38 砂糖に群がる蟻
「つまり、こちらの山橋様ご夫妻はこども好きで」
ツナは冷静な表情でいう。相変わらずの大正時代風女給服、和服の胸元を押し上げるおっぱいには子供たちがむらがって顔をおしつけている。まるで砂糖に群がる蟻のよう。
「あのね、プロポーズの言葉がね、野球チームを作ろう、だったんだって! すごいよね、双子が二組もいて、今九人目を妊娠中だって! なんか奥さんの方がノリノリみたい!」
にこにこしながら言う凛々花の腕には赤ちゃんが抱かれている。ほ乳瓶から、おいしそうにミルクを飲む赤ちゃん。
おしっこをひっかけられたので、凛々花は高校のジャージに着替えていた。
メイド服以外の恰好をしている凛々花を見るのは、ずいぶん久しぶりな気がする。
「赤ちゃんをだっこすると、なんでこんなに幸せな気分になるんだろ、あーかわいいよー!」
赤ん坊を見つめる凛々花は、母性本能満開の笑顔だ。
たいがいの女性というのは、赤ん坊を抱くと多幸感に包まれるようにできているものらしい。
凛々花だけではなく、ツナも子供は好きらしく、いつもは冷静沈着な彼女もどこか頬が緩んでいる。
「えーと、つまり、どういうことですか?」
まだよく事情がわかっていない星多。
「だからね、星多くん、これだけ子供いると、さすがにご夫妻だけじゃ面倒見切れないでしょ? それで姪っ子さんたちがベビーシッターしてたんだけど、事情でできなくなって、しかも奥さんも妊娠中だから、とにかく緊急に子供たちの面倒みてくれる住み込みの人を探していたんだって。でも子供たちを見てもらうには信用できる人がいいってんで、昔からつきあいのあった奥様に相談して、私たちに白羽の矢がたったの」
総勢八人の子供たちがわーきゃー言って遊び回る広い部屋の中、耳を澄まさないと会話もまともにできない。
あとから来た愛想美はぶすっとしてオレンジジュースのストローを口にくわえている。
玄関のインターホンのモニタに映る愛想美の顔は悲愴そのものだった。
ものすごい形相で、
「神道寺の娘ですっ! 開けてくださいっ! 開けてぇぇぇ!」
と叫んでいた。
その時に流していた涙のあとがまだほっぺたに残っている。
長い髪に身体をうずめ、ズルズルとジュースをすするその顔は不機嫌だ。
なぜなら、さっきから子どもたちに精神攻撃を受けているからだ。
「すごーい! このおねーちゃん、おねーちゃんなのにおっぱいがなーい! 柔らかいけど、ないよー! すごいよー!」
兄や姉たちにツナの巨乳をとられ、仕方がなしに愛想美の胸を枕にしにきた幼女がそう言う。ツナの胸に群がっていた子供たちのうちの一人がそれを聞いてとことこと歩いてくる。そして愛想美の胸にパイタッチ、
「ぺったんこー! お姉ちゃん、病気なのー? おっぱい牛乳、出ないのー?」
「おっぱい牛乳が出るときには少しは大きくなるわよ! っていうか人間なのに牛乳ってなによ、人乳よ人乳!」
人乳とも言わねえだろ、普通は母乳だろ、と星多は思うが、まあ無粋な突っ込みはやめておこう。
愛想美は子供たちの無垢で純真な好奇心に身体のコンプレックスを刺激されまくって、でも本気でおこるわけにもいかず、頬をヒクヒクさせている。
「なるほど、確かに絶倫政治家ね……。どっちかというと、産むほうも産むほうだと思うけど。なにこのしょうもないオチ。しょぼい。しょぼいわ、あんなに大騒ぎしたあたしたち、馬鹿みたい。はあ」
がくっとうなだれて、ため息をついた。
「で、どうすんの? なんか、二人ともここが気に入ってるみたいだけど、やっぱりうちからこっちに移るってことで、いいの?」
愛想美に訊かれて、凛々花は、腕の中の赤ちゃんをあやしながら、
「うーん、まあ、愛想美さんのうちもよかったけど、別にここでも、いいかなーって。この子たち、生意気だけどかわいいし、妹の小さい頃を思い出すし」と答える。
