第26話 訪問

人間とは違う、青白い毛と黒い毛におおわれた手が、ことり、と置いたさかずき

ちらちらと紫がかる青い水が注がれている。

春風はるかぜは、長旅で、ひげ面積の増えた顔をひきつらせた。



(えぇ?何出しやがった?!)



そそっと、部屋の脇へと移動したのは、二足歩行の狐だ。

青い着物の上から、白地に三日月と雲の紋様が縫い込まれた羽織を着ている。

青白い毛に被われた頭、その上にある大きな耳の先は、ちょっと黒い。

手と足の先も、身長ほどもあるふさふさのしっぽの先も黒い。

その狐は、春風の視線に気づくと、牙を剥き出しニヤァーと笑った。

だが、その桃色の目は、笑っていない。

いつもどおりの、いけすかない狐仙人である。



「長旅で疲れているだろう?薬湯だ。遠慮せず飲め。」



低い艶のある声が、前方からかかる。

所々、金茶色の混じる黒い短髪、黒い目、精悍な顔立ちをした、年の頃、30代後半の男。

耳には長の証である赤石の飾り。

赤地に、青と緑と黄色の柄が散らばる羽織を黒色の着物の上から身に付け、男は無造作に、朱色の座椅子に座っている。



(いや、飲みますよ?上役の命令には従いますけどねー?!)



がぶりと盃をあおり、口元を拭う。

スッと、鼻を抜ける清涼感、かすかに甘い水。

斜め前に座る赤髪の青年…紅羽くれはは、既に盃を飲み干し、前方に座る男をじっと見ていた。



「…………。」



男は、伸ばした指先で頭の米神こめかみをぐりぐり押しながら口を開く。



「…おい、春風。オレはな、おまえとちがって、言葉がなくても、おまえの主が何言ってるかわかる、なんて芸当はできねーんだよ。」



相変わらず、派手な格好をしてるなあ、と気をとられていた春風は、声をかけられハッとする。

彼の主は、もっとダメだった。

見れば、汗をだらだら流して固まっているばかり、その顔は真っ赤だ。

人見知りの紅羽は、仕事の報告時さえも、なかなか言葉を発せない。

慣れれば何とか話せるのだが、それでも、しばらく疎遠になっていた相手には、一からやり直しな気がある。

長に会うことは、あんまりなかった。



「申し訳ありません!」



春風は一礼し、滅魔の五大家、火性かしょう比嵩ひかさの長、比嵩赤土ひかさあかつちに報告する。



「先日王宮に現れた異国の鬼の腕、西の呂陣ろじんにある竜泉村りゅうせんで発見致しました。」

「呂陣?そんな僻地にいたのか?人の多い都市に行くと思っていたが…。」

「紅羽様が居場所を突き止めまして…」

「フッ…、それで?仕留めたか?」




(仕留める…?)




異国の鬼の腕を追った先、たどりついた、のどかな村。

突然現れた異国の銀髪の鬼は、巨大な銀色の大樹に変化した。

破壊できない、毒を振り撒く存在へと。



老人が、鬼の腕が、生み出した虹色の障壁に守られながら、春風は考えた。

けれど、死なずの大樹を破壊する術は、見つからない。



(力が、ないッ…!)



どんどん増大していく大樹、虹色の障壁が持つのはどれくらいか?

あの大樹が放たれれば、人も、動物も、森も、毒に犯され死んでいくだろう。

大樹を破壊できたとしても、





(どれほどの命が奪われるか…!!)





絶望に拳を震わせていた時だった。






黒い鬼が現れた。





銀色の大樹も、虹色の障壁も、黒灰と化して消え失せた。

絶望を消したその鬼は、闇のような肌と灼熱の赤い目をしていた。

優美な笑みを浮かべた鬼の足元は、黒く、赤く染まっている。



(あれは、)



