第9話 りんごのコンポート
「まったくもう、お嬢様は」
メアは早足で扉に近づく。高齢だとは思えない。早……っ。急いでその背を追う。
「お嬢様、入りますよ」
言うなり、メアは扉を開く。
寝室というか。私室、なのだろう。
その部屋は西側に天蓋付きのベッドがあり、東側には文机や本棚、家具などが設えてあった。
メアに続いて入室すると、ふわりとバニラに似た甘い香りに気づく。アリエステのつけている香水だと気づいてなんとなく顔が赤くなる。そういえば、女の子の部屋に入ってるんだよな、と。
「お嬢様。レイシェル卿が心配してきてくださいましたよ」
メアはずかずかとベッドに近づく。
俺はなんとなくそっちが見れなくて。
視線を部屋に彷徨わせる。
窓際には大きな鳥かごが飾ってあるが、鳥はいない。装飾品かな、と次は壁に目を移す。
そして、おや、と思った。
なんとも稚拙な絵がいくつも飾ってあるのだ。
どう見ても、子どもが描いた絵だ。アリエステが幼いころに描いたものだろうか。
ついまじまじと見る。
そしてなんか頬が緩む。
というのも、元気いっぱいな絵だったからだ。
8枚ほどが額に入れてランダムに飾られているのだが、描き手はいずれも別人だろう。
誰か大切な人を描いたと思われる笑顔の女性のものであったり、ひまわりとおぼしき黄色の花が画面いっぱいに広がっていたり。中には、「……抽象画?」と思うものもあるが、描き手の意欲が伝わってくるようなものばかりだ。
「お嬢様がお医者様を断るから」
「レイシェル卿に心配頂くようなものではありませんっ」
硬い声に顔を向けると、アリエステはベッドにもぐりこんでいるらしい。亀のようになってメアに反論していた。
「そうだな。こちらが勝手に手配して申し訳なかった。今日は謝りに来たんだ」
苦笑いしながらベッドに近づくと、アリエステがもぞりと顔だけ出す。熱のせいか目が潤んでいて、非常識ではあると重々わかっているがちょっとだけ色っぽい。
「たくさん身体にいいものや美味いものを持ってきたから食ってくれ」
そう言うと、鼻にかかった声でぶっきらぼうに彼女は言った。
「子どもの頃から……その。いつも疲れが出ると熱を出すのです。いつものやつです。ご心配には及びません」
「だとしても、俺は心配したんだ。だから直接やってきた」
うぐ、とアリエステは唇を噛んで反論することを辞めた。一応俺の気持ちは伝わったらしい。よかった。
「お茶を運んで来ましょう。レイシェル卿、どうぞこちらに」
メアはベッドわきの椅子を勧めて部屋を出ていく。
ぱたり、とドアが閉まる音を聞いてから、バスケットを近くの丸テーブルに置いた。
「……疲れたら熱を出すなんて、子どもみたいだと思っているでしょう」
目だけだした状態で、アリエステがボソリと言う。俺は笑いだしたくなった。なんだ、機嫌が悪い理由はそんなことか。
「いいや。そんなことは思っていない」
バスケットの上にかけてある布巾を外し、アリエステにひとつずつ瓶づめを持ち上げて見せてやる。
「りんごのコンポート、レモンの蜂蜜漬け、ルイボスの茶葉。それからこっちの籠はオレンジピールのはいったパウンドケーキ」
俺は手近な椅子に座り、首を傾ける。
「好きなのあるか? なにか食べたければ、いま食うか?」
「それ、どこかでお買い求めなさったの?」
相変わらずぶすっとした声だけど、興味はあるようだ。
「うちの部隊で料理が上手な奴がいるから。『病人のところに行く』って言ったら作ってくれた」
親指を立ててニカっと笑って見せた。
「味は俺の保証付き。野戦訓練でも、あいつさえいれば少なくとも食事のときはみんな幸せになるからな」
「………りんごのコンポート、好き」
「じゃあ……」
「あの」
「ん?」
「……化粧もしてませんし、寝間着姿なんですが……。いいですか?」
おずおずと尋ねられてきょとんとした。
