8 フリーターから公務員へのジョブチェンジ
やがて区役所へと辿り着いた秋山達は区民課で諸々の手続きを済ませる。
その手続きの一つ一つは、スマートフォンの新規契約の手続きなどよりも簡略で手短に終わり、長々とやり取りをする事を想像して少々億劫な気分となっていた秋山にとってはありがたい事に拍子抜けな感じで終わってくれた。
「住民票の作成ってこれ戸籍作った感じだよな? こんなあっさりと終わっていいのかよ」
発行されたマイナンバーカードに視線落としながらそう言う秋山に、ハルカは言う。
「異世界から転移してきた人は基本的に異世界から来ました以上の情報が無いからね。別の区からの移住みたいに元から何かしらの情報を持っている人を受け入れるよりはやる事が少ないんだよ」
「そんなもんか?」
「少なくともこの世界ではね。その辺は先人が作り上げた社会システムに感謝って奴だよ。とにかくこれで晴れてマモル君はこの世界の住民になった訳だ」
「で、後は何するんだっけ?」
「後は生活相談課の職員が住まいやこの辺り一帯を一通り案内する感じ」
「そんだけ? えらくあっさりだな」
「本当はこの世界についての講習をガッツリするんだけどさ……一応此処まで色々見てきて察していると思うんだけど、この世界は割と日本に居た頃の感覚でなんとかなるよ。多分下手な外国に行くよりはよっぽど適応できる。そりゃ魔法使う人が居たり超能力を使う人が居たり。地球よりずっと進んだ科学が出てきたと思ったら凄いファンタジーな物が出てきたりもするけどさ。まあなんとかなるよ。私はなった……今日のテロリストだったり、あまりに違う生活様式をしている人達は結構生きるのが大変なんだけどさ」
「なるほど……そりゃ助かるわ」
流石に生活様式レベルでガラリと生き方を変えるのは難しいと思うから。
その辺は地球人で良かったといった所だろうか。
(……いや、地球に生まれたから色々あったんだよな)
本来生まれてくる筈の世界ではない所に生まれ落ちたから、色々と。
「とにかく、今日これからマモル君がやる事は実質的に観光だと思ってもらえれば良いよ」
「……そう考えると、場所は違えど当初の予定に限りなく近い一日になりそうだ」
「もしかして此処に来る直前旅行でもしてた?」
「テレビの影響で東京のラーメン屋でも巡ろうと思って地方からな。その過程で軽く観光もしてただろうし。ほら地方民的に東京って実質異世界みてえなもんだからさ」
「分かるよその気持ち。私も一、二回行った事あるんだけどさ、とんでもない所に迷いこんでしまった! って感じになった。この世界来た時とほぼ同じ事考えてたね……で、ラーメン屋巡りか。もしかしてアルバートさんとラーメン屋に居たのってそういう理由?」
「ああ。最初この世界の事を夢だと思ってよ。そしたらアルバートさんがラーメン屋に連れてってくれた。いやーうまかったなあの店。殆ど食う前にお前突っ込んできたから、今度はちゃんと食いてえんだけど、あの店無事営業再開できるかな」
「まあするでしょ。あの位この世界じゃよくある事だし。速攻で復旧して来週くらいには営業再開できるんじゃないかな?」
「お、マジかやったぜ」
「ん? 待って殆ど食う前にって事はマモル君お腹空いてたりする?」
「空いてるな普通に」
「なら丁度良かった!」
ハルカが満面の笑みを浮かべて言う。
「私も保安課のバカ共のせいでお昼食べ損ねちゃってさ。丁度色々終わったらラーメン食べに行こうと思ってたんだ。一緒に行こう、良い店知ってるから」
「お、マジか最高じゃん」
言いながら内心でガッツポーズ。
(最高の休日だ!)
旅行気分で観光できてラーメンも食べられ、それも滅茶苦茶可愛い女の子と一緒にだ。
(いやマジで最高じゃないか!?)
向こうは仕事でやっているのだろうけど、こんなものは楽しんだ者勝ちだ。
色々あったけど最高の休日である。
自分がバグっている事に気付いた日以降で、歴代一番楽しい一日だ。
そう、思ったのだけれど。
(……?)
