三章 変動

1 答え合わせ

 その後ハルカを連れて帰宅した秋山は、爆睡のハルカをベッドに寝かせた後、シャワーを浴びて着替えた後に自身はソファーで横になった。


 これがもし地球に居た頃に借りていたアパートだったら、恐らく床で眠る事になっていただろう。

 広い部屋の恩恵を早速得られている。


 そういう風に何事も無く、何事も起こさずそのまま就寝。

 そして昨日よりも一時間程早くセットした目覚まし時計のアラームで起床する。


「ねっむ」


 早起きした理由は二つだ。

 一つはハルカに色々と聞きたい事が有るから、それを聞く為の時間を確保する為に。

 そしてもう一つとしては単純にハルカも一回家に帰って着替えたりとかシャワーを浴びたりとかしたいだろうという配慮である。


 そんな訳でぐっすり眠っているハルカを起こさないといけない。

 そう考えハルカの眠るベッドの前へと立ち……目を反らした。


(……おいおい)


 流石に無防備すぎる。

 寝相の所為か衣服が妙にはだけて目のやり場に困る感じだ。

 まあどうであれやる事は変わらないが。


「おーい、起きろハルカ。朝だぞ!」


「……ん」


 小さく呻き声を挙げながら、ハルカがゆっくりと瞼を開く。


「……うーん、なんで秋山君が此処に……?」


 再び秋山の事を苗字で読んだ後、跳び上がるように起きる。


「なんでマモル君が私の家に!?」


「ここ俺んちだ馬鹿」


「ありゃ、ほんとだ……ってそれはそれで、なんで私マモル君の家に居るの?」


「覚えてねえのか?」


「う、うん……飲み会の途中から記憶が……」


 昨日少し会話に出た通り、本当に記憶が消えているようである。


「昨日飲み会の後、俺がお前を家まで送っていく事になったんだよ。一応その時は意思疎通取れてたから行けるだろって。そしたらお前、自分ちの場所全くナビできてねえし……」


「で、結果がこれですか」


「これだな。ところで……滅茶苦茶服はだけてるのはなんとかした方が良いぞ」


 個人的には別にそれでも良いが、ハルカ的にはあまり良くはないだろう。


「……ッ」


 実際そうだったようで、ハルカは顔を赤らめながら慌てて身なりを正し恐る恐る聞いて来た。


「変な事とか……してない……よね?」


「してたらもっと凄い感じになってるだろ」


「…………凄い感じにするんだ」


「……の、ノーコメントで」


 ……なんとなく妙な空気になってしまい、とても気まずい。


「そ、そうだ。とりあえずインスタントだけどコーヒーでも飲むか? 出勤前に一回帰るだろうけど、その前にとりあえずカフェイン入れて目ぇ覚ましとけよ」


「ん、そうする。ありがと」


 話題を無理矢理変える為に言った言葉にハルカが頷いたため、ひとまずキッチンへ移動。


「ブラックで良かったか?」


「うん、ブラックで」


 言いながらお湯を沸かしていると、ハルカが聞いて来る。


「ねえ、マモル君。まあ、その……私記憶が消える位酔っぱらってた訳だけど、迷惑掛けたりしてなかった?」


「いや、特に。しいて言うなら、引っ越し二日目にしてベッドで眠れなかった事位」


「その辺は普通にごめん」


「いいよ、備え付けのソファーも割と寝心地良かった」


「な、なら良いけど……あ、あと私変な事とか言ってなかった?」


「変な事……ね」


 滅茶苦茶一杯言ってた。

 変な事というよりは、色々と変だと気付かせてくれたような事を。


(……まあ自分の中で溜め込んでおく理由も無いか)


 恐らく此処でこの話をしなくてもどこかでするだろうから、そういう話を始めてみる。


「変って言うのもおかしい話だけど、途中から俺の事苗字で読んでたな」


「……マジ?」


「マジで。後は……なんか俺んちに来るのが久しぶりみたいな事も言ってた」


「そ、そうなんだ……なーに考えてたんだろうね昨日の私は。久しぶりも何も知り合ったばかりだし……なんかごめんね、意味分からない事を言ってたみたいで」


「その事なんだけどさ……俺にはあんまり意味不明な事に感じなかったんだ」


「……え?」


「あの時のお前の言葉を否定しながら、それでもどっか受け入れてる自分も居た。一語一句のあり得ねえ言動に既視感みてえなのを感じたんだ。結構感覚の話だからうまく言語化できねえんだけどよ……とにかく、なんか俺達は元々知り合いだったんじゃねえかって。そう思った」


