32. 太ももと太ももの間に何かが挟まっているような



 翌日の朝。



「なんだ、愛想美と星多はまだ起きてねえのか」



 ばあちゃんが、食卓の上座に座り、ケースから入れ歯を取り出しながら言った。



「まあわけーもんは睡眠ちゃんととったほうがいいども、決まった時間に起きるくらいのことはしねえとな。あんまりだらしねえと立派な大人になれねえすけの」



 入れ歯を口に入れ、獅子舞の獅子のようにカチカチと歯を鳴らす。


 そのばあちゃんの前に今日も女給姿のツナが、ミニウインナーとスクランブルエッグの載った皿を置いた。



「奥様。実は……」


「なんだね」


「お嬢様と小僧が、家出したみたいです」



 無言で顔をしかめるばあちゃん。


 代わりに、「なにそれぇ?」と声を出したのはパンダ……ではなく、大黒様……でもなく、今日も巨躯を白黒クラシカルメイド服に身を包んだ、この家のメイド長(いや別にそんな役職はないのだが)、大黒美由紀だ。



「ちょっとツナ、どういうこと? 家出? 愛想美さんと星多さんが?」


「はい」



 答えつつ、自分の席につくツナ。


 凛々花はすでに席についている。



「高校生にもなって家出とかみっともねえな」



 ばあちゃんは不機嫌そうに言う。そして、ツナと凛々花に視線を移し、



「お前らを山橋んとこに移そうって言う時に、あんなに怒ってたくせして。お前らを残して自分は家出か。いい気なもんだ。ほっとけ、邪魔もんもいねみてだし、ほれ、ツナも葉山も、今日からでも山橋んとこに行くか」



 大黒が、恐る恐る、



「あの……いいんですか、本当に放っといて?」


「ええよ別に。腹減ったらすぐ帰ってくるろ。だけども理由は気になるわな。ツナ、お前、なんか聞いてるか? あのバカども、なんで家出したんだ」



 ツナは目の前にある、ミルクの入ったグラスをじっと見つめる。



「ツナ、お前に訊いてんだ、なんか知ってるか?」



 ばあちゃんが問い詰めるように重ねて尋ねる。



「昨晩、お嬢様とわたくし、とんでもない現場を見てしまいまして……」


「ほう、それで」


「ええと、それで……ちょっと言いにくいのですが……どこから話したものか……」



 そこで、ツナはちらっと凛々花を見やる。


 その視線に、凛々花はビクッと身体を震わせ、額からダラダラと汗を流し始めた。



「なんだ、葉山、お前もなんか知ってるんか」



 パクパクと口を開け閉めして、凛々花は何かを言いかけ、でもやっぱりやめて、助けを求めるようにツナを見る。


 でも、ツナは冷たく突き放すように、



「直接の原因は凛々花さん、あなたなのですから、あなたからどうぞ」


「あ、ああ、はい、そうですね、あのですね……」



 冷や汗を流し、視線を泳がせながらも、凛々花はフラフラと立ち上がり、ばあちゃんのそばに行く。


 ――ほんとに、こんな作戦でいいの? 


 逡巡するけど、もう星多と愛想美は家を出てしまった。


 後戻りはできないのだ。


 凛々花はばあちゃんの隣に膝を付き、両手を畳に綺麗に揃えて頭を下げる。



「あの! ええと、あの、奥様」


「なんだ」


「さ……!」


「さ?」


「さ、三回、三発! ヤ、ヤ、ヤった? ヤった、ので、三十万円ください!」



 和室に、静寂が訪れた。



「…………」


「………………」


「……………………」



 ばあちゃんも、ツナも、大黒も、誰も何も言わない。


 いや、ツナが「馬鹿……」と呟いたのがかすかに聞こえた。


 あれ? なんか、間違ったかな? もしかして、話す順番、間違えちゃった?


