第24話 シェーンブルン離宮
♤♠♤♠
アリエステが衣装を購入してから7日後。
俺たちはシェーンブルン離宮にいた。
「アリエステの部屋は、二階の一番奥らしい」
螺旋階段を上りながら、数歩前を先に進むアリエステの背中に声をかけた。俺の後ろにはセイモンともうひとりの隊員がおり、物珍し気に壁画や調度品なんかを見ている。
「さすが王家の避暑地。なにもかもが一級品ですわね」
アリエステが振り返る。その頬は上気していて、サファイアのような瞳がきらきらと輝いていた。
よかった、と素直に俺は思う。
この前馬車の中で俺にすがりついて泣いた後、意外にもあっさり彼女は気持ちを立て直してはいた。
『すみません、もう大丈夫です。屋敷に戻してください』
そう言って俺から離れたものの、目は涙で濡れているし、声もまだ鼻声だった。
付き添ってやりたかったけれど。
合同訓練の後片付けもあるし……気にはなるけど、隊員に任せてその場はアリエステを家に帰したんだよな。
ただ、気にはなったので次の日様子を見に行ったら……。
いつもの取り澄ました様子で、「昨日は衣装を購入してくださりありがとう。代金はわたくしが王太子妃になったときに」と言えるぐらい元気にはなっていた。
ただ、それが本当に〝元気になった〟のか〝カラ元気〟なのかは俺にわからず。
もやもやしていたんだけど、シェーンブルン離宮の美しさや雰囲気を気に入った様子でちょっと安心した。いい気分転換になったらしい。
……ま。俺の持ち物じゃないし、俺が旅程組んだわけじゃないけどさ。
「荷物はお部屋に?」
二階廊下でアリエステが俺を見上げる。それからちょっとだけ顔をしかめた。
「相変わらずその眼帯ですか。もう少し見た目に気を遣ってはどうですの?」
「これ、気に入ってるからいいんだよ」
肩を竦め、アリエステを促して歩き出した。
「俺の部屋は東館の一階。小隊の人間は別館にいるけど、交替でアリエステの部屋を警備しようか?」
「王家の離宮ですのよ? なんの警備が必要なのか」
並んで歩きながらアリエステが呆れる。
「王太子殿下がいらっしゃるのなら近衛隊も動いているのでしょう? わたくしのことは構いませんから、皆さんもどうぞごゆっくりなさっては? 離宮なんてそうそう来れるわけじゃありませんし」
「アリエステ嬢は、王太子妃になったら来たい放題だね」
背後からセイモンがからかうように言う。俺も、それからもうひとりの隊員も「そうだそうだ」と笑ったのだが。
当のアリエステはぎこちなく顔を強張らせる。
なんか微妙な空気が生まれ、俺と隊員たちは笑いをおさめて視線を交わす。セイモンなど「え。ぼくなんか悪いこと言った?」的に困惑している。
ここにいる誰もが、乗って来ると思ったのだ。
『ええ、そうですわよ。みなさんにとっては一生に一回の機会かもしれませんが、わたくしはこのあと何度でもここに参りますから』
胸を張って言いそうな気がしたのだ。
「荷物は先着しているの?」
その空気を和ませるようにアリエステが柔らかく俺に問う。
「ああ、うん。このあとの……サロンに着ていく服や昼に行われるダンス用の衣装も店から直送させている」
俺も何事もなかったように答えた。沈黙が怖くて続けていろいろ話す。
「靴や鞄、宝飾品なんかも鍵をかけたトランクケースで運んでいる。今朝使用人たちが開鍵して収納しているはずだから確認してくれ。俺は馬や小隊の奴等との連絡があるから……サロンには行けないが大丈夫だろう?」
「ええ、それは」
もちろんです、とこたえたアリエステの声はいきなり開いた扉の音に消える。
「まぁ! アリエステさま、ごきげんよう!」
部屋から飛び出してきたのはマデリンだ。
どうやらアリエステの隣の部屋をあてがわれたらしい。いきなりのことに立ち尽くしたアリエステをぎゅっと抱きしめた。
「マデリン嬢もごきげんよう。お早いおつきだたんですね」
やたらめったらでかいマデリンの胸にムギュっと顔を押し付けられていたアリエステが、なんとか顔を上げて答えている。
「あたしもついさっき到着して、いまからサロン用の服に着替えようと思っていたんです」
「そうですか。ではわたくしも失礼して……」
「ところで、サロンで行う詩の朗読会。アリエステさまはなにをお選びになりましたの?」
失礼にならない程度にマデリンを押し返し、アリエステは部屋に向かおうとしたのだが。
