第17話 嘘

「う?!」



赤髪の旅人と赤い狼から逃れ、森で一息ついた青柳あおやぎは、右手に握りしめていた虹色の玉をふと見て慌てた。

虹色だった玉に、黒いシミが2つできていたのだ。

白紙に落とした、墨の一滴のように。

それは、蟻くらいの大きさの小鬼の片腕が、腹のあたりが、黒い水のようになって溶けているように見える。



「何だこれえッ?!」



思わず声を上げてしまった口を、慌てて空いた左手でバチリとふさぐ。

追ってくるだろう赤髪に聞こえたら、まずい。



(アッつ?!アッつ!!)



しかも何だか玉が熱くなってきた。

理由とか、考えたらダメだ。

手足を、また、あの灼熱に黒炭にされるかもしれないとか…そんなこと思ったりしたら…

青柳の全身から、どっと冷や汗が吹き出る。

あの時は、治癒の効力がある泉のおかげで助かった。

自分の身体が普通の人間より丈夫だったから助かった。



きっと、あの水色のヘビがいたから。



(けど、今いないッ!!)



アワアワと、玉をお手玉のように2つの手の間を往き来させていると。



「どうしたの?あおちゃん。」



女の子の声がした。

振り返ると、見覚えのある黒髪の少女。

あごのあたりで切り揃えた黒髪と若葉色の目をした美しい少女だ。

はしばみ色の着物に濃緑色の帯を締めている。

村の娘、月子つきこだった。





「月ちゃん?!アッつ!!何で、アッちイ!!とりあえず、逃げてえええー!!」



「ええ?何言ってるの?…?その玉が、熱いの?じゃあ、この壺にいれればいいわよ。」



月子は玉を持つ青柳の手を掴むと、背負っていた壺の中に突っ込んだ。



ぼちゃっ



しゅわああ



玉が水の中に落ち、





「ああッ?!」

「一緒に、青ちゃんの手も冷やすといいよ。」



ぐいぐい青柳の手を壺の水につける、月子。



「何して、やばいって、無理、こんな水につけたって、クソ鬼は止まらな」

「大丈夫だよ、ほら、もう熱くない。」



月子は、壺の中から玉を取り出し青柳に見せる。

白い指に摘ままれたそれは、金の塊に見えた。

黒いシミに黄金色の霞みがかかっていて、何だか豪華な風体に変わっていた。



「どゆこ?!」

「あれ?この玉、中に変なのがいる。」



全く熱くないらしいそれを月子は、黄昏時の残光に透かして覗いている。



「月ちゃん、この水何?!!」



サッと、月子に詰め寄り、青柳は玉を奪いながらまくし立てた。



「え?お酒。家で造った花酒。ほら、花がいっぱい入ってるでしょ?明日のお祭りのために、神社にお供えする分を神主様に渡そうと思って。今日中に持っていくはずだったけど、忘れてこんな時間になっちゃったんだ。」



そう言って、月子が壺からすくいあげた水には、黄色や白色の花頭が浮かんでいた。

青柳は驚きに固まっていた。



(そんな手があったかッ!!!)



化け物退治に、酒を使うという話は聞いたことがあった。

玉の中の小鬼の顔は、安らかに眠っているように見える。



(酔っぱらいの寝落ちかッ、鬼野郎!!)



(けど、ほんとに、酒でなんとかなるなら…)