 思うけど、あとの祭り。


 顔をあげると、ばあちゃんがものすごく微妙な顔をして、入れ歯をカチカチ鳴らした。


 ほんとに獅子舞の獅子そっくり。かじってもらえば頭がよくなるかな、とどうでもいいことを考える。



「あー……。ヤったって、あれか。まぐわったってことでいいんか。お前が、星多と?」


「あ、はい」


「あーそうだの。……まあ、うん。……おれが言ったんだものの。しょうがねの。あー、うん、一応聞くけども、どっちから?」


「わ、私から! 星多さんを、押し倒しました!」


「で、三回?」


「はい、一昨日と、昨日、夜に二回……」


「まー、若いからの。大黒、来月のこいつの給金に三十万円上乗せしとけや」



 言われた大黒は、「はい」と答え、テーブル越しにツナに尋ねる。



「なにこれ、まじ?」


「まじです」



 しれっとツナが答える。



「ほんとに? 嘘でしょ?」



 大黒がテーブルの上に身を乗り出し、さらに訊く。


 ツナも応じてテーブルに上半身を乗り出す。



「わたくし、その現場を見ましたから。と、いうより、昨日からおかしいな、とは思っていたのです。凛々花さん、なんか歩き方がぎこちなくなっていて」


「なにそれ」


「つまり、その、太ももと太ももの間に何かが挟まっているような、なんというか」


「あー、なるほどなるほど、初めてだと次の日そうなったりするよね、人によるけど。異物感がね。うんうん」



 会話の内容が妙に生々しい。


 自分がした作り話のせいとはいえ、ちょっとあまりにもリアルに語られると、さすがに恥ずかしくて凛々花はほっぺたを熱くする。


 大黒は興味津々一〇〇%、といった調子で、



「で、ツナ、昨日はばっちり現場を見ちゃった?」


「はい。お嬢様と二人で小僧の部屋を訪れたところ、それが真っ最中で」


「ほうほう、え、どんな感じ? もっと詳しく聞きたいんだけど」



 生々しくかしましく会話する黒白の肥満メイドと、蝶が舞う着物にエプロン姿の女給。


 小声なのだけど、明らかに聞こえているらしく、ばあちゃんが目を眇める。


 そのばあちゃんは二人の会話を遮って、



「ちょっとそこの二人、黙ってろ……ま、事情はわかったわ。こないだも言ったが、あれだ、子供とかは……」


「申し訳ございません、星多さんはそういうの嫌いらしく……ええと、あの、そ、そのまま? ええとなんて言うんだっけ、あ、な、生?」



 そう言えと言われたので言ったけど、生ってなんだろうか。ジュースか何か?


 でもとりあえずはもの凄く恥ずかしいことを言わされてるのはわかるので、凛々花の顔はポインセチアの花のように真っ赤に染まっていく。



「そうか、あいつもしかしてクズか。まあええ、今度からそういうのきちんとしろや」



 ――そういうのってどういうんだろ。


 正直、よくわからない。


 つい一週間前までは箱入り娘で蝶よ花よと育てられ、あまりにモテすぎるゆえ、遠慮かなにか知らないけれど、逆に女子の友達とのそういう会話にも入ったことのない凛々花にとって、ほんとによくわかってないことを教えられたとおりに口に出してるだけなのだ。


 そりゃ基本的な知識はもってるけど(コウノトリでもキャベツでもない!)、実際問題、ソレがどう行われるのかなんて、まったくわからない。ほわわーんとしたぼやけた想像はしたことあるけれど、個別的具体的な行為なんて、どうするのかさっぱり知らない。


 エッチな本とかDVDとか、見たこともないし。


 ファッション雑誌はよく見るけど、そういう下卑た話題の載ってるのは買ったことない。


 ので、凛々花はもう、暗記してきた文章を、しどろもどろに、グラビアアイドルから転身してきたアニメの新人声優並みに抑揚なく、棒読みで言うしかないのだった。



「で、お前、身体は大丈夫かの」


「二回目からは慣れてよくなってきました!」


「そうかの?」


「はい、もう超良くて気絶するかと思いました! 最高です!」



 何が?


