第17話 ハプニング

「大丈夫だよ、マデリン。なにも起こらないさ」


 カルロイが愉快そうに笑うから、俺は眼帯を直しながらも、おや、とまばたきをした。


 こいつは迷信を信じていないのか?


「ここは王宮。清浄だからね。レイシェル卿も礼儀上眼帯をつけているに過ぎない。それに、さっきのは君が失礼だったよ」


 まるで小さな子をたしなめるように言うが、マデリンはまだ震えている。


「そんなに気になるのなら……。僕は王家の人間だ。清めの血が流れている。浄化してやろう」


 カルロイは、アリエステ越しにマデリンの手を引き寄せると、その甲に口づけを落とす。さっきアリエステにしたみたいに、だ。

 ようやくそれでマデリンは落ち着きを取り戻したらしい。


「ありがとうございます」

 ほっとしたように笑っている。


 この世界に魔法はない。

 ただ、迷信というか……。王家の人間には清めの力が宿ると言われている。

 だからこそ、王家の血を引く俺が邪眼で生まれたことは結構な衝撃だったようだ。


「さぁ、せっかくのお茶が冷めてしまう。シシリアン宮中伯嬢、ダーニャ伯爵令嬢。お好きな菓子はあるだろうか?」


 ぱ、と場の空気を換えるようにカルロイは笑いかける。ふたりの令嬢はにっこりと微笑み、「私はあれが」「私は……」と慎み深く答えた。


 そのあと、なんだかんだとお茶を飲んだり、菓子喰ったりを淑女と王太子がしているのを眺め、ときどき他の付添人の様子を伺ったりして過ごした。


 カルロイはまんべんなく令嬢たちに話しかけているが、それでもアリエステには特別な視線を向けているような気がして、胸がムカムカする。


 ……過保護なんだろうか、俺。


 推しが娘のように見えるのかな。だから「結婚するまでは守ってやらなきゃ」と父親みたいな感じになってんのかな。


 それにアリエステも、俺の前ではみたことないような笑顔で笑うんだよな……。


 気の強さはどこいってんだよ。猫かぶってんのか、とツッコみたい。


 だから。

 俺は意図的に視線を外した。


 それぞれの付添人たちを観察することにする。

 騎士もいれば商会の会長なんかもいる。それぞれの家門がどことつながっているのか分かって面白い。ちなみに騎士の奴等は俺自身に興味津々で、「レイシェル卿とぜひお手合わせ願いたいものです」と鼻息荒く言われた。


