第47話 月色

ゴポリ…



木々を燃やして、なぎ倒して、



ゴポリ…



岩を崩して、大地をのみ込む。



ゴポリ…



灼熱の、赤い潮に流れる



ゴポ…



沸き立ち消える、灼熱の泡が、















動きを止めた。









赤いそれは、ぐるぐると渦を巻く。



のけぞって、



そうして、空へと駆け上がる。





『ⅨⅥ…』





闇色の巨神めがけて、燃え落ちる星のように。





「ーーッ?!」





横切る灼熱の火玉の群れに、青柳あおやぎは目を見開いた。



火玉は、薄闇の光る霧を散らした。



黒い螺旋を砕いた。



闇色の巨神の身体を撃ち抜いた。



そして、地に落ちていく。

同じ場所へ、落ちていく。



巨神の悲鳴が轟き、

強風吹き荒れる中、

青柳は、火玉が落ちる場所に目を凝らす。





(これは)





無数の火の星が落ちて、



散って、



散って、





(まさか)





散って、



散って、





「!!」





暴風が、青柳の身体を掴んだ。

その身体は、水色の大蛇の外側へと投げ出された。





【青柳!!】





落下しながらも、目を凝らす青柳は、見つけた。

薄闇の霧が消えて、現れた焦土。

砂塵が舞う、その大地の上に立つ者を。





「!!」





夜闇色の身体、陽炎のように揺らめく黒髪からのぞく黒い一本角。

たおやかな美しい少年の姿で、恐ろしい威圧を放つ鬼がいた。





黒朗くろう…!」





青柳の呟きと同時に、黒い鬼は青柳を仰ぎ見た。

その目は、黄色、





満月の色だ。





(赤くない)





黒鬼となった黒朗の目は、赤い。

黄色の目をしているのは、灰色の鬼の時、

どうしようもなく大災害な鬼が、ちょっとマシな時の色だ。





(笑ってない)





黒鬼の時に浮かべていた、あの優し気な微笑みが、なかった。

むしろ、灰色の鬼の時のように、無表情に見えた。

そんな顔が、どんどんどんどん近くなり…。





(て、わ、)



「ギャアアアアアアーー!!!」





黒く焼けた大地が、落ちる青柳の顔面に迫る。





「!!」





が、ぐぐっと、その身体が地面から引き離された。

青柳の両足に、黒い大地から伸びた黒くて長いものが巻き付き、宙に青柳の身体をぶらぶらと下げている。





「!?」





驚く青柳が足を動かすと、それは土へと崩れ、青柳はどさりと地面に落ちた。





(いってエェーーーーーー!!)





顔を押さえて呻く青柳の目の端に、黒い足の先が見えた。

爪まで黒いその足に、ふと、思い出す。

以前、黒朗が黒い鬼になった時、己がどうなったかを。





(オレ、焼かれた)





黒い鬼の発する熱に、黒炭と化したことのある身体が、忘れることの決してできない恐怖に震える。





(まずいまずいまずいまずいまずいオレ逃げねーと)





恐怖と焦りに、だが元凶から何故か反らすことができない青柳の目線は、上へ、上へと上がっていく。

黒い爪の先から、美しく筋肉のついた黒いすね、そして艶かしい黒い太腿へ…。





(ちょ、)





なんだかおかしいと思ったが、青柳は止められなかった。

そして、見てしまう。







(お)







「まえ服を着ろオオオオオオオオーーーー!!!」









黒鬼は全裸だった。







『…………。』





黒鬼は自分の姿を眺めて、青柳を見て、そして長いため息をついた。

物騒な火色を帯びた蒸気のような吐息が、辺りに広がる。

青柳の視界がはっきりした時には、黒鬼は異国風の黒服をその身に纏っていた。

ゆったりとした黒服に、赤石の嵌まる黒い首飾りと、黒い耳飾り、そして腕には、優美な出で立ちに合わない武骨な黒い籠手があった。





(見たことあんなーー、本とかで。神様とかの絵姿にーー)