その手を握り、マデリンがにこにこ笑いかける。
「……予定通り、ヒース・シラーの詩を」
訝しそうにアリエステの眉根が寄る。俺も「ん?」と思ったのは確かだ。
前もってなんの詩を朗読するかは届け出ているからだ。
詩だけじゃない。その後のピアノ曲もそうだ。
「まぁ、そうですのね。あ! あたしね、今日は特別なジュエリーを用意いたしましたのっ。アリエステさま、ご覧にならない?」
「それはまた、サロンでの楽しみとさせていただきますわ」
やんわりとアリエステは断った。
それはそうだ。このあとそのサロンに行くための支度がある。
「マデリン嬢。我々はここで失礼させていただきたいのだが」
仕方なく俺が割って入ると、むぅ、と唇を尖らせて睨まれた。
「殿方がどうしてここまでついて来るのですかぁ? あたし、アリエステさまとお話がしたいのにっ」
「それはまたサロンでゆっくりどうぞ」
邪眼で睨んでやろうか、こいつ。苦々しく思いながらも、愛想笑いで頭を下げる。
「さ、アリエステ嬢。行こう」
どん、とセイモンがアリエステの背を押して進ませた。
それを合図に俺たちは歩き出す。
背後から視線を感じたが、小さなため息とともに扉が閉じる音がする。
ちらりと振り返ると、マデリンの姿はもうなかった。部屋に戻ったらしい。
「じゃあ、我々は一旦ここで」
アリエステが部屋のドアノブを握ったところで声をかける。
彼女は振り返り、睫毛を少し伏せるようにして会釈をした。
「ではまた、ダンスホールで」
「ダンスホールで」
こたえると、アリエステは扉を開いて中に入る。
ぱたん。
俺たちの前で扉が閉じた。
「やれやれ。じゃあ、小隊の方に戻るか」
セイモンが大きく伸びをする。
「馬の状態をよく見ろよ。明日は狩猟大会だからな」
階段の方に戻りながら言うと、煩わしそうにセイモンが手をひらひらさせる。
「わかってるって。それより、今回、銃は使わないんだろう? だったら弓の……」
セイモンがそこで口を閉じる。
その一拍後。
りん、と鈴が鳴る。
俺はもう走り出していた。
アリエステの部屋。
そこから彼女の悲鳴が聞こえたのだ。
「アリエステ!」
ノックなんて無視して扉を開ける。
セイモンなんて抜刀して俺の後に続いた。
「だ……、誰かが……っ。いま……っ」
そこには床に尻餅着いた姿勢で震えるアリエステがいて。
外に向かって開け放たれた窓から風が吹き込み、カーテンが揺れていた。
「追え!」
セイモンがもうひとりの隊員に指示を出し、自分は窓枠にとりついて侵入者の形跡を探そうとしている。
「窓から逃げたのか?」
床に座り込んだままのアリエステの側に近寄り、片膝突いた。りん、と鈴が鳴る。
ようやくアリエステは俺の方を見た。顔を覗き込むと、アリエステは蒼白な顔でがくがくと首を縦に振る。
「荷物を確認しようと……。クローゼットを開けたら中から人が……」
指差したのは、ウォークインクローゼットだ。
蛇腹折りの扉は開いており、ドレスが数着吊られていた。荷物は使用人たちの手によって昨日運び込まれている。
「盗まれているものがあるか?」
俺はアリエステの肩を支えて立たせてやると、ウォークインクローゼットに一緒に近寄る。真っ先に考えたのは盗賊だ。使用人たちが昨日荷物を運び込んだ段階では、この部屋は無人だった。賊が忍び込み、金目のものを盗もうとしてもおかしくはない。
おかしくはないが……。ここ、王家の所有なんだよなぁ。こんなところに賊が入れるか……?
「舞踏会用のドレスや靴。小物……も。ある……」
俺にしがみつくようにして立っているアリエステが目視で確認し、震えるようにして頷いた。
視線を感じて顔を向けると、セイモンだ。
ちょっと疑わし気な。
俺と同じく、『こんなところ賊が入る?』というような顔だった。
「王家に連絡し、警備を増やしてもらおう」
セイモンに命じると、不平そうな顔をして奴は部屋を出て行った。
「大丈夫か? しばらく俺が一緒にいようか?」
アリエステに尋ねるが、彼女は何回か深呼吸をしてから首を横に振った。
「いえ。レイシェル卿はレイシェル卿のことをなさって」
きっぱりと言われ、俺は悩んだ末に結局部屋を後にした。
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