第5話 次の一手
邪眼のこともあるし、それに俺自身物語の主要キャラに出会うことを避けていた。
なによりアリエステのことはできるだけ視界に入らないように生きて来た。
だって、あれじゃないか。
いくら性格が史上最悪でみなから嫌われていたとしても俺の大事なキャラが目の前でざまぁされて死ぬなんて……。
そんなの見たいわけがない。
それに、レイシェル・ナイトと結婚しなければ、彼女には違う未来が拓けるかもと微かに願っていたこともあってできるだけ距離を置いてきたのだ。
「こう申し上げてはなんですが……。公爵様から縁談を断られて以来、モーリス伯爵家の評判が次第に落ちていきまして……。使用人もほとんど解雇する始末で」
メアが呻くように言うから、絶句する。
「………え? 俺?」
どれぐらい黙ったままアリエステとメアを見つめていただろう。
その間に、フーディがまな板の上でなにかを切る音を数回、液体を鍋に入れるドボドボ音をちょっとだけ聞いた。
「別にレイシェル卿だけのせいではありませんわ。これしきのことで傾いた父上の事業がずさんであったことと、わたくしの努力が足りなかっただけです」
アリエステの凛とした声に頬を打たれた気がした。
「え。ちょっと待て。理解が追い付かん。なんでナイト
貴族同士の結婚は一族と一族を結びつける重要な役割を果たす。
片方の利益だけにつながるのなら、もう片方が断る場合だって当然出てくる。言っちゃなんだが、水面下の交渉がまとまらなかった、なんて縁談はざらのはず。
「言いにくいことではありますが……」
「メア」
ぴしゃりとアリエステが侍女の言葉を制するから、俺は促す。
「なんだ。言ってくれ」
「ナイト公爵家はたどれば王家に連なる身。王家といえば始祖は神の一族。わきまえずにそのような者に縁談を持ち掛けたものですから……。その、モーリス伯爵家は罰を受けて呪いにかかったのだ、と」
「はああああああああ⁉」
盛大に驚きが口から飛び出る。
「そのようなことはないと当然分かっております」
アリエステが柳眉を寄せて煩わしそうに首を横に振った。
「父の貿易船が海難事故にあったのも、母が詐欺にあったのも、銀行が急に債権回収に走ったのもすべてモーリス伯爵家が未熟であったがゆえ。貴卿たちのせいではありませんわ」
海難事故? 詐欺? 債権回収?
頭の中が大混乱だ。そんなものは原作のどこにもない。
ということは……。
「……だから、さっきあんな態度だったのか」
茫然と呟く。
てっきり、結婚を断ったことでプライドを傷つけられたからだと思っていたが……。
そうじゃない。
「ですからそうではないと申し上げているでしょう。呪いだなんて無知蒙昧な人間が言うことです」
きつい口調でアリエステが退ける。
「すべては我が家の問題。父の怠慢と母の傲慢と、わたくしの努力不足が招いた結果です」
アリエステは、つんと顎を上げた。
「ですが当然次の一手は考えております。このままで引き下がるアリエステ・モーリスではありませんわ。かならずやモーリス伯爵家を再興させます」
サファイアのような瞳が煌めいたとき、威勢のいい足音が近づいてきた。
「はいよっ。こんなもんしかないけどいいかね」
頑丈さだけが売りの簡素なグラスには、赤ワインがなみなみと入っている。底に沈んでいるのは輪切りオレンジとブルーベリー。そこにぞんざいにシナモンスティックが刺さっていた。
フーディは、どんどん、と勢いよく俺たちの前にグラスを並べ、テーブルの真ん中にまだかすかに湯気をあげそうなミートパイを、だすん、と置いた。
「ひょっとしてフーディたちの分か?」
客が入っていないのにこの速さで、しかも出来立てを提供できたということはまかないだったのでは、と戸惑う。だったら悪いことをした。
「あたしたちのは別にあるから大丈夫。あったかいうちに食べな」
