第38話 地の国

闇色の身体に、灼熱の赤い目。

黒い炎のように揺らめく髪からのぞく、

一本の黒角。

突如現れた黒鬼。



闇が常の地の底、そいつが歩いた道の後ろは、凶悪で異端な赤色に染まる。

地底に暮らす者たちが造り上げた道が、建物が赤い熱に呑み込まれて、溶けて消えていく。

人間に地上を追われ、300年。

光も、水も、食べるものも、何もかもが失われ、それでも生き抜いてきたその跡が、消えていく。

その命さえも、今消えていく。



【助けてェ……!!】



逃げる魔物たちの身体から、頭が一瞬で消えていく。

音をたてて、地に落ちる身体。

小さな魔物の子が泣き叫び、その子の姿が消えた。

物言わぬ骸の転がる黒石の道を、黒鬼が歩いてゆく。



【くそッ!ちくしょう!!】



地に伏した、右足首と左脚を失ったジ・タラが叫んだ。

その身に纏う、どんなものも貫く針山は、折れて、青い血に汚れ、無惨だ。



(ヤツを知っている。)



ジ・タラは幼子の時に見たのだ。

まだ、地上にいた頃のこと。

赤い灼熱が、闇色の空を照らした。

黒く染まった大地の上で、多くの生命が黒灰となって消えていった。

ジ・タラの家族も、一族も消えた。

その黒く赤く燃える大地の上に、

赤い目を輝かせて、黒い鬼が立っていた。



(忘れねぇッッ!!)



【ウオオオオオオオオオーーーーーー!!!】



地の底へどんどん進み、魔物たちを殺していく黒鬼に、ジ・タラと、魔物たちは襲いかかった。



【!!】



ジ・タラの身体は、斜め下の半身が消えた。

他の魔物たちは頭を消されていた。



【速すぎる…!何をされた?】



ジ・タラと魔物たちの身体は、赤い溶岩の河の中へと落ちていく。

ジ・タラの身体を、青と金色の混じった腕がひっさらった。



【タ・カラン…!】



昆虫のような頭を持つ人型の魔物、タ・カランだった。

頭の上の2本の触覚が、上に下に動く。



【ようやく外に行けると思っていたら、とんでもないものが入りこんだな。】



タ・カランは、口をむしゃむしゃと動かしながら言う。

あたりに散乱していた魔物たちの下半身は、いつの間にか消えていた。



【アンタ、食いやがったかのか、こんな時によぉ…!】

【こんな時、だからよ。食わなけりゃ、生き残れんぞ。ここは仲間すら食べて生き延びる、そういう場所…】



タ・カランは、むふーッと鼻息を吹き、胸を張る。

彼の身体が、ムキムキと膨れ上がる。



【力が漲ってきたわい…、これならば。】



タ・カランは、そう言うと、消えた。



切り裂くような重低音が響きわたる。

黒鬼と青くて金色の魔物が、拳を撃ち合う。

拳の衝撃で、周辺の壁や道が砕け消えた。



【タ・カラン!!】



叫ぶジ・タラと、他の魔物たちの頭が消えた。



『なぜ、触れられる?』



黒鬼は、タ・カランの拳が己の黒い手に触れたことが、よほど不思議だったらしい。

赤い目を見開いていた。

タ・カランは、当然か、と思う。

この黒い手は、たくさんの命を消してきた。

神さえも、滅ぼしてきたのだ。



【いや?熱くて、痛くて、たまらんわい。】



黒鬼の拳を握りしめたタ・カランの手の甲から、青白い星のように輝く曲刃が現れた。

それは黒鬼の側頭を斬りつける。



『!』



鬼の頭は斬れない。

けれど、黒い耳に小さな傷、赤いものが見える。



『………。』



微かに目を見張る黒鬼に、タ・カランはもう片方の手にも同じ曲刃を出し、鬼の首を両手の曲刃で一閃した。



斬れない。



鬼の身体が、少し欠けるだけ。



斬る。



黒鬼が、身に纏う黒い長布で他の魔物たちを屠ったように、タ・カランの首を狩ろうとするのを、避けながら、ただ斬る。

斬り続ける。



斬れない。



鬼の動きは、タ・カランに見える。

だが、鬼はとても硬い。

僅かに付けた傷口からのぞく、溶岩のような禍々しいモノに、寒気がする。



斬る。



タ・カランは、全身を青白い星色に光らせた。

全身に幾つもの刃を現した。



斬る。



黒鬼は、タ・カランの刃に、身体に、傷さえもつけられず、避けるだけ。

小さな傷が、黒鬼を覆いつくす。

小さな傷は広がり、黒鬼の片方の腕が、ぐらり揺れて地面に落ちそうになり、鬼はその腕をもう片方の手で押さえた。



(斬れそうだ。)



