第18話 鳴き声を聴くと幸せになる鳥
「ああ。ごめんっ」
慌てて手を離す。
アリエステはそのあと、まだちょっとだけ赤い顔のまま、ドレスを整える。自分で触ってどこがどう汚れたのか確認しているようだが、あと十分もすれば乾くだろう。大丈夫、大丈夫。
だけど。
すとん、とアリエステはそのまま椅子に座ってしまった。
しばらく様子を伺っていたんだけど、動く様子はない。落ち込んだように視線をテーブルに向けたまま項垂れている。
「庭に行こうか。王太子殿下のところに」
そっと声をかける。
「庭? ……ですが、今から行ってもみなに迷惑や気遣いをかけるだけです」
沈みがちな声に、俺は「じゃあ」と笑う。
「あっちとは別行動だ。勝手に青い鳥の鳴き声を聴いて幸せになりに行こう」
俺の提案に、アリエステはようやく笑った。
「そうですわね」
そうして椅子からそろりと立ち上がる。俺が左ひじを差し出すと、控えめに隊服をつまんだ。もっとがっしり組んでもらってもいいんだけど、と思いながら俺は彼女を連れて歩き出した。
「セレーブスってどんな鳥なんだ?」
侍従に扉を開けてもらい、庭に出る。
途端にやわらかな風が吹きつけて来た。枝が揺れ、葉陰をさらさらと落とす。耳を澄ませば鳥の声も聞こえるのだが、姿は全く見えない。
「これぐらいの大きさの鳥ですわ」
アリエステが立てた人差し指で宙に丸を描いて見せる。
「どこにいるのかなぁ。青いってことは目立つんだろう?」
ぐるりと見渡すが、枝や葉っぱばっかりだ。
アリエステを連れてさくさくと落ち葉を踏んで庭を歩く。
「青といっても
ふふ、とアリエステは笑う。
「いつも真っ青だと目立ってしまいます。鷹の格好のエサになってしまいますわ」
「それもそうか」
応じながらも、目は鳥ではなく別のものを捜していた。
この展開というか、この流れから出て来るキャラを俺は知っている。
王太子の弟、ヤヌスだ。
ショタ要素を入れようということでカルロイの異母弟キャラを作った。
10歳。マデリンになつき、カルロイがちょっと焼きもちを焼いたりするシーンを作ったりしていたのだが……。
あいつが野鳥好きだ。
原作でのヤヌスはアリエステが嫌いだが、この性格であればマデリンではなくアリエステになつく可能性は高い。
そしてヤヌスはカルロイが大好きだ。その流れからもう一度「兄上にも同席してもらおう」とか言いだして、カルロイを呼んで来てくれば……。
そんな期待なんかを持ちつつ庭を歩いていると、俺たちとは違う足音が遠くから聞こえてきた。
「……なんだ、こっちにも兄上の客がいたのか」
「これはヤヌス殿下」
やっぱりいた! 俺はうれしさを押し隠して、木々の間から姿を見せた少年に頭を下げる。慌ててアリエステも倣った。
「静かなところでセレーブスを待とうと思ったのに」
ふくれっ面を作っても可愛いもんだ。
双眼鏡を首から下げた、金髪の児童だ。セーラー服と半ズボン。ハイソックスを履いた姿は一部で熱狂的ファンがいる。
「王太子殿下御一行はあちらに?」
俺が林の奥を示すと、こっくりと頷いた。そのあと、まじまじと俺の顔を見る。
「眼帯をしているってことは……レイシェル卿?」
「ええ。ナイト公爵の息子です」
「初めて見た。へぇ邪眼の人でしょ」
わくわくした顔で言うから、俺も合わせて笑う。
「気になるならご覧になりますか? 殿下は王家の人間。見ても
「い……っ。いいよ」
ぶるぶると首を横に振っておっかない顔をするから、これまた可愛い。
……ってこんなことを言ってたらカイに「なんだお前、そっち系かよ」ってしつこく言われたんだっけ。
「そっちの人は……。……アリエステ嬢?」
10歳かそこらだけどちゃんと人を覚えている。えらい。
「はい、殿下。ところでセレーブスは本当にこの庭に? 珍しいですね、人里に野生のセレーブスが来るなんて」
アリエステが微笑んで尋ねると、ヤヌスの目がきらーんと光る。