なにかが引っ掛かって、どこかでそれを否定している自分がいる。
考えられる限り、間違いなくここ数年で一番楽しい筈なのに。
テンションが振り切っている筈なのに、これが最高だと言えない自分がどこかにいる。
まるで忘れているだけで、もっと楽しい経験があったんだとでもいうように。
「どうかした?」
「いや、なんでもねえよ」
ああそうだ気のせいだ。今以上に楽しい記憶があったならきっと忘れる事は無いだろう。
それが埋もれて消えるような生活は送れて来なかった。
今が間違いなく最高だ。
「ならいいや。ああ、でも何かあったら遠慮無く言ってね。異世界なんだからある程度何かあるのが普通なんだし」
「おう、なんかあったらそん時は頼むわ」
「よし。なら行こうか! お昼ご飯にレッツゴー!」
と、ハルカが元気良く言った時だった。
「あ、ハルカちゃん戻ってきた。大丈夫だった?」
こちらに歩みよりながらハルカに声を掛ける二十代前半程の金髪で長髪の女性が視界に入った。
「あ、ソフィアさん。見ての通りです」
「成程重症ね」
「これ労災下りますよね?」
「下りると思うわ。あ、そうだついでに警察課の連中に見舞い金とか請求しようか。ウチの若いの引っ張り出しといてこんな怪我させてどう責任取るんだーって」
「よし、じゃあそれで行きましょう」
「うまくいったらそのお金で飲み会開くわよ」
「いいですね。じゃあ私死にそうな演技練習しとくんで、交渉の方はお任せします」
「いいねぇ。お姉さん頑張っちゃう……で、隣の男の子は?」
ソフィアと呼ばれていた女性の視線が秋山に向き、ハルカは秋山の肩にポンと手を置き言う。
「今日この世界に来た人。アルバートさんから引き継いで私が担当してる感じです」
「ああ成程ね……キミ、お名前は?」
「秋山衛です。えーっとソフィアさん、で良いんですよね。よろしくお願いします」
「うーん、キミの担当はハルカちゃんだし、別によろしくする予定が無いんだよね……つまり、個人的に今後共よろしくって事で良いのかな?」
そう言ってソフィアさんが距離を詰めてくる。
「うん。キミがそういうつもりなら少し遊んであげても良いよ。顔が良い男は大好物」
「……ッ!?」
(なんだこれ! も、モテ期来てるんじゃねえかこれ!)
「ちょっと発想ぶっ飛び過ぎだってソフィアさん! マモル君は相談課に入るつもりだからよろしくってそういう事だって! ソフィアさんが思ってるような事じゃないって!」
「なーるほど。そういう事ね。冗談よ」
(冗談かああああああああああああああッ!)
「でもそれにしてはハルカちゃん必死過ぎない? 取られるかもって思っちゃった?」
「元から私のじゃないです! そういうのじゃないですって!」
「ほんとかなぁ?」
「ほんとです!」
そう赤面しながら言うハルカ。
(いややっぱりモテ期きてねえ!? イイイイイイッヤッフウウウウウウウウッ!)
テンション爆上がりだが表には出さないようにする。アホみたいだし、多分勘違いだし。
「どうだかなー……まあマモル君。とりあえずまだ正式には決まってないだろうけど、これからよろしく未来の後輩!」
「よろしくお願いします!」
「ハルカちゃんの事もよろしく!」
「分かりました!」
「何を!?」
「ところでハルカちゃん」
「色々ふわふわしたまま次の話行かないでくれませんか!?」
「私の中ではふわふわしてないから」
おもちゃで楽しく遊ぶような笑みを浮かべていたソフィアさんは、それから少し真面目な表情と声音に切り替えてハルカに問いかける。
「結局バハムートの件どうなったの?」
「ああ、それなら──」
「うまく片付いた」
背後から男の声が届く。
「あ、アルバートさん」
「また会ったなマモル。っとそうだハルカ。これは返しとく」
現れたアルバートはスクーターの鍵をハルカにふわりと投げ渡す。
「多分使うだろ」
「使わなくても返して欲しいですけどね、私のだし」
「だから備品だと言っているだろ」
そう言って苦笑いを浮かべたアルバートは、一拍空けてからハルカに言う。
「ああそうだ事後報告だがな、ありがたい事に例の転移者が倒れた影響か打って変わって大人しくなったようだ。前の時はまだ飼育初めてすぐで色々あった訳だがヨシザキさんもうまく飼育してるみたいだ。流石元の世界で国家所属のブリーダーをやっていただけある」
「……そっか」
「え、何? ヨシザキさんがまたやらかしたんじゃなくて、転移者絡みの事件だったの?」
「そういう事だ。ああ、ハルカ。警察課の連中が今度奢らせてくれって」
「よし、高いご飯奢って貰おう」
「でも見舞金もぶんどるんだろ?」
「それはそれ……っとそうだ。そのお金でやる飲み会、マモル君の歓迎会にしません?」
「あ、それいいわね! ぶんどるだけぶんどろう!」
「……偶に相談課がこの世界で一番治安が悪いんじゃないかって思う時があるな」
そう言って軽くため息を吐いたアルバートは、どの位ぶんどってどういう店に飲みに行くかで盛り上がっている二人を一旦置いておいて秋山に言う。
「俺の知らない内に相談課で働く事になってるみたいだが良かったのか? 俺としてはお前みたいな頑丈な新人が入るのはありがたいんだが」
「ハルカに結構強く誘われましたからね」
「そうか……ハルカにか」
そう言って、あーでもないこーでもないと盛り上がるハルカに視線を向けて言う。
「歓迎する。明日からよろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
こうして中卒フリーターの秋山は、正式に公務員にジョブチェンジしたのだった。
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