第49話 次々の

風に巻かれ、砂塵が、黒灰が青空へと飛んでいく。

青柳あおやぎのいるほうにも飛んできたそれは、赤く弾けて消えていった。

青柳は、羽織った着物の袖を振ってみた。

黒朗くろうがくれた灰色の着物は、羽のように軽い。

そして、黒鬼の灼熱の力も、巨大な神の闇色の力も消し飛ばしてしまう。



「…………。」



青柳は、雄叫びを上げる異形の群れを見た。

黒鬼と小さくなった巨神の周りで喜びの声を上げている。





(もしかして)





青柳は、ふらり、





黒鬼のいる場所へ足を踏み出した。















「ちょっとッ!何をしてるんです?!」

「…ッ?!」



ふわふわして、あたたかなものに顔を押されて、青柳は後ろへとよろめいた。

桃色の目をした青白い狐が青柳の顔をのぞきこむ。



「もう一歩でも進んでみなさい。あのバカ共が襲いかかってきますよ。」



着物を着込み人間のように歩く狐が、扇子をひらりと舞わせた。

太くて鋭い、赤い針がいくつも地に落ちた。

遠く離れた場所から、化け物たちがこちらを伺っていた。



「アイツら、人間が嫌いなんですよ。なんですっけ?100年地底に閉じ込められてたらしいですよ…。」



化け物たちが、青柳にはわからない言葉で叫んでいる。



「あー、300年ですって!よかったですねー!人間の生き残りがいなくって!大虐殺が起きてしまうところです。」



狐は青柳の手をがしりと掴んで引っ張って行く。

化け物たちからの殺気は消えなかったが、離れていく青柳たちを追うことはしなかった。



「ちょっと待てッ!オマエは誰だ?!」

「まあまあまあ、ちょっとこっちへ来て下さい。」

「行けるかッ!!怪しい化け物には付いていくなって耳タコなんだよッ!離せ~!!クソ!!ふわふわしすぎだろッ!!てめッ!!」

「ハッ!!可笑しなことを言う人間ですね~、くくくくくくロ、くくくロ、くくくッッ!!あ、あんなあんなあんなモノにかッかわってるくせにィィィィイイ!!」



優雅な狐が、急にふわふわの毛を逆立てて震え出した。毛が針山のようだった。



(えーっ…)



青柳は化け物たちの群れにいる黒い者を指差した。



「あんなモノってのは、あれのことか?」



黒朗は、こちらを見ているようだった。



「イヤヤアアアアアアアーーーーーーーッ!!!」

「おオオオオオオ?!」



悲鳴を上げた狐が、懐から取り出した木の枝を無茶苦茶に振り回す。

宙に現れた光の渦の中に、青柳は引き込まれた。











黒い水があたりに広がっている。

石灰色の大蛇が横たわる。

その腹は裂かれ、黒い水は腹の中から溢れ出ているようだった。

黒い水が流れる先に、黒く汚れた人間がうつ伏せで倒れていた。



「これは一体…」



青柳を引きずっていた狐は呟いた。



「どういうことだッ!!水嘉多月みなかたつき!!オマエ、紅羽くれはたちを喰おうとしたのかッ?!」



青柳は大蛇の大きな頭に駆け寄り揺する。

大蛇は、目を見開き震えていた。

青柳と同じ青い目は、白濁していた。



「…腹の中に、何かがいたぞ。」



紅羽の顔色は酷かった。汗がいくつも滴り落ちる。



「まだ、オレたちを追って来ている。ゾフタルキタの助けがなければ、やられていた。」



紅羽の抱えた鋼籠では、異国人たちと小鳥が動いていた。瀕死だった灰色の小鳥の目が開いている。

空色の目は、大蛇を見ていた。



【違うんだ、青柳…】



大蛇は、呻いた。



【ボクの力は限界だった、だから鬼たちの力から守るために彼らを呑み込んだ。】



大蛇の目は、己の裂かれた腹にあった。



【まさかこんなことになるなんて、思わなかったんだ。】





黒い雫をたらし





【どうしよう、どうしよう、アア……】





大蛇の腹から伸びる





【青柳、早く逃げて】





螺鈿色の爪先を持つ黒い汚泥のような者



(ーーーーーー!!)



血肉が沸騰するかのような感覚。



青柳は腰にある刀を抜き、大蛇の腹の裂け目にいる黒い存在に向けて突き刺した。



黒いそれは、低い音をたてながら、

刀を粉砕しのみ込んだ。



【青柳!!】



螺鈿色の目、縦に裂けた金色の瞳孔。

黒いそれから飛び出した目が、青柳を見る。



「!!」



青柳は、動けなくなった。



(マ…ズイ)



黒が青柳の身体に襲いかかった。











その瞬間、青柳と黒い者の間の空間が弾けた。

そして黒い者は消え失せた。







「………は」







火花が宙を舞っていた。





辺りに飛び散っていた黒い水も、跡形もなく消え失せている。













(あ…)





青柳は、身に纏う灰色の着物に視線を移す。

灰色の布に、月色が、すっと一筋艶めいた。



「はは…」



青柳は、顔を綻ばせた。



「助かった…」





(黒朗のヤツに)





ガギャガギャガギャガギャ





(礼を)





異音に振り向いた先、







ガギャガギャガギャ





(言わ)





巨大な虫の頭があった。





(な)





2本の触覚が動く。



昆虫の頭を持つ、青と金色をした化け物が立っていた。

化け物が何かを言っている。

けど、青柳には理解できないし、







「ぎゃアアアアアアアアアアアアアア!!」







それどころではなかった。





(アアアアアアアアアアアアアアアア!!)