「お嬢様。わたくしは、奥様に拾われ、お嬢様にご恩を受けて育ちました。奥様やお嬢様が、この山橋家で過ごすのが良いとお考えであれば、それに従いたいと思います」
ツナは淡々と言った。
「あ、そう。……まあ、同じ市内だし、これからもいつだって会えるし、なんだったら、あたしもここに手伝いにきてもいいし。……まあ、ツナや凛々花先輩がいいなら、別にあたしがどうのこうの言うことはないけど」
愛想美はそう言って、オレンジジュースの残りをジュババっと吸って、
「おかわり、もらっていい? 走ってきたから、のど乾いちゃってるの」
そこに男の子がやってきて、
「あー! ジュースは一日一杯までなんだよー! ジュースばっか飲んでると、大きくなれないってママが言ってた」
「そうだよ、だからおねーちゃん、ぺったんこなんだよ!」
その発言がマジでカチンときたらしく、
「うるさい! あんたら、ちょっとこっちきなさい! あたしのストレッチプラムで苦しむといいわ!」
男の子をひきずっていき、プロレスの固め技をかけ始める。
「うわー! おねーちゃんの胸ぺったんこだから頭がいたいー!」
「なにおっこうしてやるわ!」
そこに別な男の子がやってきて、愛想美の胸に背中から手を伸ばして触る。
「あはは、ぺったんぺったん!」
「こらぁ! ちょ、ばか、つまむな、待って、その触り方されるとやばいかも……っ。星多、加勢に来て!」
「よっしゃ、俺も参戦するぜっ」
ツナと凛々花の貞操の無事が確認できてほっとした星多と愛想美は、はしゃぐように子どもたちとプロレスごっこを始める。
そんな二人を笑顔で見ながら、ふと凛々花が声をあげた。
「そうだ。そういえば、大黒さん、どうしよう……」
「なにが? 大黒さんは、確か今日の午後から休暇だったんじゃないかしら」
子供たちにおっぱいをまさぐられまくりの状態のまま、ツナが言う。
「なにか、大黒さんに用事があるの?」
「ほら、大黒さんにもらった会社の携帯にええと、愛想美さんのお父さんから電話があったんです。先生、とか言う人にメールしといたから、ユキさん……ユキさんって、大黒美由紀さんのことですよね? ユキさんから先生に言えば、なんとかしてくれるはずって。ユキさんに、まかせるって」
「あらそう」
ツナは微妙に表情を変化させ、
「ユキ、さんから先生に、ねえ。うっかりしてたわ、その手があったわね」と言った。
「あの、先生って……?」
「顧問税理士よ。奥様からすごく信頼されていて、地球上で唯一、奥様に意見できる人ね」
「んー。つまりその人に大黒さんから言ってもらえば、奥様の考えを変えられるかもしれないってことですか」
「そう思うわ。で、どうする、凛々花さん? ここにいる? 戻る? 正直、私は」
ツナはほんやくこんにゃくパンチを受けている星多を見ながら言う。
「どちらでもいいけどね。大人たちの事情にあわせるしか、道はないのだものね、私たち」
その話が聞こえていたのか、クレヨンによる魚雷攻撃を受けながら星多が言った。
「俺は、そのどちらでもないと思うぜ。俺は、凛々花先輩も、……ツナさんも、どちらも、大人たちの事情にあわせることなんか、ねえと思う」
「え?」
凛々花が聞き返す。
「メイドをやるのも子守するのもいいけど、それだけじゃないはずです」
「その二つに一つでしょう、小僧?」
「いいや、違います。大人に従うだけじゃなく、自分の意志を少しは貫いてもいいはずです。二人は……普通の、高校生をやるべきだ。そうだ、学校に戻るべきなんですよ!」
「わたくしが、学校にですか、小僧? 戻るもなにも、わたくしはもうずっと学校になんて行っておりません」
