第8話 お見舞い
♤♠♤♠
それから十日後。
俺は大量の救援物資というか、病人食というか。
とにかく滋養強壮に効果があり、食欲がなくても食べられそうなものと、父からの書状を持ってモーリス邸にいた。
玄関に迎え出てくれたのは、メアだ。
「このたびは、本当に申し訳ございません」
玄関ホールで深々と頭を下げるから、首を横に振る。
「いやいや。俺もアリエステの意向を聞かなかったのが悪かったんだし」
苦笑をすると、がらんとしたホールに自分の声だけが響く。
本来なら、ひっきりなしに来客があり、そこかしこのソファでは貴族たちがさんざめいたり、商人たちが小声で商売のやりとりをしていたのだろう。
だが、陽が
いくつものソファセットには埃よけの布が被せられ、天井から吊られた照明にも同じように覆いがかかっている。床は大理石で、よく見るとすみっこには毛玉のようなものがたまっていた。たぶん、手が回っていないんだ。使用人が少なすぎて。
「それでアリエステは? 熱は下がったのか」
「まだ少し。それよりなにより食欲がなくなにも召し上がりませんので……」
メアが目じりの皺を深くして俯く。
アリエステに付添人を申し出たその日。
俺は屋敷に帰り、父であるナイト公爵に手紙を出した。
窮乏しているモーリス伯爵家の令嬢に偶然出会ったこと。その発端がどうやら自分であること。アリエステが王太子に恋をしていること。自分としてなにかできることを考えた結果、付添人を申し出たこと。
ナイト公爵の息子としてアリエステを支援したいのだが、もしそれが家門を
結果、昨日返信が届いた。
内容としては、「ナイト公爵家の公認としてアリエステ嬢を支援する」こと。「他に必要なことがあればまた連絡をしなさい」と早馬の使用を許可してくれた。
……ちょっと俺的にはびっくりするぐらいの内容で。
まぁ、うれしいのはうれしいのだが。
たぶん、政治的にナイト公爵にとって〝付添人〟という役割に意味があるのかもしれないと悟る。
だったらまぁ、うまく立ち回らないとな、と思いながら、モーリス公爵邸に知らせを走らせた。
そのとき、「本来であればアリエステがお礼に伺うべきであろうが、現在熱を出して臥せっていて」と伝えてきたのだ。
これは大変だ、と俺は医師を遣わした。捻挫のせいではないだろうが……そういえばアリエステは知恵熱を出すと設定に書いた気がする。現在のモーリス伯爵家では医師を呼ぶのも難しいかもしれん、と思ったのだ。財政的に。
ところが、その医師が「断られた」とすごすごと帰ってきたのだ。
『これってさぁ、ものすごく失礼だったんじゃないの?』
副隊長のセイモンに言われ、血の気が失せる。
確かに。
俺は良かれと思ってしたんだけど……。
随分と上から目線だったのでは……。
『窮乏してて医者も呼べんだろう? 大丈夫。俺が手配した』って思われたのかも……。
そこで今度は、俺が病人食というか、救援物資と、父からの書状を持って、ついでに詫びようとモーリス伯爵家にやってきたわけだ。
「レイシェル卿」
ふと聞きなれない低い声が聞こえてきて、俺は顔を向ける。
りん、と佩刀につけた聖者の鈴が鳴った。
廊下の奥から執事に付き添われて近づいてきているのは50代前半に見える男性だ。
……いや、もっと若いのかもしれない。ただ、白髪や疲れた様に肩が落ちた感じでそんな風に見えた。全体的にアリエステに似ているので彼がモーリス伯爵かもしれない。
「旦那様」
メアが深々と頭を下げるので、やはりモーリス伯爵だ。俺も救援物資をごいごいに詰めたバスケットを持ったまま礼をする。ついでに、眼帯がずれていないかさりげなくチェックした。
「とんでもないことだ。本日は娘のために申し訳ない」
慌ててモーリス卿は足を速め、俺をとどめる。そのとき、聖者の鈴がりんと鳴った。
「こちらこそ礼を失していたようで……。急ぎお詫びに参上しました」
「娘は頑固でいかん」
ほう、とモーリス伯爵が重い息を吐いた。ちらりと視線を彼に向けるが、特に俺の邪眼を気にしているわけではない。聖者の鈴が鳴っているからかなと思ったが、それよりなにより一人娘の態度が気になっているらしい。
「貴卿の好意については重々理解しているのだ。ただ、遠慮しているのだろう」
治療代については当然俺がもつつもりだったんだが……。それがアリエステにとっては負担と言うか……。『無礼なっ』ってなもんだったんだろう。
失敗したな、と思いながら上着のポケットにいれた封書をモーリス伯爵に差しだす。
「父からの正式な手紙です。モーリス伯爵を支援するように、と。その」
言葉を選びながら伝える。
「我が家が縁談を断ったせいでモーリス伯爵家がこのようになったこと、言いわけにもなりませんが、まったく存じ上げず……」
「なにもナイト公爵家のせいではござらん」
モーリス卿は苦笑する。それは本当にそう思っているようで、こんなところはアリエステと思考回路が似ている。
「ですが、父からも『とにかく尽力するように』と言いつかっております。王家には俺が付添人になる旨をすでに申請しておりますのでご安心を」
「これは心強い」
心底ほっとしたようにモーリス伯爵は笑って俺から手紙を受け取る。彼だけではない。メアも執事も肩のこわばりを解く。
「拝見してもよいだろうか」
モーリス伯爵が尋ねるので、当然だと頷いた。
「ではゆっくり読ませていただくとして……。メア。娘のところにレイシェル卿を」
「かしこまりました。どうぞこちらへ」
メアはモーリス卿に再び頭を下げ、俺を伴って廊下を歩く。
さすが権勢を誇るモーリス伯爵邸だ。廊下も長く、部屋数も多いように見えるが。
悲しいことにやはり掃除が行き届かず、かつ、本来飾られていたであろう調度品がいくつか消えている。たぶん、生活費に充てるために売ったのかもしれない。
メアに先導されて歩くたびに、聖者の鈴が鳴る。
りん、りん、りん、りん。
なんだかその音もいつもより重い気がした。
よくよく考えたら、「差し出がましいことをしてごめんね」と謝りに来たわけだが……。
すっごい怒鳴りつけてきたらどうしよう。
なんか急にいろいろ不安になってきた。若干面倒くさくもある。
この前会った感じじゃ、相当気が強いぞ、あれ。
「あの……。アリエステは……」
怒ってる? とメアに聞こうとしたとき、廊下の先で扉が不意に開いた。
「……まさか。レイシェル卿がいらっしゃっているの?」
ナイトガウンを羽織ったアリエステが廊下に顔をのぞかせる。
さっきまで臥せっていたのかもしれない。長い髪は結われることなく下され、頬は熱のために若干赤い。瞼はどことなくはれぼったかった。
だぼりとした寝着の下のか細い身体が想像できて、なんかもう、痛々しい。
さっきまで。
ほんのちょっとだけ「面倒くさいな」とか「怒鳴られたらいやだな」とか。あのつんけんした態度でなんか命じられたら本気で言い返してやる、とか。
いろいろ考えていたのに。
熱で具合が悪そうな彼女をみたらすべてがふっとんだ。
「おい。大丈夫か、アリエステ」
つい声をかけると、ぴよっとアリエステは肩を跳ね上げた。そのままぱたんと扉を閉める。
「え……。な」
そんなに嫌って……?
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