第3話 これ以上、わたくしに関わらないでくださる⁉

「メア、肩を貸して」


 アリエステが命じる。近づき、腰をかがめるメアに腕を回すのだが……。

 そのまま立ち上がれたもんじゃない。

 なんてったってメアは高齢。危うくふたりしてまた転倒しそうになり、咄嗟に手を伸ばして支えてやった。


「気軽に触らないでと言っているでしょうっ、レイシェル卿!」


 手を押しのけ、アリエステは地面に尻をつけたまま俺を睨み上げる。


「これ以上、わたくしに関わらないでくださる⁉ 迷惑ですわっ」

「なんでそんなにつんけんするわけ。礼を言われてもいいぐらいのことをしたんだけど」


 俺は腕を組み、片足に重心を乗せてアリエステを見下ろす。で、気づいた。


「あ。結婚の申し出を断ったことを怒ってんのか?」

 途端に、顔を真っ赤にして怒り出した。


「違いますわ! 貴卿と一緒にいるところを見られたら……またいらぬことを言われるからですっ!」


「もう大分前のことだろ? 忘れろよ、執念深いな」


 ため息交じりに呟いたが、聞こえたらしい。がうがうとまたひとしきり吠えられた。


 一年前のことだ。

 モーリス伯爵家より俺に結婚の申し出があったのだ。


 原作マンガではこれをレイシェルは受ける。

 というか、受けさせられる。


 邪眼という、この世界では忌むべき外見を持つレイシェルには、年ごろになっても当然結婚話など持ち上がろうはずもなかった。


 だが公爵家のひとり息子だ。体面というものがある。ナイト公爵は渡りに船とばかりに、成金モーリス伯爵家の娘、アリエステとの結婚を進めた。


 レイシェルは非常に自己肯定感が低く、依存しやすい男性……という設定にしていた。


 アリエステが欲しいのは〝次期公爵夫人〟という肩書だ。それはレイシェルも重々わかっていたが、それでも自分の妻になってくれたアリエステを女神のように敬う。


 そして、アリエステがざまぁされ、処刑されるときは、王家に公然と非を訴え、反逆罪として共に断頭台の露と消える。


 ようするに。

 俺の自己満足のために作り上げたキャラだ。


 悪役令嬢が俺の大事なヒロインと同じ外見を持っていると知ったとき、急遽作り上げたのがレイシェル・ナイトだった。


 誰からも嫌われ、死をもって己の罪を償えと命じられた愚かな女。死の場面でさえ「ざまぁ」と読者から嗤われ、舞台から退場せざるを得ない悪役令嬢。


 そんな女でも、心から愛され、その死に涙し、「彼女のしたことは死を与えられるほどの罪だったのか。本当に王太子の私怨はなかったのか」と抗議する男がいてほしかった。


 ……まぁ、当たり前だがそのときは俺自身がまさかそのレイシェルに転生するなんて思いもよからなったんだけど。


 物語の展開どおり、モーリス伯爵から結婚の申し出がきた、と父であるナイト公爵から言われたとき。


 ふと思ったんだ。

 レイシェルとアリエステが結婚しなければどうだろう、と。


 今後の流れが多少変わるかもしれない。


 そうすれば。

 アリエステのざまぁは避けられ、レイシェルも後追い自殺的なことは起こさないんじゃないかって。


 というのも原作ではレイシェルが生まれたことで公爵の夫婦関係は破綻し、家庭は冷え切った状態になるのだが。


 俺の生存戦略「子はかすがい」作戦により、現在まで夫婦仲は良好。

 なんなら、仲良し三人家族だ。

 物語の中身が変わったのだ。


 今回のモーリス伯爵家の結婚の申し出も、むしろナイト公爵の方が「無礼者め。伯爵ごときが侮るな」と怒り狂っているほどだ。


 ナイト公爵夫人も、「レイシェルにはいずれ立派なご令嬢を妻に迎えます。少なくともあなたの家門以外の」とぴしゃりと使者に言い放っていた。


 なので、ストーリー上すでにこの年齢ではアリエステとレイシェルは結婚しているんだが、現在そんな流れはまったくない。


