテリーがすぐなくなって、一生この迷宮に閉じ込められてしまうわ!」


「あっ……、」


 ……ここに来るまで、スマホを起動していたのは北元武と外山シンイチだ。

 2人のスマホのバッテリーは既に50%を切っている。

 ……たしかに彼がこちらに来ても、バッテリーの問題が。


「っ! わ、わかった! 僕もそっちに行く!」


 外山シンイチは、南条キサラに誘導されてあちらのチームに合流する。



『さぁ、お早く。もう彼は、あのドアの向こうにまで来ています』


 アリアドネ、一人だけが冷静にこの状況を見ていた。

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