第31話 ほわほわ
ある女の子は、寝台のなかで、
おやすみなさいと眠りについた。
ある青年は、
妻と赤ん坊に笑いかけていた。
ある男は、
仕事もなく、
食べるものにもありつけず、
フラフラと歩いていた。
黒く硬い皮膚が、身体をぞわりと巡った。
気がつけば、そこは、草原だった。
何か、おかしい
そう、思ったが、
彼らは黒く太く硬い四本の手足で駆け出す。
すぐそばにある、おぞましい見えない壁から離れ、黒い森へ。
同じ姿をした仲間の元へ。
黒い目から流れてくる記憶に、
そして、げぼりと、咳をした。
拳大の石が、地面に落ちた。
霧がかった半透明な雲母に覆われた黒い石だった。
黒い部分は、黒煙を固めたかのよう。
『……。』
“ソイツ、あれだよ、オマエがペッて、吐き出してた赤い石をだな、飲み込んじまったから、んー、そんな感じなんだよ。アハハー、バカなヤツだよなー?”
“てッ!めえがッ、オレの口に突っ込んだんだろうがッッ!!”
黒朗が、腕の上に(うっとりとした顔で)乗る赤い大トカゲの
それを聞いた仁矢が、怒鳴っていたのを思い出した。
眷属のようなモノになった仁矢の記憶は、黒朗には筒抜けだ。
弱い人間の身体で、黒朗が吐き出したモノを飲み込んで、無事に生き延びたことを、黒朗は今だに信じられないでいる。
黒朗がもたらすのは、赤熱と灰と、死滅だ。
そのうち、仁矢は、灰になって消えてしまうのではないだろうかと黒朗は思っている。
やっぱり、と。
『………。』
(捨てるのは良くないな…。)
黒朗は石に手をのばす。
『……そうだな、』
奥に、真っ黒な闇を抱える洞窟の前、
着物を着込んだ狐が立っている。
青い着物の上から、白地に三日月と雲の紋様が縫い込まれた羽織を着ている。
身体を被う青白い毛が、ふわふわしている。
三角の耳の先と指先は黒い毛だ。
狐仙人は、懐から一本の枝葉を取り出した。
森の中に差し込む日の光を受けて黄金に透ける、白色と緑色の交じる枝葉。
ぷちり、一枚の葉っぱを指先でちぎる。
「ハァ…」
狐仙人はため息をついた。
「なんで私がしなくちゃいけないんです?」
ここに来るまでに何十回と聞いた台詞に、
海藻のような髪をした髭面の中年男、
「しょうがないじゃないですか。アンタしか、どこ行ったかわからない黒朗を追えないんですから。
風の
「すんません、じゃないですよ。ちょっとは努力しなさいよ。血反吐を吐きなさいよッ!君たちの無能がこれほど憎いと思ったことはありませんッ!」
「はははー」
「笑ってんじゃありませんよッ!あなたには絶対に術を習得させますからね!あなたは腐っても、巻調の一族なんですからッ!」
「無理で」
「やらなきゃ喰います。」
「え?」
春風は、顔をひきつらせ、狐仙人の顔を見た。
狐仙人は、葉っぱに何か不思議な音を呟くと、洞窟の闇の中に放った。
葉っぱは、すいっ、と闇に呑み込まれていった。
「喰うって、冗談ですよね。食通の仙人様が言うとなんか…冗談に聞こえない。」
「……。」
横にいる赤髪の青年、
「…若?何で何も言ってくれないんです?」
洞窟を見ていた紅羽が、フッと息を吐いた。
春風が、その視線の先を見ると、洞窟の闇の真ん中が揺らぎ、光が広がり始めていた。
白い雲が浮かぶ、青い空が覗く。
狐仙人が、その光景の中へと進んでいく。
紅羽と仁矢もそれに続いた。
「ここは…。」
紺碧の空の下、広がる草原、
猛々しい峰の雪山が、四方を囲む。
「こんな場所…」
遠くに建つ、見慣れない建物の街。
「うげ…」
春風は、血の気が引いた。
辺りを流れる風が、ちがう。
肌の上を流れる感触も、まとう
なにより、この…
「ここは、まずいですよ、若。」
「そうだろうな。」
「え…」
振り返って、紅羽のほうを見ると、
彼は遠くを見ていた。
『……。』
茶髪の少年が立っていた。
白い長衣と白い帽子の異国の僧侶のような出で立ちだ。
優美な顔は、白く、人形のよう。
彼の頭の上には、白い小鳥が座っていて、
こちらを見るとニヤニヤ笑ったようだった。
(鳥のくせにニヤニヤ笑うってなんだよ。)
「……。」
春風は、狐仙人のほうを見た。
残像ができるくらい震えていた。
「うおーい!」
春風は少年に向かって手を振り、声をかけた。
春風のほうを向いた少年の目が、一瞬赤くなった。
狐仙人が、甲高い悲鳴をあげた。
「黒朗だよな?その格好はどうなってんだよ。」
狐仙人の悲鳴に耳をふさぎながら、春風は言葉を続けた。
近付いて見ると、黒朗の足元で、黒い軟体動物がジタバタしている。
ザラザラした鮫肌の黒い身体は、上からみると5本の触手が伸びている。身体の一番上もやはり、足と同じように裂けていて、白いほわほわしたものが見えている。
(でけぇ、ヒトデ…)
1メートルくらいの大きさのそれを見ていると、春風たちを見て、黒朗は首を傾げた。
『…なぜここに?』
「青柳くんがね、知らせてくれたのよ。怒ってたぜ。」
『…なぜ怒る。オレは服を作りに行くと伝えた。青柳が怒る意味がわからない。』
春風は、苦笑いをした。
「心配なんだよ。」
黒朗は、少し考え、頷いた。
『…オレが何かやらかさないか、ということだな。』
「んー」
『…青柳は、真面目に約束を守るつもりだろうな、無理をしなくてもいいのに。』
「約束?」
『…ああ、オレがしでかしたら、殺してくれるという約束だ。一方的に青柳が言っただけだが…。』
「がフあ?!」
『…面白いことを言う…。』
黒朗はかすかに微笑んだ。
のけ反った春風は、それを見て口元をひん曲げた。
「これは、何もしでかしていないのか?」
紅羽が、黒いヒトデを指差した。
『………………………………これからだ。』
「ダメじゃねーかッ!」
「刻むか…。」
紅羽が、ヒトデに刀を抜こうとした。
『ヤメロ、ソレは役に立つ。』
白い小鳥が、言った。
『この黒いのは、ここら一帯にはびこる呪いだ。
この街の人間を魔物に変えてしまう原因になっている。
ほら、あそこにいるだろう、人間のなれのはてだ。』
小鳥の指し示す方向には、街を見つめる巨大な黒牛のような生き物が数十頭いた。
ふと、こちらを向いた黒牛の顔は、黒い目をした人面だった。
『なにもかも忘れて、己の親を、兄弟姉妹を、子供を、愛した者を喰っているのだ。キヒ、キヒヒヒ、キヒヒヒ!』
「…………で、…ヒトデを、どう、使うんですかね。」
『…呪いを振り撒いている元凶のところまで案内させる。』
「ヒトデの案内…」
春風は、おとなしくじっとしているヒトデを見下ろした。
「どうやって?」
ヒトデの頭上、白いほわほわした裂け目から、白いほわほわがむくむく飛び出して、春風たちを包み込んだ。
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