第21話 ナイト公爵

 ♠♤♠♤


 一か月後。

 俺とセイモンは馬を走らせ、王都にあるナイト公爵邸……というか、現在俺たちが生活している屋敷に向かっていた。


「いったい、大旦那様はなんの用件でご領地からやってこられたんだろう」


 馬で門を駆け抜けると、隣で馬首を並べていたセイモンがそんな風に声をかけてくる。


「知らん。合同訓練については俺に一任すると言っていたが……」


 王宮の馬場で訓練をしていた俺のところに知らせが届いたのがついさっきだ。


 ナイト公爵が屋敷に来て、俺を呼んでいるという。


 王都の屋敷には普段使用人を置いていない。王宮に用があるときだけ使用する別荘みたいなもんだから、その都度使用人を連れて来る形になる。


 俺の場合は、そもそも邪眼のせいで気を許せる人間が少ないから、部隊の人間に当番で役割を与えていた。掃除係、炊事係とか。


 その留守係の隊員が知らせに来てくれたのだ。

 なので、急ぎセイモンだけ連れて戻ってきたというわけだ。


「馬を頼む」


 屋敷の馬廻で飛び降り、セイモンに命じる。「了解」と答えて奴が手綱を握るのを見て、屋敷に駆け込んだ。そのまま、廊下を走る。


 応接室前に待機していた部隊の奴が、俺の姿を認めて敬礼ののちに扉を開けた。


「父上、遅くなりました」

 そう言って室内に入る。


 ソファに座ってコーヒーを飲んでいたらしい父は、俺に軽く手を挙げただけだ。

 そのあと、ゆっくりとコーヒーを味わい、屋敷から連れて来たらしい執事に満足そうに頷いた。室内には、他にも随行してきたらしい執事の姿が見える。


「いい香りだ。腕をあげたな」

「恐れ入ります」


 まんざらでもない顔で執事が応じている。父であるナイト公爵はとにかくコーヒー好きだ。酒よりコーヒー。この世界ではコーヒーがまだまだ希少で、それもあって気に入っているらしい。


 俺も前世ではよく飲んだよ。好きと言うよりは、なんか付き合いで。「嫌いなんだ」と言うのもうっとうしいから、出されたものはとりあえず黙って飲んだが、実は好きじゃない。どっちかというと、お茶派。紅茶とか緑茶とか。


「座りなさい」


 ナイト公爵が向かいのソファを指差すが。

 邪眼だし。

 できるだけ彼の視界に入らないところにある一人がけソファに座った。移動するたび聖者の鈴がりんりん鳴るから、ある程度俺の動きはわかるんだろう。座った途端、カップをソーサーに戻した。


「今日来たのは、他でもないモーリス伯爵のアリエステ嬢のことだ」

「アリエステ、ですか」


 なんか予想外のことだった。


 てっきり、「合同訓練どうなってんの」とか「お前とお前の部隊は柄が悪い」とか小言を食らうのかと思っていたので、拍子抜けする。


「花嫁候補に残っているそうじゃないか」


 ナイト公爵が俺を見る。

 生後間もなくならいざ知らず、この公爵は俺の邪眼を恐れてはいない。


「そうです。現在、シシリアン宮中伯嬢、ダーニャ伯爵令嬢が候補から外れました」


 やはり行列が華美であったことが禍したらしい。


 だが、花嫁候補になったということがすでにステイタスなのだろう。ふたりの令嬢は名を落とすことはなく、また王と王妃がそれなりの言葉を添えてやんわりと断ったおかげで、地位も守られている。なんでも今ではふたりのところに結婚話がわんさかやってきているとか。


