第23話 彼女が泣いている

 ナイト公爵と会ってから二日後。

 その日は朝から近衛隊との合同訓練があってバタバタしていた。


 机上での作戦会議。その後、王城周辺での実戦配備やエキシビジョン的な剣技なんかがあって……。


 すべて終わったのは夕暮れ間近だった。


 近衛隊長と「お疲れ様」の挨拶をして、やれやれじゃあみんなで屋敷に帰るか、となったとき、隊員のひとりが砂煙を上げるぐらいの速度で走ってきたので驚いた。


「た、たたたたたたた大変です、隊長っ」

 俺の胸倉を掴んで揺さぶりながら言うから肝が冷える。


「どうした。なにか備品を壊したか。高そうか。払えそうか」

「違います違います。物品損傷なら隊長に報告せずに隠滅します」


 しれっととんでもないことを言ったあと、隊員はごくりと生唾を飲み込んで俺に告げた。


「泣いています」

「…………なんて?」


 思わず問い返す。セイモンと同い年ぐらいの隊員はまだ幼く見える顔で必死に俺に訴える。


「泣いてるんです……っ。馬車の中でアリエステ嬢が……っ」


 言われて気づく。

 そうだ、今日この隊員にはアリエステの買い物につき合わせていたのだと思いだした。


 今度シェーンブルン離宮で開催されるサロン。


 夜にはダンスをするとかでそれ用のドレスを買いに行くため、数名の隊員をそっちにつけたのだ。


「泣くって……。え? なんだ。支払いでもめたのか?」

 困惑しながら尋ねた。


 モーリス伯爵家は現在……少々カネがない。

 だからナイト公爵家御用達の店に連れて行き、衣装を調達するように伝えたのだ。もちろん、前日には俺からちゃんと事情も伝えている。


 ……そういえば、店の主人がなんかその時、渋っていたな。


『その日は予約があるので……。できれば別日が……』と。


 ただ、こっちも合同訓練のこととかあったので、強引にねじ込んだのだが……。


「店で意地悪されたのか?」


 尋ねたものの、あのアリエステがそれしきで泣くだろうか。あの勝ち気で強気なアリエステが。


「店内に一緒にはいったわけではありませんが、衣装は滞りなく購入しました。店員の態度も非常によく、支払いについても何の問題も……」


「だったらなんで泣くんだ」

「それがわからないから困っているんですっ」


 そりゃもっともだ。


「メアは? 侍女はどうした」


 アリエステがひとりで馬車に乗ったわけじゃないだろう。メアならばなにか知っているだろうと思ったのに。


「あのおばあちゃんでしょう? 腰を悪くしたとかで、今日はアリエステ嬢おひとりで馬車に」

「役に立たねぇな」


 つい舌打ちした。


「店を出て……。ぼくは騎馬で馬車に並走していました」


 隊員が言うには、客車には誰も乗らなかったらしい。

 同行した三人の隊員たちは騎馬で付き従い、ひとりは馬車の真後ろに。ふたりは客車を挟むように並走した。


 で。

 たまたま客車の中をちらりと見たら、アリエステが顔を覆って泣いていることに気づいたらしい。


 慌てて隊員たち同士騎乗で相談をし、「このまま伯爵家に戻す前に隊長に相談しよう」ということになったらしい。


 ……うん。まあ、報告連絡相談は基本だからな。

 それに……。

 なんだかんだいいながら、隊員ほぼほぼ10代半ばだからなぁ……。

 女の扱いなんて……。そもそもわからんのだろう。


「そのまま伯爵邸に返せよ」


 うんざりしたようにセイモンが言い、俺の軍服にとりついたままの隊員をどん、と突き放した。報告に来た隊員が驚いている。


「だって女の子が泣いてるんだぞ⁉ なんとかしなきゃっ」

「知らねぇよ。ほっとけよ」


「お前、顔はきれいなのに酷い男だなっ」

「一言余計だ!」


 言い争いをしているふたりの間に割って入る。物理的にゴイゴイと身体を押し入れんと、殴り合いそうだ。


「セイモン、小隊のほうは任せた。俺はとりあえずアリエステのところに行く」

「甘いって、隊長。気がひきたいだけなんだって」


 セイモンがうんざりしたように顔をゆがめた。


「隊長とかが一緒について行かなかったから泣いてるだけじゃないの? ここで甘やかすと、のちのち厄介だぜ?」

「はいはい。色男からのご進言、いたみいります」


 俺は笑い、それから隊員を促した。


「馬車はどこだ」

「すぐそこに止めています」


 また勢いよく走って先導するので、慌てる。高校生の後ろを追いかけるようなもんなんだからな。鈴をりんりん鳴らしながら必死で追った。一日中訓練したあとだから、いい加減疲れる。


