第4話 モーリス伯爵家
よいしょ、と声をかけてアリエステを背負う。軽いもんだ。そのままメアに声をかけた。
「メアだったか? お前も来い。店はすぐだ。店員に頼めば辻馬車に来てもらえる」
「ありがとうございます」
申し訳なさそうなメアを連れて歩き出す。
りん、りん、と。
佩刀につけた鈴が陽気な音を奏でた。
時折、音に気付いた露店主や客たちが、怯えた様に俺から目を逸らす。まぁ、いわば先ぶれみたいなもんだ。
「……この鈴。なんのためにつけていらっしゃるの? 余計に人目につくじゃない」
アリエステが、不機嫌そうに言うから思わず笑ってしまう。背中でメアが「お嬢様っ」と小声で叱責した。
「すみません……っ。お嬢様は世間に疎く……っ」
メアが詫びるから、首を横に振ってまた笑う。
「アリエステも知っているだろう? 俺の目は邪眼だって。だからこの鈴……聖者の鈴が必要なんだ。もし俺の目を見たとしても、この鈴の音を聞けば清められるから安心しろ」
「邪眼……」
珍しく彼女はそこで言い澱んだ。まだなにか続けるのかな、としばらく待ったが何も言わない。
「どうした?」
促してやる。
「別に目から炎を吹き出したり光線を出したりするんじゃないでしょう?」
背中からぼそりとそんな声が聞こえてきて、ぷ、と俺は吹き出してしまう。途端にぽかぽかと肩や首あたりを殴られた。
「だ……っ、だってそうでしょう! なぜ笑うの、無礼者っ」
「いたたた、はいはい、そうそう。目から攻撃的ななにかをだすわけじゃ……。いててて」
笑ながら言い続けていると、途端にメアが声を荒げた。
「お嬢様っ。な……なにを失礼な……っ」
「だって……。ならばどうして邪眼などと言うの? なにが恐ろしいの。呪いだなんてみんなバカなんじゃないの」
「目の色が違うのですっ。片目が金で、片目が黒で……」
「それがなに」
「普通とは違うのです! 悪魔の……っ。金銀妖瞳は悪魔の証拠ですっ」
勢いよく言ってしまってからメアはしまったと思ったのだろう。息を呑んで口を閉ざした。
……まぁ、この世界でそう信じられているのなら仕方ない。ただ、これは虹彩異色症だ。非常に稀だが、そんなやつがいる。そこに宗教も思想も関係ない。
「バカらしい。みんなねたんでいるのね」
だが、首の後ろから聞こえてきたのは、心底うんざりしたようなため息交じりの声だった。
「ねたむ?」
予想外の言葉に少しだけ首をねじって背後を見る。ばちり、とアリエステと目が合った。彼女はきれいに口紅が塗られた端整な唇をへの字に曲げて見せる。
「きれいなものや特別なものをもっている人間は、いつだって
高飛車なその態度と言動に二の句が継げない。
だが、アリエステはそんなことおかまいなしに目を細めてほほ笑んだ。
「レイシェル卿のその目は、神様が印をおつけなさったのよ。無知な人間が見ても、あなたが特別な人間であることがわかるように」
俺はただただ、呆気にとられてアリエステを見た。
そんな風に言われたのは初めてだ。
しかし、なるほど。
普通とは違う。だから悪魔なのだ、というのならば。
同じように、これは神の
であるならば。
りんりんと鳴るこの鈴。これは
「ありがとう。そんなことを言われたのは初めてだ」
単純に嬉しかった。そう感じるということは、やっぱり俺自身この境遇に納得いっていなかったし、辛かったのかもしれない。
「特別な俺から、君に祝福を」
「わたくし自身がすでに特別なのですから、貴卿からの祝福など無用」
「はいはい」
苦笑いしながら、俺はアリエステを背負って歩く。
「そういえば、レイシェル卿のような方がこのような下町に何用だったのです。あなた三公爵の……ナイト公爵のご子息でしょう」
訝るように問われた。
三公爵というのは、前王の兄弟たちを祖にしている。俺のじいさんが王子だったということだ。
「そっくりそのままアリエステに返したいけどね。あんたこそ、伯爵令嬢なのになんで……ああ、ここだ。この馴染みの店に挨拶に来たんだ」
俺は言い、一軒の酒場で足を止めた。
下部と上部が空いているスイングドアを押し、中に入る。
「いらっしゃい! ……あら?」
すぐに声をかけてくれたのは女店主のフーディだ。