薬箱を背負った灰色の小鬼が、道を歩く姿がちらついた。





「でも、どうしよ、手入れちゃったよ。あはは。」



笑う月子に、青柳はしっかりした声で言った。



「大丈夫!!あの変態は、大喜びするからッ!」

「?」



美少女の手が入った酒だ。

本能に忠実な雄竜神は、気に入るだろう。



「ありがとう月ちゃんッ!!」



青柳は、がばりと月子に抱きついた。



「死ぬかと思った!!!!!」

「?」

「モー!!モーッ!!モーッ!!ドイツもこいつもふざけんな!!」

「うんうん?」

「オレ様にいい加減!!昼寝をさせろーーーーッ!!」



月子は、青柳の背中をポンポンたたく。













「でも青ちゃん、ちゃんと夜寝てるんでしょ?朝、ラユシュさんに寝床から吹っ飛ばされたって困ってたじゃない。」



神社への道を、青柳と月子は歩いていた。



「チッ、吹っ飛ばされたっていうのも甘いよ、もう少しで壁に首へし折られてたっつーのッ!」



青柳の家に住み着いたラユシュ老人は、キソクタダシイセイカツというものをしろ、とほざいた。

いつも日中は寝ていた青柳には不可能な事案だ。

それなのに、ぐずぐずと起きない青柳を見ると、へばりついていた布団ごと青柳を壁に叩きつけるのだ。

受け身を取れない人間だったら確実に血をぶちまけ破裂している。

断言できる。

あんな暴力ジジイが神様に仕える僧だなんて、絶対におかしい。



「あはは!おかしー!青ちゃんのうち!」



笑う月子に、青柳は口をへの字に曲げる。



「でも、良かったよ。青ちゃんが、眠れるようになって、良かった。」

「?オレはいつだって寝てるよ。昼寝がさー」



月子は、ニッと口元を上げた。



「夜は外にいたでしょ?ずっと、寝ないで。」



偶然、夜に見かけた。



外からやって来たその子は、ガリガリで、薄汚れていて、生気のない青い目をしていた。

時々、月子はご飯を運んだ。

青柳は、与えられた家で、いつもただ死んだように寝転がっていた。

目は開いているのに、言葉をかけても反応をしない。

人形のようだった。



それなのに



月明かりの下で、獰猛に吠えていた。

走り、飛び、刀を振るい、

その目は怒りで燃えていた。

獣だった。



なんで?



理由はわからない、けど



悲しくて悲しくて仕方なくなって



怒りが湧いた



何故



あの子は



「青ちゃん、負けないで。」



どうして泣かされなくちゃいけないんだ



「え」



泣かしたやつはどうした

笑って生きているのか?

絶対に

許せない



「私は、ずっとずっと青ちゃんの味方だから。」

「へ」



絶対

絶対



「青ちゃんが、幸せになるように応援する!」

「は」



幸せは、笑った顔

うちの母ちゃんは笑ってた

幸せだって笑ってた

父ちゃんの隣



「絶対に幸せな結婚しようね!!」

「ひイッ?!」

「絶対だからね!!いい?!!」



そうまくし立てる月子に、顔を引きつらせる青柳。



「おー、おー、お熱いことだな~、青柳~?」



ちょうどたどり着いた三泉さんせん神社で、神主の熊男、白泉びゃくせんが、そんな2人にからかい混じりの声をかけてくる。



「な、何言ってんだ…!神主様?!月ちゃんも?!結婚ってそんなおぞましいモン、だいたいオレは」





「イイイヤアアアアアアアアアアアアアーーーーーーッ!!!」



大怪鳥のような悲鳴と共に、月子と青柳は、べりりと引き剥がされた。



「え」

「はぁ~…またですか、仁矢じんやさん。」

「いやッ!!ため息?!いやッ、いやよッ!やめて、ひどいッ!けど、けど、結婚って、結婚って、何イイーーーーー?!!!!」



赤い目に涙を浮かべ、儚げに首を振ると、絶世の美女男である仁矢は、両手で顔をおおい、しくしくと泣き出した。

儚げなその美しさに、世の人々は全てを投げうちその憂いを消そうとするだろう。

…が。



「あれ?仁矢くん、また月子ちゃんつけてたの?いい加減にしないと、おじさん怒っちゃうよ?」

「黙れ、不細工、死ね。」

「えなに仁矢どういうことなの?」



熊男の神主はへらへら笑い、青柳は冷たい目をして刀を抜いた。



「あ、青ちゃん、大丈夫だよ。変なことはされてないから、ちょっと気がつくと仁矢さんが遠く?から見てるだけで…」

「…ころす」

「アンタこそどういうことなのよ?!月子さんとッ、け、けけけけ、………………殺してやるうううううう~ッ!!!」

ってやらあ!!ああ?!」

「ああん?!!」



メンチを切り始めた青柳と仁矢。



「喧嘩は、や~め~て~」



月子は、そんな2人の間に身体を割り込ませ、ぐいぐいとその胸を手で押し引き離す。



「月ちゃん、けど…」

「心配しないでいいよ、それより仁矢さん。」



月子に胸を触られ顔を赤らめていた仁矢を、月子は緑の目で睨んだ。



「青ちゃんに殺すとか言うの、やめて。」

「だって、月子さんは、そいつが好きで、オレだって」

「青ちゃんは、好きだよ!私の友だち!」

「だって、さっき結婚って、それにそいつは、男だッ!友だちって言ってたって、そのうちッッ!!」

「…………。」



その場に、仁矢の泣き声が響いた。



目に玉のような涙を浮かべる絶世の美女、みたいな仁矢を不思議そうに見ながら月子は首を傾げた。



「青ちゃんは、女の子だよ?」

「?」

「どう見たって女の子だよね。」

「は?」

「わははは!村でそんなこと言うのはおめえだけだよ!月子!ひーひっひっ!」



仁矢は、青柳を見た。

青柳は、星が輝き始めた空に視線を意味なくうろうろさせた後、仁矢を見て鼻で笑った。



「てめええええ!!!どういうことだああああああ!!」





家の外が騒がしくて、比呂ひろは、わら色の頭をひょっこり戸口から出した。

青柳と仁矢が、取っ組み合いをしていた。



(あ、キレイ)