「……」


 ハルカからすぐに否定の言葉は飛んでこない。

 それこそまるでこの世界で初めて会った時の様に、信じられない物を見るような目でこちらを見ている。

 だけど何か違う事があるとすれば……その表情からはどこか危うさのような物を感じられた事だろうか。


 まるで自分は踏み込んではいけない事に踏み込んでしまったのではないかと、そう思わせるような危うさをだ。


 そんな危うさを纏いながら、静かに言う。


「なんとなくでも、そう思ったんだ」


「……おう」


「……そっか」


 そう呟いたハルカは思考に耽るように暫く黙り込む。

 その沈黙が、昨日立てた仮説の答えの様に思えた。


「その感じだと、実際俺達は知り合いだったって事で良いのか」


 打ち立てたのは仮説とはいえ、それでもどこか確信の様な感覚もあったのかもしれない。

 ハルカに対して念の為の確認をする際の心情は、特に波立たず穏やかだった。

 そしてハルカは言う。


「……そうだね。キミが感じた既視感みたいなのはきっと気のせいとかじゃないよ。何度も家に行った事もあったし、この世界でマモル君って名前を呼ぶよりも、元の世界で秋山君って呼んだ回数の方がずっと多かった……だから、まあ、うん。私達は友達だよ」


「……そうか。やっぱそうなんのか」


 それ以上誤魔化す事もなく、ハルカはそう認めた。


「でもなんで初対面装ってたんだ? なんか都合悪い事でもあったか?」


「……普通に悪くない? ほら、思い出して貰えないのに元の世界で友達でしたみたいな事を言ってもしんどくない? 私も……その、えーっと」


「好きな方で呼べよ」


「じゃあ秋山君で。別にマモル君って呼ぶのに違和感があった訳じゃないけど、やっぱこっちの方が慣れてるししっくり来るや」


「俺もそう呼ばれる方がしっくり来るよ」


 普通名字呼びの方が距離感がありそうなのに、事ハルカに至っては名字で呼ばれる方が近くに感じられる。


「で、黙ってた理由はそんな感じ。戻ってこないなら一から積み上げ直した方が良くないって」


「まあ一理あるな」


「秋山君ならそう言うと思ったってのも、今にして思えば理由の一つかも。まあでも黙ってた事不快に思ったならごめんね」


「いや、別に良いよそんなもん。言ったろ、一理あるって」


 言ってくれても良かったけど、言わない理由も理解できる。

 そういう理由なら、別に怒るような事では無いだろう。


「……しっかし、俺とお前が元々友達ね」


 だとしたら確定だ。


「だったら……俺を立ち直らせてくれたのは、時間じゃなくてお前だったんだな」


 その時一体どんな会話をしていたのかまでは全く思い出せないけれど、そういう事があったという事はもう間違いない。

 自分にとって、絶対に守らないといけない相手だと認識するような事を積み重ねていた事はもう間違いない。

 それを全部忘れていただけで。

 現在進行形で100パーセントに近い事を忘れているだけで。

 ああ、そうだ忘れている。


「……そんな大事な事を俺は忘れてんのか」


 今の自分を確立させている出来事が無かった事になっている。

 今の自分を確立させてくれた言動の全てが無かった事になっている。

 その事実に直面すると、やはり気分は重くなる。


「何か……覚えている事とかってある?」


「……わりぃ、何も。ほんと感覚だけだよ残っているのは」


 悔しい位に何も覚えていない。


「そっか……」


 少し残念そうにハルカはそう言うが、それでもどこか前向きな表情でハルカは言う。


「それでもそうかもしれないっていう感覚だけでもあるってだけで、これまでの前例みたいなのを全部ぶっ壊してるよ。もう存在しなくなった筈の人の事をどこかでほんの少しだけでも覚えているって事なんだから」


「前例をぶっ壊す……やっぱこういうケースって今まで無かったんだよな」


「うん……無かった」


 存在していた形跡が消え、最初から居なかった事になる。

 この世界に飛ばされた後の元の世界での事について受けた説明はそれだけで、そしてそれ以上の事が無いからこそハルカは元の世界に戻る事を諦めているわけだが、だけど今の自身の状態は一ミリ程度かもしれないけれど、そうした常識から一歩先へと進んでいるのではないだろうか?


