第34話 歩く道

灰色の布がたなびく。



その手に握りしめ、引きずる。



土埃が風に舞う。



誰もいない、晴れた街の道



少年は、歩く。










街の有り様は、変わってしまった。



人通りは少ない。



黒砂病にかかった人間は、魔物になる。

人の消え跡に残る黒砂は、魔物と化した身体の欠片。

化け物と成り果てたものは、結界の外へと弾かれ、そして、人間を喰って生きていく。

そんな話が、広がる。



皆恐れていた。



「いやよ!!あんなバケモノになりたくない!!」


「恐ろしい、なんて、恐ろしい…」


「ひどい話だよ!ひどいはなしッ…!」


「原因は、何だ!?一体何なんだよ!!」


「魔物は、元々俺たちの街のヤツってことだろ?そいつらが、俺たちを喰ってきてさ、俺たちはそれを殺してきたってことかよ…?!」


「教えてくれよ、誰かッ…。おれは…、母さんを、殺したのか…?」


「なんでッ!どうしてこんなことに…!」


「どうすればいいんだ!いつか私も病にかかるのか?!あんなケダモノになって、そんな…!!」


「助けてくれ、誰か、誰か、お願いだ、助けて」


「ねえ、母ちゃん、父ちゃんは、あのなかにいるの?」



結界の外にいる、黒い魔物の群れを指差す、

小さな手。

女は、子供を抱え走り去る。

魔物たちの大きな黒い目、

なんの感情も見つからない目、

それが、こちらを見ている。

じっと見ている。

人々は、逃げるように背を向け、家路を急ぐ。

そして、扉を閉めるのだ。

固く、硬く。



皆恐れている。



黒砂病にかかった人間のいる家で暴れた男がいた。

病人を殺そうとしたのだ。

魔物から街を守っていた兵士たちは、凶行に走る者たちを止めなければならなくなった。



「殺せ」


「病にかかったヤツは、殺してしまったほうがいい。」


「必ず、結界の外に弾き出されるのか?」


「殺してしまえ!!」


「そんなの、誰が言い切れる?!」


「生き残るために!!」


「わたしたちを襲うかもしれないじゃない!」


「殺せ!!」


「そうだッ、それが正しい!!」


「仕方がない!!」


「殺してしまえ!!」




恐れて、不安で、叫び、




そんな街を、少年は歩いていく。









「コレウセ…、何してるの?」




聞き慣れた声に顔を上げると、赤紫色の目をした少年が立っていた。


「ルウス…、よお…」


コレウセは弱々しく、片手をあげる。

彼は、街のはずれ、広がる草原に座り込んでいた。


「クローを、探してる。」

「…なんで?」

「マアリさんの病気が治ったじゃないか、あんなの初めてだろ。」


黒砂病にかかった人間は、治らない。

最期には、一掴みの黒い砂を残して消えてしまう。

魔物となって、街から消えてしまう。


「アイツじゃないかな、って思うんだよ、オレ。何でかわかんねーけど。アイツさ、変なこと言ってたんだ、空から来たって、着てた服も見たことないキレイなモノだったし、もしかして神様…」

「ははは…」

「笑うなよ!アイツが何か知ってるかもしれない。確かめねーと!魔物になる病気なんて、冗談じゃねーよ!」

「そうだね、とてもひどいことだ。」


コレウセは、ルウスを見た。

風が、彼の灰色の髪を、僧服をなびかせる。

ルウスは、静かに微笑んでいた。

灰色の布に包まれたものを片手に引きずりながら。



「ルウス…、大丈夫か?」



風が冷たい。



(おかしいな、さっきまで)



「コレウセ?!」



(すごく熱かったのに)



コレウセは、腹を押さえる。

黒く硬く変化してしまった肌を押さえる。



(あと、どれくらいだろう、オレが人間でいられるのは…)