 よくわからないけど、まあそういうものらしい。


 もうはっきりあからさまにテンパってる凛々花に助け舟を出すかのように、ツナが口を挟んだ。



「で、奥様、そういうことなのでございます。昨晩、小僧が凛々花さんに種付けしているところを、お嬢様が見てしまいまして。それはそれはお嬢様、激怒いたしまして……」


「ほうほう」



 目を細めて興味深そうに聞くばあちゃん。



「ということは、あの馬鹿孫娘……愛想美は、やっぱり星多のこと好いてたのか?」


「それどころではございません。なにせ、幼き頃より一緒に過ごし、中学生の時に学校で孤立して登校拒否になったときにはただ一人お嬢様に寄り添ってくれた、お嬢様にとっては特別な男性でございます。若き二人がいつも一緒に行動していれば、当然起こりうることですが、実は、お嬢様、すでにあの小僧にハジメテを捧げておりまして」


「最近の若者はイカレてるのお」



 さすがにばあちゃん、嘆息。


 ツナはさらに続ける。



「これは……いずれ近いうちにご本人から報告するとのこと、わたくしはあえて黙っておりましたが……」


「なんね」


「お嬢様、妊娠検査薬にて検査したところ、陽性でございました。この赤ちゃんは絶対産みたい、と。そんな折りに小僧がリリカビッチ……」



 凛々花が恨みがましげにツナをジロリと見る。



「失礼、凛々花さんとそのようなご関係になりましたもので、実に実に、気が触れる直前……いえ、あれはもう、そうなってましたね……そのくらいお怒りになりまして」


「へえ、あの愛想美がのお。というか、星多はクズじゃな。まだ養子縁組はしておらんが、少し考えなおさねばなんねの」


「はい、まったくクズでございます。お嬢様が自分の子を産むということは実質自分がこの神道寺製薬の将来の社長、愛人の一人や二人かまわんだろう、と大げんかです」


「高校生のセリフとは思えんな。それで? どうしてそれで二人揃って家出になった?」


「はい、それでさらに口論が続き、わたくしにまで話が及んで……あ、奥様、わたくしにも十万円ください」


「お前もか! なにしてもいいと言ったのはおれだけども、しかしほんとにやりたい放題やるとはの。ほんっとにクズだな。今の高校やめさして、禅寺にでも行かせるか」


「名実ともに小僧になるのですね、いいと思います。それで、お嬢様は怒り心頭、こんな男と結婚なんてできない、と。するとあのカス、いや小僧は、それじゃあ神道寺製薬の社長になれない、ちょうどそういう話もあることだし、わたくしと凛々花さんはクビにして追い出す、だから俺と結婚して俺の子供を産め、と、そういう話になりまして」



 大黒が「ははっ」と呆れたような笑い声を出して、



「そりゃまた、気持ちがいいほどのゴミ発言だねえ」と言った。


「ええ、真夏に一週間放置した生ゴミみたいな臭いのする発言でございました。それで、お嬢様はもう、ほんとに、狂い死にしそうなほど憤りまして、まあ、一応、わたくしお嬢様と小さいころからご一緒させていただきまして目をかけていただいておりますから、どのような事情があるにせよ、そのわたくしを追い出すなどと言った小僧に心底失望したごようす、奥様にいいつけてあんたを追い出してやる、と」


「ま、そういう話なら、どうしてそうならんかったかね」


「そこはお嬢様、基本馬鹿でございますから、今奥様に知られたら、高校生だしお腹の子供はあきらめろと言われるのは間違いない、俺はお前を愛してる×10、お前が一番なんだ、お前に俺の子供を産んでもらいたい、だって俺はお前を愛してるぜ愛想美×20、だから絶対お前に俺の子供を産んでもらいたい、好きだ好きだ愛してる、と、小僧に言われましたらもう、馬鹿ですからぽうっとなりまして。馬鹿ですもの」


「まあ、馬鹿なのは否定しねどもな」



 梅干しを食べた時のような顔をして言うばあちゃん。



「それで、あきらめることができないくらいお腹の子供が成長するまで、駆け落ちしよう、と。ふたりきりの逃避行だ、とかなんとかお嬢様の耳許で囁くわけです、小僧が。ま、自分の子供さえお嬢様に産ませてしまえば、小僧にとっては目的遂行でございますものね、神道寺製薬の跡継ぎ決定ですもの」


「それで駆け落ちか」


「まあ、そういうわけでございます。なにせ、お嬢様、頭が弱いですから」


「なんかどうも、信じらんねけども、家出したっていうのはほんとらしいしな」


「ええ。それで、奥様。奥様にしてみればいずれ小僧とお嬢様をくっつけるおつもりだったごようすですので、それはそれでいいとして、わたくしも凛々花さんもなかなかの危険日だったのでございますけれども。で、もし、その、わたくしどもも、あのクズの子供をお腹に宿していたとしたら、どのようにすればよろしいでしょうか」