「じゃあなんで急にこんな事になってんだ俺は」


「分からない……分からないけど、私なりに仮説みたいなのは組めた」


「聞いても良いか?」


「勿論」


 ハルカは文脈を纏めるように、コーヒーを飲みつつ間を空けてから言う。


「私達が元の世界で一緒だった時と同じような距離感で居たからじゃないかな?」


「そんな単純な事なのか?」


「確かに単純だけど、それは凄い難しい事だと思うんだ。もしかしたらこれまで誰もできていないかもしれない」


 そう言ってハルカは秋山の目を見て言う。


「まず元々ある程度親しい間柄の人同士がこの世界で再開するなんて事はほぼ無いと思うんだ」

「そもそもどっちもがこの世界に拉致られるような奴じゃないと成立しねえもんな」


「うん。それにこの世界も結構広いから。同じ世界からそれ程タイミングも変わらずにこの世界に来たとしても、その後の人生は交わらない事の方が多いでしょ」


「現実的な話すると同じ区内に出てきて、出身世界のコミュニティみたいなのに参加してようやくって所か」


 自分達が今居るのは東区と呼ばれる居住区の一つだ。此処が世界の全てではない。

 だからそもそも違う区に流れ着いていれば、再会せずに一生を終える事の方が多いだろう。


「で、仮に再会できたとしても片方は相手の事を忘れてるし、もう片方も元の世界とはまるで違う生き方をしてるから多少なりとも価値観が変わっていたりしてるだろうし。というかある程度時間が経ったらどっちもそれなりに変わっていてもおかしくない、というか変わる。中々難しいでしょ、殆ど同じような感じで元通りになるのは」


「そううまくは行かねえだろうな」


「一昨日話してた元の世界に戻れた人もそう。元の世界の人達からすれば、突然知人だと言ってくるおかしな人で。言ってしまえば不審者でしかないんだからさ。余計に難しいよ。だけど私達はどう転んでも難しいような状況に奇跡的にうまく落ち着いてる。元々の世界で知り合いで、どっちもこの世界に送られてくるような人間で。どっちも辿り着いたのは東区だし、しかも私の職業柄こうやって再会できて一緒に行動していて。後は10年20年みたいなスパンじゃなくて1年程度会ってなかっただけだからさ。そこまで全くかみ合わなくなる程お互い変わって無いでしょ……さあ、果たしてこれだけの薄い確率を引けた人っていうのは、今まで居たのかな?」


「居ねえんじゃねえの?」


 そもそも年間にどれだけの人数がこの世界に送られてくるのかなどの統計的なデータを把握していないから憶測でしか物を語れないのだけれど、それでも今の自分達の関係性が極めて珍しい物であるという事は直感的に理解できる。


「まあ私の仮説はそんなとこ。誰にもできていない事を私達はやっている。雑だけど、結構良い線行ってると思うんだ。だからこれから秋山君は少しずつ少しずつ、色々な事を思い出していくかもしれない。思い出していこうよ。それがうまく行って具体的な事も分かったりすればさ……色々な人の希望になる」


「希望?」


「うん、希望だよ……それができれば、私達は失った自分という存在を取り戻せるようになるかもしれない。思い出して欲しい人に、自分の事を思い出して貰えるようになるかもしれない」


 そんな言葉を語るハルカからは。これまで仮説を口にしてきたハルカからは……常に、常に危うさが纏わりついていて。

 ここに来て、その危うさの正体に気付いた。


「……お前、変な事考えてるだろ」


「変な事?」


「……分かるぞ。お前は今、どうやって日本に帰るかを考えている」


 一昨日の昼間にハルカが言った言葉を思い出す。


『流石に私の事を忘れちゃってるなら、もうどうしようも無いからさ。後悔は残りながらも諦めは付いてる……もし覚えているかもしれないってなったらどうするか分からないけどさ』