 そんなこんなで俺自身も情報交換をしていたら、


「そうだ。庭に行こうか」


 不意にカルロイが言って立ち上がった。

 茶会がはじまって一時間は経った。気分をかえるにはちょうど良い頃合いだろう。


「庭?」

 マデリンが小首を傾げる。


「弟が言うには珍しい鳥が来ているらしい。すごく良い声で歌うんだとか。青い羽をして胸が赤い鳥らしい。アリエステ、知ってる?」

 話を振られ、アリエステはまばたきをした。


「この時期で……羽が青く良い声でさえずるのはセレーブスでしょうか。その鳴き声を聴くと幸せになるといいます」


「よく知ってるね! さすが王立女学院の首席だ」


 カルロイが微笑む。ちなみに女学院じゃないほうの学院の主席はこの王太子だ。

 アリエステは少し俯き、首を横に振った。


「いえ、昔飼っていたから知っているにすぎません。いまは手放してしまいましたが……」


「可愛くなかったんですか、手放すなんて……。あたしにはできません」


 マデリンが無邪気に言うから真剣に殴ってやろうかと拳を握りしめる。


「なら、今日はその鳴き声を久しぶりに聞きに行こうじゃないか。きっと心安らぐよ」


 カルロイが腕を伸ばしてそっとアリエステの右手を握った。

 ぱ、と化学反応でも起きた様にアリエステの頬が桃色になる。


 その様子を見て、「ああ本当にアリエステはカルロイが好きなんだな」と。


 ……思った瞬間、ごつん、と自分自身が殴られた気分だ。


 わかっていたし、知っていた。


 付添人の打ち合わせの件でモーリス伯爵家に伺うたび、気づけばアリエステはカルロイの話を俺にしていた。


 本当に好きなんだな。

 そのときもそう感じていたはずだ。


「さぁ、立って」


 ぼんやりとアリエステを見ていたら、カルロイに促されてアリエステが立ち上がろうとした。


「あ。アリエステさま、お袖が」


 そのとき、マデリンが慌ただしく動いてアリエステに手を伸ばす。

 がちゃん、と派手な音が鳴ったあと、淑女たちの小さな悲鳴が上がった。


「まぁ! ごめんなさい!」


 マデリンが両手で口を覆う。アリエステの白いワンピースに、もろに紅茶がかぶった。俺は急いで近づく。


「大丈夫か、アリエステ。熱くないか?」

「大丈夫ですわ」


 慌ててテーブルの上にあるナフキンをひっつかんだ。テーブルに転がっているカップは無事だ。割れていない。

 もう半分以上飲んでいたのだろう。そんなに分量はなかったが、薄赤色の染みを広げている。


 俺が片膝ついてアリエステのスカートにナフキンを押し当てていたら、執事たちがタオルを持って来てくれる。受け取りながらも、眉根が寄った。


 カップもソーサーも適切に離れていたはずだ。

 なんで手が当たったんだ?


「あたしが余計なことを……。袖に糸がついていたように見えて。取って差し上げようと思ったのです。そしたら、あたしのカップが手に当たって……」


 マデリンが口元を手で隠してオロオロしている。


「気になさらないでください」


 アリエステが穏やかに声をかけ、俺にも「もう平気ですわ」と言う。そのあと、王太子に頭を下げた。


「衣服を整えてから外に参ります。時間がかかるやもしれませんので、どうぞみなさんで先にお庭に出ていてください」


「……そうだね。アリエステ、急がないからゆっくり来ればいい。他のご令嬢もどうぞ、庭へ。マデリン」


 カルロイが優しく声をかけたが、泣きそうな顔を作ったままマデリンが首を横に振る。


「あたしのせいでアリエステ嬢がこんなことになったんですもの。あたしも残ります」

「いいえ、本当に気になさらないで。先にどうぞ」

「マデリン。さ」


 カルロイが手を差し伸べると、くすん、と鼻を鳴らしてマデリンがその手を取った。そのままふたりは歩き出す。


 侍従が庭へ通じる扉を開き、花嫁候補と付添人。そして採点者が続いた。


「あの……お手数をおかけしました」


 ぱたりと扉が閉じる音がしたあと、アリエステが侍従たちにタオルやナフキンを返して頭を下げていた。


「いえ、お嬢様。どうかお気になさらず。今から庭に出ればお召しものも乾きましょう」


 執事たちは恐縮しながらもいたわし気にそう言って離れていく。


「レイシェル卿も、汚れませんでしたか?」


 沈んだ声ではあったけど、気遣いを多分に含んだ声に俺は精一杯陽気な声で応じた。


「汚れるもんか。というかアリエステも汚れてない、大丈夫だ」

「ですが失点対象でしょう。カップを倒すなんて……。淑女にあるまじきことです。だめですわね。ドレスも花嫁選びも」


 苦く笑うから、ぎゅっと右手を握ってやった。


「ダメなことなんてあるものか。あの中では君が一番だ」


 確かに強気で、意地っ張りで。

 だが気高く、気遣いに溢れ、弱いものに優しい。


 嫌ってるのはうちのセイモンぐらいだ。みんなから愛されている。


 原作とはまったく違うアリエステ。

 正直、あんまりカルロイの側に置いておきたくない。なにかの拍子に悪役令嬢に覚醒しても嫌だ。


「レイシェル卿」

「ん?」

「あの……手」


 真っ赤になって目を伏せられるからなにごとかと思えば。

 彼女の手をぎゅっと握ったままだった。

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