第35話 牢の中のアリエステ

 俺がアリエステと再会したのは、それから三日後だった。


 予想どおり、というか。

 彼女はやはり西塔の地下にいた。

 セイモンから幽霊話を聞いた時から「ああ、誰かあの設定を使っているのか」と思ったのだが……。


 知っていて使っていたわけじゃないとわかって最悪な気分になる。


「では、わたしについて来てください」


 門番の男は修道士でもあるらしい。書状を見せてセイモンと数人の隊員を連れて地下に入る。


「ここに……アリエステ嬢が?」


 螺旋というより渦巻に近い形の階段を、門番を先頭に降りていきながら、隊員のひとりが困惑したように呟いた。


 りんりん、と佩刀につけた鈴の音が静かに薄闇の中に広がる。


 灯りは門番がもつ松明と、うちの隊員が手に手に持っているランタンのみだ。想像よりも闇は濃く、背後からはセイモンの若干不安げな声が聞こえてきた。


「隊長、ここ地下牢なの?」

「牢というかここは……」


「あくまで尋問をする場です。アリエステ・モーリスは呪われた身であるため、通常の拘置所が使えません。一般人に害をなす可能性もあるため、事件概要の聞き取りなどは我々修道士が受け持っております」


 俺の答えを遮り、門番が訂正を入れた。


「呪われた身って……」

 俺の声が大分不満だったからだろう。先頭を歩いていた門番がちらりと振り返る。


「邪眼卿と呼ばれるレイシェル卿にはわからぬことでしょうね」


「おい、口を慎めよ、じじぃ」

「いつでも殺してやるぞ」


 同じように呪われているから、とでも言いたげな門番に罵声を浴びせたのはセイモンとうちの隊員だ。


「よせ。お前らこそ口が悪いぞ」

 たしなめると、若干怯んでいた門番が虚勢を張る。


「黒狼などと呼ばれているようですが……。さすが元平民。まるで狂犬だ」

「その狂犬に噛みつかれたら狂い死ぬらしいぞ」


 俺はせいぜい悪役らしく片頬で笑って見せる。


うちの狂犬たちに鎖はない。せいぜい距離に気を付けるんだな」


 今度は完全に押し黙り、前を向く。

 俺はひっそりと内心でため息をついた。


 事態をややこしくしているのは、修道士こいつらのような気がする。

 というのも、本来であれば王宮内で起こった刃傷沙汰はそれ専門の部署が対応し、法に照らし合わせて相応の罰を与えるのだが……。


 アリエステが、というよりモーリス伯爵家が呪われていると王妃が騒ぎ立てているので、「一般人が対応したら呪いに感染する」と訳の分からないことを言い続けているのだ。


 結果的に修道士が出張ってきて、「呪いによる混乱のせいでの暴力行為」なのか、はたまた「単なる痴情のもつれ」なのか。そのあたりを見極めようとしているらしい。


 実際はそのどちらでもなく、「カルロイがアリエステを貶めて遠ざけたいがための虚言」だと俺も隊員も、それからナイト公爵も考えている。


「書状を拝見しましたが、レイシェル卿に認められているのはアリエステ・モーリスとの面会のみです」


 慎重に、ゆっくりと階段を降りながら門番が念を押した。


「わかっている。彼女から直接事情が聞きたいんだ」

 応じると、門番は不満げに鼻を鳴らした。


「我々が取り調べた内容は書面化し、モーリス伯爵家にもナイト公爵家にもお渡ししていると思いますが。お疑いなのですね」

「お疑いというか……」


 失笑が漏れる。


「アリエステは本当のことを語っていると思うが……。疑義を挟んでいるのはそちらではないのか?」


 アリエステが捕縛されたと聞いたあの日から、俺は様々な手段を使って情報をかき集めた。


 モーリス伯爵家もナイト公爵家も初耳だったらしく、そこからそれぞれが慌ただしく動き出し、それぞれの伝手を使って集めた情報を提供してくれたのも助かった。


 それらを合わせると……。


 王宮内で浄化のために隔離中のアリエステは、その間に愛人であるアンドレア・モンテリオを手引きし、逢瀬を楽しんでいた。


 そこにたまたま訪問したカルロイと鉢合わせ。


 口を封じるためにカルロイを殺害しようとしたのだが、未遂に終わる。


 だが、こんなもの誰が信じられるか。

 そもそもアンドレア・モンテリオとは誰だ。


