2 異世界とラーメンと
ゆっくりと目を覚ますと、少年の視界には黒い地面と立ち並ぶビルが広がっていた。
……どうやら自分はアスファルトの上で眠っていたらしい。
「……なんで俺こんな所で寝て……」
記憶が酷く混濁している。
何が何だか分からない。
それでも今に至る経緯をゆっくり手繰り寄せながら少年は体を起こし始めた。
今朝からの事をゆっくりと思い返してみよう。
「確か俺、池袋に……」
この日十七歳の誕生日を迎えた少年、秋山衛は自分へのお祝いも兼ねて県境を二つ程跨ぎ池袋にラーメンを食べに行く事にした。
今日は偶然バイトも休みで、フリーターである彼の給料日はつい先日。
普段は派手な生活を送ってはいない彼だが、この日位は多少浮かれても良い。
そんな訳でバイト先のテレビで特集が組まれていた都内のラーメン屋をいくつか回ってみようと朝早くから家を出た訳だ。
駅から歩いて来る通学中の高校生とすれ違いながら、ゆっくりと駅へと歩みを進める。
そしてショートカットルートである路地裏に足を踏み入れた……その時だった。
死神のような鎌を持つ白装束の人間に出会ったのは。
その鎌で腹部を貫かれたのは。
記憶があるのはそれまでで、そこまで思い出して総括。
「……ああ、これ夢だ」
死神みたいな奴に襲われる事自体もフィクション感が凄いのだが、それ以上に。
「……あんな鎌程度じゃ刺さらねえもんな、多分」
自分がその程度の攻撃で死ぬ筈が無い。
だから中卒フリーターという進路を選択をしている。
「つまり朝起きたと思った時からずっと夢見てる訳か。それなら突然路上で酔っ払いみたいに寝てるエキセントリックな状況にも頷けてくんな。ああ、なるほどなぁ!」
「納得している所悪いが、此処は現実だ」
「……?」
突然背後から話しかけられ振り返ると、そこに居たのはスクーターを押す真面目そうな雰囲気の二十代後半程のスーツの男。
「いや夢だろ。こんな場所知らねえしな……それにほら空見てみ? あれ明らかに現実の生物じゃねーだろ」
指差す先には明らかに日本で……いや、世界中探しても居なさそうなでかい鳥が飛んでいる。
「ああ、まあお前の居た世界には居なかったんだろうな」
「おう。だから夢の中つー事で。この話はここで終わり」
スーツの男との話を打ち切って歩き出す。
「おい、待てどこへ行く」
「折角夢の中ではっきりした意識があるんだ。やりたい放題堪能しねえと損だろ」
「やりたい放題か……一応聞いておくが、何をするつもりだ?」
少々警戒するようにそう問う男に包み隠さず秋山は答える。
「え? まあそうだな。金いくら使ってもノーダメだからよ。好きなもん好きなだけ。やりたい放題食っちまおうって算段だ。ラーメン大盛にトッピング全乗せで。半炒飯と餃子も付ける。これもう史上最強の豪遊だろ……考えてると腹減って来たな。夢なのに」
秋山がそう言うと、どこか安堵したように息を吐いた後、小さく笑みを浮かべる。
「じゃあ俺が良い店紹介してやろう。ついて来ると良い」
「お、マジで。あざーっす」
「素直だな。誘ってる俺が言うのもなんだが抵抗とかはないのか?」
「いや、普通にある。でも所詮夢だからな。覚める前にやりてえ事はやりてえし、だったらそれっぽい選択肢取るべきだろ。もし現実だったら絶対着いて行かねえし、そもそも目上の人間相手にこんな舐め腐った態度取らねえよ」
「そうか。思ったよりまともみたいで助かる」
「そりゃどうも」
言いながらスクーターを押して歩き出した男に着いていきつつ周囲を見渡した。
「しかし夢とはいえ滅茶苦茶だな。仮装パーティーみてえな格好の奴が大勢いやがる。テレビでしか見た事ねえけど渋谷のハロウィン見てるみてえだ」
「色々な異世界から人が流れてくるからな。結果文化とかがぐちゃぐちゃになってる訳だ」
「はえー」
「文明とかもそうだ。科学が発展していた世界。魔術が発展していた世界。そんな風に色々な世界から人が流れているから何でもありだ。日々技術革新の連続で飽きないぞ」
「それでこんなB級映画みてえに雑な感じに……滅茶苦茶だけど夢らしいと言えば夢らしいか」
言いながら空を見上げると先程のデカい鳥に加え、箒に跨り空を飛ぶ魔女みたいなコスプレをした女や、SFチックなパワードスーツを身に纏い空を飛んでるおっさんも居る。
地上も空も何もかも、統一感ゼロだ。
外観にしても基本はビルだが、それでも明らかに異物感のある建造物が散見している。
混沌という言葉がこれ程似合う場所は無い。
「本当に夢みたいな世界だ。良い夢か悪夢かは人それぞれだがな……お前はどうだ?」
「夢にどうこう言うのも無駄な気がするけど、現実よりは良いんじゃねえの?」
「……そういう考えなら、後々色々楽そうで助かる」
そんな意味深な事を口にした男は、古びた店の前で足を止める。
「着いた。此処だ」
「おお、なんか炒飯っていうより焼き飯が出てきそうな感じのラーメン屋だ」
「それって同じじゃないか?」
「いや、全然ちげーよ……なんかこう、違う。違くねえ?」
