2. じゃーん! どう? なかなかのもんでしょ!

「じゃーん! どう? なかなかのもんでしょ!」


 満面の笑みで半紙を掲げる葉山はやま凛々花りりかの姿に、星多せいたはみとれてしまって声も出ない。

 星多が十六年間の人生で出会った中で、もっとも無垢で無邪気で純粋な笑顔が、今自分に向けられているのだ。

 学校指定のブレザー、短すぎない膝上丈のスカート。見慣れた高校の制服も、凛々花の身体を包むとなにか特別なもののように煌めいて見える。


「ね、ね、ここのさ、瀬を早み、のとこ苦手だったんだけどさ、これはよく書けてるでしょ? 星多くん、どう思う?」


 凛々花の軽やかな声が星多の胸の奥に染み渡ってくる。

 窓を開け放した書道部の部室にかすかな風が吹き込んできて、凛々花が持っている半紙を揺らした。その風は腰まであろうかという凛々花の長い髪の毛までふわりと躍らせると、星多の鼻腔に甘い香りを運ぶ。

 やばい、先輩のこの匂いだけで脳みそがしびれる。

 星多はなんとか邪念を振り払おうと歯を食いしばり、凛々花が手に持つ半紙を眺めようとするのだけれど、その視線はどうしても凛々花の小さな顔へと向いてしまう。

 自分を見つめる視線に気づいた凛々花は「ん?」と小首を傾げる。

 いやもうこれは美人とか美少女とかそういう問題じゃない、その目も口も鼻もきれいな肌も嫌味のない表情もサラサラのロングストレートの髪の毛も、見るだけで星多の心臓がどんどこ飛び跳ねて破裂しそうなほど魅力的なのだった。

 作品の感想どころじゃない。

 ゴールデンウィーク間近の晴れた放課後、憧れの先輩と狭い部室にふたりきり。

 バレー部と掛け持ちしている凛々花は、週に一度しか書道部の部室に顔を出さない。

 今日は一週間待ちに待ったその日で、星多はとある強い決心を持ってここにきたのだ。

 ――告白する。今日、俺は絶対に先輩に告白する!

 二年前の悪夢が頭をよぎる。

 冷たい目。冷たい声。思い出すだけで凍えそうだ。

 が、いやしかし男たるものトラウマを克服してこそ一人前になれるのだ。

 それに、目の前にいるのは氷の美少女ではなく、太陽の美少女である。

 万が一を考え(万が一ってなんだ?)、さっきガムも噛んだし、口臭予防のグミも口に含んだ。鏡も何度も見たし、今日この日のために練習も重ねてきたんだ。


「私ね、かなの書き方わかってきたと思うよ。ほら、こういう柔らかい感じでいいんでしょ?」


 あーうん、柔らかいだろーなー、きっと先輩はどこもかしこも柔らかくて腕も足もブレザーに隠れた控えめな胸もきっと……。


「ねー、なんか言ってよ星多くん。なんかすっごい変な顔してるけど、大丈夫? ……もしかして、そんなに上手じゃないかなあ?」


 形の良い眉をひそめ、凛々花は自分の作品に目を向ける。

 その大きな瞳は真剣で、白い肌に際立つ淡いピンクの唇をきゅっとひきしめている。


「うーん、やっぱりいいと思うんだけどなあ。ほらほら、ちゃんと見てよ」


 凛々花は、制服のスカートを揺らしてトトト、とかわいらしく星多に駆け寄ると、その隣に立って、半紙を持った手を突き出す。

 ふたりで並んで作品を見る。


『瀬を早み 岩にせかるる 瀧川の われても末に あはむとぞ思ふ』


 崇徳院の有名な歌だ。別れてもまた会いたい、みたいな意味だったと思うが、はっきりいって今の星多にはそんなことはどうでもよかった。

 凛々花の書道の腕前もどうでもよかった。

 なぜなら凛々花が、凛々花の身体が、今星多の身体とくっついてるのだ。

 肩と肩が触れ合っている。

 頭に血がのぼる。ほっぺたが火照って熱い。


「あーでもこうして見ると、瀧、の字が大きすぎるかなあ」


 頬をよせてくる先輩の腕が星多の肩に置かれた。

 なんだこれ、わざとか? わざとなのか? OKサインなのか?

 星多の目にはもはや、半紙に書かれた文字など写っていない。

 仮入部の時に会って以来、女性に対して頑なになっていた星多の心を解きほぐし、ついには片思いしちゃって好きで好きで好きで夜も眠れないほどの恋心を抱いていた相手が、今、自分とゼロセンチメートルの距離にいるのだ。 

 吐息や体温すら感じられそう。


「さっきから黙ってばっかり。星多くん、どうしたの?」


 どうしたのも何も、喋ると自分の息が凛々花にかかってしまいそうで、なんだか気恥ずかしい。一応口臭予防はしてるはずだけど。

 それに、なによりも口と喉がからからにひからびて声を出そうにも出せない。

 あきらめたのか、凛々花はすっと星多から離れると、


「つまんないの」


と言って半紙を眺める。

 窓から飛び込んできた春の風に凛々花の髪の毛とスカートが再び舞い上がった。

 星多は意を決して声を絞り出す。


「あ、あの! 凛々花先輩!」


 声帯から漏れでた声は緊張のあまりかすれてしまった。

 我ながら情けない、そう思って恥ずかしさに顔が真っ赤になるが、それでも伝えたいことは伝えなきゃいけない。

 ――好きなものや人のことを、きちんと好きって言えるのは、素敵なことだと思うわ。

 凛々花とは別の少女の声が頭の中で響く。

 二年前のあの日、俺はちゃんと伝えたし、今日この日この時だって、俺はちゃんと伝えるんだ。


「凛々花先輩、俺……」

「うん。何かな?」


 凛々花は手に持っていた半紙を机の上に置き、黒く輝く大きな瞳を星多にまっすぐに向ける。

 数秒の間、じっと見つめ合う。

 星多は親友を相手にして何度も練習した告白の言葉を言おうとするのだが、肺になにかがつっかえて、パクパクと金魚のように口を開け閉めすることしかできない。

 その美貌と底抜けに優しい性格から、全校生徒に天使とまで崇められている憧れの先輩は、星多の様子からこれから目の前の後輩が何を言おうとしているのかきちんと察したようで、「へへっ」と無邪気な笑顔を見せると、


「大丈夫。言ってみて? 自信を持って、言ってみて」と言う。


 さすがだ、告白され慣れてる、と感心する。いやでもまあこの反応ってもしかしたらいけるんじゃね? と希望が湧いてきて、星多は人生二度目のガチ告白を始めた。

 両の手の拳を握りしめ、大きく息を吸い、そして叫ぶ。


「俺、ずっと、凛々花先輩のことが好きでした!」



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