第32話 ヒラヒラと

からだが冷たい

私の中を、私じゃないものが、

駆け巡る



奥底から、

私じゃないものが、



とめられないの



とめなくちゃいけない



そうしないと



あの人にもう会えなくなる



ダフネを失ってしまう



いや



いやなの



黒い影が



赤い目、赤い口



火のようだわ



赤い、



赤い、



赤いの



赤い大きな大きな口、



に、のみこまれた…











焦げ茶色の髪と目をした少年の姿が目に入った。

茶色く日に焼けた身体に、袖のない白い上着、黄土色のズボン。

黒い長袖の上着を腰に巻き付けた少年。

マアリの友人、食い物屋ボウのノイの息子、

コレウセだ。



「お?」



椅子に座って、紫色の果物をかじっていたコレウセは、マアリと目が合うと、慌てて覗きこんできた。



「大丈夫か?マアリさん?」

「……ィ。」

「え?」



マアリはガバリと跳ね起きた。



「ヤバイわッ!!」

「え?!」

「ヤバイのッ!!」

「何が?!」



マアリは覚えている。

身体を巡ったものの意志を。



黒い巨体、

黒い角、

すべて黒い、





人面の魔物、それで完成だ。





(なんてことだ。)



(それなら、)



(それなら?)





マアリは、周りを見渡した。

ダフネの部屋だ。

ダフネの寝台の上にいた。

そして、コレウセと、

灰色の髪の少年神官ルウスがいた。



「ダフネは?」

「ごめんよ、警鐘が鳴ったんだ。隊長そっちに行かなくちゃいけなくって…。」

「魔物が結界の周りで騒いでいたよ。数が増えてる。」

「…!!」



マアリは、寝台を飛び出した。

叫ぶ声が聞こえたが、

マアリは、走った。

走って、走った。

風のように。

不思議と疲れず、彼女の身体ではないかのようだったがかまわなかった。

夕闇の中、街の端、唯一外界と結界の入り口となる石造りの巨大な扉のある場所へ走る。

観音開きの大扉の片方が開いていた。

2頭の黒い大岩のような獣が、土煙を立て、おぞましい叫び声を上げている。

武装した30名ほどの人間が取り囲んでいる。

その足元には、喰いちぎられた人間の残骸。

魔物は恐ろしいほどの速さで兵士を翻弄し、蹂躙していく。

硬い黒い皮膚は、突き立てた剣を折ってしまう。

街に魔物が入りこめば、戦えない人間は抵抗もできず簡単に殺され、喰われ、滅ぼされるだろう。

だから、兵士たちは退かない。



その中に、ダフネがいた。



兵士の片腕を噛み砕き、引きちぎる魔物の背に飛び乗り、魔物の黒い目に剣を突き立てた。

奥深く、柄がめり込むまで。

無表情な黒い大きな片目がギョロリとダフネを見る。

ダフネを払いのけようとして、左右から首にかけられた大鎌がそれを妨げた。

もう一つの目を別の兵士たちの槍が突き刺す。

魔物がゆらりと傾いた。

ダフネは、もう一振りの剣を腰に提げた鞘から抜き払い槍の上から突き刺した。



深く深く。



魔物は、剣の刺さった頭をふらふらと振り、

あ、と小さく声を上げて、倒れた。



もう一体の魔物も同じようにして、倒された。



魔物の死体が、粉々に砕けて黒い砂となって消えていく。



悲鳴のような叫びが上がった。



一人、二人、兵士が叫び出した。



魔物を殺した人間の中には、

時折、狂うものがでる。

魔物の呪いで狂うという。



(ちがう)



「ダフネ!離れて!魔物の身体を吸い込んではダメ!!」

「マアリ?!」



(あの黒い砂が、きっと、人間を変えてしまう)



(魔物に変えてしまう)



(けれど)



狂ったように叫ぶ人たちを見る。



(それだけ?)



叫ぶ人の顔は濡れている。



虚空を見つめるその目から、涙が、ただただ溢れて、溢れて、落ちていく。

身体を引き裂く傷から流れ出す血のように。



その目には、何の感情も浮かんでいなかった。



(だって、あの人たちは、黒砂病で、家族を失くしたわ…)