俺の眼帯を見てもなんとも思わない貴重な人間のひとり。
相変わらず胸の大きく開いた服を着ている。もう、半分ぐらい見えているのか見せているのか。ウエスト部分をぎゅっと革ベルトでしばって細くしているから余計に胸が強調されていた。
「ぼうや。とんとお
カウンターから出てきて、気さくに話しかけてくれる。今年四十路だとぼやいていたが、陽気ではつらつとした雰囲気のせいか、まだ三十代前半にさえ見えた。
というか、俺のまわりの女は、三十超えたとたんに自由だ。
「忙しかったんだ。そう言うなよ」
苦笑いしてみせると、フーディはアリエステとメアに視線を移動させる。
「こりゃまた随分と毛並みの良い子猫ちゃんを背負っているね。拾ったのかい?」
遠慮なく近づき、フーディはアリエステの顎を摘まんで上を向かせる。
「無礼者っ。わたくしはアリエステ・モーリス! 猫などではありませんっ」
「おお、怖い。引っ掻かれそうだ」
案の定というか、アリエステが牙を剥いた。フーディはからかうように笑う。
「悪いが辻馬車を呼んでもらえないか? それまでになんか飲み物と……食べるものを」
俺は店内を見回した。
昼のかきいれ時が過ぎているからか、客はいない。がらんとはしていたが、さっきまで確かに忙しかったのだろう。カウンターには洗い物の皿が積んであるし、脂の匂いや酒の匂いがまだ残っている。
「あいよ。ちょっと」
フーディが指を鳴らすと、カウンターからまだ年端のいかない子どもが手を拭きながら出て来た。
「辻馬車を一台。店の前に寄こすように伝えて」
フーディが命じると、こっくりと子どもは頷いた。そのまま無言でスイングドアに向かうから、俺は慌ててアリエステを手近な椅子に座らせた。そしてズボンのポケットに手を突っ込んで、銅貨を一枚取り出す。
「駄賃だ」
親指ではじいて飛ばすと、スイングドアの手前で足を止め、両手でぱちりと受け取った。ありがとう、とたぶん言おうとしたのだろう。顔を上げ、俺と目を合わせてぎょっとする。だから柄を握って聖者の鈴を鳴らしてやった。ほっとしたように強張りを解き、子どもはそのまま店を出ていった。
「児童法違反じゃないのか? あきらかに低年齢だろう」
カウンターに戻ったフーディに声を投げると、「はん」と威勢のいい声だけが返ってくる。
「だったらあの子にぼうやが言うんだね。ここでは働けないから、施設に戻りな、って」
……まぁ、そうなんだよなぁ。
子どもを働かせるなと言うのは簡単だ。だが働かないと飢えるのも事実だ。
結果的に働かざるを得ない。フーディのような雇い主ばかりならいいが……。
大半は劣悪な状況と労働条件で子どもは使い捨てされている。
「辻馬車が来るまでここで待っていればいい」
俺も椅子に座る。メアがしゃがみこむから何事かと思ったら、アリエステの足をみているらしい。
「どうだ? また腫れてきているか?」
「いえ。大丈夫のようです。ありがとうございます」
よろよろと立ち上がったメアが深々と頭を下げる。
「まぁ、座れよ。それよりさ」
メアが椅子に座るのを待ち、俺は切り出した。
「なにか事情があってお忍びで下町に来たんだろう? ここの店主は口が堅いから大丈夫だ」
「お忍びで、というのは少し違いまして……」
メアが小さな肩をさらに小さくして語尾を濁す。続けたのはアリエステだ。
「
「……給金の支払い?」
暇を申し出たってことは、辞めたってことだろう? そいつに給料を支払いに来たって、どういう状況だ。視線の先でアリエステはぴんと背筋を伸ばしたままこたえた。
「……その、給金を支払う目途がついたものだから」
「ん?」
「……数か月ほど支払いができなかったため、その者は暇を願い出たのです。今日、ようやく全額支払うことができたわ」
アリエステは顔を赤くしたものの、堂々とした態度で言う。
ぽかん、と。
文字通り俺は口を開けて言葉を無くす。
給料未払いが続いて使用人が辞めた、ということか。
あの飛ぶ鳥を落とす勢いのモーリス伯爵家が。
「すまん。俺は普段領地から出ないからよくわかっていなかったが……。モーリス伯爵家になにがあったんだ」
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