9. 嫁は用意してやる



 つい二日前にいい感じの青春物語っぽくお別れした大好きな先輩が、今、メイド服を着て目の前にいるのだ。

 なんだこれ、なにが起こってるんだ?

 凛々花りりかは、にっこりと笑うと、まっすぐに星多と愛想美に顔を向ける。


葉山凛々花はやまりりかでございます。本日よりこちらにお世話になることになりました。よろしくお願いいたします」

「は、はあ……」


 星多は曖昧に頷き、愛想美あそびはポカーンとした顔をしている。

 凛々花先輩が言っていた住み込みの仕事って、この家のお手伝いさんだったのかよ!?

 なんというかもう、頭が真っ白になって何も考えられない。

 愛想美も知らなかったらしく、星多の隣で「どうなってんの……」と呆然と呟いている。

 やっと、星多は気づいたのだった。あの時、凛々花が言っていた言葉の意味を。


『大丈夫、川の流れは別れても、いつか元通り一つになれるんだから』


 そういうことだったのだ。

 あまりのことで言葉を失っている星多を一瞥して、ばあちゃんが口を開く。


「そしたらの、ここのルールはおいおい覚えておけばええ。それよりも、星多、おれんちの子になるのに一つだけ絶対に守ってもらわんばなんねことがある」


 星多はまだ凛々花に視線を奪われながらも、


「はい、なんでしょうか」と返事をする。

「うちはの、製薬会社を経営しとる。おれの旦那は医学部に行っとって博士号もとった。息子も、医師免許もっとるし、しばらく大学の研究室にいた。経営者っつーのは現場の下積みがねえといかん。だから、うちの子は医学部か薬学部に行ってもらわんばなんね」

「は、はあ……えっ?」


 思わず、愛想美の顔を見る。

 愛想美は星多の視線から逃れるように、顔をしかめてあらぬ方向を見た。


「医学部……? 愛想美、お前の成績って……」

「言うな馬鹿」


 吐き捨てるように言う愛想美。

 ばあちゃんは、ハァ、とわざとらしく大きなため息をつくと、


「おれは愛想美はあきらめた。どんなに優秀な家庭教師つけても駄目だ、金でなんとかなるとこの医学部に放り込もうと思っとったが、もういい、愛想美は好きなとこいけ。そのかわり、星多、お前が医学部いけ。名門大の医学部しか認めん。会社の経営には箔っつーもんもあったほうが便利だすけの。最低でも地元の国立大だ。ええか、これから毎日学校終わったら勉強だ。わりけど、成績表見せてもらったわ。今のままじゃ医学部は行けん。が、これからの精進次第だ。ほれ、今日からきた葉山とかいうの」


 ばあちゃんは凛々花を見る。


「こいつな、こないだの東大模試で全国四位だったんだとさ。星多、お前、これから毎日この葉山から勉強教えてもらえ」



 くいっと顎で凛々花を指す。

 そして、ばあちゃんの口から飛び出す衝撃発言。


「あとな。おれの旦那だけどな。昔おれと結婚する前にいろいろゴタゴタあったんだ。恋愛ごとにうつつを抜かすと勉学に身が入らねすけ、禁止だ。そのかわり、嫁は用意してやる。養子なら結婚できるすけ、ほれ、愛想美をお前にやる。お前が跡取りだ」


 ……ん? いまこのばあさん、なんて言った? 

 跡取り? 結婚? 俺が? 愛想美と?

 思わず愛想美の方を見る。

 ハリネズミがそこにいた。いや、違う、愛想美だった、量の多い髪の毛が怒りで逆立って、まるでハリネズミみたいに見えているのだ。


「はあああっ? ばあちゃん、何言ってんの!?」


 愛想美が勢いよく立ち上がり、食って掛かる。


「そんなの、勝手に決めないでよ! そんなの、そんなの……こいつと……結婚ぅぅ? ばっかじゃないの!?」


 ばあちゃんは相手にせず、あしらうように、


「お前が頭よくねえのがわりんだ。いやか? 星多が生理的に受け付けねほど嫌いか?」

「そっ」


 愛想美は傍らの星多を見下ろして、


「そんなことっ……」


 見る間に頬を赤くする。


「ないけどっ……、いや、そうじゃなくて、そうじゃない! 生理的に受け付けないほどには、嫌いじゃないってことだからっ」


 ばあちゃんは薄く笑い、


「聞いたぞ。愛想美、お前、星多が好きな女にフラれるようになんか変な助言を……」

「ぎゃあああああああああああああアアアアアアアアウウウウっ!!」


 愛想美の正気とは思えないほどの叫びで、ばあちゃんの声はかき消されてしまった。おかげで星多にはよく聞こえなかったが、愛想美はマジで怒り狂っているようだった。


「バーカバーカバーカ!! ばあちゃんバーカ! っていうか、ツナッ! 喋ったのあんたでしょ! 裏切りもん!」


 大正風女給のツナは、相変わらずすました顔で、


「私はお嬢様ではなく、神道寺家にお給料いただいてますので」と言う。


 大黒がおもしろそうにくっくっ、と笑って、


「ツナは案外おしゃべりだからねえ。ペラペラ喋るから私も知ってますよ愛想美さん。いいんじゃないですか、星多さんがお婿さんなら嬉しいでしょ?」


 愛想美の顔はもう、赤いというよりも、どろどろに溶けた溶岩のような赤黒い顔で、


「ばっ、ばっ、ばっ、ツナも大黒さんもっ! ばぁか! ばあちゃん、本人の気持ちも聞かないでそんなこと言わないで!」

「ほっほっ」


 ばあちゃんは楽しげに笑い、


「星多、お前は愛想美だと嫌かね? 夜這いかけてもおれは構わんぞ。それとも、もっと胸がおっきほうがいいかね? お前のじいちゃんはでかいのが好きだったけども」


 ダンッダンッと地団駄を踏みながら、愛想美がさらに叫ぶ。


「ほんっとに信じらんない! もういいっ! 星多、あんた本気にしちゃ駄目だからね! あんたの部屋、私の隣だけど、入ってきたりしたらマジ! マジ、殺すから!」


 星多はここで話し合われてる内容がもう現実のことだとは思えず、とりあえずは、


「ああわかったよ」と答えておく。


 そこに、ばあちゃんが本日最大の爆弾発言を始めた。




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