 俺もモーリス伯爵でさえまずはそこからの情報収集だ。

 その後どうやら黒魔術師だとわかり、修道士たちは鬼の首をとったように騒ぎ出したようだ。


 一方、ナイト公爵が独自ルートで手に入れたのは、アリエステの尋問記録だ。


 これは王宮の担当部署がアリエステと修道士の尋問を速記で記録したものだ。

 ……本来なら、こちらが正式文書になるんだろうが……。


 今回、王妃に焚きつけられた修道士が大きな声で自己主張をするもんだからどうしようもない。


 ただ、その尋問記録を読むと……。


 アリエステが隔離部屋で過ごしていると、カルロイが男を伴って訪問してきた。

 カルロイから「アンドレア・モンテリオという徳の高い方だ」と紹介されたので、てっきり浄化に関する教会からの使者だと思った。


 挨拶を返そうとしたら、いきなり彼は襲い掛かってきて……言うのも汚らわしい行為をしようとしたらしい。必死に抵抗し、カルロイに助けを求めたのだが、彼は無視。それどころか、アンドレア某の手助けをしようとした。


 必死に暴れまわっていたアリエステは、テーブルの上のグラスを掴んでアンドレアの頭を殴打。割れたグラスをさらに振り回した時、カルロイの首と左手甲に傷を負わせてしまった。


 途端にカルロイは悲鳴を上げ、逃走。

 その後、衛兵がやってきてアンドレアと共に王太子暗殺未遂ということで捕縛されたらしい。


『これが真実だろうな』

 ナイト公爵が頭を抱えて呟く。俺も完全同意だ。


 それなのに、この文書が陛下にまであがっていかない。

 修道士が捏造した文書が公式文書として扱われてしまっている。


 すぐにナイト公爵はアリエステとの直接面会を申し込み、修道士だけではなく第三者からの聞き取りを要求したのだが、『訓練を受けた者でないと呪いを受ける』と拒否。


 そこで『ならば我が息子は生まれた時から呪われている。問題なかろう』と強引に俺を押し込んでくれた。


 そして、俺の提案する策に乗ってくれて、現在三公爵を招集してくれている。


「アリエステ・モーリスはここに隔離されている」


 階段が終わり、板張りの扉の前で修道士が足を止めた。松明を壁の器具に挟み、武骨な青銅の把手を握って振り返る。


「さっきから気になってんだけど。アリエステ・モーリス、な」


 セイモンがとがった声で訂正する。カンテラの明かりしかないが、もうひとりの隊員も憮然とした顔だ。


 修道士は、ふんと鼻を鳴らしてそのまま扉を手前に引いて開けた。


 てっきり、内部は普通の部屋だと思っていた。


 というのも。

 俺の設定では、ここは『隠し部屋』であり、情報提供をする場所だったからだ。


 あくまで、がらんとした小部屋。日本風にいうのであれば、三畳間ぐらい。

 窓も装飾も必要ない。そこにあるのは、天井から伸びる筒のみ。


 そんな部屋であるはずだった。


 だが。

 俺は息を呑む。


 いや、俺だけじゃない。セイモンも隊員も絶句した。


 扉を開けると、すぐそこにあったのは鉄格子だ。

 太く、錆びた黒い鉄が十字にいくつも伸びている。

 その向こうにあるのは、土間だ。板間でさえない。


 明かりらしきものと言えば、脂の入った皿に燈心が差し込まれたもののみ。


 当初、まったく視界が利かなかった。

 暗いと思っていた地下の廊下の方がこれでは明るいほどだ。


 俺は視線を彷徨わせる。


 ようやく、ぼやりと天井部分から伸びる筒が左手前に見えて、ほっとする。よかった。ここは設定どおりだ。


 そもそも、これがないと陛下にまで声が届かない。


 だが。

 アリエステはどこだ。


 俺がみじろぎすると、りりりん、と佩刀の鈴が鳴る。


「レイシェル卿……?」


 か細い声が聞こえた。


 咄嗟にセイモンが声の方にカンテラを向ける。

 湿った地面に橙色の明かりが広がった。


 土間は乾いてさえいなかった。平らでもない。ところどころでこぼこしていて、水が溜まっている。


 天井から伸びた鈍色の筒。


 その真下に。

 アリエステが横たわっていた。

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