考えたくなくて、マアリは顔を伏せる。

涙がボタボタと乾いた地面に落ちた。













「父さん」



ルウスは、囲炉裏の火の前に座る父、ダガコに話しかけた。



「大変なことがわかりました。」

「何だ。」

黒砂くろすな病は、人間を魔物に変えてしまう病気だそうです。」

「……。」

「不思議でした。どうして病気になった人は消えてしまうのだろうと、最後に魔物になってしまったならわかります。結界の外に弾き出されてしまうんですね。」

「…何故そんなことがわかる。」

「異国の僧侶が言っていたのです。」



顔を上げた父親の目を、まっすぐな赤紫色の目が見つめる。



「クロー、という名の白い僧服の少年が言っていました。この地は呪われていると…」





「神様に呪われていると言っていました。」













「こわいこわい、このコ落ちてるよ。落っこちてるよ?!」

『…落ちてるな。』



白い僧服の少年、黒朗くろうが答える。



『何がオカシイ、ゴマ粒が』



白い小鳥が、くちばしを擦り合わせながら睨む。



「いや、おかしいだろ?!ヒラヒラ落ちてさ、どこに落ちてんの?!」



黒いヒトデの中、白い空間の中で海藻のような髪をした髭面中年男、春風はるかぜは叫んだ。

白い空間に立つ、氷塊のようなものに映るモノが、外の様子だというのは、しばらくして判った。

ヒトデは、薄暗い闇の中、木から落ちる葉っぱのようにヒラヒラ、ヒラヒラ、さっきから落ちているのだ。

ずっと。



「どこに行くのー!!?」

『…大丈夫だ』

「んなわけねーだろ!!だいたいあんな禍々しい風の吹くとこなんてろくでもねーよ、その元凶のいるとことか!!ハー!!…若ー!!くつろいでないでくださいよ?!」

「くつろいでない。」

「嘘つけ今まったりしてた、ふかふか気持ちいいんだろ?気持ちいいよねー!!」

「春風、落ち着け」



白いフワフワの中でおとなしくしている紅羽くれはを見て、春風がからみ始めた。



『…アイツが喋るの初めて聞いた。』

『クソが、永久に黙っとけ。』



つぶやく鬼と小鳥をグルリと振り返ると、春風はケラケラ笑った。



「説明するとですね、若はゲテモノとしか話せない阿呆なんですよ。人間がいると緊張しちゃうんです。でもオレは腐っても風の使い手ですからね、若が声を出さなくても、放つ空気いきで判るんです。話したい言葉がね。」

『…それはすごい、ゲテモノってなんだ。』

『キサマのことだ。』

『…オレと、オマエと…』

『ふざけるな、指を差すな。』

『あそこにいるヤツもか?』



黒朗は、小鳥に向けた指をひょいと、山のように積もるモコモコの白いモノに向けた。

山がビクリと震える。



「あー、そうですねー、ものすごいゲテモノですよー?天地の理を全て知る伝説の仙人、「まッテ!やめなさい!」八躍如はやくじょの弟子、けい「イヤアアアアアアー!!?」こん様ですよー。アンタとお知り合いなんでしょ?名前聞いただけで毎回バカみたいにものすごい怯えてますよ?」



黒朗は首を傾げた。



『…知らないぞ、そんなヤツ。』



白いモコモコが停止して、立ち上がった。

モコモコがばさりと落ちて、口をあんぐり開けた狐姿を現した。

黒朗はこてりと反対側に首を傾げた。



『…知らないな。』

『…………バカな。』






ふいに、白い空間が闇に染まった。

悲鳴が響いた。




ボウゥ、と、暗闇に青白い火が浮かぶ。

狐の回りにいくつもの火の玉が浮かぶ。

その足元には、春風が倒れ伏していた。

紅羽は、膝を突き喘いでいる。その背中から時折、白い火が出ている。

狐仙人は、黒朗に向かって吼えた。



『こんな場所に、人間を連れてくるなんて、ふざけるなですよッ!!』

『…すまない。』

『ッ!!』



闇底に、蠢く大きな大きな丸いモノ。

湖よりも、大きなそれは、目玉だ。



見ている。



不意に現れた小さな侵入者、

黒い葉がヒラヒラと舞い落ちるのを。



見ている。



葉にのるモノたちを。



見ている。



黒朗を見た。



わらった。







『逃げるんですッ!!黒朗ッ!!相手なんかできない!!』

『逃げる?…ナゼ?』



すっと、黒く染まり始めた肌と、髪に、

赤い目。



『イヤアアアアアアアアアアアアー!!!!』

『うるさい、キツネ。』



白い小鳥が一瞬銀色に艶めき、フゥと白銀の息を吹いた。

闇色に染まった空間が、虹色に輝く。

黒いヒトデが、その足を翼に変える。

銀の鳥となり、それの視線を逃れようとする。

強大な威圧と悪意とから。

そして、探す。



『どこだ。』



小鳥は、銀の鳥にささやく。



『オマエを生んだモノは、どこにいる。』





















たどり着いた場所。





そこは、石造りの建物の中だった。



天井近くにある小さな窓からの月明かりが、そこを照らし出す。





寝そべる者の白い髪、白い肌を彩る赤い数珠玉。




身動みじろぐたび、石床にこすれて、じゃらじゃらと音をたてる。





「なんだ、どこから来やがった。お前ら。」





それは、にひひ、と笑う。





「ひさしぶりの客だぁ!」










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