第37話 ここから出してやる

「王宮に連れてこられたときから、わたくしはとある部屋に閉じ込められていました。浄化のためだと説明を受けましたが、訪問者は誰もおらず、わたくしはただ、窓から日が昇り、また落ちるのを見るだけの日々を繰り返しました」


 静かにアリエステは語り始める。


「幽閉……されていたのか?」

「カリオスだけは数日に一度、やってきました。あとは誰も」


 足を投げ出し、両腕で上半身を支えた横座りの姿勢でアリエステは苦笑を浮かべた。


「毎日手紙は書きましたが……。届きませんでしたか? 貴卿にもいくつも手紙を差し上げたのですよ?」


 言葉が出ない。

 なにも、届いていない。


 たったの一通も……。


「一か月が過ぎた頃でしょうか。あの日、もう眠ろうと思っていたころ、カルロイが見知らぬ男を連れてやってきたのです。……っ」


「アリエステ!」


 身体を支えていた右腕が力を失い、再びアリエステは地面に横たわる。手を伸ばして支えてやりたいのに、鉄格子が邪魔だ。


 びちゃり、と。

 アリエステの顔の半分が泥水に浸かる。


「カルロイは、男を『徳の高い方だ』とわたくしに紹介しました。なので、てっきり教会関係者だと思ったのです。ですが、その男は自分のことを、『黒魔術師だ』と言いました」


 アリエステは、床に身を横たえたまま語り続ける。

 その姿勢の方が楽なのだろう。幾度か深呼吸したあと、続けた声に震えはなかった。


「男はいきなりわたくしに襲い掛かり、床に押し倒しました。そのまま、けがらわしい行為をしようとしたので、カルロイに助けを求めたのですが……。彼は、にやにやとこちらを見て嗤うばかりで助けてはくれません」


 アリエステの瞳が少しだけ揺らぐ。

 

 炎が。

 そこに宿ったはずの力強い意志が消えていきそうで。俺は必死になって頷く。


「抵抗……したんだな。よく頑張った! 怖かったろうに……! よくやった!」

「ふふ、股間を蹴りつけてやりました」


 アリエステが強がりな笑みを浮かべる。俺は何度も首を縦に振った。


「もだえ苦しんでいたので、その隙に立ち上がって逃げようとしたら……。カルロイに腕をつかまれました。そのまま顔を何度も殴られ……」


 アリエステの目から涙が盛り上がる。だが、表情はなにも変わらない。わずかに笑みさえ浮かべ、土間に寝転がっているというのに毅然と話す。


「『そこに寝ろ。足を開け。この男とまじわれ』と言われました。

 逃げようと振り回した手がテーブルにかかったものですから……。そこにあるインク壺をカルロイの顔めがけて投げつけたのですが、手で防がれました。


 インク壺で自身が汚れたことに激高し、髪をつかまれ、床に頭を叩きつけられ……。少し眩暈がして……。その間に、仰向けにされ、寝衣の裾をめくられました。


 両方のすねを上から押さえつけられて……。カルロイが『いまのうちに犯せ』と男をたきつけて」


 そこでアリエステが咳き込む。


 俺はいたたまれなくなってきた。

 さっきまで「語れ」と俺は彼女に言ったのだが……。


 その内容に胸が苦しい。


 殺してやりたい。

 今すぐ、カルロイを殺してやりたい。

 思いつく限りの残虐な方法で葬ってやりたい。


「アンドレという男がまたわたくしを襲おうとやってきたのですが、必死に抵抗したとき、テーブルからガラスのゴブレットが落ちて、わたくしの近くに落ちていたのです。


 わたくしはそれを男の眉間目がけて叩きつけました。ゴブレットは砕け、男は失神しました。


 わたくしの手には、割れて先のとがったゴブレットがあります。カルロイが慌ててわたくしの手からそれを取り上げようとしてもみあって……。結果的に、カルロイの手と肩に傷を負わせました。そしたら」


 くすくすくすと、アリエステは笑う。その声に合わせて、彼女の瞳から玻璃の涙がいくつもこぼれ落ちた。


「まるで女の子のような悲鳴を上げてカルロイは逃げ出したのです。


 そして、わたくしは捕縛され、ここに連れてこられて、修道士に尋問され、鞭を打たれて『真実を語れ』と脅されました。


 ですが、レイシェル卿」


 アリエステは瞳に力強い光を宿らせて俺を見る。


「これが真実です」


「ありがとう、アリエステ。辛いだろうに……。教えてくれてありがとう」

 鉄格子を握りしめ、俺は頭を下げた。


 何度も何度も。


 修道士に同じことを話したことだろう。つらく、思い出すだけで身を切られるほど痛いことだったろうに、誰にも信じてもらえず……。


「信じてくださるのですか?」

「もちろんだ」


 がばりと顔を上げる。アリエステは右目を細めてうれしそうに笑った。


「不思議ですね。神職はわたくしの言葉を否定するのに、邪眼を持つ貴卿はわたくしの話を信じてくださるなんて」


「アリエステが嘘をつくはずないだろう。あんたは嘘が一番嫌いだ」


 ふふふ、とアリエステは笑ったあと、震える右手でスカート部分をつかんだ。


「修道士に見せようかとも思ったのですが……。たぶん、見せたら消されそうで」

「……なにを?」


「カンテラの灯をわたくしの足に」


 そう言われ、俺は戸惑いながらカンテラを持ち上げた。


 アリエステはそのままぎこちなくスカート部分をたぐる。たぶん、寝衣なのだろう。いまは泥や汚れで無残な状態だが、もともとはネグリジェ的なものだったらしい。


 アリエステのくるぶしが見えたが、裾はもう少し上がる。

 脛全体が露になった。


「あ……!」

 思わず声を上げ、俺は立ち上がった。


「わたくしが投げたインク壺。カルロイは手で防いだので……。掌にべったりインクがついたのです。その手でわたくしの脚を押さえつけたので」


 アリエステの白い両の脚には、まっくろな手形がふたつ、ついていた。


「これは証拠になりますでしょう? それとも、偽造だと言われるかしら」


 アリエステの声に不安が混じるが、俺はぶんぶんと首を横に振った。


「短指症……! カルロイは短指症なんだ! 薬指が極端に短い! その手形を持っているのはあいつだけ……っ。あんたの証言を裏付けられる!」


 これも設定のひとつだった。


 短指症は遺伝的要素が強いうえに珍しい。それは同時に王族の証でもある。


 花嫁候補同士の茶会であいつの指を見たが、あのとき、確かに右手の薬指が短かった。そんな特徴がある指はあいつだけだ。


「隊長ー! だめだ、隊長! 鍵はカルロイが持ってる! ここにないって!」


 カンカンカンカンと、軍靴を鳴らしてセイモンが飛び込んでくる。それさえ俺にとっては福音だった。いまからカルロイにところに行くのだから。


「待ってろ、アリエステ。鍵を分捕ぶんどってここから出してやる。それで一緒にモーリス伯爵家に帰ろう」


 そう言うと、彼女はふわりと微笑んだ。


「わたくし、疲れました。きっと熱も出ているでしょう。またあのりんごのコンポートが食べたいです」


「いくらでも食わせてやる! セイモン!」

「すぐすぐすぐ! すぐ、鍋いっぱい作るようにスナイパーのあいつに連絡する!」


 セイモンが即座に返答する。アリエステは嬉しそうに微笑み、目を閉じた。


 楽しみです、と言って。

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