「そうなんだよ! 時期的に山から下りて来るけど……。こんなに人里まで来るなんてさ! ひょっとしたら飼われていた個体かなぁ」
「いつも同じ鳥が?」
「うん。同じメロディで鳴くから。ほら、セレーブスって個体によって鳴き方が違うでしょう?」
「そうですね」
「アリエステ嬢は鳥に詳しいんだね」
「実はセレーブスを飼っていたことがあるんです。いまは手放してしまいましたが……」
ヤヌスとアリエステの話が弾む。……が、いかんせん鳥のことはよくわからん。俺はふんふんと相槌を打つ程度にとどめる。
「いつもこの時間にくるはずなんだ。兄上にこっそり教えてあげたら、今日は客を連れてやってきちゃうからさ。ぼくと兄上との秘密にしたかったのに。もしこれでセレーブスが来なくなったら、兄上のせいだ」
むう、とまたむくれる。
「野生の個体でしたら比較的警戒心の強い鳥ですからね」
アリエステは言うと、顎を上げるようにして上を向き、目を閉じた。
「アリエステ?」
どうしたんだ、と尋ねると、彼女は「しぃ」と立てた人差し指を唇に押し当てた。
「セレーブスは本当に良い声で鳴くのです。耳を澄ましてみましょう」
途端にヤヌスも目を閉じて上を向く。なんか子犬が空気を嗅いでいるみたいだ。
まぁ、ではどんな声なのか知らないが俺も。
目を閉じ、耳に集中する。
聞こえてくるのは、風が流れる音と、葉っぱ同士がこすれる音。それからかすかな笑い声。これは王太子たち御一行だろう。結構遠くまで行ったんだな。おもわずそっちに意識が行きかかるから慌ててもう一度集中する。
なるほど。
鳥の声が聞こえる。だけど、結構種類が……。
「セレーブスはいないね」
「殿下。まだあきらめるのは早いですよ」
ふたりの会話に、この中にセレーブスがいないと知る。
だけど。
ヤヌスがいるんだ。絶対来る。セレーブスが。
こいつがいるということは鳥関係のイベントが発生する。
そっと目を開く。
アリエステは目を閉じ、楽しそうに空を見上げていた。
期待に胸を膨らませ、一心に耳を傾けている。
幸せになるというその鳴き声を聴かせてやりたい。
「……あ」
不意にアリエステが小さな声を上げる。ヤヌスが目を閉じたまま集中するように眉根を寄せた。
次の瞬間、俺にもそれは聴こえた。
高音でまるでメロディをつけたような鳴き声。
「近い」
呟くと、ヤヌスはぱっと目を開いて双眼鏡をつかんだ。そのまま顔に押し当て、興奮した様子で指をさす。
「……え。どこ」
でもまったくわからん。葉が重なり合っている枝が見えるだけだ。だが、さっきよりも鳴き声はしっかりと聴こえている。
「青い鳥なんだろう?」
戸惑ってアリエステに尋ねるが、彼女は愉快そうに笑う。
「いまは陽があたっていませんから。そんなに青くは見えないでしょう」
「レイシェル卿。そんなの当然だろ。目立つと捕食されちゃう」
10歳の子どもにも呆れられた。……そうか、そうだよな。
俺は改めて目を凝らし……。
「え……。あれ? 超地味じゃね?」
ついに鳩ぐらいの大きさの鳥を見つける。だけど全体的にくすんだ灰色というか……。きれいな色はしていない。はっきりいえば、きったない。
お腹から胸部分の赤も……シミっぽいというか鼻血拭いた布の色、というか。
だけど。
ふう、と鳥の胸部が膨らんだかと思うと、想像もつかないぐらいに美しい音色で啼き始めた。
「これが……そうか」
聴くと幸せになる鳴き声。
「みなが幸せになりますように」
アリエステがそんなことを呟く。だから俺も続けた。
「アリエステが幸せになりますように」
「わ、わたくしですか?」
「そう」
「べ……っ。別にわたくしは……っ」
「ふたりとも、しぃ!」
ヤヌスに睨まれ、慌てて口をつぐむ。
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