「隊長連れて来たー!」


 王宮の西館の馬車廻しに、見覚えのある馬車が停車されていた。

 そこに手綱を持ってウロウロしている十代の男たち。


 俺と隊員の姿を見て、ぱっと顔を輝かせるから苦笑する。まるで窮地で援軍を待っていたみたいだ。


「よかったー! もう、どうしようかと……」

「ぼくたち、なんもしてないっす!」


 俺に近寄って来る隊員たちは、まるで見えない尾を振る子犬のようだ。


 これが戦場で黒狼と呼ばれる戦士かね、とあきれる。馭者とちょっとだけ目が合う。初老の彼も苦笑いだ。


「お疲れ。ちょっと離れてろ」


 そう声をかけると、大変良い返事をしていそいそと客車から隊員たちは離れた。よほど居心地が悪かったらしい。


 さて、これからどうしたものかと思っていたら、


「レイシェル卿?」


 客車の中から声がした。随分と鼻声だ。


 ちらりと窓を見ると、顔をドレスのスカート部分にうずめるようにして俯いている。それなのになんで俺だとわかったんだ?


「入るぞ」

 言ってから扉を開ける。


 よいしょと足をかけると、りん、と鈴がなった。ああ、これだ。鈴の音だ。


 客車に乗り込むと、体重のせいでちょっとだけ客車が傾いだがアリエステの向いに座ると簡単に水平になる。


「どうした。なにかあったのか」

「なにもありませんわ」


 即答だ。

 涙混じりの声というか。返事してから、すん、と洟をすする音もする。


 俺は彼女を見た。

 まだ、顔を隠すように伏せている。


 見えるのは彼女の首のうしろ。うなじだけ。

 うしろが広めにとられた服のようだ。うなじから首の付け根にかけて真っ白な肌が見える。客車の中にあふれる橙色の夕日に染められ、場違いにもきれいだな、と見惚れた。


 髪をアップにしているからおくれ毛がふわりと首にかかっていて。

 それが色っぽく見えたり、幼く見えたり、儚く見えたり。


 いつも堂々と胸を張り、隙なんてみせるものかというぐらいに勝気な雰囲気をまとっているのに。


 こうやって項垂れる姿は壊れそうなぐらい華奢だ。


 気づけば手を伸ばし、その肩に触れていて。

 びくりと驚いてアリエステが顔を上げた。


「ご、ごめん」

 反射的に謝ると。


 アリエステの真ん丸に開かれた瞳から、ぼろりと涙がこぼれた。


「ドレス……買えなかったのか⁉」


 素っ頓狂な声が出て焦る。


 隊員たちのことを笑えない。

 女の泣き顔というのがここまで強烈だとは。


 所詮10代のぼうやたちだ。女が泣いたところでどうした、お前たちはまだまだ甘いと思っていたら……。


 どぎまぎしてどうしようもない。

 なんとか泣き止んでほしくて、口からは次々と意味不明な言葉があふれ出る。


「気に入ったものがなかったのか? 店員に意地悪されたとか。納期は? 納期があれだったか。それとも」


「違います。ちゃんと買えました」

 

 アリエステは指で乱雑に涙をぬぐい、すん、と洟を鳴らす。


「だったらどうした。隊員が困っている」

 俺も、とはさすがに言えなかったが。


「……ごめんなさい。なんでもありませんわ」

「なんでもないなら泣かないだろう」


 座ったまま、ちょっとだけ彼女に近づく。

 膝のくっつくほど近くで向き合い、アリエステの顔を覗き込んだ。


「なにがあったんだ」

「なにも……」


 言いながらアリエステは声を震わせ、握った拳を唇に押し当てる。肩が小刻みに震えてまた目じりに涙が盛り上がる。


 りん、と。

 鈴が鳴った。


 それで我に返る。


 気づけば。

 俺はアリエステを抱きしめていた。


 見たくなくて。

 泣く彼女を。


 つらそうに顔を歪める彼女を。

 痛みを堪えるように身体を強張らせる彼女を。


 だから。

 隠すように抱きしめていた。


「あ……」


 だけどさすがにまずいと腕を解いて離れようとしたのに。

 アリエステが俺の軍服にしがみつき、顔を押し付けて来た。


「すぐ泣き止みます。すぐ元に戻ります。だからもうちょっとだけ」


 ひぃっく、としゃくりあげたあと、アリエステは嗚咽を漏らして泣き始めた。


「……うん」

 俺はもう一度彼女のか細い身体に両腕を回し、そっと囲う。


「ありがとう……。レイシェル卿。貴卿は本当に優しいのね」


 アリエステは。

 そうやってしばらく泣き続けていた。腕の中で。

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