「ダメだッ!!全然ダメだッッ!!」





青柳はその姿を力一杯否定した。





「何で上半身裸なんだよ?!オマエ色気がまずいんだよ!!襲われるよ?!熟女に!!熟おっさんに!!」





こてり、首を傾げた黒鬼の上半身に、パッと、宙に現れた黒い布がふわりとかかった。





「それ透けてるじゃねーかッ!!隠せてないからな!!何なんだ?!どうしてそんなに見せたいんだ?!」





首をまたひねった黒鬼は、ちょっと考えたようだった。

再び、パッと現れた厚手の黒い長衣が、ふわりと鬼の身に巻きついた。





「よ~し!!!それだッ!!それがいい!!」

『……。』





やっと身をきっちりと隠した服になった黒鬼に、安堵の息をつく青柳は、気がついた。





(?!)



「オマエ…、黒朗か…?正気のままなのか…?」





呆然と呟いた青柳の目を覗きこんだのは、

黄色い目、満月色の目ーー。





『オマエは、本当にうるさい。』





そう言った鬼の、その目に浮かぶ感情が、青柳にはわからなかった。

けれど、無表情な、見慣れた鬼の顔に、青柳は口を開く。





「うるさいついでに、言ってやるよ。きっと他のヤツは言わないんだろうから、言ってやる…。」





青柳の緩む口元が、笑みを形作る。





「オマエが生きてて、うれしい」

『……………』





黒い手が、青柳の顔に伸びていく。





「怒るか?」





視界を遮る黒い指の間から見えた鬼の無表情の顔に、なんとなく青柳はそう言った。

黒鬼の満月色の目のなかで、火が、踊っている。





「でも、うそじゃないぜ?」

『……………。』





黒い指先は、青柳には触れずに通りすぎた。





ぱさり





青柳の身体にかかったのは、灰色の長衣。

月の色が滲む衣だった。





『ウソのほうが、どれだけよかったか…』





耳に届いた鬼の声が、聞いたことのないほど悲し気で、





『青柳は、愚かだ。なんて愚かな人間だ…。』





怒りに満ちていて、





(黒朗…?)





そして、鬼は消えていた。























赤い蒸気の渦巻くなかから現れたのは、黒い鬼。

その姿に、闇色の巨神は愕然としていた。



終わりとなるはずだったアレが、

巨神の力をすべて覆したのだ。



そして、現れた者、



この黒は、違う。



元の姿と同じだ。

だが、同じ姿なのに、



コレは、ちがう。

コレは…







黒鬼の目が、闇色の巨神を映した。

満月色のそのなかに、灼熱の炎が踊る。



闇色の巨神が伸ばした腕が、黄金色に弾けた。



ブクプクと煮立つ灼熱の黄金へと変わったそれは、焦土と化した黒い大地に降り注ぐ。

轟音のような悲鳴が響いた。





『ⅧΘⅨーー!ⅧΘЮЮーー?!』





巨大な黒い螺旋の光球が、黒鬼に向かって放たれたが、霧散し、巨神の足が、また、黄金色に弾けて消えた。

巨大な闇色の神は、地響きを立て、黄金色の海に倒れ伏す。





『ⅨΘδΗⅡⅥΘⅡδⅥⅩδΘⅥ…!!』



『…驚くか?ずっと、制することが難しかった。それだけの話だ。』





黒鬼は、無表情に呟き、黄金の海に倒れてのたうつ、闇色の巨神を眺める。

巨神の身体は、沸々と、黄金の灼熱に侵され溶かされていく。





『だが、今はそうでもない。オマエだけを壊すことができるだろう。ただ、それだけのこと。』





黄金の雫をのせた風が、雷雨のように、四方八方を暴れ回る。









『それだけが、できなかった。』

















『ーー黒朗!』





青柳は、灰色の鬼をそう呼ぶ。



(クソ鬼、と、呼ばれたことのほうが多いだろうか?)