 実はアリエステも危ぶまれた。……というのも、やはり若い貴族を中心にアリエステの悪評が立っているのだ。


 だがそこはカルロイがうまく立ち回っているらしい。

 だとしたら……。


 カルロイは本当にアリエステのことが好きなんだろうか。

 彼女が慕うのと同じぐらい。


「お前からアリエステ嬢の付添人になりたいと言われたときは、破談のことを気にしてのことと思っていたのだが……」

「は……い。や、ええ」


 考え事をしていたから、返事があやふやになる。


「正直に言えば、すぐにアリエステ嬢が選考から外れると思っていたのだ。だから、よかろう、と。王太子も……なにもそんな不吉な娘を嫁に迎える必要もあるまい?」


 ふう、と息を吐いて、ナイト公爵はまたカップの持ち手に指をかけ、コーヒーを飲む。


「それに、選考から外れたとしてもモーリス伯爵家に借りが作れる。落ちぶれたとはいえ、いつなんどき息を吹き返すやもしれん。そのとき、恩があるのとないのとは大違いだ」


 コーヒーを味わうナイト公爵を見て、なるほど彼もそれなりに算段があったのだと知る。


 基本的にナイト公爵は放任主義だ。

 俺が孤児を集めて部隊を作りたいと申し出たときも、イヤな顔はしたが「ダメだ」とは言わなかった。


 やりたいことはなんでもやらせてくれる。


 ただし、俺だって公爵の息子としてちゃんと振る舞っているし、邪眼については自覚した生活をしている。出るな、と言われた公式の場には顔を出さず、最低限必要な場でだけ出席して大人しくしていた。


「今回、花嫁候補のふたりに残ったことでモーリス伯爵家からは礼状が届き、現状精一杯の礼品も届いた。それに、時勢にさとい貴族たちが我が屋敷をすでに訪問しておる」


「時勢にさとい?」

 オウム返しに問うと、ナイト公爵は小さく頷く。


「もしアリエステ嬢が花嫁に選ばれたら将来の王妃だ。付添人とその一門は強力な後ろ盾になる。それは、王宮でのパワーバランスに直結する」


「なるほど」


 苦笑いして頷く。

 ナイト公爵家が王宮で権力を握る可能性が高いと踏んだのか。

 ……まぁ、現在は邪眼の息子を持ったことでほぼほぼ表舞台に出てこないのだが。


「そこで改めて尋ねるのだが、そもそもどうしてアリエステ嬢の付添人になろうとしたのだ」


「最初に申し上げた通り、下町で偶然アリエステ嬢に出会いまして。俺が破談をしたためにモーリス家が窮状していると知って騎士としてできることはなにかと考えただけです」


 推しの恋を応援するためだとは言えない。


「ふむ。で、正直なところアリエステ嬢はどうなのだ。王太子殿下の心を射止めそうか」


「そこは逆に父上にお伺いしたいところです。王宮や社交界ではどのように噂されているのですか」


 邪眼を持っている俺はそういうところに出ていく機会がない。いつか聞いてみようと思ってはいたのだ。


「もともと王立学院のころは王太子妃候補と噂されていたからな。ただ、呪われたと噂が立ってからは……」


 ナイト公爵は吐息を漏らす。俺は改めて先日の茶会の様子を思い浮かべながら慎重に言葉を続けた。


「ですが、王太子とアリエステの仲は親密です。このあと、選考は続くようですがひょっとしたら、ということはあると思います。……ただ」


 俺は口をつぐむ。


「どうした」

「現在、アリエステに関して悪評が……。若い貴婦人を中心に流れているようです」


「どのような?」

「策を弄して王太子に取り入っている、と」


 俺は手短にセレーブスの件を説明した。


 庭に出たところ、偶然アリエステが飼っていた青い鳥がやってきて肩に止まった。それを仕込んだように見せた、とマデリンが言ったこと。

 その噂が流れていること。


「だが、陛下の思し召しはよいようだぞ」

 ナイト公爵の言葉にほっとした。


「そうなのですか? てっきり……」

「たぶん、お前の言う通り、若年層の貴族たちが騒いでいるだけだろう。自分の屋敷ならともかく……。王宮でそのような仕込みなどできるものか」


 ナイト公爵は苦笑している。


「今後の選考内容は聞いているのか?」

「ええ。十日後にシェーンブルン離宮においてサロンと狩猟会が開かれるとか。ああ、その狩猟会にうちの部隊を動かしてもいいですか?」


 本来であればそれぞれの家門の騎士が出てくるのだろうが、いまのところモーリス家にはそういった人間がいない。代理ということでモーリス伯爵からもお願いされていたところだった。


「かまわん。好きにしなさい」

 ナイト公爵は言ってから苦笑した。


「そうそう。噂と言えば……お前と、お前の部隊の評判がいいらしいな」

「は?」


 つい目を見開いてしまう。

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