絶望など、生ぬるい。




変えられない。




変えられないのだ。










「どうした、春風。」

「ッ!」



かけられた声に、春風は言葉を続ける。



「異国の鬼の腕は、我らで仕留めました。」

「…ほう。二人で?」

「はい。」

「そうなのか?紅羽。」



紅羽は、長の言葉に頷いた。










『殺す、生かして帰すものか』



灰色の小鳥が、灰色の鬼の手の中でもがきながら、紅羽と春風を禍々しい闇色の目で睨み付ける。

その視線、言葉、全身から、呪殺の気が吹き出している。



『バケモノめ、何故殺さん?!殺し屋どもが仲間を引き連れ、キサマを殺しにやってくるぞ!ワタシの子をッ、ラユシュを殺しにッ!!』



「無理さ。」



黒髪と青い目の少女、青柳あおやぎがハンッ!と鼻で笑う。



「どうせコイツをどうにかなんて、できやしねーよ。おい、赤髪…!…………、ええと、…じゃあ、オッサン!」

「オッサ…」

「絶対ッ、二度とッ!ここに来るなよ!!他のヤツにも言うなよ!!こんなクソ鬼どもがッ!のうのうとッ!のうのうとおおッ!生きていることをおおおッ!」



青柳は両拳を握りしめ、ものすごく悔しそうにそう言った。

そして、



「もし…」



「もし、あんたたちのせいで、ここが踏みにじられるようなことがあれば、オレは、絶対に許さない。」



そう言った。



紅羽と春風は、その言葉に返事を返さなかった。








ボ、ボッ






春風の腕から、青紫の炎が上がった。



「―!?」



頭を、肩を、なめる炎。

熱くはない。

だが、身体の力がごっそりと抜け落ち、春風は床に突っ伏した。



「嘘か。」



長がポツリと呟いた。

見れば、紅羽の身体も青紫色の炎に全身を包まれている。

紅羽は、青白い狐を睨み付けていた。

床についた手は、ガクガクと震えている。

狐は、目を細め笑っていた。



「どういうことだ?偽りをオレに言うとは?」

「これ…は、なんです、カッ?!」

真贋しんがんの火だ。さっき飲んだだろう。飲んだ者が、真実を言っているのかがわかる。真実を言っていれば何ともないが、偽りを言えば、その者を燃やす。…命を燃やすのだ。」



(あの水かッ…!)



「妙な感じがしたんで、とりあえず飲ましてみた。オレの勘の良さは知ってるだろう?」



長は立ち上がり、床にうつ伏せていた春風に近寄ると、肩に足を差し入れ、乱暴にひっくり返した。



「…何を隠した、春風!!」



長は、春風の頭を踏みつける。



「グッ!」

「早く言わなければ、……おまえの命、燃え尽きるぞ?」



(この、勘、とか、いっつも、いっつも、ほんと嫌な上司だぜ。)



長は、勘が鋭い。

その勘に、一族の者は何度も助けられ、魑魅魍魎との戦いを生き抜いてきた。

そして、その勘に、振り回されることも多々あった。





(言うか…)



(死ぬとか冗談じゃない。)



(だいたい、あんな危険な鬼を報告しないとか、あり得ない。)



報告をして、対策を考えなくてはいけない。

早急に。

国を守るために。

大切な家族を守るために。



けれど、



(あの子が、なあ…。)



あの青い目をした少女は、命を賭けて、黒い鬼を止めた。



灰色の鬼と、赤ん坊になった銀髪の鬼と、赤いオオトカゲを見て、声を上げて泣いていたあの子供。



あの子供は、守ったのだ、大切なものを。



そして、自分たちも守られた。




あの子供の大切なものを奪うことが、正しいと、春風には思えなかった。

絶対に許さないからな、と言った時の青柳は、似ていたのだ。




春風を押さえつけていた、足の重みが消えた。




「どういうつもりだ、紅羽。」




転がる春風を庇うように、紅羽が立っていた。

長の前に立ちふさがり、睨み付けている。

紅羽の身体から、青紫の炎が羽のように燃え盛っている。



「…オレの部下を、足蹴にしないでいただきたい。」



表情のない人形のような顔、その茶色の目に、火色が弾け、青紫ではない、赤い炎が紅羽の身体から、吹き出した。



「長であろうと許さない。」



(やめろ!!若ッ!!)



春風は紅羽の袴の裾を掴み、声を上げようとするが、喘ぐだけで言葉が出てこない。



「…いいな、いい度胸だ。……小僧。」



長の手に、黄金の炎が現れた。






「待ってくださいよ。」






目を弓のように細めた狐が、口元を着物の両袖で隠しながら、ひょこひょこと近づいてきた。


「喧嘩しなくたって、ちゃんと本当のことを言えばいいんですよ?そうすれば、坊っちゃんたちについた火は消えますよ。喧嘩で御屋敷が燃えてしまうだなんて、バカみたいじゃないですか。」


(このクソ狐、てめーが変なもの飲ませたせいだろ!元凶がいけしゃあしゃあ言ってんじゃねーぞ!)