言うなり、シルバートレイの上に乗せたナイフでミートパイを切り分けた。やっぱり。ふわりと湯気が上がり、パイはさくっと良い音を立てる。中から肉汁がかすかに出てきた。それ以上に香辛料と肉があいまった旨そうな匂いが立ち上る。
「まぁ。よい香りですわ」
アリエステがわずかに顎を上げ、空気の匂いを嗅いだ。
「今日はあいびきを使ったミートパイだ。ナツメグを少し入れたが……。お嬢ちゃんの口にあうかね? サングリアの中にはカットオレンジとブルーベリーが入っている。シナモンスティックは香りづけだから嫌いならどけとくれ」
フーディが料理の説明をしてくれた。
「アルコールが苦手なら、あっためてホットサングリアにするがどうだい?」
「いえ、結構。このままいただきます」
下町の、小汚い居酒屋なんだが、その口ぶりはまるで高級なレストランでシェフと受け答えしているような気品があった。
アリエステはグラスを口元まで持ち上げ、笑みを深める。確かにフルーティな香りとシナモンの異国風な香りがよく合っている。
かわいいな、と素直に思った。
つんけんした表情はあっさりと消え、美味しい食事を前にしてにこにこしている。
「足りるか?」
俺自身もなんか顔が緩みながら、ポケットから硬貨をつかみ出す。フーディのシルバートレイに乗せた。
「メア」
アリエステが侍女に声をかける。メアが慌てて腰の袋に手を伸ばすから俺は手を振って制した。
「俺が連れて来たんだし」
「そうだよ、黙って座っときな、子猫ちゃん。ぼうやに花を持たせてやんなよ。たいした額じゃないけどさ」
フーディが胸を揺らして笑う。
もう、ゆっさゆっさしてる。昔「肩凝るんだよ、これ」と自分の胸を無造作につかんで言っていたのを思い出した。……だろうな。重そうだ。
「その〝ぼうや〟呼びをいい加減やめてくれないか。もう二十歳になった」
うんざりした顔で言って見せる。初めてこの店に来たのが十四かそこらだった。だからフーディはずっと俺を〝ぼうや〟と呼ぶが……。
そのときもいまも、中身は二十五才。もうすぐ死んだ年を超えそうだ。
「ま。そんときがきたらね」
フーディは笑って背を向けた。たぷん、と胸が揺れる。
「………最低ですわ」
フーディがカウンターに戻って行くのを見計らったかのようにアリエステがぼそりと言う。
「は?」
最初、それが俺に向けられた言葉だとは気づかなかった。
声につられて彼女を見ると、サングリアを飲みながら、じっとりとした視線で俺を睨みつけているからびっくりする。
「なにが。どこが」
「胸しか見ていなかったでしょう、さっきのご婦人の」
「胸も、だ。胸も。全体的にとらえたなかの一部だ」
「いーえ。胸に釘付けでした。いやらしい」
「いやら……。そんな目はしてなかっただろう」
「いいえ。邪な……それこそ邪眼でした」
「そんな気はさらさらない」
「いやらしい」
あのなぁ、と呆れて。
で。
……なんとなくアリエステの胸を見たのがまた悪かったんだろうなぁ。
「ほらっ! 最低! いまなにを見ようとしましたのっ」
「そんなたいそうなもんかよ、それ」
つい言ってしまう。おかしいな。カイの設定ではもう少し胸があった気がするが。
途端にアリエステがグラスを俺に向かって投げようとし、寸前のところでメアが止めた。
「それで? 次の一手ってどんなこと考えているんだ?」
強引に俺は話題を変える。グラスを持つ手をメアに押さえられたため、今度はミートパイに手を伸ばそうとしている。やばいやばい。あんな熱々を顔にぶつけられたら大変だ。さっさと手の届かないところに移動させる。
「王太子妃の座です」
必死に怒りをこらえたあと、アリエステは胸を張ってそう言った。
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