9 過去

 ジョブチェンジできた……筈である。


「冷静に考えると履歴書作ったり面接したりとかってしなくて良かったのか?」


「履歴書書くって言っても異世界から来ました以外に書く事ないでしょ。面接もほら、私との会話がもう面接って事で良いんじゃない?」


「雑だなオイ……本当に良いのかよそんなんで」


「しばらく接していたソフィアさんも自然な流れでOK出してたしね。良いんだよこんな感じで。ああ、ソフィアさんはウチの課の課長ね。一番偉い」


「そうなのか。ま、まあトップが良いって言うなら良いのか……良いのか?」


「良いんだよ。気持ちは分かるけど」


 注文した品を待ちつつ、そんな会話をしながらお冷を口にする。

 あれから点数を守る為に調達したヘルメットを被ってカスタムスクーターで市役所を出てた二人は、ハルカの行きつけらしいラーメン屋へやってきた。

 現在は注文した商品が来るのを待ちながら雑談中である。


 注文したのは先程と同様ラーメン餃子半炒飯。

 店は違えど最強の組み合わせだ。

 一方のハルカはラーメン大盛にトッピング全乗せに加えての餃子に唐揚げに炒飯である。

 半ではない。標準炒飯。

 でも一杯食べる女の子は嫌いじゃないので良いです。


「そんな訳で明日からは私の後輩だね」


「おう、よろしく先輩……っていうかマジで明日なのか? 冷静に考えたら急じゃね?」


「不満?」


「いや、別に」


「ならいいや。この位で不満感じてたら務まらないからねー。明日からすっごい忙しいから覚悟してよ。覚える事一杯あるからね」


「まあ何やるにしても最初はそんなもんだよな。ちなみにどんな事やんの?」


「多種多様な雑用」


「うわぁ、聞きたくなかった!」


「一番下っ端には一番雑用が降られるので。いやー私も午前中死ぬ程やったからね」


「……これ俺を引き込んだの、人手不足云々以前に雑用押し付けたかったからじゃね?」


「…………1ミリ位」


「全長いくつだ」


「で、でも楽しい感じの忙しさもあるよ。ほら、早速歓迎会とかやると思うし」


「ああ、お前の見舞金でやるって言ってたな」


「いやー人の金で飲むお酒は美味しい!」


 お前の見舞い金なんだからお前の金では? とは突っ込まなかった。

 自分の歓迎会の予算になるなら下手な事は言わない方が良い気がしたし、本人が楽しそうならいいかなって事にした。

 ……というかそんな事よりも。


「……ていうか堂々と酒飲むんだなお前。多分俺と歳そんなに変わんねえだろ」


「うん。十七。滅茶苦茶未成年だね。でもほら、此処日本じゃないし。地球でも国によってそういう法律とかは変わるじゃん。この世界ではそういう法律は無いんだ」


「へー。じゃあやりたい放題じゃん」


「まあ健康的なリスクもあるし、各々培ったモラルとかもあるからさ。皆が皆やりたい放題やってる訳じゃないんだけど」


「でもお前は飲むと」


「その辺のモラルは元の世界に置いてきました」


「じゃあ俺も。そんなもんどっか行ったわ」


「よしよし良いノリだね。じゃあ明日は死にそうな演技頑張っちゃうぞー」


「おう、頑張れ頑張れ」


 その辺こそまだ捨ててない部分のモラル的に良くない気はするけども。


(……しっかし歓迎会ね。楽しみだな)


 こんな突然沸いて出た新人の為にそういう場を用意してくれるのは嬉しいし、今日知り合った三人や他にも居るであろう他の職員の人達との距離感を早めに詰める為にも非常に楽しみではある。

