第31話 王太子妃決定

 ぐ、と拳を握りこんだとき、ドアが慎重にノックされる。


「誰だ」


 セイモンが訝しむ。隊員たちが身を寄せて、柄に手をかけた。若干緊張した雰囲気の室内に、低い大人の男の声が流れ込む。


「ナイト公爵より内々にお伝えしたいことが。ご子息はおわすか」


 その声に聞き覚えがあった。ナイト公爵の護衛騎士ではなかったか。

 セイモンがドアノブを握り、慎重に開く。


 薄い隙間からのぞくのは濃紫の軍服。やはりナイト公爵の護衛騎士だ。


 俺はソファに放り出していた眼帯を手早く左目につける。それを確認してからセイモンが大きく扉を開いて頭を下げた。


「夜分失礼する。閣下よりお言葉が」


 護衛騎士は告げてから一歩退く。逆に室内に入ってきたのはナイト公爵だった。


「こんな時間にすまんな。いち早く伝えるべきかと判断したのだ。少し良いか?」


 公爵領から馬を飛ばしてきたのだろう。夜間照明のためだけではなく、実際に目の下に濃いクマが見える。


「人ばらいを」


 俺が言うと、セイモンが隊員を連れて部屋を出ていく。

 ばたんと廊下側から扉を閉めたのは父の護衛騎士だ。


「やれやれ。まだ中年だと思っていたが、もう老年かね。疲れたよ」


 ナイト公爵は頭を掻きながら、さっきまでサイモンが座っていたソファに座り込む。


「ご冗談を。父上はまだお若い。俺の弟妹を期待しているぐらいですよ」


 口元に笑みを浮かべて俺はこたえ、テーブルに視線を走らせる。なにか出そうと思うのだがろくなものがない。


「この年でもう一度子守だなどと……。孫だけで勘弁してくれ。ああ、気を遣うな。伝えればすぐに帰る。お前も座りなさい」


 ナイト公爵に促され、俺は向かい側を避けて座った。それを見計らい、彼は口を開く。


「陛下より内々に知らせだ。王太子妃はアリエステ嬢に決定」


 どくり、と。

 心臓が大きく鳴り、血が濁流のように身体中を巡った。

 つま先や指の先がじんじんと痛み、こめかみが破裂しそうなほど脈打つ。


「レイシェル?」


 呼吸まで止まっていたのかもしれない。ナイト公爵に名前を呼ばれてようやく喉から声と呼気が漏れた。


「大丈夫です。ではマデリンは選考から落ち……」

「王妃たっての願いで第二妃に」


「……第二妃?」


 こめかみを押さえた妙な姿勢で俺は動きを止めた。

 そんな設定はない。

 少なくとも俺は考えたこともなかった。


「お前に言われてモーリス伯爵家のことを少し調べたのだが……。没落の原因は王妃のようでな」


 ため息を吐きながらナイト公爵が背もたれに身体を預けた。足を組み、つま先をぶらぶらと揺らす。


「学院時代、アリエステ嬢と王太子殿下の仲を危ぶんだ王妃がマデリン嬢と引き合わせたらしい。まぁ、飛ぶ鳥を落とす勢いのモーリス伯爵一門だ。王太子妃になどなったら王宮内のパワーバランスが崩れると思ったのだろう。ほぼ無名で自分の意のままになるマデリン嬢を息子の妻に、と考えたらしい。そのことについては、モーリス伯爵も気づいたのだろう」


 ちらりと俺に視線を向ける。


「だからこそ、うちに縁談を持ちかけて来た。あのときは、なんのつもりだ無礼者めと腹立だしかったが……。なるほど、王妃に対して『モーリス伯爵家に叛意はない』というつもりだったのだろう。アリエステ嬢も状況を察し、父に従った。王太子殿下も一旦は彼女から離れたようだ」


