第20話 空っぽの鳥かご

 数時間後、俺はモーリス伯爵家にあるアリエステの私室にいた。


 ヤヌス殿下から借りた鳥かごをアリエステの目の高さまで持ち上げてやる。

 彼女はそっと蔦を模した扉を開閉して手を中に入れた。


 セレーブスのエリルは怖がることもなく、ちょこんとアリエステの指に止まる。そのままどこか誇らしげに胸を張った。アリエステはそんな愛鳥をかごから取りを出す。


「……なんか手乗りの鳥って、ドヤぁって顔するんだなぁ」


 部屋にある本来の鳥かごに入れるアリエステを見ていると、つい呟いてしまう。両足をハの字に開いて、ぷいんと胸を膨らませるからだろうか。


「そんなこと考えたこともありませんわ」


 アリエステは呆れたように言ったものの、かごに移したエリルに視線を向ける。

 そして、止まり木にいる愛鳥を改めてみつめ、小さく吹き出した。


「な? そうだろ」

「いいえ。そんなこと……」


 必死に無表情を装いながらも口の端がぷるぷる震えている。笑いを堪えているらしい。


 そんな姿にほっとした。


 馬車の中ではずっと落ち込んでいるように見えたからだ。隊員たちも随分と心配していて、「なにかあったんすか」と俺に聞いて来るが……。


 なんと答えていいか……というか、どこまで言っていいか迷う。

 なので「紅茶をこぼしたんだ、服に」と言うだけにとどめた。


「今日はありがとうございました、卿」


 ぼんやりとアリエステを見ていたら、彼女は小首を傾げるようにして俺を見上げていた。


「あ……いや。とんでもない。次は何日後だったかな。また王家から連絡が来るだろう」


 慌てて視線を逸らし、早口になった。いかんいかん。そうだよ、なにしろもともと俺の推しだしなぁ。そりゃ可愛いわ。


「来るでしょうか」

 自嘲気味に笑うから、また彼女の顔を凝視する。


「なんでそんなことを……」

「きっとわたくしの悪評がまた王宮内に立っていることでしょう」


 アリエステは鳥かごに目を移す。


 スタンドにぶら下げられたその中では、鳥が翼にくちばしをいれて手入れをしていた。窓から入る日差しを浴び、青さが際立つ。


 マデリンが言ったことを気にしているのだろうか。


「手放した鳥と出会ったのは偶然だ。そうだろう?」

「もちろんそうですが。人は自分が信じたいものを信じるのです」


 アリエステは口元にわずかに笑みをにじませたまま、愛鳥を眺めていた。


「学院時代から王妃様には疎まれておりましたし……。父もそのことがわかっていたので、わたくしの身を守るためにレイシェル卿との婚姻を一度は整えようとしたのだと思います」


「俺……?」


 戸惑って尋ねると、アリエステはくすりと笑った。


「うちの娘は王太子妃ではなく、公爵夫人を狙っているのだ、と。まぁ、断られたのですが」

「……いや、それは」


「そのことはもういいの。わたくしも父も本気で公爵夫人になどなろうと思ったわけではないし。そもそも、そのときは公爵家などしのぐほどの財力を持っておりましたし」


 顎を上げ、つんと澄まして見せる。


「わたくしが悪いのです。わたくしが間違っていたのです。王太子殿下の言葉にほだされ……。力を失いつつある家門をなんとかしようと……。そもそもが無茶だったのです。それなのに悪評がこれ以上広まってしまっては……」


 強気な姿勢のまま、弱気なことをアリエステが言う。


「カルロイのことが好きなんだろう?」


 だからつい、強めの口調で俺は尋ねる。

 からの鳥かごを手にぶら下げたまま、アリエステの前に回り込んだ。


「カルロイと結ばれたいと思ったんだろう? だから……」

「上流階級にいる者の婚姻は好き嫌いでは決められません。ましてやカルロイさまは王族。それは貴卿もわかるでしょう?」


 きっ、と鋭い視線を向けられる。


 そうやって目元に力を入れて涙をこらえていそうで。

 俺は腰をかがめてアリエステと視線を合わせる。


「だが、本来人は誰でも好きな人と結ばれる権利があるはずだ。アリエステがカルロイと結ばれたいと願い、そのために動く権利はある。あんたはそれを行使しただけだ。自分のやったことを責めるな。間違いだったなんて言うな」


 ぐ、と。アリエステの唇が一文字に引き絞られた。必死に彼女はそうやって涙を堪え、気をまぎらわせるように、胸元のピンクダイヤモンドを弄ぶ。


「大丈夫だ。カルロイも君のことが好きなら、なんとかしようとするはずだ。あんたが好きになった奴のことを信じろ」


 意識してにっこり笑ってやる。

 アリエステが安心するように。アリエステがほっとするように。


 だって。

 アリエステはそう言ってほしいと思っているから。


 アリエステは。

 カルロイが好きだから。


「……どうしてレイシェル卿はここまでしてくださるの?」


 アリエステはくすん、と洟を鳴らす。だが、涙も。弱弱しさも決して見せない。あくまで凛とした姿勢で俺に尋ねる。


「あんたに幸せになってほしいだけだ」


 俺が大切にしていたキャラ。誰からも愛されるはずだったヒロイン。

 それがカイの嫌がらせのためだけに汚され、嫌われ、殺された。


 だから。


「俺はあんたの幸せを願っている。そのために、好きな男と結ばれてほしいだけだ」


 微笑んでからおどけてみせる。


「下心はない。俺が胸の大きな女が好きなのはあんたも知ってるだろう?」


 途端にアリエステが笑う。


「そうですね。邪推したわ、ごめんなさい。わたくしは対象外でしたわね」


 くすくすと笑いの余韻を残しながらアリエステはまた、鳥かごの中の鳥を見た。


「貴卿のおっしゃるように、カルロイさまがわたくしのことを思っているのならなんとかしようとするかもしれない。それを信じましょう」


 俺は無言で頷く。


 そして自分の手を見た。

 そこにあるのは空っぽの鳥かご。


 大切なはずのなにかがいなくなったような。

 そんな気持ちで鳥かごを見つめた。

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