6. おにいちゃん、いっしょにおふろはいろっ

「そっか、凛々花りりか先輩、学校やめちゃうのか……でも、今聞いた話だと、別に星多せいたフラれてないよね? うん、大丈夫、フラれてない、だからあたしの責任じゃない」


 自分を納得させるかのようにコクコクと頷くと、愛想美あそびは星多の耳たぶをぐいっと掴む。


「いててっやめろって」


 抗議の声を出す星多を無視して、愛想美は続けて言う。


「手の平にチューでしょ? 普通そんなことやる!? なによ、難攻不落の美少女って噂のわりには……んーもうっ!」

「ん?」

「い、いや、なんでもない。それより星多、手にチューとか、それ脈あるから! 元気出しなさいよ、落ち着いたらどうにかして連絡とればいいじゃない」

「お前は昔っから楽天的でいいよな。俺はもう、凛々花先輩と付き合いたいとかそれ以前に、先輩がこれから苦労しなきゃいけないって思うともう、胸のこのあたりがぎゅうってなって……。なんとか力になりたいなあ」


 愛想美は星多の耳たぶから手を離すと、はあっ、と大きなため息をつく。


「あのねえ。力になるったって、あたしたちまだ高校生だよ? まさかほんとに死亡保険金を渡すなんてできないし。あたしたちにできることなんて、まだほとんどない。大人たちの都合にあわせて右往左往するだけでしょ。……例えば、親の再婚、とか」


 再婚、という言葉を口にすると、急に愛想美は黙りこみ、再び星多の隣の椅子に座る。

 まだ半紙を眺めてうっすらと目に涙を浮かべている星多と、その姿を見るのが嫌なのか、腕と足を組んで窓の外を見やる愛想美。

 そのまま二人の間には妙な沈黙が流れた。

 そうだ。星多の母親は、再婚が決まった。

 ゴールデンウィーク中には母親の再婚相手の家に引っ越すことになっている。

 母親の再婚相手のことはよく知っている。

 幼い頃に父親を亡くした星多を、まるで実の子のようにかわいがってくれた人だ。ちょっと抜けてるところがあるが、あれで結構な会社の社長だという。

 社長だなんてあの冴えない風貌とぼうっとした性格を考えると信じがたい。

 まあでも星多はその人に対して特に悪い印象は持っていない。

 そのおじさんも数年前に奥さんを亡くして、随分落ち込んでいたらしいが、星多の母親に励まされて立ち直ったらしい。

 根っからお人好しそうな、うだつのあがらない感じのおじさんで、一緒にいるとなんだかほっとする、不思議な印象の人だ。

 星多もこういう人が父親だったら、と思わなくもなかった。

 母親も女手ひとつで随分苦労してきた。

 父親の親友だったというそのおじさんと再婚するなら、星多は心から祝福するつもりだ。

 だけど、ひとつだけ、大きな気がかりがある。

 それは……。

 隣で窓の外を眺めている愛想美を見る。

 無表情でそっぽを向いたまま、ただ黙っている。

 軽い色の髪の毛が夕日に照らされている。もとからボリュームがある上に、生まれつきのくせ毛のせいで、さらに量が多く見える。愛想美の小柄で華奢な身体は髪の毛ですっぽり隠れてしまいそうだ。

 こいつって、むしろ実は髪の毛が本体なんじゃないのか。

 そんな変な考えが頭に浮かぶ。

 と同時に、突然、無言で愛想美がこちらに振り向いた。

 目が合う。

 ちょっとつり上がったその目は真剣で、そんな表情は彫りが深く整った彼女の顔立ちにぴったりとあっていた。

 見飽きた顔ではあるけれど、普段はこんな表情を見せないから、不覚にも星多はドキッとしてしまった。

 愛想美は真面目な表情のまま、小さな唇を開く。そしてぼそっと呟いた。


「これからはあんたのこと、おにいちゃんって呼ぶね。いいよね、おにいちゃん」


 親友の口から出た言葉で、星多の肌には鳥肌がたつ。

 寒気に襲われて思わず自分の身体を抱いてしまった。


「おまっ、それはやめろっていってんだろが!」


 愛想美はにやりと笑うと、今度は幼馴染の星多も聞いたことのないような甘ったるい声を出し、


「おにいちゃん、いっしょにおふろはいろっ」

「ア・ホ・か、お前! なに言ってんだほんと馬鹿だなお前きもちわるっ、っていうかなんかその喋り方マジキモいぞおい」

「だってほら、星多の方があたしよりも八ヶ月ほど年上だし、ってことは、あたしのおにいちゃんになるってことでしょ?」


 そうなのだ。星多の母親の再婚相手こそが、幼馴染にして親友で戦友の同級生の女の子、愛想美の父親なのだった。

 ってことはつまり、星多と愛想美は兄妹になるってことで、つまりつまりこれから一つ屋根の下で暮らすことになるわけで、親友といったって年頃の男と女、星多だって思うところはなくもない。


