第28話 二曲目の相手
「さぁ、王太子殿下。次のダンスのお相手です」
セイモンがシェーンブルン離宮を管理している領主婦人をエスコートしてやって来る。
「よろしくお願いいたします」
夫人としても場をおさめたいのだろう。困惑しつつも頭を下げて、ちらりと視線をアリエステに向けた。
「さ。どうぞ」
退室しろと言っているのだろう。俺は彼女の手を引いて中央から退こうと思ったのに、アリエステは俺の手を離した。
「感謝いたします、夫人。ですが」
思いがけずアリエステが領主婦人にむかって頭を下げた。
左足を引き、深く首を垂れている。
呆気にとられているのは俺だけではない。会場中の誰もがだ。
「このような衣装で大変失礼なのは承知しています。本来であればすぐにでも退室すべきでしょう」
話し始めた時は若干震えていた声が、後半になればなるほど凛とした響きを伴っていた。
「ですが、わたくしは今日、どうしても二曲目を踊りたい相手がいるのです」
頭を下げた姿勢のまま、アリエステが言う。
その声が。会場にゆっくりと響く。
「どうか顔をお上げになって。モーリス伯爵令嬢」
領主婦人の言葉に、するりとアリエステは姿勢を正した。
もう、衣装の破れなど誰も気にする者はいない。
むしろぺリースを腰に巻き、留め具で併せたそれが最初からの装飾品のように見えるほどアリエステは堂々としていた。
「一曲目は王太子殿下と。そして、二曲目は、付添人であるレイシェル卿と踊りたいと思っていたのです。いままでの感謝を込めて」
真摯な声に、いつの間にか楽団も曲を止めていた。
誰もがアリエステの言葉に耳を傾けている。
「レイシェル卿がいなければ、このような栄誉をわたくしが……。モーリス伯爵家が受けることはありませんでした。レイシェル卿。ありがとうございます。どうかわたくしと二曲目を踊ってくださいますか?」
するり、と。
アリエステが俺に向かって腕を伸ばす。
導かれるように俺はその手を取った。
そのまま片膝づいて、ちらりと領主婦人に視線を向ける。
「この栄誉をお受けしてもよろしいか、夫人」
「もちろんです。そうですわね、王太子殿下。会場のみなさま」
興奮した様子で領主婦人は会場を見渡した。
途端に割れんばかりの拍手が巻き起こる。
俺はアリエステの甲に口づけを落とすと、すっと立ち上がった。
「では、美しい令嬢。お相手つかまつりましょう」
まるで狙いすましたように楽団が音楽を奏で始める。
俺たちだけではなく、周囲の参加者たちもダンスを再開しはじめたので、心底ほっとした。
「アリエステ。このままそっと会場を出るか?」
俺はアリエステの手を取ってゆっくりとステップを踏む。
というのも。
彼女の手が小刻みに震えているからだ。
そりゃそうだと心が痛い。
俺の前世の世界ならこれぐらいスリットの入ったドレスやスカートは普通だが……。
足首やふくらはぎが見えても「はしたない」と言われる世界だ。
それを衆人の前で晒したわけで……。
ちらりと出入り口に視線を向けると、隊員ふたりが待機していた。準備は出来ているらしい。
「レイシェル卿」
こつり、と。
俺の胸辺りになにか当たると思ったら。
アリエステが額を押し付けて、ゆっくりと深呼吸をしていた。
「あなたの鈴が聞こえてきて……。本当に……。ありがとう……」
切れ切れにアリエステは言う。涙を堪えたような声で、俺まで息が詰まりそうだ。
「だけど……。この曲が終わるまでは。その……」
ぐい、と彼女は顔を上げる。
涙で潤んだ青い瞳が緩み、唇が三日月をかたどる。
「卿にお礼をしたいのは本当だったんです。どうかこの曲が終わるまではお付き合い願いますか? ……その、こんなドレスですけど」
その笑顔がきれいで。
美しくて。
あどけなくて。
透明で。
ただただ、俺は彼女を見つめていた。
「レイシェル卿?」
名前を呼ばれ、ようやく俺はぎこちなく笑みを返す。
「もちろん。何曲でも付き合うぞ」
「それはマナー違反です」
くすりとアリエステがようやく勝気に笑う。
「次はパートナーを代えねばなりません。卿もどなたかとどうぞ。ただし……。この程度のリードではお相手が可哀そうとういものですが」
「それはどうも」
辛辣な評価に口をへの字に曲げたら、屈託ない笑い声をあげるのでようやく肩のこわばりが解けた。
ああ、そうだ。
本当にアリエステには笑顔が似合う。
気品に溢れ、自らを律し、敢然と突き進む俺のアリエステ。
守りたい、ただひとりの女性。
「ああ……。もう終わりですね」
ふとアリエステが呟き、俺も曲に耳を澄ます。
周囲でも互いに向き合い、パートナー同士頭を下げていた。
本当だ。
もう。
彼女と踊る時間は終了。
「会場を出るか?」
そっと声掛けした。
ぺリースマントで隠しているとはいえ、ドレス自体は破れているのだ。
「そうですわね」
アリエステが小さく頷く。
俺が視線を走らせると、セイモンを筆頭に俺の部隊隊員が集まって来て壁を作る。
というのも。
見て来る奴は、結構不躾にアリエステを見て来るからだ。
「戻るぞ」
俺はアリエステを連れて扉に向かう。
そうして。
アリエステとともにダンスホールを後にした。
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