第29話 彼女の相手として、あり得ない
その日の晩。
眼帯を外し、軍服の上着も脱いだ姿で俺はソファに座っていた。
俺にあてがわれた部屋には、セイモンが我が物顔におり、ふてくされた顔でナッツを喰っている。
「やっぱり賊が入ってたのかな。そいつが衣装に細工したとか」
「かもしれんな。裾を踏んだからって、そうそう破れんだろう、あんなに派手に」
アリエステのドレスを思い出し、眉根が寄る。
裾から太ももまで一直線。縫い目にそってほどけていたように思える。
ダンスを終え、アリエステを隠すように隊員で囲んで彼女の部屋に誘導し終えたのがついさっきだ。
再度部屋の安全性を確認し、近衛隊にも定期的に見回りをしてもらうようにお願いをした。それとは別に内密に隊員を2名。屋敷内を見回らせている。
今日、俺の部屋はその指令室になっていた。
「アリエステが、クローゼットから賊が飛び出してきたって言ってたし。可能性としてはあるよな」
衣装やアクセサリーはすべて施錠した状態でトランクケースに入れて運び込んでいる。開錠し、ケースから出して広げたのは今朝だ。
そのときにしか、細工のしようがない気はする。
「僕が思うに、あのマデリンとかいう女が胡散臭いんだよなー」
ボリボリと音を立ててかみ砕きながら、セイモンは一人がけソファに座って足を組んでいる。そんな姿もさまになるんだから美少年と言うのは恐ろしい。
「マデリン?」
俺はグラスに入れた炭酸水を飲み、反射的に顔をしかめた。
……うん。炭酸水。
知っている。今晩はアリエステの警護のこともあって酒を飲むわけにもいかん。仕方なく炭酸水を『これは酒、これは酒』と思いながら飲んでいるけど、喉を液体が通過するたんびに、がっかり感が半端ない。
「今から考えたらさ、あいつアリエステ嬢が部屋に入るのを邪魔してたんじゃね? すんごくしつこく引き留めてたじゃん。僕、うっとうしいなぁって思ってたけど……。あれ、賊が逃げる時間を稼いでいたとか」
……そう言われれば、そんな風にも思える。
わざわざ廊下でアリエステと話をしなくても、その後のサロンやダンスホールでいくらでも話す機会はあるのだから。
「それに顔合わせの茶会ではお茶をぶっかけられるし、今日のドレスが破れたのだってさ、あの女が『まぁ! アリエステ嬢!』とかって大声を張り上げなかったら、隊長がささっと対処できたんだぜ?」
手についた塩気やナッツの薄皮なんかを払いながらセイモンが言う。
「まぁ……。そうなんだよな」
セレーブスの件もある。
おまけに言うならば、展示会の絵。
児童養護施設で開催していたあの絵の販売もそうだし……。なんなら、アリエステが……というよりモーリス伯爵家が呪われている、と言いふらしているのもあの女じゃないか、という節がある。
「あいつ、アリエステ嬢を蹴落として自分が王太子妃になりたいんだろうけど……。性格悪ぃな。ってかやり方が汚ねぇ」
ソファの背もたれに上半身を預け、組んだ足で貧乏ゆすりをしている。随分とイライラしているその様子を見て。
ちょっとだけ可笑しくなる。
最初はアリエステのことを「貧乏神」だの「マデリンみたいな勝ち馬に乗れ」と言っていたのに。
いまでは随分とアリエステに肩入れしているものだ。
「なんだよ、隊長」
「いや、なんでも」
顔がにやついていたのか、じろりと睨まれた。慌てて顔を引き締め、グラスの炭酸水を飲んでから「それでもなぁ」と言葉を続けた。
「不思議っちゃあ……不思議、なんだよな。たかがって言ったらなんだが、マデリンは男爵家の出身だ。貴族としての身分は低い。そんな娘が悪口を言いふらしたところで……。あ」
そこで気づく。
「王妃だ」
「王妃?」
サイモンが手を伸ばしてテーブルからまたナッツをつかみ取った。そのままの姿勢で俺を見上げるから、大きく頷く。
「マデリンは王妃に随分と気に入られているらしい。付添人は別にいるが、支援者は王妃だと以前アリエステが言っていた」
「じゃあ、王妃の指示に従ってアリエステ嬢の邪魔してるってこと? ん? ってことはさ」
サイモンは握り取ったナッツを口に放り込み、ボリボリと噛む。
「王太子はアリエステ嬢のことがやっぱり好きなのか。本命なんだろうな」
そうなんだろう。
だから王妃はマデリンにアリエステの邪魔をさせて、花嫁候補から外そうとしているのだろう。
そうやって考える一方で、鋭く冷たい刃で心臓が貫かれたような気がした。
カルロイの本命はアリエステ。
セイモンさえそう感じるのだ。そして王妃もそう確信しているからこそ、アリエステを排除しようとしている。
アリエステを守らなければと思う。
彼女の望みが叶えばいいと思う。
恋している相手と結ばれればいいと考えていた。
俺が……俺のせいで貶められた悪役令嬢アリエステ・モーリス。
それが幸せになるのであればいくらでも尽力しよう。それは本当だ。
だけど。
それはすなわちカルロイの妃になることなのだ。
そんな当たり前のことが、胸をしめつけて息が苦しくなる。
しかも。
最悪なことに俺はカルロイがそれを望んでなければいいのにとさえ感じていた。
アリエステの一方的な恋ならば。
ならば……。
どうだというのだ。
「あのさぁ、隊長」
「え?」
気づけばグラスの表面を見つめて黙り込んでいたらしい。セイモンに声をかけられて慌てて顔を起こす。
目の前には、ぼぉおり、ぼぉおり、と豪快な音を立ててナッツを喰う奴がいる。
「もうアリエステ嬢を花嫁候補から外しちまえば? そんでさ」
ごくりと口中のナッツを飲み込み、斜交いに俺を睨む。
「隊長の嫁としてもらっちゃえばいいじゃん」
「いや、それは……っ」
反射的に立ち上がっていた。
「だって……。アリエステはカルロイのことが好きなんだろう……?」
口から漏れた言葉が霜を帯びた様に冷えている。ついでにいうならば、話すために空気を吐き出したら、そのまま肺がしぼんで苦しい。息が入ってこない。
「なんか最初はそうかなぁって思ってたけど……。今日の様子見てたら変じゃね? アリエステ嬢、もう王太子に愛想つかしてたりして。だったらさ、ワンチャン隊長にも」
「いや俺はダメだ」
セイモンの言葉を途中で断つ。
そうだ。
俺はアリエステの相手として最悪だ。
本来、この世界はカルロイとマデリンが結ばれる。そして俺とアリエステは結婚しているのだ。
だがそうなると……。
アリエステは稀代の悪役令嬢として処刑され、俺は彼女の後を追って王家に歯向かい、死ぬ羽目になる。
「俺は……ダメだ」
レイシェル・ナイトはアリエステ・モーリスの恋愛対象になりえない。
いや。
なってはならない。
「だったらわざわざアリエステ嬢をこのまま危険な場所に置いておくわけ? 王妃とマデリンにいたぶられて?」
は、とセイモンが鼻を鳴らす。俺は歯を食いしばって拳を握る。
「……なんとか……するだろう。カルロイ王太子がアリエステに惚れているのなら」
それに賭けるしかない。
腹立だしく、情けなく、無様だが。
カルロイがアリエステを愛しく思ってくれているのなら、きっと守ってくれるはずだ。
王妃の手からも、マデリンからも。
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