コレウセは、家を出た。

母には、置き手紙をした。

結界のおかげで、魔物になっても街で暴れることはない、そうわかっていても、母を喰いちぎる可能性が否定できないからだ。



けれど、黒砂病を治し、人間であることを諦めたりしたくはない。

だから、探している。

可能性クローを。

不安と、恐怖と、苦痛に震えながら。


「魔物になったら、忘れちゃうんだろうな…。」


人間を襲い、骨も残さず貪り喰らう魔物の、

無感情な黒い目を思い出す。


「人間だった時のこと、忘れたくねーよなぁ。」

「……。」

「おまえのことも、忘れたくねーなあ。」

「……。」


ルウスは、コレウセに肩を貸す。


「ここからなら、神殿が近いよ。そこで休んだほうがいいよ。」

「すまねえ。」


草原にある、小さな白石造りの神殿。

古くて、大男が体当たりしたら崩れ落ちてしまいそうな、女神タラの神殿。


神殿にたどり着いたルウスは、コレウセを石造りの壁に寄りかからせると、神殿の中央にある神体の直径1mほどの石板に歩み寄った。



「それ、何て書いてあるんだ?」



石板に刻まれた文字は、コレウセの知る文字より、難解な造形をしていた。

以前見た時、コレウセは見ただけでくらくらしたものだ。

けれど、今は何故か気になった。

頭が冴えている。

そして、肌がひりつく。


「…呪いだよ。神を封じる魔術文字さ。」

「と、じこめてんの?神様を?」

「そう、神様を閉じ込めてるんだ。僕の先祖がね、神様を騙した。利用するために。自分たちのために閉じ込めた。」

「それは、結界、のためにってことか?」


コレウセは、荒い息を吐きながら、呻いた。


「そうだよ。僕たちのいる土地は、人が住める場所じゃなかった。」


昔、街ができる前、この地は魔境と呼ばれていた。

大地の奥底からわきだす、異形の魔物たち。

彼らにとっては、力なき人間は、ただただ、いい食糧であった。


「悪魔は…。それは、今もこの街の下に生きている。」


ルウスのつぶやく声は、冷たい石造りの神殿の中で、はっきりと聞こえた。


「もし、神様がいなくなってしまったら、僕たちは生きていけない…。」


コレウセは、熱い思考の中、ルウスの言葉を考える。


(ひでえ、話だな…。)


ルウスが身動みじろいだ。


(神様、怒ってるんじゃねーか?)


その手にあった灰色の布が、さらりと床に落ちる。



(え)



現れたのは、一本の斧。

木の柄と、黒い刃の斧。

木の柄は、奇妙な顔のようなものが象られていた。

落ち窪んだ黒い眼窩、叫び声をあげそうな口元には、金色の牙、彩る金色の紋様。




ルウスは、斧を振り上げた。

向かった先は、石板。

神殿内を、割れるような音が走り抜ける。

無数の金色文字が、あたりに浮かび上がった。

ポロリとひび割れた石板。



(ルウス…?!)



ルウスは、金色の文字を見ると、幾つかに斧をぶつけた。

甲高い音をたてて、空間から金色の輝きがひとつ、ひとつと消えていく。



「や、やめろッ!!ルウスッ…!!」



徐々に割れていく石板。

割れ目から見える暗闇に、とてつもなく嫌な予感がする。



ルウスは、何と言った?

神様を騙した?

神様を利用して、魔物を封じた。

あの石板が壊れたら、

きっと神様が出てくる。

封じた魔物たちが出てくる。

そうしたら、



「ルウスッ!!街のみんながッ!!」



ルウスは何も答えない。

ただ、斧を振るう。

金色の文字を消していく。



「どうしちゃったんだよ、ルウス!」



いつも優しい、穏やかな笑みを浮かべるルウス。

美しく、賢く、強く、コレウセは何も敵わない。

街の人にも好かれ、将来は、立派な族長になるだろうと…。

誇らしい友人。



「だって、正しくない…。」



ルウスは、コレウセを振り返らない。



「騙して… 利用して… 」



コレウセは、ふらつきながら、ルウスに駆け寄った。



「やめろッ!」

「ずっと…」



ルウスは、腕にかけられたコレウセの手をものともせず、黄金の文字に斧を振るう。



「神様の犠牲の上で、生きている。」

「やめてくれ!!」



コレウセは、ルウスに拳を繰り出す。



「笑って、生きている…。」



ルウスは、ひらり、ひらりとかわす。



「だからって、みんな死んじゃうじゃねーか!!おまえはそれでいいのかよ?!」



叫ぶコレウセをルウスは蹴り飛ばす。



ルウスは、斧を最後の文字に振り下ろした。



最後の文字が消えた瞬間、

空間から音が消えた。

無音の中で、石板が崩れ消えた。

現れたのは、黒い穴。

深い、深い、底の見えない暗い穴。



穴から噴き出す、

黒いけむり。

それは、神殿の床に広がっていく。



(あ)



「アアアッッ!!」



床から起き上がろうとしていたコレウセの、

けむりに覆われた下半身が灼熱を持って、黒い魔獣のそれとなった。



(オレ)



コレウセの、上半身を黒がかけのぼる。



(あ)



焦げ茶色の髪が、目が、黒く染まっていく。

こちらを見つめるルウスが見えた。



コレウセは、手を伸ばした。



その手にも黒が走る。






母と




父と




友が




思い出が




生きた記憶が






消えていく











コレウセの米神に、ぐるり、天を突く黒角が生えた。



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