「春風さん」



狐の顔が、息のかかるほど近くにあった。



「早く本当のこと言えば?」



嗤う桃色の目。


あ、声が出ませんか、これならどうですか?という言葉と共に、青紫の炎が弱まる。




「…………異国の、鬼、腕はッ、」





異国の鬼の匂いがした老人は、

鬼に喰われた、



枯れた腕となり、

そして、

どうした、




虹色に、守られた、





「腕は、消えた」





異国の鬼は、

老人は、




黒い鬼が、





「くろう、が、消しました。」





断定的な、真実。






青紫の炎は、消えない。





(ダメ、か…!)





春風の視界が激しく揺れた。

狐の顔が上下に激しく揺れた。

狐が、口をパカリと開けた。




「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアー!!!!!!」




けたたましい叫び声が、響き渡る。




「くッ、く?…くロ…う…だ、…と?」




狐は、桃色の目をかっぴらいていた。




「黒朗だとッッッ???!!!」




あ、コイツ、と春風は思った。




「そいつの、目の色は?」




「赤?」

「アカアアアアアアアアアア??!!!」




知っている。




「いや、黄色でした。」

「ふグぅぅゥううッーーーー!!!!!!」




黒朗を、知っている。



春風と紅羽の身体にまとわりついていた、

青紫の炎が消え去っていた。










「はァー、ばれちまいましたねぇ、若。」



長の屋敷を出ての帰り道、石段を下りながら、春風はため息をつく。



「しかし、驚きましたよ。あの鬼と狐仙人が知り合いとは。…しかも、あの怯えよう。」



何があったのか…。

狐仙人の弱味は知りたいが、……聞きたくない。



「まあ、良かったですよ。何があったのかばれちまいましたけど、正しく恐れてくれるヤツが、上役にいてくれて。


………アイツは、手を出しちゃいけないヤツだ。」




紅羽の歩みが止まる。


「…………。」

「どうしたんです?若 。」


赤い子犬が、石段を登ってくる。

ハアハア、いいながら登ってくる。

紅羽の足元で口を開く。



〈くろがふめえ〉



子犬はそう言って、紅羽と春風の足元を駆け回り始めた。



〈ゆくえふめ〉



〈くろうさがして〉



〈ふくをゆくえふめ〉



紅羽は、子犬を両手で掴み上げた。

子犬は、赤い文字が書かれた一枚の紙に変わる。


(青柳からの式神か、何であんなんになったかな。)


竜泉村からの帰り際、紅羽は青柳に紙の束と、筆と、赤墨の入った小さな壺を渡した。それは、連絡用の式神道具。

紙に文字を書くと、それは式神の姿をとって目的の場所へ届けられる。

本来ならば、赤い成犬の式神になるはずだが、ころころした子犬になってしまっている。


(力がなくても使えるはずなんだが、…あの子の血筋と相性が悪いからか?)


御堂みどう家。


滅魔の五大家、水性すいしょうの力を操る一族。

その一族の守護神、水嘉多月みなかたつきが、彼女の側にいた。



(一族を守る神が、あの子の側にいる。しかも、弱体した状態に見える。何があるのか。

…あそこの当主は、気に食わなかったが、胸糞悪いことだろうがな。)




独りごちる春風の後ろで、奇声が上がった。




「くくくくくろうがどうしたというんですー!!!!」




二足歩行の狐が、ワナワナ震えている。




「やめてくれッ、聞かなかったことにしたいのにッ…!」




春風は、呻いた。

やっと、鬼の腕の探索の旅から帰って来たのだ。

家に帰りたい。

愛する妻と子供達の顔が見たいのだ。

大魔神の動向とか、知りたくない。

家に帰れなくなるじゃないか。


「………。」

「こっちに手紙向けるなバカ!あ、間違えた。いや、間違えてねぇ!ぐおッ!押し付けないでくださいよ、若!」

「ハァハァ、それを見せなさいッ!!ふくを?服、を?

………………………………………まずい。」


狐は、紅羽から引ったくった手紙を読むと、叫んだ。


「ヤツを止めるんですーーーーーー!!!!」












『………?』




黒朗は、首を傾げた。



『何を余所見している。』



灰色の小鳥が、くちばしをカタカタ鳴らし、低い声で唸る。



『この、戦場で…!』



空を貫く山の先

足元を流れる雲海


雲の流れてくる上空、わきたつ雲の間から覗く、敵意の目。


山程の大きさの、巨大な白い虎たち



『ククククッ、キヒヒヒッ!!デカブツどもめ、どちらが上か、教えてやるわ!!』



禍々しい闇色の目を見開き、黒朗の頭の上で大興奮する小鳥。



『…何か、違うぞ。』



ため息をつき、

けれど黒朗は、腕を1本、黒色に染めた。



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