「でも通信制には在学してるって聞きました。それももちろんいいと思います。けど、毎日学校に行って、同じ年齢の友達をもっといっぱい作って高校生活を送るのもいいと思うんです。凛々花先輩だってそうですよ、だってあんなに成績よくて友達がいっぱいいたのに。ほんとは戻りたいでしょう? 少なくとも俺はそれがいいと思います。全力で、俺と愛想美でサポートしますから。なあ、愛想美?」
いまや幼女三人にのしかかられている愛想美も、
「もちろんよ、あたしたちが、ちゃんと、ツナや凛々花先輩のこと、応援するから! うぐ、ぐふぇ、三人はさすがに重い……」
星多も続けて、
「なんだったらあのばばあに土下座しても足をなめてでも、っていうか、命にかえてでも……凛々花先輩たちを、学校に、戻しますから! なにより、凛々花先輩、おじさんは……ユキさんにまかせる、といったんですよね?」
「え、ええ」
その辺の会話も、星多には聞こえていたらしい。
「じゃあ、ユキさんが決めるといいです、ユキさんに任せましょう、だってユキさんはちゃんとわかっているから。理解しているはずだから。俺はユキさんを信じます」
よくわからずに凛々花の頭の上にハテナマークが浮かぶ。
ツナは、星多には何も言わず、凛々花の眼をじっと見て尋ねた。
「凛々花さん、あなたは? やっぱり、できることなら、学校もどって高校生に戻りたい?」
「はい……」
「そうよね、それが当然よね。お嬢様だけじゃなくて、将来の若旦那様が、命に変えてでも協力するって言うのなら、……甘えてみても、いいかもしれないわね」
言って、ツナは立ち上がり、バルコニーへ向かう。
「ほら、その赤ん坊は小僧にでも渡して、ちょっと凛々花さんもきてみなさい」
二人の少女はテラス戸を開け、バルコニーに出る。
プリキュアパンツをくぐり抜け、星多が跳んできた隣のビルの窓を見、そして下を覗く。
「落ちたら死んでたわね」とツナ。
「ここを跳んで来たの……? 嘘、思ったより、危ない……星多くん、だめだよ、もうこんなことしちゃ! こんなの……ほんとに、死んじゃう」
凛々花がコンクリートの地面を真っ青な顔で見つめてそう言った。
その凛々花とツナの背中に、星多が言う。
「好きな女を守りきるまでは、男は死なないんです」
「あらやだかっこいい。凛々花さん、うらやましいわ」
そしてふふ、と笑い、
「どう? あなたを守るために実際命をかけて、たぶん何割かの確率で死んでいたのに、あんなとこから崖を飛び越えてきた男がいるけど。たぶん、今後一生ないわよ」
「ま、まあ、はい、うん、少しは、かっこよかったかな」
ちらりと星多の顔を見る凛々花の瞳が少し潤んで揺れた。
「小僧の勇気に免じて、甘えてやりましょうか。あなたはどうする、凛々花さん?」
「私も……星多くんが、そう言うなら……甘えちゃおう、かな。頼りに、してもいいかな?」
星多は力強くうなずく。
「ちょっとちょっと、私のことも忘れちゃだめだからね」
仲間外れにされたと思ったのか、口をつきだして言う愛想美。
「私もちゃんと、ツナと凛々花先輩を守るんだから!」
星多は愛想美にも笑いかけ、
「心配すんなよ、愛想美。凛々花先輩たちを守るおまえごと、俺が、守ってやる。男だからな」と言った。
「うわ、マッチョ」
愛想美がジト目で言う。
「今のセリフ、多分十年後くらいに思い出してうわぁぁってなると思いますが」とツナ。
「あー。星多くん、今のはすごいね、なんか私まで恥ずかしくなってきた」と凛々花。
そんなふうに言われたら、なんだかとんでもなく痛いことを言ってしまった気がする。
「あ、なんか赤くなってる」
三人の少女たちが、くすくすと笑いあった。
星多の腕の中で赤ちゃんが、大きな声で泣き出す。
同時に、四人はせっかくの笑顔をやめて顔をしかめた。
「あ、これ、……大きい方だな」
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