化け物は、青柳の倍はあるだろう大きな身体を屈めて、鋭い爪の生えた手を伸ばし、







消えた。







火花がフワフワと浮かんでいる。







「ハア、ハア、ハア…!!」







青柳は冷や汗をぬぐう。

遠くにいる化け物たちの叫び声が増した。



(さっきのはなんだ?!!イヤダ!!!考えるなッ!!考えるなッ!!)



「水嘉多月!!」



青柳は、大蛇に駆け寄る。



「傷は、」

【大丈夫…】



大蛇の腹の傷は、じわじわと塞がっていく。



【不思議だねェ。】



大蛇の白濁していた目が、うっすらと青くなっていく。



【星のようだ…】

「?」



ささやいて、大蛇は目を閉じた。

動かなくなった大蛇に、青柳は焦った。



「水嘉多月ッ!!水嘉多月ッ!!しっかりしろよッ!!バカッ!!バカッ!!死ぬ気かッ!!死ぬのかッ!!死んだら殺すぞッ!!」



「寝てるだけですよー?」



狐がのんびりと青柳に言葉を投げる。

狐は「大体傷」という紙が貼られた壺から、すっぱいような苦いような匂いのする桃色の液体を取り出し、紅羽の傷に塗りたくっていた。

紅羽の顔が、見たことのないシワクチャの渋面顔になっている。



「そッ、そうなのか?」

「死にかけですけど。」

「!!」

「寝てれば治りますよ。200年くらい清らかな水の中で眠っていればいいんです。」



狐は、面倒くさくなったのか、紅羽の頭から薬壺の中身をぶっかけた。

紅羽の側にある鋼籠の中の住人が、とばっちりで薬をひっかぶり騒ぎたてている。



「…200年…」

「まったく、体内に魔を封じるとは、愚かなことをしたもんですよ。」





それは、大蛇の腹から出てきた者のことだろうか、と青柳は思ったが、口に出来なかった。



「どうりで、御堂みどう家の神を見かけないわけですよ。魔のせいで弱体化した姿など見せられませんものね。」



狐はちらりと青柳を見て、ニヤニヤと笑った。



「まあ、それだけじゃあなさそうですけどねェ?」



すすいと、青柳の側に寄り、黒い鼻面を青柳の顔に押し付けた。

ふんふんと匂いを嗅ぎ回る。



「うのッ!やめッ、やめろこのや」

「アナタ、御堂の血筋でしょう?御堂当主の子供だねェ?」



青柳の身体が震え始めた。

狐は、青柳の身体からユラリと立ち上る気を見つめる。



「あとはなんの血筋だろう。とても」

「オマエには関係ない」



青柳の見開かれた目に、憤怒と憎悪が溢れんばかりの青い目に、けれど狐は、にんまりと笑う。



「ああ、いいですねェ、やっぱり私、人間のそういう顔大好きですよ。」

「ーーーてめエ」



狐の胸ぐらを掴んだ青柳の手を、ふわふわの手がぎゅうぎゅうと握る。



「?!」

「だってねェ、美味しくないんですよ。」

「?」

「死んだような目をした人間なんか食べたって、私は美味しくないんです。」

「?!」



狐の桃色の目が、キラキラと輝いている。



「食べ物は活きがよくないといけないッ!!」

「な?!」

「アナタもそうでしょう?活きがいい命をいただいて、元気に生きていく!それは自然のことなんですよ!」



青柳は、ぐいぐい迫る狐から仰け反ったが引き戻される。



「それなのにそれなのにッ!!そんな当然の摂理さえもわからないのがアイツなんですッ!!」

「寄るな寄るな寄るなアアくそ次から次イイイにイイイイーーーー!!」

「私は悪くないのに!アイツにはそれが理解できない!頭のなかまで、沸騰してるからーーーー!!」

「わアアアアアアーーーーーーーーーー?!!」



狐の口から吐き出される唾の雨に、青柳の手は、むぎゅむぎゅと力いっぱい狐の顔を押し退けようと頑張る。

狐が動かなくなった。



「?」



動かない。



「お」



ふわふわの毛が、逆立つ。

桃色の目玉だけが、動いて何かを追っている。



何かが青柳の顔に触れた。

狐の顔にも黒いもの、手ーー。





「黒朗!!」





一本角の黒い鬼が、黄色い目で青柳を見下ろす。

青柳と狐の顔を掴んだ黒い手が、ぐいと、引き離す。



「助かったぜ…、も、コイツ離さねーんだよッ!」

『……青柳、喰われそうだったな…。』



ぼそりと言った黒鬼は、無表情に狐を眺めている。

狐は、残像ができるほど震えていた。



『…人間を食べるのが好きなんだな。』

「ちちち違う違うちがうウウーー!!!私は食べてないぞ、食べるわけがないだろう!黒朗!!」



手を前に突き出し、ぶんぶんと振って否定する狐。



