第2話 なんとも気の強いお嬢さん

「レイシェル卿っ」

 気づけばメアと呼ばれていたばぁちゃん侍女が俺に駆け寄り、必死に訴える。


「この方々が急に道を塞ぎ、お嬢様にいきなりぶつかってきて……。それなのに、ぶつかってきたのだから、謝れ。謝らないのなら、それ相応の……。その」


 言うのもはばかられることなのだろう。侍女は困惑して口を閉じる。


 視線を下げる。

 俺の腕の中。

 そこにいるのはアリエステ・モーリス。


 『君かな』のいわゆる悪役令嬢だ。

 この物語の主人公はマデリン・セークというヒロイン。


 男爵家の娘だが、知恵と勇気と……なんだったかな。愛嬌か。いや、愛嬌という名の天然か。そんなんで困難を乗り越え、悪役令嬢をざまぁし、ヒーローである王太子カルロイ・エル・ラインシードの愛と信頼を獲得する少女マンガだ。


 ほんと、笑いたくなるが作っているのは俺を含めておっさんばっかり。それが頭を突き合わせて、いかに読者(おもに女)をきゃあきゃあ言わせるか真剣に意見をぶつけ合ってるんだから笑う。「もっと処女らしい恥じらいを」とか担当編集が言うけど、編集を含めた創作サイドに処女どころか女もおらん。


 だけど。

 人気が出た。


 いやなにがどうなるか人生分からんもんだ。当初は紙の出版予定はなかったのに、急遽コミックが刷られた。それが増刷を重ねる。あれよあれよという間にボイスドラマが作られ、そこからアニメ化。気づけば来シーズンの打ち合わせも来ていた。


 その『君かな』の悪役令嬢がアリエステ・モーリス。

 いま、俺の腕の中にいる娘だ。


 ……まぁ、悪役令嬢。うん。大変結構。いるもんな、ストーリー上どうしても必要。というか、悪役令嬢がいないことには主役が輝かないし、試練を与えられん。


 だけど。

 それをどうして〝俺のアリエステ〟にする必要があった。


 思い出してまた腹が立ってきた。


 俺はもともと漫画家としてデビューしている。ところが鳴かず飛ばずのため、当時の担当編集が「原作担当になるか?」と話を持ってきたのだ。


 編集部を通じて手を組んだのが作画担当のカイ。


 俺としては仲良くやろうと思ったよ? だけどあいつが突っかかって来るんだよ。

 そりゃわかるよ。自分の考えたネタで勝負したいって気持ちは痛いほどわかる。俺だって、原作担当を言われたとき、一週間飲んだくれたからな。だって、お前の画は勝負にならねぇと言われたようなもんだ。


 だけど俺は石にかじりついてでも手放したくなかった。

 創作という場を。出版という手段を。


 だからカイの機嫌を取り、なだめ、うまいこと付き合いながら『君かな』を作り上げていったんだが……。


 あいつは最後まで俺のことを嫌っていた。

 それだけじゃない。嘘はつく、時間は守らない、約束は破る、大事な話は隠す、平気で裏切る。


 もうむちゃくちゃだった。


 その最たるものが悪役令嬢アリエステだ。


 あいつは俺のデビュー作のヒロインと外見そっくりのキャラを、悪役令嬢として登場させやがった。


 俺が大事にしていることを知っていて、だ。


 キャラ設定では最後まで悪役令嬢の顔はぼやかされていた。少なくとも俺は見ていない。他のキャラと髪や目の色がかぶると困るから最終調整中だ、と俺にはそれらしいことを言っておいて……。実際は編集には手を回して修正できないところまで話を進めていた。


 結果。

 俺のヒロインを悪役令嬢としていたぶりやがった。


 なにが憎いって……。

 なにが悔しいって……。


 読者が忌み嫌い、「こいつ腹立つ」と言わせ、ざまぁされたときはコメント欄が拍手マークでいっぱいになるようにストーリーを作り上げたのが俺だ、ということだ。


 俺の大事にしているヒロイン。

 誰からも愛されるはずだったキャラ。


 それが、俺自身が作り上げたストーリーでどんどん壊れていく。壊れさせなくちゃいけない。


 もう、毎日気が狂いそうだった。


 だから、アニメの二期が決まり、コミックの方でもある程度区切りがついたところで、俺はカイと担当編集者に告げたんだ。


『原作から外れる。これ以上は無理だ』と。


 で、すったもんだの末に俺が編集部を飛び出し、そこで交通事故に遭って死亡。

 そのあとはどうなったか知らん。


 俺はとんでもないことに、『君かの』の世界に異世界転生。前世の記憶を持ったままキャラとして生きることになった。


「自分たちからぶつかってきておいて! 謝れも何もないでしょう!」


 俺の顎下あたりから気の強い声が聞こえてきた。

 こりゃまた随分と威勢がいいな、と苦笑いだ。


 箱入り娘の伯爵令嬢なら泣いて怯えるところだろうに。


「察するにあれか。世間知らずのご令嬢と知っていて、わざとぶつかっていったのか。それで謝罪代わりに、すけべでいかがわしく口にするのも汚らわしいことをさせようとしたってことか」


 問いただすと、数人の男たちは居心地悪そうに身を小さくした。


 途端に往来から罵声が飛ぶ。そりゃそうだ。いくらここが下町で、ガラの悪い奴らも混ざっているとはいえ……。


 これは違うだろう。男としてのプライドの問題だ。実際、野次を飛ばしているのは男が多い。


「違う! あの女が嘘ついてんだ! あっちがぶつかって来たんだ!」

 往生際悪くまだそんなことを往来に向かって言い返す。


「なんですって!」


 アリエステが怒鳴り、俺の腕を振り払ってでも前に進もうとするが。

 やはり足が痛むのか、顔をしかめて唇を噛む。


「ほら、言い返せねぇじゃねぇか!」


 勝ち誇ったように言う男に、俺はせいぜい恐ろしそうな……悪役っぽい顔を作って見せた。


「いい加減やめろ。呪うぞ」


 そう言って、アリエステを右腕で支え、左の手を眼帯にやる。

 そのまま親指で眼帯を押し上げた。


 両目でしっかりと男たちを睨みつけた途端。


「ひ……っ!」

「神よ、お救い下さいませ!」


 悲鳴だの祈祷だのを口から吐き出しながら奴らは走り去る。


 それはなにも男たちだけではなかった。

 取り囲んでいた群衆もだ。

 別にそっちを見たわけじゃないのに、蜘蛛の子を散らすようにみんないなくなってしまった。


 ……まぁ、仕方ない。邪眼卿だし、俺。

 やれやれと眼帯を元に戻すと。


「いつまでわたくしに触っているおつもりっ⁉」


 アリエステが盛大に手をばたつかせる。ちょ……、いたいいたい。顔にあたる。俺は腕を解いて自由にしてやるが、やっぱり踏ん張れない。態勢を崩すから、慌ててまた支えて、そのままそっと地面に座らせてやった。


「突き倒されて足をくじいたか?」


 アリエステの向かいに片膝ついて座る。

 りん、と佩刀の鈴が鳴った。


 左足は膝を曲げスカートの中に納まっているが、右足は違う。投げ出されるように伸びた足のくるぶし。そこが若干腫れている。この腫れ方だと軽度の捻挫ぐらいだろうが……。

 歩くには支障がありそうだ。

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