8. 媚びた感じのないヴィクトリアン風メイド



 たどりついたのは、柔道の試合が出来そうなほど広い和室。

 冗談みたいに広い部屋で、昔の総理大臣直筆の掛け軸を背に、老婆が上座に座っている。

 愛想美あそびの父親の母親、つまりは愛想美が言うところの「おっかないばあちゃん」である。

 ばあちゃんに正対するように座布団に座る星多と愛想美。

 歳相応に地味な色の着物を身につけたばあちゃんは、あまり冗談の通じなさそうな険しい表情で星多の顔を見る。


「お前が石動いするぎのとこの星多せいただの。顔見るの久しぶりだわ。あっという間にでかくなったの。お前のじいちゃんそっくりだわ。ま、ええわ。今日から星多は、うちの子供だ。あの馬鹿息子は星多の母親かっぱらって二人で出て行ったから、ここにはおれとお前らと、あと住み込みの手伝いが何人かしかいねえ。おれは細かいことはいわね。わっけもんのことは大黒だいこくにまかせるわ。の、大黒、このガキ二人よくしつけれよ」


 ばあちゃんは傍らに控えていた大柄な女性にそう言う。

 大黒と呼ばれた三十半ばを越したくらいの女性は、巨大な肥満体を揺らして、「わっはっはっは」と笑って、


「おまかせ下さい、奥様。私、星多さんのこと小さい頃から知ってますから」


 星多も大黒のことはよく知っている。以前からのお手伝いさんで、今や愛想美の家の中をとりしきっているばあちゃんの右腕だ。ここに来る前はどっかの病院で看護師やってたとか聞いたことがある。

 愛想美とは幼馴染なので、よく一緒にいたずらをしたものだが、その結果二人の尻をバシバシ叩くのは大黒の役割と決まっていた。

 七福神の大黒さまと同じく今はでっぷりと太っている彼女も、その昔はすらりとした美人だった。ま、今の姿を見るとあれは夢だったんじゃないかとすら思えるのだが。

 痩せてた頃の大黒はフットワークも軽く、逃げ回る星多と愛想美を楽々捕まえては、その細腕のどこにと思うほどの馬鹿力で二人の尻を叩きまくってくれた。三日間はまともに座れなくなるくらい尻によく響いたものだ。

 星多は隣で正座している愛想美の腕をつんつんとつつくと、


「なあおい、大黒さん、最近太ってきたのは知ってたけど、いくらなんでもでっかくなりすぎじゃねえか?」

「そうなんだよね……大黒さんと仲悪かったお手伝いさんがパパについていっちゃってから、どうもご飯がおいしいらしくて」


 こそこそと小声で話したつもりだったが、その内容はばっちり大黒に聞こえてたらしく、


「わっはっはっは、一番痩せてた頃の二倍は体重あるよ、私」


 二倍どころか三倍あるだろ、と叫びそうになったが、幼い頃の尻の痛みを思い出してぐっとこらえる。

 しかし、もうひとつだけ、どうしてもこれは突っ込みたいことがある。

 これを尋ねることだけは我慢出来そうにない。

 恐る恐る、星多は疑問を口にする。


「あの、大黒さん、なんで、……メイド服?」


 大黒が身に着けているのは、白と黒のシンプルなメイド服だったのだ。

 上質そうな生地でできたそれは、大黒のあまりの巨体をどうにか覆ってはいるが、今にもはちきれてしまいそうだ。


「わはは、いいでしょ? これ、私の趣味。かわいいでしょ?」


 いや、あなたに着られているメイド服、かわいいというよりかわいそうです、とはもちろん言えない。

 肥満体を覆っている白黒の衣装は、メイドというよりも、パンダに近いとすら思える。

 お湯をかぶったら人間に戻ったりするかもしれない。


「私ね、こういうの昔っから好きでね、奥様に頼んだら、手伝いの制服、私が決めていいっておっしゃってくださって。一人ひとりの制服、みんな私が決めたんですよ。いろいろ取り揃えてますから、星多さんも楽しみにしていてくださいな」


 なるほど、あなたの趣味でしたか。上野動物園にきたのかと思った。


「はあ……」


 と曖昧な返事しかできない星多に、ばあちゃんが声をかける。


「ええろ。大黒はともかく、他は美人でねか」


 そして今度は大黒に向かって、


「ほれ大黒、他のお手伝いも紹介してやれ。通いの手伝いも何人かいるけど住み込みのやつらは一緒に生活するからの」

「そうですね。っていっても、星多さんもツナのことは知ってるよね?」

「はい、さっき挨拶しました」


 大黒の隣に座っていたツナは、星多に向かって綺麗な座礼をし、


「よろしくお願い申し上げます」


 とだけ言った。髪をとめているかんざしの飾りがシャラリとなる。

 うーん、こうしてみると、女給姿ってのも、いいなあ。大黒さん、ナイスだ。


「んでー、もうひとりいるんだけど」


 大黒がそう言うと、


「は?」


 愛想美が驚いたような声を上げる。



「ちょっと、大黒さん、うちには住み込みのお手伝いさんって、今は大黒さんとツナだけでしょ?」

「あら、まだ言ってませんでしたっけ? 今日から、新しいお手伝いさんが入るんですよ。片付けが終わったら、ここに来るように言ってたんですが……。あ、きたきた!」


 パタパタと軽い足音をたてて、一人の少女が部屋に入ってきた。

 彼女は、「遅れてすみません」と言ってツナの隣に座る。

 こっちは大黒と同じくシンプルなクラシカルメイド。媚びた感じのないヴィクトリアン風で、長いスカートに控えめなフリルのエプロンドレス。

 その姿を見た途端、星多は、身体が飛び跳ねそうになった。


 ――いや、ありえんだろ、嘘だろ?


 そう思って、彼女を凝視する。

 細くしなやかな黒髪、白い肌。

 それが黒と白のメイド姿としっくりきて、奇跡的なほどよく似合っている。

 ツナとはまた別系統の美人。

 ツナを彫刻のような美少女だとすると、こちらは妖精のような雰囲気を纏った美少女だ。

 妖精というよりは天使かもしれない。

 そう、天使だ。俺の、天使。

 なんで――どうして、俺の天使がここにいるんだ?

 星多は少女をじっと見つめ、何をどう解釈しても人違いではないことを確信する。

 さっきから自分の心臓がドゴンドゴンと胸郭の中で暴れまわっているのがなによりもの証拠だ。

 シックなメイド服に身を包んだ天使。

 一年以上恋焦がれ続けた憧れの先輩。

 そこにいるのは、まぎれもない、星多の片思いの相手、書道部の元先輩、葉山凛々花であった。



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