 というか、アリエステから逃げまくっている。いまのいままで、顔も見たことなかった。


「執念深いですって……⁉」

 アリエステがいきり立つから、うんざりしながらも言葉を遮った。


「その脚では歩けんだろう。馬車まで肩を貸してやる。どこに待たせているんだ?」

 俺がアリエステに尋ねる。


 そしてぎょっとした。

 彼女がまっすぐに俺を睨みつけていたからだ。


 俺に対して憎しみや怒りの感情があったとしても、普通は目を合わせようとしない。さっきの男たちや野次馬たちしかりだ。


 この世界に転生し、邪眼など持っていたために、俺と目線を合わせる奴なんて本当に限られた人間だけだった。


 両親でさえ最初は目を合わせられず、母乳を拒否されたときなんて生後間もなく死を覚悟した。その後、まさかヤギの乳だけで生きていけるとは思わなかったが……。


「メア。いますぐ辻馬車を用意しなさい」

 アリエステが高慢な態度で命じる。


「辻馬車? 伯爵家の馬車は?」


 訝った声が口から飛び出した。アリエステは伯爵令嬢だ。


 よく考えたら変だ。

 ようやくそんな疑問が沸いた。


 そもそもなんで伯爵令嬢がこんな下町にいるんだ? ……まぁ、俺も公爵の息子だが。


「馬車は……お恥ずかしい話ですが処分いたしまして」

 メアがもじもじと肩を縮こめる。


「あの……お手数ですがレイシェル卿。ここはそんなに治安がいいと思えません。辻馬車をひろうまで、お嬢様の側にいてやってくださいませんか?」


「メア! なにを言っているの!」


 侍女を𠮟りつけるアリエステを見ながら、やっぱり変だと気づく。


『君かな』の悪役令嬢アリエステは、いまをときめくモーリス伯爵家の長女。

 いつも高飛車で居丈高は設定どおり。とりまきの下級貴族を引き連れ、ヒロインの貧乏貴族マデリンを蔑む。吐き出す言葉は辛辣で、視線はいつも苛烈。


 その舞台は王宮。

 貴族たちがひしめく場所でこそ彼女の存在はギラギラと輝いていたはずだ。


 だが。

 なにゆえ、いま彼女は下町におり、かつ馬車を所有していないのだ?


「俺の馴染みの店があるんだ。すぐそこにある。休憩がてらに行くか?」


 俺が促すと、アリエステは鋭い眼光を向けてくる。まるで毛を逆立てた猫だ。

 おーおー、元気だなぁと思いつつも。


 よく考えたら推しが動いて笑って三次元で存在って……。

 なんかすごいな。


 俺はにやけそうになる表情をひきしめ、こほんと咳払いをした。


「動けないだろう? 背負ってやる」

 アリエステに背を向け、しゃがむ。


「いいえ、結構です! メアが辻馬車を呼ぶまでここにいますっ」

 ぴしゃりとキツイ言葉が投げつけられる。俺は苦笑した。


「それまであんたひとり往来に座り込んでいるのか?」

「貴卿にだけは助けられたくありませんっ」


「じゃあ、あんたを助けるんじゃなくて、俺を助けると思ってくれ。この格好のまま、あんたをずーっと説得しているから、結構な見世物状態だ」


 笑いながら言う。

 嘘じゃない。


 さっきまでここに集まっているやつらがほとんどいなくなったせいだろう。

 がーがー喚くアリエステに背を向けてしゃがみこんだままの俺を「あの騎士は何をしているんだろう」と事情を知らない往来の皆が訝しがり始めた。


「あんただってこのままじゃ、俺と一緒にいい見世物だぜ?」


 うぐ、と押し黙る音が聞こえてきた。しばらく迷った雰囲気があったが、咳払いしたアリエステが言う。


「そうね。騎士であり次期公爵であるレイシェル卿に恥をかかせたくはありませんわ。ここは仕方なくお受けしましょう。………メア。手伝って」


 渋々とばかりにアリエステは言うと、メアに手を貸されて俺の背中にもたれかかった。

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