第41話 すいこむ
(あ、まずい)
と
地に潜む悪意を封じていた力が、消えて失くなったのを感じたのだ。
荒ぶる大地のせいで、街はそこかしこが破壊されていた。
地の災いだけではない。
街の人々は、神殿の穴から出てきた魔物、黒いけむりに魔物とされた人間から追われていた。
春風は戦った。
言葉もわからない異国人たちと共に、抵抗する術もない人間たちを守りながら戦った。
戦いは、治まろうとしていた。
けれど、いまからやってくるものには…
(どうすればいい)
(全滅する)
「ふ~」
焦る春風を他所に、水色の狐仙人は、ブスブスと青火で焼け焦がした魔物の山のてっぺんで唸っていた。
「ふーっ…フーッ…フうううううッ!」
春風は、ちょっと血管が切れた。
「何してんですかッ!!?緊急事態ですよ!!下から来ます!!きっとあのバカ鬼が封印を解いたんだッ!!あれが出て来る!!」
地の底に潜む邪悪なモノ、
悪意に満ちた神が、出てくる。
「静かにしてください!わかってましたよ、こうなることはねッ、だから今やってるところですッ、…死ぬ覚悟をねッ!!」
「はあ?!」
血走った目で、口泡を飛ばしまくる狐仙人に、春風は、顔をひきつらせた。
狐仙人は、もう一度息をつくと、着物の裾から黒く艷めく箱を取り出した。
それには、一枚の大きな紙が貼られていた。
紙には、ただ一字、
「呪」
と書かれていた。
その箱をじっと見つめた狐は、ごくり、喉を鳴らす。
水色の毛皮から汗がポタポタと落ちていく。
そうっと狐は箱を春風に差し出した。
「…開けて」
「…お断りぃー」
海藻頭の中年男は、箱を押し返した。
「ハアア?!!!!何言ってるんです?!一刻を争う時なのですよ?!わがまま言ってないで開けなさいよ!」
夜叉のような顔をして叫んだ狐は、箱を押し返す。
中年男は菩薩のような笑みを浮かべた。
「アンタが開ければよろしいでしょう。そうでしょう、そうでしょう、それしかありませんッ!!」
狐仙人と中年男の間を箱が、ぐぐり、ぐぐぬ、行き交う。
「私は開けたくないんですよ!!」
「なんで?!この危機を乗り越えられる素晴らしい道具なんですよね?!」
「開ければ私が大変恐ろしい目にあうからに決まってるでしょ…!!だから君が開けなさい!!」
「そんなこと言われて誰が開けるんだよ?!何なんすか、これッ!!ただごとじゃないですよ、この圧迫感!!」
「開けなさい!!最悪の未来を防ぐのですよ!!」
「アンタが開けろや!!」
「イヤアアアアアア!!」
「蹴り飛ばしてんじゃねぇよーー?!!」
宙に舞った黒い箱、
蠢いていた地面がとまった。
静寂があたりを飲み込んだ。
何かが、地の底からやってくる。
赤い、熱い、ちから、
黒い箱が青い炎に包まれ、
めらめらと紙が燃え上がった。
蓋が、すらとこぼれ落ちる。
『オイデ』
地鳴り響くその場所に、
『オイデ』
悲鳴を上げる人々の横に、
『オイデヨ』
露草のような声が落ちてきた。
『オイデ』
つめたいものが身体を包みこむ。
春風は、バッと狐を振り返った。
水色の狐は笑っていた。
耳まで裂けた赤い口から、じゅるり舌なめずり。
『オイデ』
春風の姿が、忽然と消え失せる。
街の人々の姿が、消え失せる。