 ここ数年色々あってそういうわちゃわちゃとしたノリに触れてこなかったけど、そういう楽しい場みたいなのは結構好きではあったので本当に楽しみだ。

 だけど不安な事が一つ。


「……でもそういう場になると、元居た世界であった事とか聞かれるだろうなぁ」


 秋山衛は既に過去の一件を乗り越えている。

 失った生活は元には戻らず荒んだ時期もあったのだけれど、それでも今では立ち直った。

 だけど碌でも無い話なのは間違いなくて。

 聞いてて楽しい話ではない筈で。

 だからこそ、そういう場で話すと場の空気が悪くなるかもしれない。

 そう思う秋山だがハルカは言う。


「いや多分誰も聞かないと思うよ?」


「あ、いう程みんな人の過去に興味ない? 考えてみりゃお前やアルバートさん……あとソフィアさんも。誰もその辺触れてこなかったもんな」


「興味ない訳じゃないよ。皆触れないだけ」


「……ああ、そういう事な」


 そこまで言われて一応察した。

 秋山の過去がそうだったように、その手の話題は大抵の人間にとってデリケートな話題となるだろう。

 なにせどこにその人間にとっての地雷があるかは分からないから。

 だからこそ秋山もこれまでハルカにそういう話題を向けなかった。

 その辺り、皆考える事は同じなのだろう。


「そういう事。出身世界の話とかは聞かれるかもしれないけど、本人の事は本人が話すのを待つ感じ。強要する訳じゃないし、話したくなければずっと抱えたままだっていい」


 そして一拍空けてから言う。


「そういうスタンスだから、面接なんてしても何も分かんないでしょ。何も聞けない。実際会って見てきた物事を判断基準にしていくしかないんだ」


「……思ったより雑じゃなかったな」


「雑だよ。雑でも良いってだけで」


 苦笑いしながらそう言うハルカは一拍空けてから秋山に問う。


「ちなみに聞かれたら答えてた?」


「言わざるを得ない空気だったらな。空気悪くなるかもだから進んで言いたくもねえけど」


「空気悪くならなかったら良いんだ。という事は教えてって言ったら教えてくれる?」


「誰も聞かねえんじゃなかったのかよ」


「地雷かもしれないからね。でも多分だけど、言いたくない理由がそれって事なら、別にマモル君自身は話してもノーダメって感じじゃない?」


「まあな。俺の中ではこの世界に来るずっと前から終わってる昔話だからよ」


「じゃあ教えてよ」


「マジかよ。別に聞いても面白い話じゃねえぞ?」


「分かってる。それでもさ、これから一緒に仕事をする人の事はちゃんと知っておきたいじゃん。皆触れはしないけどさ、誰も知りたくないなんて思ってないんだよ」


「……まあそこまで言うなら別に良いぜ。注文の品もまだ来てねえしな」


 そう言って軽くお冷を飲んで、それから一拍空けて秋山は言う。


「俺の体さ、すげえ頑丈じゃん」


「うん、あの蹴り喰らって壁ぶち抜いても無傷だったもんね」


「でも昔からそうだった訳じゃねえんだ。昔は人並みに怪我もしてたし、俺は誰から見ても普通の人間だったんだ。だけど全部狂った。中三の秋だったな。冗談みてえな話だけど、居眠り運転のダンプカーに跳ねられたんだよ」


 おそらくアクセルベタ踏みで、全く減速する気配もなく一直線に。


「だけど俺は死ななかった。怪我一つ負わなかったんだ」


 どう考えても死んでなければおかしい程の事故だった。

 ましてや怪我一つ負わないなんてのは、どう考えたっておかしかった。


「まあ端から見れば気持ちわりいよ。少なくとも現場に居合わせた俺の両親はそう思ったんだよな……だから俺の体がどこも壊れなかった代わりに、俺んちは壊れた」


 どうしようもない程に無茶苦茶に。


「どうも二人共本気で俺に悪魔が取り付いてるとか思っていたらしい。その事故がきっかけで二人共どっぷりと新興宗教に嵌ったんだ。それもドン引きする程やべえ所にさ」


「それは大変だったね」


「おう……大変だったマジで。完全に家庭崩壊って奴だからよ」


 だけど、それよりも。


「まあ一番しんどかったのは俺自身のメンタルなんだけどさ」


 端から見れば気持ちの悪い現象が自分に起きていた。

 それはつまり自分から見ても自分が気持ち悪く見えるという訳だ。


「死なない自分が死にたくなる程気持ち悪かった」


 自分の内側からも外側からも、碌でも無い感情が突き刺さってくる。

 幸い自分の体質の事を知る者は少なかったが、それ故に相談できるような相手も皆無で、人として壊れる一歩手前まで追い込まれていたと思う。


 学校にも行かなくなり進学だってせずに。

 そんな事が出来る状態ですらなく。

 中学卒業後に家を出てフリーターとして働けていたのも、今思い返せば良くやれてたなと思う位に、本当にギリギリな状態だったのだ。


「あの頃はほんと、どうやって立ってたのか良く分かんなかったな」


 だけど、今はこうして元気に生きている。


「だけど丁度一年位前かな。なんか急に元気になった」


 ある日を境に、件の一件以降後ろ向きだった筈の自分が《突然》元へと戻ったように。

 否、より前を向けるようになったように……笑ってしまう位元気になった。


「なんか……ね。えらくふわふわしてるね」


「ほんとな。マジで意味分かんねえけどさ、でも実際そうなんだよ。俺の話はこれだけ」


「……そっか」


 ハルカはどこか安心したような表情でそう言う。

 投げっぱなしな話だったけど、最低限悪くない終わり方はしたからだろうか。

 まあなんにしても秋山衛が抱えている特筆すべき過去はそんな所。

 そしてそれを話すと自然な流れで聞いてしまう。


「ハルカは元居た世界でなんかあった? お前も色々特殊な感じだろうけどなんか……」


 そこまで言って口を閉じた。

 自分がこの話をしたのは、あくまで自分にとっては話せる話だったからだ。


「……ごめん。聞かなかった事にしてくれ」


 詮索させたくない過去を抱えているかもしれない。

 そういう話を先程したばかりなのに……余計な事を聞いてしまった。

 だけどハルカは不快そうな表情を浮かべたりしない。


「別に良いよ。そこまで思い出したくないような話じゃないし。そもそもなんか終盤雑になったとはいえ私も話を聞いた訳だからね。聞くだけ聞いて私は言いませんってのはナシでしょ」