青柳も他の生き物たちのように、鬼である黒朗を恐れている。

鬼を忌避するそれは、弱い人間として当然のことだ。

けれど青柳は、黒朗を真っ直ぐと見た。

あの青い目はーー。





そうして、呼ぶ。





灰色の鬼を、呼ぶ。















ジャージィカル、〈黒の暴虐〉





メタンカラ、〈火怪〉





マクチュリスハ、〈悪魔王〉





様々に、呼ぶ者たちの声はあったのに。









青柳の呼ぶ声は、黒朗のなかで、掴みあげる。





黒朗から『黒朗』という存在を、





掴んで世界に縛りつける。





鬼だけでは、悪魔だけではいられない。





死と、灼熱の、破壊の権化だけではいられない。





ただ、大地に生きる者たちの、





隣人へと引きずり下ろす。





黒髪と青い目の隣人の元へと。





ただの黒朗として。







それは、灰と散る命の側に、灰と散らしてきた命の側にいること。





鬼としてではなく、ただの黒朗として、その痛みを回避することはもうできない。





千の、万の痛みが、黒朗を苛むだろう。





縛られた黒朗は、逃れられない。





だが、





だから、









『…何の用だ?』





黒鬼は、低い声で言った。





『せっかく生き延びたのに、戻ってくるとは、頭がおかしいのか?』





鬼の満月色の目は氷河のごとし。

笑みに歪む唇からは、ギリギリと牙の擦れる音が鳴る。

熱い黄金の暴風雨の外に見えたのは、

青白い星のような光を帯びて空に浮かぶ、何千頭もの魔物の姿。



青と金色の混じりあう昆虫のような顔を持つ魔物は、頭に生えた触覚をキュキュリと動かした。





【否定できぬな!!】





そう言って、ぬふりと胸を張った魔物は、他の魔物たちから火や、氷や、岩や、粘液や、雷の攻撃をぶつけられた。





【ふざけたことぬかすなタ・カラン!!】

【我々は、おかしくなどないぞ!!我らの神、サーチャーを助けるためにここに来たッ!!】

【そうだ!!サーチャーを離せ!化け物め!!】

【サーチャーをいじめるなあッ!!】

【イヤ、おかしーからな、テメエらァ…。】

【シー!!ジ・タラ黙っとけ!!】

【ジャージィカル!!サーチャーを解放しろ!!】

【死ね!!クソヤロウが!!】

【サーチャー!!なんとひどい!!この悪魔!!ジャージィカル!!】







『うるさい』





黒鬼が吐いた息が、小さな赤雲となり、もくもくと沸いたそれは、黄金の暴風雨を越えて上昇し、魔物の群れに襲いかかった。





『オレは、今、機嫌がとても悪い。最悪だ。』





赤雲を突き抜けて落ちてきたのは、青と金色の魔物。

タ・カランが振り下ろす青白い刃を片手でいなしながら、黒鬼は唸る。





【そりゃあいい!今度は手を抜かぬな!殺さないようにのう!】

『オレは手を抜いていない。』

【嘘をつくな、そうでなければ、ワシらはとっくに死んでおる!】

『ちがう。手を抜けば、オマエたちは、すぐに燃えて消えてしまう。』

【何?!】

『だが、』





青白い光の塊となって、落ちる星のように迫るタ・カランを、黒い腕が殴り付けた。





【クハッ!!】





青白い光は砕け、タ・カランは動きを止めた。





【グ、ヌ、か…!】

『フム、やはり、死なない。』





黒鬼の側に、ふよ、と発生した小さな竜巻は、震えるタ・カランを乗せて、空へと昇っていく。





【ジャ、】





ジャージィカルー!と、いう叫ぶ声が遠くなっていく。黒鬼は、幾分すっとした心持ちになった。





(気にくわないが、)





限りのない痛みと引き換えに得た、『黒朗』の縛りは、暴走する力を操る能力を黒鬼に与えた。





(これは、いいな。)





黒鬼は、微笑みを浮かべた。







(消さずに、黙らせることができる。)







その美しい微笑みに、魔物たちの身体は、一斉に震えだした。














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