黒い箱は、かたりと狐の手の中に収まった。
「…何だここは…。」
春風の目の前には、水色の草原が広がっていた。
キラキラ宙に浮かぶものに目を凝らせば、魚の群れだった。
小川から飛び跳ねて、悠々と宙を飛んでいるらしい。
木が生えているが、葉も幹も黄色づくしの木、赤色の木、紫色の木、と奇て烈な色彩だ。
たわわに実った木の実をぼたんぼたんと落としている。
その木の根元へ、黄色の生き物たちが、わあと群がる。
「ありゃあ、狐か…?」
「キャアアア!!」
甲高い悲鳴が聞こえてそちらを見ると、泥に汚れた小さな女の子が、泣きながら走っていた。
異国の街の人間だった。
「いや!こっちにこないで!こないでッ!!」
その後ろを、緑色の狐がトコトコと二足歩行で追いかける。
女の子の腰の辺りまでの背丈で、皮鞄を肩から引っ掛けている。
ぷい、と茶色の鞄から小枝を取り出すと、女の子をつついた。
女の子の身体がくるりと回転しながら宙に浮かぶ。
女の子の身体を引っ付けた枝先を、ふわりと頭の上に掲げながら来た道を戻って行く。
泣きわめく女の子の声にうるさそうに顔をしかめ耳をふせながら、水色の草原をかきわけて進んでいく。
赤色や桃色、緑色に黄色の瓦が葺かれたキノコのような建物が見えてきた。
その建物の横に、しわくちゃな顔をした小柄な老女が立っていた。
「ビョッ!へッへー!!」
緑の狐たちを見て、奇声を上げた。
老女と緑の狐は女の子を連れて、建物の中へと入っていく。
建物の中には、巨大な露天風呂があった。
「きもちー」
「天国かしらー」
「まちがいないねー」
「私たち死んじゃったの?」
「まちがいないねー」
「あの状況じゃあねぇー、ハハハ」
あの異国の街の住人たちが、石造りの大風呂に浸かっていた。
見ればすべて女性だった。
緑色の狐が、連れてきた女の子をじゃぽんとお湯の中に落とす。
女の子を見て、先に湯船にいた少女が飛び付いた。
「ニカイ!!」
「姉ちゃん!!」
大風呂の周りでは、二足歩行の桃色の狐がせっせと風呂上がりの女性たちの身体の水気を風で飛ばし、足首まで隠れる巻頭衣を着せている。
先ほどの老女も手際よく手伝っている。
身支度の整った女性たちは、また、外へと連れ出された。
水色の草原の向こうに、人の集団が見えた。
「マアリ!!どいてくれ!!マアリ!!」
厳つい顔の髭男が飛び出し、黒い髪と緑色の目の女性を抱きしめた。
「ダフネ!!もう会えないと思っていた…!」
「よかったッ!!無事でよかった!!」
歓声が上がり、同じように抱き合い、笑いあう人間がいた。
動かなくなった人間たちに、狐たちは困って顔を見合わせる。
流れ落ちる鼻血を拭いながら、春風はあたりを見回した。
「あの街にいた人間が、みんな集まっている…。」
(つまり、あの流れでいくと狐仙人の術中にいるってわけだ。とりあえずあの大災害から逃れたらしいが、そうなのか?狐仙人のあの、)
悪気満面のにやけ面を思い出す。
(なんか)
うろちょろしている狐たちを見る。
街の人間たちを、遠くに見える建物へと先導している。
そこには、黄金と朱色で彩られた城。
(うさんくせーこと限りがない、な…)
ふと思い付いた。
「あ!