タ・カランは、ニヤリと笑い、さらに身体を青白い星色に光らせた。

身体の奥底から、あの、食えない力を引き出した。





タ・カランは、この鬼を知っている。

この鬼は、ジ・タラと同じように、タ・カランの家族も一族も、生きていた場所も奪った。

タ・カランは、地上から、地底に追いやられたあと、ただ、求めた。

強者を。

タ・カランは、閉じ込められた地底で、強者を求め、戦い、戦い、戦い続けた。

戦うために、強くなるために何でも食った。

食糧の少ない地底で、力になりそうなモノは何でも糧とした。

共に暮らす魔物も、汚泥も、毒も、呪いも。

ある日、光る石の群を食った。

そうしたら、誰よりも強くなった。

少うし、手に負えない、時折、頭がイカれてしまう、そんな力だったが、かまわなかった。



タ・カランからすべてを奪った、あの黒鬼の力。

恐ろしい、

圧倒的な力。



あれが、



本当に、



【欲しくてなあ。】



黒鬼から距離をとったタ・カランは、胸の前に、青白い光る球を現した。



【これを受けとめられるか?】



放たれた青白い光球は、黒鬼を貫く光矢となる。

黒鬼は、腕の傷を押さえていた手を離した。

腕の傷は、まだらに塞がっている。

黒鬼の黒い身体から、どくり、銀光が枝葉のように浮かびあがる。

黒鬼の右肩の上に、赤く燃える鱗片が散りばめられた銀色の光の球が浮かぶ。


ふい、と放られた鬼の光球は、震えると、一瞬で巨大な球となり、向かってきたタ・カランの矢の光球を飲み込み、タ・カランも飲み込んだ。



音もなく、



タ・カランは、光の中で、ぐしゃぐしゃになっていく。







かたかたん…





光が消えて、





地面に落ちたタ・カランの身体は、干からびた肉片となって落ちた。



【……】



タ・カランの目の前を、赤い溶岩が流れていく。

周りに、生きて動く者は誰もいない。

魔物たちの国は、元の形が見る影もなく粉々に破壊されていた。

何もない地底で、魔物たちが造り上げてきた街。

闇を友に、微かな青光をしるべとしたその場所は、死の黒と破壊の赤に、押し潰された。

赤い溶岩が、ごぽり、ごぽりと呻く、そんな音だけが静寂の中に響く。



【……】



黒鬼が、音もなく近づいてきた。



【……】



優し気な笑みを浮かべながら。

昔と同じ。

すべてが同じ。

どれだけの年月が過ぎようとも。

変わらない。

変えられない。



【ジャージィカル……】



黒鬼の足が止まる。

タ・カランは、ありったけの力を振り絞って動こうとした。



【おぬしを……、倒す…】



けれど、身体はもう動かない。



【わしは、おぬしより、強く、なる…】



声は、小さく掠れて震える。







音が、あたりを揺るがした。

高く低く、おぞましくも美しい、その声は…







【サーチャー…、】



(懐かしいのう、300年ぶりに聞く声よ。)





すべてを失い、地上をさまよったタ・カランたち魔物が出会った巨神。

言葉も、何もかもが通じない、荒ぶる神。

地底の奥底に、300年、封じられた神。



黒鬼とタ・カランのいる地面が砕けた。

下に広がる、赤い灼熱。













黒鬼は、崩れた地面の底に落ちていく。

底に流れる赤い溶岩の中、音をたてて消えていく岩盤の群れをよそに、ふわりと赤い溶岩の上に乗る。

ペタリ、ペタリと、黒い足で歩く。

手に持っていた、黒靴を上に放り投げた。

宙をはためく黒い長布が、黒靴を飲み込み、闇の中へと消え失せた。








また、響く。

あたりを揺るがす、その声。







『…4つ目…。』



ぐるりとあたりを見回す、黒朗くろう

黒朗は片足を上げ、足元の赤い溶岩の河を踏みつけた。

甲高い音が鳴り響く。



『行け…。』



赤い溶岩が上に下へうねると、黒朗の周りで、3本の火柱が上がる。

それは、黒朗を飲み込んだ。



地底を縦横無尽に突き進んだ赤い灼熱は、たどり着く。



飛び込んだ先にあったのは、無音の闇。

深い、深い、闇の奥底へ。

なだれ込んだ赤い灼熱は崩れて、闇に溶けて消えていく。



巨大な邪悪が、そこにった。



大きな、大きな、その黒の巨神は、小さな黒鬼を見ると、高く、禍々しい巨大な声を発した。

タ・カランにつけられた刀傷が、メキメキとひび割れて、黒朗の身体が砕けていく。



『ふッ…』



笑い声を上げた黒朗の全身が、灼熱色に染まる。

緋色の去ったその身体からは、ひびが消えている。

巨大な黒い目玉が、小さな来訪者を見つめる。

限りない悪意と憎悪。

生命ある者ならば息の根を止め、あるいは発狂するそれに、黒朗は微笑んだ。



《 Ⅸ Ⅷ 》



巨神が、甲高く、低い音を発した。



首まで闇にのみ込まれた、黒い、黒い、巨大なその神から、薄暗い球が、幾つも生みだされた。

捻れた黒い物体を纏うそれは、空間を埋め尽くし、黒朗の身体に触れると侵食し始めた。



《 Ⅹ Ⅹ Ⅸ 》



闇の空間の天井から、黒い糸のようなものが巻きついた巨大な2本の黒い腕が現れ、黒鬼を襲う薄暗い球ごと握り潰そうとする。

眉間にシワをよせた黒朗の身体から、チリチリと燃える赤い炎が現れた。

赤い炎鱗に包まれた銀色の光球が、黒朗を包みこむ。

それは、侵食する薄暗い球を、巨神の両手を押し返す。

崩れない均衡。

空間がぶれる、引き伸ばされ、潰れる。










それは、音も無く捻れて、切れた…









巨大な神が叫ぶ。

闇を割って、巨大な脚が、切れた黒い糸を纏いつかせながら飛び出す。

巨神は、ぎち、ぎちり、ゆっくりと上半身を起こしていく。








(封印が、解ける。)










闇のなか、



巨神の手足にまといつく、

黒い糸…

幾つもの糸が連なるその先端から、



金色が、きらり、きらり、

こぼれている






(誰だ)





(封印を解いているのは…)












灰色の髪をなびかせて、少年は歩く。



魔の森を。

黒刃の斧を引きずりながら。



少年の前と後ろ、魔物たちがともに歩く。

少年にはわからない音で、魔物たちは歌っている。



襲ってくる人面の黒い牛のような魔物たちを引きちぎりながら。

襲ってくる人間たちを引きちぎりながら。



みんなで、歩いて行くのだ。









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