仁矢が、というわけではない。

心の色が見える比呂にとって、姿の美醜は意味がないので、意地悪な仁矢は、ただの仁矢でしかない。

以前は、青柳と仁矢の喧嘩は、青柳が仁矢に一方的に殴られ蹴られしていたのに、今は2人の動きが同等なのだ。



(踊ってるみたい)



明日の祭りで2人は踊る。



(楽しみだなぁ)



(竜神様もびっくりするだろうなぁ)





「お!比呂~、夕飯、3人分追加な~」



比呂に気付いた神主が、手を振っている。



「え、でもお父ちゃんに言ってないです。」

「大丈夫、大丈夫、手紙飛ばしたから。みんな泊まってくってさー」



神主が指差す方向には、ふよふよと半透明なふくろうつばめが村と、青柳の家に向かってそれぞれ飛んでいった。



「おおお泊まりですかい?!!」



神主の言葉に、仁矢は身体をぶるぶる震わせる。

青柳は口を引き結んだ。



「神主様、オレは泊まらないよ。村出てくから。」



「は?」



「今日出ていく。村のみんなにありがとーって言っておいてください、よろしく。」



「あ、青ちゃん?」



「月ちゃんも、ありがとー、元気でね。比呂もな!仁矢はどーでもいい。」







静まりかえる場所で、青柳は頭を下げ歩きだす。



「ふざけるな」



青柳は、神主に胸ぐらを掴まれた。

睨む青柳を、神主はそれを上回る怒りの形相で睨み付けた。



「出ていくなら、ちゃんと村中に挨拶していけ!おめえ、村長にも言ってないな?!母のように大切に思っているくせに!」



「グッ!」



(だって、時間がない。)



赤髪の旅人が、小鬼を殺しにやってくる。

きっと村が、山が壊される。



(ここにいたら、誰かが死んでしまう。)



そんなこと、絶対に嫌だ。



「うるせえ!!うるせえ!!オレは、もううんざりなんだよ!!」



青柳は周りを指差す。



「山ばっかりの、何もない田舎!」



赤い目と黒髪の青年を指差す。



「人を見下すことばっかりの、クソ野郎ども!」



「全部、全部、つまんねーんだよッ!!」



「オレは」







青柳の頭に、垣間見た小鬼の夢が浮かんだ。





恐ろしい火の山があった。



炎沸き立つ赤の川


太陽の光に輝く、明るい緑色の海


激しい風に吹かれて、流れる白い雲


鮮やかな青色の空




力持つ異形の化け物


見たことのない動物


異国の知らない言葉を使う人


不思議な格好の人


住む家も


何もかも知らない場所







「もっと、見てみたいんだ。」



「色んな場所を」





(ああ、本当のことがある。)



青柳は、馬鹿にしたようにせせら笑った。



(良かった。)



「こんな場所、さっさっと出ていきてーんだよ!!」





ぼふん





青柳の腹に、何かが当たった。





「ウ」





藁色の頭の子供が、青柳の腰にしがみついていた。





「ウウウッ!ウウッ!ウわあああああ!!!」

「ひ、比呂?」





青柳を見上げた比呂の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。





「ウウウ!!ウウウウウウウウウウッッ!!」

「お、おい?」





「ウソつきィィィィィィーーーーーー!!!」





比呂は叫んだ。





「ウソつきィィィィィィーーーーーー!!!」





何度も





何度も





何度も







「ウソつきィィィィィィーーーーーー!!!」







比呂は叫び続けた。



















雲ひとつない青空


冷たい風が吹き、草木が揺れる



青柳の家を見張っていた海藻のような黒髪と無精髭の中年男、春風はるかぜは、馴染みのある主の気配に後ろを振り返る。



「若~、何してたんですか?アンタみたいな若造とちがって、オッサンのおれにゃ、徹夜きついんすから~、てッ?!」



赤髪の青年、紅羽くれはが、鋼色の小さな鳥籠を持って立っていた。

その中に、青黒い斑模様のある、水色の小さな蛇がとぐろを巻いて、うずくまっていた。

小さな蛇からは、主の相棒の赤い狼と同じ強い神気を感じた。

そんなものをぶら下げて、面倒の予感しかしない。



「……。」

「……。」



2人の間を、早朝の清々しい風が通り抜ける。



【…呪ってやる】



蛇が、力ない声で囁いている。



【…呪ってやるぞ、火のやから。ボクをいじめて、閉じ込めやがって…】



囁くごとに、水色の鱗が、青黒くなる。

神々しい気が、邪悪なものへと変化していく。



(オイー?!何か、どんどん病んでってるけど~?!)