 そう言って一拍空けてからハルカは言う。


「私もマモル君と似たようなもんだよ。こういう力があるのをクソ親父の方が気味悪がってさ、お母さんと私を置いて蒸発しちゃって。それでお母さんも今思い返せばどう接すれば良いのか分からなかったっぽくてさ……で、私もあんまりいい子じゃなかったから。まあ冷え切ってたよ家の空気は……マモル君の家庭程じゃないけど」


「俺のとこ程じゃない……か。まあ最低限の会話は成立してそうだからな」


「ほんと最低限だけどね。でもそういう所も踏まえて私はマモル君のをスケールダウンさせた感じかな。家の空気が色々とアレで。私もあんまり自分が好きじゃなくてって感じで」


「その割には、お前今元気じゃね?」


「そこはマモル君みたいにふわふわしてない色々な事があった訳です」


「ほう、どんな」


「友達が精神的に滅茶苦茶支えてくれた」


「すげえ良い感じにまとまったな」


「でしょ?」


「なんか俺の話が馬鹿みてえに思えてくる」


 自分でいうのもなんだが、なんか急に元気になったというエピソードトークの滅茶苦茶さが際立ってしまう。

 冷静に考えて自分の事ながら意味が分からなすぎる。

 そして良い感じにまとまった事にか少し嬉しそうな表情を浮かべた後ハルカは言う。


「とにかく、今の私が居るのはその友達のおかげ」


「……なるほどな」


 とにかくその友達とやらに感謝だ。その友達が支えてくれたおかげで、ハルカが今元気で生きている。その事が嬉しくて仕方が無い……まるで自分の事の様に。


(……変な感じだ)


 ハルカの事を考えると、不自然な程に大きな感情が沸いて来る。

 それが一体何なのかは全く分からないけれど、ハルカの事で一つ察する事が出来た。


「てことは俺とお前は逆だな。多分お前はこの世界に来たのそんなに嬉しくなかっただろ」


「どうしてそう思う? ほら、私も元の世界じゃバグってる力を持ってた訳だけど」


「でも良い友達が居たんだ。ソイツともう会えないし……忘れてんだろ、お前の事」


「まあ、そうだね……うん。その辺は確かに嫌だったかな。じゃあ逆って程じゃないけど、結構違うね私達。私は結構後悔あるや」


 そう言って苦笑いを浮かべた後ハルカは言う。


「友達が自分の事を忘れて生きていると思うと、まあまあ辛いよ。それに……向うでやり残した事もあるしね」


「やり残した事?」


「うん。これはね、ずっと後悔してる」


 一拍空けてからハルカは言う。


「お母さんにちゃんとありがとうって言えてない」


 本当に後悔に塗れた表情で。


「ありがとうって……色々うまくいってなかったんじゃねえのお前んち」


「行ってなかった。行ってなかったけどさ、それでも壊れてなかったんだ」


 そして、とハルカは少し俯いて言う。


「壊さないで守ってくれていたのはお母さんだった。お母さんは色々大変だっただろうけど私をずっと育ててくれていて、不器用なお母さんと距離を取っていたのは私だった」


 そしてハルカは秋山の目を見て言う。


「友達の家庭環境がどうしようもなく壊れているのを知って、それでようやく自分が恵まれていた事に気付けたんだ」


「恵まれてる……か。確かにそうかもな」


 自分の家は会話が成立しなかった。

 最低限のコミュニケーションを取る事すら困難だった。


 だけどそれが成立していたのだとすれば。それを成立させてくれていたのだとすれば。

 それはきっと恵まれている。


 もう縁を切ってすっきりとしている筈なのに、それが少し羨ましく思えてしまう位には。


「うん。友達もそう言ってた。そして言ってくれたんだ……まともな会話が成立する内に、ちゃんと向かい合って話しておいた方が良いって。自分はもうできないけど、お前ならまだできるって背中を押してくれたんだ……まあ結果はこれなんだけどね」


「……見計らったように最悪なタイミングって事か」


「……うん」


 後悔が残る位にはきっとハルカには母親とちゃんと話をする気持ちがあって。

 背中を押して貰ってちゃんと話すつもりだったのだろう。

 だけど後悔を残して此処に居る。

 きっと言えなかったのだろう。

 言う前に、送り神に出会ってしまったのだろう。


(……完全に地雷だったな)


 ハルカは自分では大丈夫なつもりなのだろうけど、こうして表情を見ていると分かる。

 ……思った以上に深く重く、その後悔はきっと深い傷となってハルカの中に残っている。

 そしてそんなハルカを見ると思うのだ。


(俺は……恵まれてるわ)


 元の世界になんの未練も無い。

 それがこの世界に来る人間にとってどれだけ幸せな事なのかを、今改めて自覚した。


 そしてそれを自覚した所で、重い空気を断ち切るように。


「お待たせしました!」


 タイミングを見計らったように注文の品が届けられた。

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