「パパたち、今週中にも籍を入れるって。そしたらあんたはうちへ引っ越してくる予定だよね。ま、パパとおばさんは、なんだっけ、豪華客船『明日香』で一ヶ月新婚旅行したあと、東京の本社の近くに住むんだっていうけど」

「それは聞いた。再婚同士だから、式も挙げないって言ってたな。豪勢な式を挙げればいいのにって叔母さんが残念がってたよ」

「あんたね、親不在の一つ屋根の下であたしと暮らすんだから、妙なことしないでね」

「あのなあ。例えば凛々花先輩と同居なら俺も自分を抑えられないだろうけど。でもお前だろ? 妙なことってなんだ、夜中にお前とプロレスでもすりゃいいのか。だいたいお前の家、親不在たってばあちゃんもいるし、ほかにもお手伝いさんがいっぱいいるだろ」

「あたしの家じゃないよ」

「ん?」

「あ、た、し、た、ち、の、家、になるんだから」


 一言ずつ区切ってからかうように言う愛想美。

 ちくしょう、なんてむかつく口調だ。

 しかし、むかついていてもしょうがない、その通りなのだから。


「まー、そうなるんだろうけどな。あーもうわかんね! 先輩とはお別れだし、来月からはあのでっかいお屋敷に住まなきゃいけないし。どうせ母さんは東京にいくんだから、俺はそのまま今の家に住んで一人暮らしでもいいんだけどな」


「そんなのうちのばあちゃんが許さないわよ。家族は一緒に暮らすもんだって言ってるもん。うちのパパが本社をここから東京に移して引っ越すって言ったときも、超大げんかになって、お手伝いさんまで二分しての大騒動だったんだよ。騒動っていうか、あれ戦争だよ戦争。いやーパパもよくあのおっかないばあちゃんにたてついて家出て行ったよねー」


「おっかないから出て行ったんじゃないのか?」

「あ、そうか! なるほど。ま、とりあえずあたしは高校生にもなって転校はかわいそうだってんでこっちに残ることになったし、あたしとしても東京よりこっちの方が好きだし」

「お前、田舎娘だからな。東京なんて似合わない」

「何いってんの、あたし超都会っ子なんだから!」


 口を尖らせてムキになっている愛想美の顔を見る。

 ついさっきまで、凛々花のことで苦しくなっていた星多の胸の奥が、今は魔法のように軽くなっている。

 親同士が仲良かったこともあって、幼い頃から一緒に育ってきた仲だ。

 こうして話しているだけで、心が落ち着いていく。

 気が強くて口も悪いけど、そんな愛想美に星多が抱くのはなによりも安心感だった。

 親の再婚で兄妹になるというのも、本音を言うと、そんな嫌ではなかった。

 ただの幼馴染や親友なら、この先、お互いに進学や就職や結婚なんかで、いつ疎遠になるともしれない。

 でも、一度兄妹になってしまえば、このちんちくりんな女の子と一生絆が切れることはない。

 そのことが、星多にとって、少し嬉しかったりもするのであった。

 あと数日で、星多は愛想美の家、つまり神道寺家の人間となる。

 今日までは親友なのに、もうすぐ兄妹。

 なんだかむず痒いような、変な気分になる。


「ま、なんにしろあんたはもうすぐ石動星多から神道寺星多になって、あたしのお兄ちゃんになって、凛々花先輩とはお別れってわけよね、へへ」


 愛想美が自分の鞄を肩にかけ、教室の出入り口へ歩きながら言う。


「人の不幸をそんな笑って言うなよ……」


 星多が文句を言うと、愛想美はふわふわの髪の毛を揺らして「ふふん」と笑い、悩みのなさそうな脳天気で自信に満ちた表情で叫んだ。


「過去のことなんて、みーんな忘れなさいっ! ニュー星多に生まれ変わって、すっきりした気持ちであたしと同棲生活始めればいいのっ!」

「同棲って、意味わかってんのか?」

「しーらない! じゃ、今日のとこは帰る家が別々だからね、また明日!」


 そう、新しい生活が、始まる。

 始まってしまうのだった。

 過去に囚われまくった、めちゃくちゃな生活が。

 凛々花の言っていた言葉の意味を、星多はすぐに知ることになる。

 川の流れは岩で別れても、またすぐに一つになるのだ。


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