第6話 悪役令嬢とヒーロー

「……お、王太子妃……? アリエステが、か?」


 もう今日だけで何回呆気にとられただろう。

 だけど、アリエステは深く頷く。


「現在、カルロイ王太子の花嫁選びが進められています。それはご存じですか?」

「……なんとなく」


 いや、実際は知らんが。


 ただ、そんなイベントが発生するのは知っている。原作者だから。

 ヒロインのマデリンが19歳。アリエステが20歳のころに、王太子の花嫁選びが行われるのだ。


 マデリンを含めた四人の花嫁候補がしのぎを削って、「王太子妃」という地位を手に入れようとする。それが第一部の見せ場。


 王太子カルロイとは行事ごとで年に数回顔を会わせざるを得ないが、マデリンとはまだ一度も会っていない。ただ、この流れだとすでに王都で何度か顔を会わせ、ふたりは恋に落ちているはずだ


「だけど、なんでアリエステが候補に?」


 原作では、彼女は花嫁候補者じゃない。


 アリエステはレイシェルと結婚しているので、候補者になりえない。既婚者だ。だから自分にとって都合の良い候補者であるシシリアン宮中伯の娘に肩入れし、マデリンをいじめ倒す。


「……あ」

 つい声が漏れた。


 俺だ。

 俺と結婚していないから。


 アリエステは未婚だから。

 だから、王太子妃候補に入ることができてしまったのだ。


「あなたとの縁談が反故ほごになったことにより、逆にこのような幸運が回ってきましたわ。王太子妃という座をこの手につかみ取り、モーリス伯爵の栄光を再び……」


 アリエステが目をギラギラさせながら野望を語る。


 なるほど、次の一手とはそれか。

 女性ならではの逆転ホームラン。


 玉の輿狙い。

 というか、白馬の王子を射落とす勢いだ。


 強い。俺の推し、強い。


「ですがせっかく、お嬢様が王太子殿下の花嫁候補に選ばれたというのに……」

 メアが顔を手で覆ってさめざめと泣き始める。


「どうかしたのか?」

「付添人が決まらないのです」


 アリエステが忌々し気に言い、サングリアを飲んだ。


「付添人ってあれか。後見人みたいな」

 確か、それぞれの花嫁候補には、ひとりずつ騎士がつくんだ。


 余談だがマデリンの騎士はマデリンに惚れ、王太子とバチバチの火花なんかも散らすんだけど、マデリンが王太子を深く愛していることに気づいて身を引く。


 自分で作っといてなんだが、とにかく、この物語に登場する男はみんなマデリンに惚れる。もはやなんらかのフェロモンでも出てるんじゃないかと疑うレベルだ。


「声をかければ誰でも名乗り出るだろう」


 この国随一の伯爵家だ。そりゃあ、物語上は相当性格の悪い女の付添人だが……。そして最後にはざまぁされるんだが。それでも、これ以上の金持ちは国にほとんどいないぐらいだ。


 しかも、アリエステは美人だ。

 もともと俺が考えた完璧な女だ。なんの文句があろうや。


「我が家にかけられた呪いとやらに怯えて誰も引き受けてくださらないのです。かかわると自分も不幸になると」


 腰抜けです、とアリエステは、つんと澄ました。

 ……しまった、俺のせい……か?


 結婚を断るんじゃなかったか、と苦々しい気持ちでサングリアをがぶりと飲む。勢いがつきすぎていたのか口の中に一気にブルーベリーが入って来てむせた。


「大丈夫ですか、レイシェル卿」

 アリエステが俺の背を撫でてくれた。うっとうしいなぁ、という顔ではあったが。


「いや、大丈夫。えっと……。で、付添人を引き受けてくれる人がいないんだな」

 咳払いをして、アリエステに尋ねた。彼女は深く頷いて息を吐く。


「そうなのです。このままでは花嫁候補を辞退せねばなりません」

「じゃあ、それでいいんじゃないか?」


 咄嗟にそんなことを言ってしまった。

 なにしろ花嫁候補になったところで何もいいことはない。


 どうも嫌な予感がする。この流れではアリエステは物語の中心に進んでいく。

 俺と結婚しなかったがために伯爵家は没落の憂き目にあっているが、おかげで表舞台からは距離をおけたのだ。


 このままでいればいいのだ。

 物語の本流にもどったところで。


 ヒロインをいじめて、その責任をとってざまぁされるだけだ。


「なにをおっしゃっているのですかっ」

「うおっ! なにっ⁉」


 びぃやあん、とメアが丸テーブルに身を乗り出してきて怒鳴る。


 そのままテーブル上を這ってきそうな勢いで牙を剥いた。やばいやばい。ミートパイが、と俺は慌てて皿を移動させた。そのとき、目が合いそうになったのだけど、それは怖いらしく、手庇を作るんだからよくわからん婆さんだ。


「アリエステ様は学院時代からカルロイ王太子殿下に恋い焦がれ……っ。王太子殿下も万難を排してようやく婚約者候補にアリエステ様を指名できたというのに‼」


「ん? カルロイもアリエステのことが?」


 びっくりしてアリエステを見る。


 顔が。

 真っ赤だ。


「……え。まじで」


 つい呟いてしまう。

 好き……なのか。カルロイのことが。


「な……っ。なにかおかしいですか⁉」


 まなじりを上げて睨みつけるから慌てて首を横に振る。

 ついでにミートパイをワンピース取り上げ、これ以上余計なことを言わないように口に放りこんだ。噛むと、さくっと良い音がした。それだけじゃなく、あいびき特有のジューシーな肉汁が口に広がる。香辛料がまたよく効いている。臭みもないし、これは酒のあてにもなるな。


「学院時代から……、その。カルロイ王太子とは……その」


 アリエステが頬を赤く染めて語尾を濁らせる。


 ……は? 待て待て。カルロイもアリエステのことを好き?

 眉根を寄せながらミートパイにかぶりつく。


 それはありえない。

 学院時代、カルロイは寄宿舎を抜け出してこっそり街に出る。そこでマデリンに出会って逢瀬を重ねるはずだ。その段階で、すでにカルロイとマデリンは恋に落ちている。


 ……ひょっとしてマデリンはいない世界線なのか?


 主要キャラに出会うことをひたすら避けて生きてきたし、邪眼のこともあったから……。王宮や社交界のことがなんもわからん。


 これだけストーリーが変わってきているのだ。


 実は何人か主要キャラがいないんだろうか。だから俺と出会っていないだけ、とか。

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