15. お胸のほうもなかなかこじんまり

 広いなあ。まるでどこかの温泉にいるみたい。


 神道寺かんどうじ家の浴室で、凛々花りりかは湯船につかりながらまわりを見渡していた。

 なにしろ、広さはちょっとした温泉旅館の浴場くらいあるし、サウナまであるし、ツナの説明によると二十四時間いつでも入れるみたいだし、そもそも使っているお湯は敷地内の源泉から汲み上げてるらしい。

 温泉みたい、なのではなく、温泉そのものなのだ。


「お金持ちって、すごいなあ」


 ドボドボとお湯を吐き出すマーライオンの顔を撫でる。

 これひとつでいくらするんだろう。

 湯船も浴室の壁も高そうな大理石でできていて、照明ひとつとってもおそらくどこかのブランド物らしき高級さをかもしだしている。

 こんなお風呂に毎日入れるなんて、そこだけはここに住み込みで働きにきてよかったかも、と思った。

 とは言っても、もちろんこの広いお風呂を掃除するのも自分の仕事なのだが。


「今日のところはもう仕事終わりだって言ってたし、いいよね」


 刺激のない柔らかなお湯の中で手足を伸ばす。

 そこに、浴室のドアがガラガラと音をたてて開く音が聞こえた。

 現れたのはふわふわな髪をお団子にしてまとめている、小さな人影。

 彼女はその吊り目できょろきょろと浴室内を見回すと、シャワーをさっと浴び、ダバッ! とお湯を跳ね上げて浴槽に入ってくる。

 ザブザブと凛々花の隣までくると、浴槽の中に腰を下ろす。


「あの……。お、お嬢……」

「もう仕事は終わったんでしょ、お嬢様はなしよ。っていうか、あたしの方が年下なんだし、普段から愛想美あそびって呼んでいいわよ」

「そう……だよね、うん、愛想美さん」

「ん。それでいいわよ」


 愛想美は短くそう言い、横目で凛々花を見る。

 いや、正確には、凛々花の胸のあたりをじいっと凝視している。


「えーと……」


 女同士とはいえ、さすがにガン見されるのは恥ずかしい。そもそも凛々花はあんまり胸に自信がないし。

 腕で隠しつつ、


「あの……?」

「む。凛々花先輩は、そんなに大きくないのね」

「は……?」


 反射的に、愛想美のバストに視線がいってしまう。

 うん、なるほど、身体も小さいけど、お胸のほうもなかなかこじんまりとしてる。


「なに見てんのよ」


 と愛想美に言われて、いやいや、最初に見てきたのはそっちでしょう、と思ったけど、でも凛々花どころじゃない、ほんとにかわいそうなほどぺったんこなので、


「ごめんなさい」


 とだけ言っておく。


「ツナのやつはねー……。でかいのよ。浮くのよ。浮くの! ねえ、信じられる? ぷかーぷかーって! ありえないよね、凛々花先輩も、……うん、浮かないよね?」

「う、浮いたことはないです」

「そうだよね、あいつがおかしいんだよね、奇形なんだよ、あたしたちが正常! 勝った!」


 グッとガッツポーズをとる愛想美。

 一方的な勝利宣言になんと返答したものやらとまどっていると、


「疲れたでしょ?」


 ぼそっと、愛想美が言った。


「慣れない家に、慣れない仕事で、その上、ばあちゃんはあんなこというし」

「正直、クタクタです。あの、奥様が言ってたことって……」

「ああ、ばあちゃんね、あれ、どこまで本気なのか知らないけど、聞く必要ないから。気にしちゃだめよ」

「そう、ですか……」


 それからしばらく二人は無言。

 マーライオンが吐き出すお湯の音がやけにうるさく響く。

 凛々花は腕をお湯から出してのばしてみる。

 まあ、肌は、綺麗な方だと思う。魅力はないほうじゃないと、少しは思う。

 星多くんも私のこと、好きだって言ってたし。

 実家で暮らす小学生の妹の顔を思い浮かべた。

 姉の凛々花ですら眩しくて目を細めるくらいのとびっきりの笑顔。

 妹は、両親の前で、「音大いって、将来は音楽の先生になるんだ」って言っていた。その後、凛々花にそっと、「でもほんとはピアニストになりたいんだ」って耳打ちしてきた。

 息が耳にかかって、こそばゆかった。夢に満ちあふれた声は、それを聞いた凛々花の心まであったかくしてくれた。

 今の葉山家の状態では、妹を音大になんてとてもやれない。

 というか、そもそもピアノも売り払ってしまった。

 ピアノが運び出されていくときの、妹のあの顔……。

 唇をぎゅっと引き締めて、泣かないように必死に耐えて。


「ね、愛想美さん」


 愛想美も何か物思いにふけっていたらしく、話しかけられて身体をビクッとさせる。


「ん、なに?」

「もし、私が……その、星多……くんに、その、あの、なんていうか、アレしたら、アレしたらっていうか、されたら? 奥様にお金いっぱいもらえるんでしょうか」

「そんなこと言ってたわね。でも凛々花先輩さ、どうせ星多にはそんな度胸ないし、心配は……」


 そこで、愛想美はハッとしたように凛々花の顔を見る。


「凛々花先輩、まさか!?」

「はい。私、ヤる。ヤります。星多君の、その、そういうアレに、なります。愛想美さんは、星多君が私と、ええと、そういう風になったら、イヤですか?」

「べ、別に、あたしは! あいつがどこの誰と何をしようと、か、関係ないし! ……関係、ないし……」

 先ほどの愛想美と同じように、今度は凛々花がグッとガッツポーズをとり、


「私、いいです、ヤりますから! 妹が大学いけるまで! あ、正妻は愛想美さんですから、そこは別に狙ってないですから」

「あのねえ! だからそうゆうんじゃないって……!」


 そこで突然、愛想美の叫びを遮るようにガララ! と浴室のドアが開いた。






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