「だが……俺が断って……」


 力のない言葉が口からこぼれだす。ナイト公爵が頷いた。


「これ幸いと王太子殿下が再びアリエステ嬢に近づいたため、王妃が方々に圧力をかけ、事業が傾くようにしかけた。……もともと領地経営であそこまで成り上がったわけではないからな。モーリス伯爵家の権勢はひとえに商売にあった。それを邪魔されては……」


 ナイト公爵は、すいと視線を窓に向けた。

 カーテンがひかれたそこからは庭の風景も夜空も見えない。


「陛下はアリエステ嬢を殊の外お気に召したそうだ。学院時代の成績、選考過程での身の振る舞い、言動。すべてにおいて王太子妃にふさわしい、と。もちろん、我が家が付添人として名乗りを上げたことについてもいい方に作用した。『ナイト公爵が公認ならば安心だ』と。ちなみに」


 ナイト公爵は肩を竦める。


「お前がアリエステ嬢との婚姻を断ったのは、王太子に対して遠慮して身を引いたためと考えておられる。そのへんは口裏を合わせておけよ」


「……アリエステは……。幸せになれるのでしょうか」


 尋ねながら、俺は卑怯者だと思った。


 誰かに言って欲しいかった。

 アリエステは幸せになる、と。


 王太子妃になれるのだ。恋していたカルロイと結ばれるのだ。こんなめでたいことはないだろう。お前はそれに尽力したのだ、と。


「難しかろう」


 だが重いため息とともに返ってきたのは、俺が欲しかった答えじゃなかった。


「政策や外交のことは陛下が万事取り仕切っておられるが……。宮廷内のこととなると王妃の力が強い。陛下もたぶんそのこともあって、親族でもある我々の推す娘を正妃に、と考えておられるのだろう。だから」


 ナイト公爵はゆっくりと足を組み替え、また深い息を吐いた。


「宮廷内で王妃に嫌われれば……生きやすいとは思えん。いじめぬかれて潰れるか、その前に逃げ出して辺境で暮らすか。どちらかだろうな」


 ナイト公爵の言葉は、雨粒のように俺の身体を打った。一言一言が体温を奪い、じっとりと濡らして重みを増す。


 王妃に嫌われているだけではない。


 どうやら。

 カルロイの心はマデリンに移っているようだ。


 結局俺は……俺のしたことはなんだったんだ。


 大事にしていたヒロイン。アリエステ・モーリス。

 悪役令嬢として断頭台の露に消える結末を避ける代わりに、宮廷という牢獄に閉じ込めただけじゃないか。


「明日の狩猟大会は中止だ。そのままアリエステ嬢は王太子妃教育を受けるため、宮廷に入る。そこで浄化のために隔離期間をおくらしい」


「……浄化?」

 つい眉根が寄る。


「バカらしい話だが、王妃がモーリス伯爵家は呪われているとまくしたてている。もし王宮内にいれるのなら、まずは浄化を、と。宮中の……王家の人間が住まう場所は、その聖性によって浄められていると信じられているからな。ある程度の期間、部屋に閉じ込めておくらしい。そのこともあって早めに王宮内にアリエステ嬢を入れたいようだ」


 ナイト公爵は立ち上がると、座ったままの俺を見下ろした。


「今後お前とお前の黒狼小隊は王太子妃アリエステつきの近衛隊になる。追って正式な沙汰が下るだろう」


 それから励ますように俺の肩を軽く叩いた。


「この話を今からアリエステ嬢に伝えてくれ。わたしはモーリス伯爵家に伝えに行く。頼むぞ」


「……承知しました」


 ゆっくりと立ち上がる俺を見て、ナイト公爵は部屋を出ていく。

 代わりにおずおずと入ってきたのは、セイモンとふたりの隊員だ。俺の顔をちらちらと見ながら何か言いたげに口を開く。


 だから、先にこっちが告げた。


「ちょっとアリエステのところに行ってくる。すぐ戻るが……。不在の間、セイモンに任せた」


 そのまま返事も聞かずに廊下に出る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る