きょとんとしたあと。
……盛大に反省した。
機嫌の悪い理由、こっちだよ……。これだよ。
そりゃそうだよな。
親兄弟でも、ましてや恋人でもないのにすっぴん女子の部屋に押しかけて……。
俺はなにをやってんだか……。
頭を抱えたくなっていたのだけど。
アリエステはもぞもぞと身じろぎして上半身を起こした。
慌てて周囲を見回してクッションをいくつか集め、ベッドサイドを背もたれにしてクッションで固定させる。
そのとき、ちょっとだけアリエステの肩に手がふれたのだけど。
まだ熱い。
潤んだ目とか、この前見たときよりも上気した頬とか。熱は下がっていないらしい。
やっぱり医者に来てもらったほうがいんじゃないかとか考えながら、俺はバスケットからりんごのコンポートが入った瓶を取り出した。
ついでに陶器の小皿とフォークも取り出す。うちの隊員は下手な執事やメイドより気が利く。
「きれい」
アリエステが呟くから何かと思えば、ルビー色した瓶を見ていた。りんごの皮と一緒に煮るから、煮汁がきれいな色をしていた。
蓋を開けると、砂糖とりんごのほかに、かすかにミントの香りもする。芸が細かいなぁと思いつつ、小皿に取り分けてアリエステに渡した。
「よく俺が来たってわかったな」
小皿を両手に持ち、香りを楽しんでいたアリエステがきょとんと俺を見る。
「鈴の音が聴こえたから」
「ああ、これか」
首に鈴をつけた猫になった気分で苦笑いした。
「捻挫した足は?」
「次の日には腫れもひきましたわ。その節はお世話になりました」
礼儀正しく頭を下げる。これはどうも、と返礼すると、さて、とばかりにアリエステはコンポートを口に運んだ。煮込まれて桃のようになった果肉にフォークを入れ、品よく口に運ぶ。とろりとした煮汁が少しだけ唇を濡らして色っぽいのだが。
口に入れた瞬間、甘さとさわやかな香りにうっとりと目を細める表情が幼くて。
ほんとこいつ、喰ってるときは可愛い顔するんだよなぁ、と顔がにやけそうになった。
「美味いだろ?」
尋ねると、ぶんぶんと勢いよく首を縦に振る。
「こんなに美味しいコンポートをいただいたのは初めてですわ! 我が家のパティシエとして引き抜きたいぐらい!」
「残念だがうちの優秀なスナイパーだからやめてくれ」
俺が笑うと、アリエステは目を丸くする。
「軍人だなんて……。信じられない」
それからもう一口頬張り、やっぱり目を細めてうっとりする。
「もっといれてやろうか?」
瓶に手を伸ばしたのだが、アリエステは残念そうに眉を下げて首を横に振る。
「もう……お腹いっぱい」
そういえば食欲がなくてほとんど食ってなかったとメアが言っていた。
病み上がりというか、まだ「病み中」にそんなに食わせてはいかんかな。
「アイスクリームに添えても美味しいだろうし、パンケーキの上に載せて生クリームを上から載せても美味しそうだし、パウンドケーキの中に入れて焼いても美味しそうなのに……」
「よくそんなにあまっだるいもんが想像できるな」
うえ、と顔を歪めるとアリエステに睨みつけられた。
「卿はやっぱりだめですね。王太子殿下はどんな甘いものでもお付き合いくださいましたわ」
そう言ってアリエステは王太子とどんなカフェに行ったとか、スイーツはなにを食べたとか言いだした。
俺も知っている有名カフェだが、女ばっかりでとてもじゃないけど入れん。それにコンポートは別として……。甘い菓子は何喰っても砂糖の味だと思っている。
「ほら、いま別のことを考えていたでしょう。卿の恋人は可哀そうですこと」
「悪かったな、俺が連れて行ったのが場末の居酒屋で」
そう言ってやると、きょとんとした顔をしたあとフーディの店を思い出したらしい。
くすり、と。
口角を上げて嬉しそうに笑うからどきりとする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます