11. もっと上の方、そこに入れればいいんです



 翌日、星多は自室で勉強をしていた。

 星多にあてがわれた部屋は、そう広くはない。

 そもそも星多と愛想美の部屋はだだっ広い日本家屋にちょこんと増築された離れにあって、その部分だけをとってみればあまり金持ちの家っぽくなかった。

 子供には度を過ぎた贅沢に慣れさせないようにしているらしい。

 そちらの方が星多には落ち着けてよかったが。

 部屋の中には、まだあちこちに引越しの荷物のダンボール箱が置いてある。

 毎日最低六時間は勉強しろ、と言われてるので、部屋の片付けもそのままに、とりあえずは小さい頃から使ってきた勉強机を据え置いて、数学の問題集と格闘していたのだ。

 時刻はもう夜。昼からずっと勉強しているので、そろそろ疲れてきたが、そうも言っていられない。

 なにしろ、星多の隣には、クラシカルメイド姿の凛々花がいるのだから。

 ばあちゃんに言われたとおり星多の家庭教師をすることになった凛々花に、夕食後から勉強を見てもらっているのだった。

 凛々花は星多の左側に座って、数学の問題を解く星多の手元に視線を落としている。


「あ、そこ……」


 凛々花がノートを指さす。


「ここ、違うよ……違いますよ」


 星多相手に敬語を使うのに慣れてないせいか、凛々花の話し方はぎこちない。

 別に今まで通りに話してくれても構わないのに。

 すぐそばに座っている凛々花が遠く感じられた。

 ため息をついて、問題を見る。

 数学は苦手だ。世の中の数学者は全員別世界からやってきた魔法使いだと思う。

 さっぱりわからん、こんなんでほんとに医学部なんて目指せるんだろうか。


「わからないです……こうですか?」

「ううん、駄目ッ! ここに入れるんじゃなくて、こっちに入れるの」


 どうやら代入するところを間違えたようだ。


「えーと……」

「違うの、……違います、もっと上の方……そう、そこ……。そこに入れればいいんです。あせらないで、ゆっくりと……」

「こ、こうですか……」

「そう……するりといくでしょう?」

「うわあ、ほんとだ、凛々花先輩すごいです……」 

「ほら、ちゃんとぴったりになるようにできてるんです、これ」


 なるほど、数学ってのは、まさに、


「自然の神秘ですね」

「へへっ、うまくできると気持ちいいでしょ?」

「はい、すごく気持ちいいです!」


 でも、こんなに時間をかけていては、本番の試験の時に時間切れになってしまいそうだ。


「先輩、もっと速くしていいですか?」

「慣れてきたなら、いいですよ」

「よ、よし、じゃあ……」


 次の問題を、猛烈にシャーペンを動かして計算する。

 星多の筆圧はもともと高いので、ノートの紙が破れそうになった。


「ああッ、星多くん駄目ッ、速すぎる! 破れちゃう! 強すぎて駄目になっちゃうよ!」


 突然、ドゴンッ! と壁が鳴った。

 明らかに、隣の部屋から壁を殴られた音だ。

 隣の部屋のドアが開く音、そしてドスドスドス! という足音に続いて、「きゃっ!」という叫び声。

 しばらくして、部屋のドアが少しだけ開く。

 星多が振り向くと、ドアの隙間から、明らかに愛想美のものと思われる吊り目が星多の部屋の中を覗きこんできた。

 その吊り目と視線があう。何気に怖い。ある意味ホラーだ。

 凛々花も何事かとドアの方を見る。


「…………」

「……………………」


 ドアの隙間の吊り目が、ギョロギョロと部屋の中を見回し、勉強机に向かって並んで座っている星多と凛々花の姿をしばらく眺めた後、ドアはゆっくりと音もなく閉じていった。

 パタン。


「いやちょっと待てよ、なんだよ!」


 ドアに駆け寄り、乱暴に開ける。


「おわっ!」


 星多は思わず声をあげた。

 愛想美だけかと思ったら、大正カフェ風女給のツナもいたからだ。


「ツナさんもいたんですか」

「お嬢様とお坊ちゃまにお飲み物を、と思いまして」


 確かに、ツナはアイスコーヒーのグラスが載ったお盆を持っている。

 蝶が舞い踊る柄の和服、そこにフリル付きの白いエプロン姿。大正時代のカフェの女給さん姿にはぴったりだ。でも、なぜかグラスの中の氷はほとんど溶けかかっており、三つあるグラスのうちひとつはからっぽだった。


「お飲み物ってなによ、あんたそのグラスをドアに押し付けて盗み聞きしてたじゃない。びっくりして思わず悲鳴あげちゃったわよ」

「コトの最中にお坊ちゃまのお邪魔をしてはいけないと思いまして」


 しれっとそんなことを言うツナ。

 っていうかコトってなんだよ、この人って喋り方と見た目に騙されてたけど案外……。

 寝巻姿の愛想美も「はぁ」と溜息をついて、


「呆れたわねー」


 やれやれ、といった感じで首を振る。

 星多はその義妹の姿を見て、「そうだよな」と同意しかけ、


「んんっ!?」


 二度見してしまった。

 幼馴染の星多も、思春期を迎えてから愛想美の寝巻姿は見たことがなかった。

 量のある髪の毛をゆるいお団子にまとめている。身体を覆う髪の毛がないと、身長一四五センチの愛想美はいつもよりもさらに小さく華奢に見えた。

 ぎりぎり透けない程度の薄い生地でできたネグリジェは、上品な淡いピンク色で、なんというか幼児体型のはずの愛想美の身体が、やけに艶めかしいものに見えてくる。

 普段見慣れているのとは全く違う雰囲気に、親友で戦友で幼馴染で義妹なのに、正直ドキッとしてしまった。

 だけど、それよりも、さらに星多の目を引いたのは。





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