人だかりの中に、赤髪の若者は見当たらなかった。
「まじかよ!?若?!」
空に暗雲が流れる
大地は沸き出る赤い溶岩で、太陽のように輝いた
赤い海の中から
灼熱色の巨人と
禍々しい闇色の巨人が
現れた
暴れ争うそれの
一手が
一足は
地を削り
雲を割る
小さな、小さな、命にとって
それは
抗うことのできない
天命
黒い人面の魔物のいた黒い森は、赤い濁流に呑み込まれていた。
薙ぎ倒されていく木々、
燃えていく草花と、
崩れ消えていく魔物と人間の骸。
横たわる黒い牛頭の魔物と、その上に臥せる灰色の髪の少年の元にも、赤が間近に迫っていた。
親友コレウセの変わり果てた姿の上、力つきピクリとも動けぬルウスは、ふいに視界が回り
彼の上半身が起き上がり、目の前に影が立っていた。
外套を身に纏った痩せ型のその人物は、青い髪をし、その顔に白い面をつけていた。
白い面には、目も、鼻も、口もない。
青い幾何学模様が、ゆるりと白の上を蠢く。
その人物にルウスは見覚えがあった。
ルウスに黒刃の斧を渡した旅人だった。
「やあ、選ばれし
灼熱の景色のなか、軽やかな声で男は手を振る。
「泣いているね。」
ルウスの力の入らない手が動き、優雅な動きで涙の粒をぬぐう。
「泣くことはない。」
黒い牛頭の魔物が立ち上がっていた。
コレウセの太い腕が、ぐいりと外へ振られる。
灼熱の海に消えていく街の方向を指し示す。
「おめでとう、街は消えゆく。君の神も解放され喜んでいる。見て、」
金砂のような光が、猛々しい峰が続く永久雪山へ向かっていく。
「彼は、やっと故郷に帰れるのだ。鼻水を垂らしながらむせび泣き喜んでいるにちがいない。」
コレウセの身体から、青い血が大量に地面に垂れ落ちた。
「や…めろ…!!コレウセにさわるなッ!!」
ルウスは、動く身体を止めようとした。
だが、操り人形になったかのように自由にならなかった。
「おめでとう、悪魔のごとき欲にまみれた父から解放された
男は、くふくふと明るい声で笑う。
「あとは、」
コレウセの黒い腕が、地面に落ちていた黒刃の斧を拾った。
「おめでとう」
「まて、待ってくれ、やめてくれ、ちがう、ちがうんだッ!!」
「親友が死んだ
黒斧は、コレウセの黒い首に沈んでいく。
「おめでとう、
「ヤメロオオオオオオオオ!!!!」
甲高い音が響く。
黒刃に一筋、ミキミキとヒビが入る。
黒い斧が白い炎に包まれた。
あたりに絶叫が響いた。
黒斧の木の柄に刻まれた奇妙な顔のようなものが、燃えて叫んでいるようだった。
真っ二つに割れて、地面に白く燃えながら落ちた黒い斧。
白い炎を纏う刀を持ち、赤と青の血に濡れた赤髪の青年が立っていた。
異国の装束のその青年は、ルウスと魔物たちが封印を解こうとするのを止めようとしていた者だった。
魔物たちにぼろ布のようにされていた者だった。
「何だオマエは…。」
仮面の男は低く呻いた。
楽し気な風体が一転する。
異国の青年が、ルウスとコレウセをぐいと後ろに押しやる。
青年は、がくりと大地に倒れた牛頭の魔物の姿をちらりと横目に見ると、
「…ЮⅨΗ。(寝てろ)」
異国の言葉で呟いた。
〈オイ、見てみろ。〉
春風は、聞き覚えのある艶やかな声に振り向いた。
水色の草原のなか、赤い狼がいた。
春風と目を合わせると鼻をふいと横に向けた。
(アレは…、必ず捕まえなきゃいかんヤツでしょ。)
その方向には、水色の狐がいた。
緑色の狩衣に桃色の羽衣を纏った、狐仙人の小型版。
小さくて、猫ぐらいの大きさのそいつは、水色の草花のなか、みょーん、みょーんと
春風は、赤い狼の元へ走り寄る。
「ねぇ、ちょっと、アレは?若は?」
〈なにしてる、あれを捕まえないと大変だぞ、オマエ。〉
「いや、若がさ、どこにいるのかなって、思ってるんですよ。」
〈オイやめろ、口の中にいるわけないだろう。耳の穴だと?オイ、オイ、〉
「いるでしょ?どっかに、いるよなァ?!…あのバカは?!」
赤い狼は、前足で、春風の髭面を地面に踏みつけながらふーっとため息をついた。
〈アイツはオレに、あの人間たちを守ることを望んだ。
春風は、地面に額を擦り付けて唸った。
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