「まー、おれも女だすけの。堕ろせとかはいわんよ。まさかほんとにそうするだけの度胸が星多にあるとは思わんかったが、好きにせいといったのはおれだ。おれが責任もって育てられるようにするわいね」


「では、わたくしどもが山橋様のところへ行くという話は」


「一旦保留だ、まずはあのクソガキとっちめて禅寺に押し込めてから考えるわ」



 つまりは、そういう作戦であった。


 愛想美の父親と星多の母親に連絡がとれるようになるまでの時間稼ぎ。


 最初は、星多が凛々花とツナを連れて逃げる、という案もあったのだが、それで二人の借金が消えるわけではないし、星多や愛想美と違ってただの使用人だから、下手にばあちゃんに逆らって作戦が失敗したときに、どんな仕打ちを受けるかわからない。


 そんなことはないだろうけど、星多や愛想美の知らないところで怖いおじさんたちとばあちゃんがつながりがあって、そっち方面に売られる、なんてことになったら最悪だ。


 その点、愛想美ならば、ばあちゃんにとって実の孫であるし、星多だって義理の孫だ。


 多少逆らってばあちゃんの怒りを買ったところで、おっかない人たちに売られるとか、そこまでひどいことにはならないだろう。


 家出をしないでこの作戦を遂行する、という選択肢もあったけど、そうすると星多から引き離すためにツナと凛々花が売られる、という可能性もある。


 星多と愛想美がこの家にはおらず、逆にツナと凛々花はこの家に残る。


 愛想美をいわば人質にとり、ツナと凛々花はあえて神道寺家に残して事態をひっかきまわし、ツナと凛々花を政治家に売るどころの話じゃなくしてやろう、という計画なのだ。



「ま、どうするかちょっと考えてみるわね。とりあえず朝飯だ」


「そうですね、じゃあ、いただきましょうか、人間食べないと頭が働きませんし」



 大黒がそういって手を合わせ、いただきますの合唱、トーストにかじりつく。



「ところで葉山」



 ばあちゃんが凛々花に言う。



「はい?」


「あいつの……星多のチョンボはどのくらいの大きさだったね?」


「はひっ!?」



 チョンボというのはこのあたりの方言で、つまりは男の股についてるアレのことである。


 凛々花もこの土地で生まれ育った人間なので、意味は即座にわかる。


 いきなり予想外の質問をされて、凛々花は返答につまり、



「ええと、その、ええと、まあ、その、ええと、大きかったです」と言った。



「大きいって、どのくらいだね」


「ひへっ!? あの、その、えっと、そ、そう、こ、このくらい大きかったです!」



 目の前の三センチもないミニウインナーにフォークを突き刺し、それを掲げて言う。



「ほう、このくらいの大きさで、大きかったかね。最大値でこれかね?」


「あ、は、はい」


「ほうほう、そりゃでけえね」



 ばあちゃんも自分のウインナーにフォークを突き刺し、口の中に放り込む。



「なるほどなるほど、星多も成長したのお」



 ぷふっ、と大黒が吹き出した。



「なんか、食べづらくなるんだけど」



 と言いながらも、大黒は三つ同時にウインナーを頬張り、



「星多さん、あとで慰めてあげることにしようっと」



 モリモリと豪快に咀嚼しながらそう言った。






 食後。



「で、奥様。さっきの話ですけど、ほんとだと思います?」



 廊下を歩くばあちゃんの後ろから大黒が訊くと、



「俺も八十年近く女やってんだ、あんなんに騙されるほど馬鹿じゃねえ」



 と、ばあちゃんは不機嫌ではない声で答える。



「ま、なあに考えてんだかはしらんけども、ちょっとばっかお灸すえてやらんとね」


「でも、星多さんの気持ちもわからないではないですが……」


「ほっほ、あいつのことはあとで考えることにするわ。まずは、共犯者からだの。ツナと凛々花、あいつらからだわ」



 ばあちゃんは、にまあ、と不吉に笑ってそう言うのだった。




―――――――――――――――――――――――――――

フォローと★★★をお願いします!

やる気が出ます!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る