【…うう…う………青柳が…ボクを置いてった…置いてったよ…】



涙を流し始めた蛇に、春風は顔を近付けた。



「アオヤギ?…アオヤギって、黒髪と青い目の女の子?」



【…何だと?】



急に鎌首もたげた蛇。青色の目で、春風を見た。



「あそこの変わった家に、異国の坊さんとすげぇ美人の男と住んでる女の子だろ?アンタ、あの子の知り合い?」



春風は、50メートルほど先にある白い壁の家を指差す。



【ムサイ中年がァ!青柳に手をだす気かッ?!】



「ムッ、ムサ?!…え?…手を…手をだす?」



春風は首を傾げ、気付いた。

なんて酷い侮辱だ。



「だッ、だすかー?!子供なんかにー!!」



【青柳が、"すげー好みの可愛い女の子"って、言っただろうがア?!】



「言ってねーだろオオ??!むしろ、男だろ?!鼻くそほじって、飛ばしてやがったよ、あの子!」



【鼻くその何が悪い?!ここから青柳の家を見て、青柳をつけ狙っていたんだろうがアア?!】



「ちっげーよッ!!オレの目的は、あの異国人のジジイだよ!!間違えんなよ!狙ってんのは、ジジイの貞操じゃねーからなッ?!命だからなッ?!そこんとこ間違えんなよ?!」



蛇は、青色の目を細めた。



【…アイツには手をだすな。】



蛇の水色の鱗が、きらめく。

蛇から発される強い神の気配に、春風は一歩退く。



【もしアイツが死んだら、黒い鬼が出てくるよ。そしたら、みんな死んじゃうのさ…】



「何だって?」



呟く春風を横切り、紅羽が歩き出す。

その視線の先にあるのは、青柳の家。

















ガタリ



家の扉を開け、銀髪に褐色の肌の老人、ラユシュは外に出た。

赤髪の青年が、腕を組んで立っている。



「おまえを殺しにきたぞ、"鬼の手"。」

「ハハハ、どちら様かな?」



ニコニコ笑う老人と険しい顔をした青年。



「馬鹿野郎!!」



そんな青年の背中に、春風は、飛び込んだ勢いで蹴りを入れた。

青年の身体は、びくともしない。



「真正面からいくヤツがあるかい!!」



紅羽は、うるさそうな顔を一瞬したが、



「だが、おまえを殺すとまずいらしい。」

「無視してんじゃねーよ?!」

「"黒い鬼"とは何だ?」



ラユシュは、目を見張る。



「理由を話せ。10数える。」

「短すぎだろ?!」

「早くしろ、殺せない。」

【これだから、火の輩は嫌なんだ…。短気短慮の馬鹿ばかり。】





ラユシュ老人と、籠の中の蛇が見つめ合う。



「あなたの目は、青柳と同じ色ですね。」

【あの子は、嫌っているけどね。】

「綺麗なのに……。故郷の湖を、思い出します。晴れた日の、青空が映りこんだ湖面は、とても美しかった。」

【あの子は全て憎み拒む。おまえと同じでしょ。】

「そうでした、そうでした。フフフ」



ラユシュ老人は、薄く笑った。



「でも、それは間違いでした。」







黒の髪と褐色の人


金の髪と白色の人



ちがうのに


おなじ



泣く顔、怒る顔、憎しむ顔、笑う顔



死に顔も





「最初から、わかっていた。」



「けれど」



「止められなかった。」



「私は、私を止められなかった。」







空色の目は、目の前に広がる緑の山々を


赤い屋根と白い壁の小さな家を


遠くに見える三泉神社を見つめた。



今日は祭りの日、たくさんの人が踊り、歌い、さぞ楽しいだろう。

青柳と仁矢が故郷の舞を踊るのを見たかったが…。



(これ以上の奇跡は、望まない。)



「黒い鬼のことは、私の力で、できる限りのことはします。」



ラユシュ老人は、紅羽と春風に頭を下げた。









「私を、殺してください。」




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