「…黒朗の知り合いなのか?」

『…………。』



狐は、ハッとした。

そういえば、この前黒朗は、狐のことを見て、知らないと言っていた。

なぜかすっかり忘れているようだった。



(これは)



狐は、偽にんまり顔をした。

大量の冷や汗を無視する。

えへんと胸を張った。





「いえ、知り合いのように思いましたがただの鬼違いでしたねェ!いけない、いけない、ごめんなさいねェ~!」

「黒朗って呼んでたじゃねーか…」

「太郎です。」

「え?」

「次郎です。」

「おい?!」

『………。』





こッ、地面に、黒い箱が落ちた。

立ち去ろうと身体の向きを変えた狐の懐から、それは転がり落ちた。



「ーーーーーーー!!」

「?」

『………慧金けいこん





黒鬼の眉間にシワが寄っていた。





『約束を破ったな?』

「ーーーーーー!!ち」





黒い箱が、ぱかり、開いた。









『マタネ』









くすくすと、









『マタネ』











『マタオイデ』











露草のような声が流れた。













「お」



〈出られたようだな。〉



「オオオオーーー?!!」







海藻頭の中年男、春風はるかぜは、青空に両腕を突き上げて雄叫びを上げた。

その片手の中には、くたりと伸びた小さな狐。

中年男の隣で、赤い狼は紅羽と目を見交わす。



そして、たくさんの異国人が、青柳たちの前に姿を現した。







「どうなってるんだ?」

『どうなってるんだろうな?』



唖然とする青柳と、地面に崩れ落ちた狐を見る黒鬼。



『慧金、あの時、言ったはずだ。』



黒朗は、うずくまり震える狐を上向かせる。



『人間を、弄び、殺すのをやめろ、と。』



黒鬼の目が、燃えていた。



『もし、もう一度、同じことをすれば、また同じ目に合わせると。』



赤い目が、狐仙人を縛する。



『もう忘れてしまったのか?あの時のことを。』















美しい青い狐だった。



大きな山のような巨体が、ちぎれていく。



ちぎれて、

黒灰となって消えていく。



狐より、小さな小さな黒い者が、ちぎっていく。



狐の反撃をすべて散らしてしまう黒鬼は、

狐が頭だけになると、動かなくなった。



待っているのだ。

狐の身体が元通りに治るのを。



そして、治ったならば、

ちぎっていく。

狐の身体をちぎっていく。



何度も何度も繰り返し。

一万回。











青柳は、震えた。



(なんか見えたぞこのやろオオオオオオ!!!)



頭の中に、浮かんだ衝撃の拷問風景の断片に、狐の頬を張っている黒鬼を見た。

青柳の耳に、悲鳴が飛び込んでくる。

異国人たちが、泣き叫んでいる。



「……むごいな。」



紅羽が呟いた。



「む」



りイイイーー!と春風が地面に吐いた。

赤い狼は、風に赤い毛をなびかせながら、目を細めている。







(えらいことになりやがってるぞ?!)



「黒朗ーー!!」



振り返った黒鬼が、青柳を見て、



『そうだ、言うのを忘れていた。』

「その前に、この頭の中の」

『オレは、ここに国を造る。』

「は?!」



青柳の頭の中で、黒い鬼が、狐の頭を大地に叩きつけていた。

ちぎられるのが嫌で再生しなくなったのを、さっさと再生しろというお叱りらしい。

狐の赤い目から、涙が止まらない。



『オレが国王になる。』

「………そうか。」

『青柳?なぜ刀を抜く?すごい殺気だな。』

「てめえを殺すためにだよッ!!」

『ちょっと待て、なぜ』

「大魔王になる前に、友だちのよしみで殺してやるっつってんだッ!!」

『大魔王は合っているな。国民はアイツらだ。』



黒鬼は、遠くに見える化け物たちを指差した。

化け物たちは、絶叫していた。

異様な雰囲気に嫌な予感がして、青柳は目を凝らした。

化け物たちは、頭を抱えていた。

泣いていた。

のたうち回っていた。



「黒朗…」



青柳は、黒鬼の着物を掴み上げる。



「今すぐ、頭の中に流れこむてめえの狐拷問をやめろ!あと今度やるなら毛皮がもったいねーから剥いどけよ。」

『わかった。』

「イヤアアアアアアアアアアアアアアーー--ーー!!」








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