 忘れられているから諦めている。

 だけどもしも思い出してくれる可能性があるのだとすれば。


「お前、このまま記憶を取り戻す為の手段が確立されたら、半ば投身自殺みたいなもんだとしても帰ろうとするだろ」


 一昨日から一緒に行動してきた言動から。

 そしてどこか本能的にも理解できる。


 昨日アルバートが語っていたのと同じように、ハルカも誰かに危害を加えてまで元の世界に戻ろうとはしないだろう。

 そういう事をするような。できるような人間ではない。

 だけど……もし他人を傷付ける必要が無くて。何かの偶然で1パーセントの確率で元の世界に戻れる手段を手にしたのなら……ハルカは躊躇しながらもそれでも跳ぶ。


 この世界で再開してからの期間が短くて、深い人間性までは理解できていないけれど、そういう選択を取る事ができる人間だと本能的に理解できる。


 そして秋山の指摘に対して苦笑いを浮かべながらハルカは言う。


「しないよ流石に……いや、もし色々とうまく行って、私がやりたい事をやれたらなーとは思うよ。思うけどさ……まあ、やんないでしょ、うん……大丈夫」


 大丈夫という言葉を聞いてこれ程までに安心できない日が来るとは思わなかった。

 本人に自覚があるのかは分からないけれど、表情にも声音にも。

 大丈夫な要素は見えない。


 ただこれはあくまでもそういう機会が訪れたらの話だ。

 ハルカが強硬手段を取る様な性格ではない以上、異世界へと渡る為に必要な道具などがハルカの元に転がってくるとは考えにくい。


「……そうか。悪いな、変な事聞いて」


 だから一旦この話は此処で切り上げる事にした。

 ほぼ起こり得ない未来の話を此処で話し続けるような時間的余裕もあまりない。とにかく今は目先の事を考えていかなければならない。


「じゃあとにかくこの話は一旦終いだな。お前シャワー浴びたりとか着替えたりとかやる事一杯あんだろ。早めに家戻っとけよ。その為に早く起こしてんだから」


「……あ、そうだね。今日も仕事だし支度しないと」


 そう言ってハルカはコーヒーを飲んで立ち上がる。


「じゃあ私一旦帰るね。諸々の事が終わったらこっちに戻ってくるよ。今日はスクーター無いし、バスで通勤しよう。乗り方とか諸々教えるからさ」


「そういや此処からお前んちって徒歩で行ける距離なのか?」


「うん、徒歩三十分程。だけど飛べばすぐだよ。死ぬ程疲れるけど」


「へー地味に遠い」


 という事は場合によっては昨日、酔った状態で人一人背負ってそれだけの距離を歩かないといけなかったのかと考えて変な汗が出てくる。


「まあとにかく気を付けて帰れよ。大丈夫か? 真っすぐ歩けるか?」


「うん、大丈夫。アルコールは抜けてるっぽい。これならちゃんと飛べそう」


 そう言って玄関の方に足取りを向けたハルカを見送る為に付いていく。

 そして靴を履き、外へ出た所でハルカが言う。


「ああ、そうだ言ってなかった。ありがとね」


「泊めた事を?」


「あーそれもあるんだけどさ。それはそれとして、別のが一つ……心配してくれてありがとう。ああいう事をちゃんと言ってくれる辺り、秋山君は変わってないなぁって思うよ」


「そりゃどうも……っていうか俺そんなに変わってねえの?」


「変わってないよ。いつもの秋山君と変わらない」


 そう言ったハルカの背から翼が生えてきて、ゆっくりとハルカの体が浮いた。

 そういえば実際に飛ぶのを見るのは初めてだ。


「じゃ、また後で」


「おう。寄り道せずにまっすぐ帰れよ。転移研とかにカチコミ掛けたりしないようにな」


「いやだからやんないって! というかやるにしてももうちょっとやり方考える!」


 言いながらハルカは自宅へ向けて飛び立った。

 そんなハルカが見えなくなってから、踵を返して自室へ戻る。


 流石に今のは冗談だ。

 それは無い。

 だけどどこか良くない事が起きそうな不安は、どうしたって払拭できなかった。

 なんでも無いように見えて最後まで不安定な感じに見えたから。


 考えすぎか、なんて風に流さす事はできない。

 そうさせたのは自分だから。

 自分に何が出来るのかは分からないけれど、やれることはやらないといけないと。強くそう思った。

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