12. ネグリジェ娘と大正浪漫風女給とクラシカルメイド



「おい、愛想美、お前、その首にかかっているものはなんだ?」

「ああ、これ? そうね、ええと、まあ聴診器にしか見えないわよね、うん、聴診器よ」

「それは見ればわかる。なんでお前、聴診器を首にかけてるのかっていうのを聞いてるんだよ」

「あー……」


 愛想美はちょっと上を向いて考えこむふうを装い、ぽん、と手を叩くと、


「最近便秘気味でお腹の調子悪いのよね。大黒さんに借りてきたんだけど、ちゃんと腸が動いてるかこれで確認してたの」


 と言って、聴診器を耳に装着し、先っぽを星多の胸に当てた。


「あんたはどう? ……うん、健康! やっぱり日頃の体調管理は大事よねっ」

「んなわけあるか! お前それで盗み聞きしてたんだろ?」

「あのね、聴診器って壁にあてても案外隣の部屋の声が聞こえないの! だからそんなことしてない! さっきやってみたけど結局壁に直接耳つけた方が早かったわよ」

「やっぱり聞いてたんじゃねえかよ!」


 もっと文句を言ってやろうと思うんだけど、あまりにアホくさすぎて言葉が出てこない。

 こみ上げてきた頭痛に、こめかみを指でぐりぐり押す。

 なんなんだいったい。そう思って目の前にいる三人の少女を見る。

 母屋と違って離れの廊下はそんなに広くない。

 狭い通路でネグリジェ娘と大正浪漫風女給とクラシカルメイドに囲まれているのだ。

 しかも、愛想美からはシャンプーの香りが漂ってきているし、ツナからは和風な微かに甘い匂い、そして星多の大好きな凛々花のフレグランスは優しくフルーティーな、ほんわかさせてくれる女の子の肌の香り。

 つい先日まで母親と狭い家でふたり暮らししていたのだ、自宅に若い女の子のフェロモンが充満している、なんてありえないことだった。

 なんだか非現実感に頭がクラクラしてくる。


「あ」


 突然、ツナが何かを思い出したように声を出した。

 着物のどこに入っていたのか、最新式のスマホを取り出して画面を覗く。


「もう十時ね。うっかりしてました、お嬢様、申し訳ございませんが今日は……」


 愛想美も頷く。


「ああもうそんな時間なのね。うん、今日もお疲れさま。凛々花先輩もね」


 よくわかっていない星多と凛々花に説明するかのようにツナが言う。


「私たちのお仕事は十時までなのです。さあ、葉山さん、あなたも仕事の時間は終わりよ」


 なるほど、住み込みのメイドでもやっぱり勤務時間ってのはあるんだなと星多が思っていると、ツナは綺麗なお辞儀をして、


「では、お嬢様、お坊ちゃま、おやすみなさいませ。お嬢様、お部屋には鍵を閉めてくださいね。ほら、葉山さん、あなたもお嬢様とお坊ちゃまにご挨拶しなさい」


 言われて、凛々花も星多と愛想美に向かって、


「あの、……お嬢様、…………お、お坊ちゃま、おやすみなさい」と言った。


 お坊ちゃま! 憧れの先輩に、お坊ちゃまって言われた!

 この俺が、お坊ちゃま……。

 ないなあ。ない。背中がむずがゆくなる。

 それに凛々花先輩やツナさんにそんな呼ばせ方して悦に入るなんて、ちょっと自己嫌悪に陥りそうだ。


「あのさ、凛々花先輩も、……ええと、ツナさんも、お坊ちゃまってやめてくれないですか。なんていうかこう、ちゃま、とか響きがさ……」


 ツナは一瞬目を細めると、


「そうですか。たしかに、ちゃま、は子供っぽいですね。では」


 コホンと咳払いし、


「お坊さま」

「いや待って違いますよねそれ? 俺お経とか読めないし」

「そうですね、お坊さまとは『坊』の主、つまり坊主のことですから、普通は十六歳の方に対しては使いません」

「ずれてるよね? そういうことじゃないよね?」

「この国では成長途中の男性のことを少年と呼ぶんだろう? だったら、やがてお坊さまになるキミのことは、小僧って呼ぶべきだよね?」

「いやそりゃ子供の僧は小僧だけど! そもそも俺、やがてお坊さまにならないし! この国って日本だよ! なんとかベぇにちょっと似てたけど意味が通ってないよ?」

「黙れ小僧! お前に大黒サンを救えるか!」

「えー。なにこれどうしたらいいの、パンダも祟り神になったりするの?」


 ツナはぷふっ、と吹き出し、


「確かに大黒さんってパンダそっくりですね……」


 と言ってからすぐに表情を戻し、


「お嬢様、それに小僧、私達は勤務時間が終わりましたので、これからお風呂を頂戴してから休ませていただきます、よろしいですか小僧?」

「あーうん、もうどうでもいいよ……」


 星多と愛想美へきっちり四五度腰を曲げた最敬礼をして去ろうとするツナ。

 凛々花はどうしたらいいのかわからないようすでおろおろしていたが、


「そ、それじゃあ、私も……あの、お嬢様、おぼ……せ、星多さん」

「今まで通り星多くんでいいですよ先輩」


 クラシカルメイドはほっとしたようにニコッと笑い、


「うん。星多くん、おやすみ」と言った。


 その凛々花の口調と表情は、部室で聞き慣れた書道部の先輩のそれだったので、星多の胸はじんわりと暖かくなった。


「はい、お休みなさい、先輩」


 愛想美と並んで、メイドと女給の後ろ姿を見送る。


「いやしかしツナさんって思ってたより、結構喋るんだな」

「なに言ってんの、ツナってあんな感じよ」


 なんだか星多の記憶と今のツナがつながらない。


「今までもあたしをよくからかってたよ。そっか、ここしばらく、星多とツナって全然会ってないもんね。ま、これから『仲良く』なればいいんじゃないの」


 愛想美はなぜか『仲良く』のところで不機嫌そうな顔になる。そして星多の顔をジトッと見、


「あたしももう寝るから。ぜっっっっったいに、部屋に入って来ないでよ」

「どうせ鍵かけるんだろ、入れねえよ」

「ふん」


 ドスドスドス、と大股で自分の部屋に入り、ドアを閉める愛想美。

 ガチャリ、と丈夫そうな鍵の音が中から聞こえた。

 騒がしかった廊下が、急に静かになった。


「今日はもう疲れたな」


 ひとりごちて、頭を掻きながら、星多も自室へと戻ることにしたのだった。




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