「違うか? ……まあ此処は基本何でもうまい。奢ってやるから好きな物を食べると良い」
「え、マジかあざーっす」
「どうせお前の居た世界の通貨は使えないだろうしな」
言いながら店の中へと足を踏み入れる。
「らっしゃい! ってなんだアルバートか」
「大将、二人だけど席空いてるか?」
「あーじゃあ奥の座敷使ってくれ。見た感じ仕事中みたいだからカウンターよりいいだろ」
「助かる……そんな訳だから奥の座敷だ」
「いや、どんな訳だよ。仕事ってなんだ。これから奥の席で何かやらされんのか?」
夢特有の突然内容が無理矢理捻じ曲がるパターンに入ってしまったのかもしれない。
少々警戒する秋山だが、落ち着いた様子でアルバートと呼ばれた男は言う。
「ちゃんと食事は取る。そして今お前に飯を食わすのも俺の仕事の一環だ」
「いやどういう仕事だよそれ」
「席に着いてからゆっくり話すつもりだが……ちゃんと聞いてくれよ?」
「まあ飯奢ってもらう立場だから、話位いくらでも聞くぜ?」
「なら助かる。とにかく行こう」
そう言われながら、席へと移動を始める。
「……うん、読めねえ」
席に向かう間に店内を見渡すが、令和の時代に昭和の香りがする店内に掛かれたメニューなどの文字は一切読めなかった。
数字らしき物ですら認識できない。
席に座って観たメニュー表も同じく。
写真が無ければ何も判別できなかった。
「そこがお前みたいな新参者が最初にぶつかる壁だ。まあ幸い大昔ならともかく今なら携帯端末に有志が作った翻訳アプリがあってな。対応している世界出身ならその都度調べられる。ちなみにどこ出身だ?」
「出身? えーっと、日本」
「地球圏だな。ならちゃんと対応してる。良かったな。まあ此処では俺が代わりに読むが」
「いや、とりあえず読まなくても良いからおすすめで頼むわ」
「よしきた。あ、大将注文! チャーシュー麺二つ。で、一個は半炒飯と餃子のセットでついでにトッピング全乗せにしてくれ!」
「おいおい神じゃん」
「神になれる権利安いな。こんなんじゃ俺は定期的に神になってるぞ」
「で、定期的に神になるような仕事ってなんだよ。なんでこんなに親切にしてくれんだ?」
夢の中でこんな事を聞くのは不自然かもしれないが、そう問いかける。
「俺は東区の区役所員。中でも俺が所属している生活相談課は異世界から来た人間の生活をサポートするのが主な仕事なんだ。ああ、申し遅れたが俺の名前はアルバート。お前は?」
「俺? 俺は秋山衛」
「秋山衛か。よし、覚えた。とりあえずマモルでいいか?」
「別に好きに呼んでもらっていいぜ」
そして夢の登場人物と簡易的な自己紹介が終わった所で話を戻す。
「それで……異世界から来た、ね」
「そう。丁度お前が倒れていた場所が言わばこの世界の入り口として機能している場所の一つだ。本来なら近隣の店とか企業さんにウチの部署に連絡入れて貰って保護しに行くのが手順なんだが……今回は偶然俺が通りかかったから保護させてもらった」
「へー、じゃあ俺今保護られてんだ」
「そういう事だ。右も左も分からない状態で放置する訳にもいかないからな。お前の為にも……他の住民の為にも。ほんと、お前が混乱して暴れるタイプじゃなくて良かった」
「暴飲暴食はするけどな」
「それは暴れて貰って結構。今日の所は経費で落ちる。お前は気にせず食え」
「ははは、良い夢だ。ほんと良い夢……夢……夢ねえ……夢?」
そう言って笑った後、秋山は一拍空けてから自問自答するように言う。
「……これ本当に夢か?」
「おはよう。ようやく目が覚めたか? 急にどうした」
「いや……明晰夢っつったって、基本夢なんだからもっとこう……滅茶苦茶じゃん。いや、滅茶苦茶な世界観なんだけど……もっとこう、会話が支離滅裂というか。こんなに意思疎通できるか? って思って……いや、思いまして」
言いながらお冷を一口。
「うん……なんかこう、すっごい現実で水飲んでる感じしますね」
「そりゃ現実だからな。その調子だとこのままラーメン食べて完全に覚醒って感じだ」
「いや既に……結構落ち着いてきました。もう意識ばっちり覚醒してますよ」
「……なんだか別人と話している気分だな」
「そりゃ目上の人に素な感じで話したりしませんよ失礼過ぎる。あまりにもモラルが無い」
自分がまともな人間かどうかなんてのは分からない。
だけどそれでも最低限守るべきモラルみたいな物は自覚しているつもりだ。
だから余程の事が無い限り目上の人には丁寧な言葉遣いとそれ相応の態度を。
そして年齢性別問わずお世話になった人には失礼の無いようにすべきで、つまり先程までの自分はその真逆な蛮族のような行いをしていた訳だ。
「良く分かんないですけど、保護して貰ってる立場で大変失礼な態度を取ってしまい、誠に申し訳ございませんでしたアルバートさん」
流石に周りの客の注意を引きそうで、そうなればアルバートにも迷惑が掛かるだろうからやらないけれど、正直土下座でもして詫びを入れたかった。
「気にする事は無い。仕方が無い事だからな。それよりお前は随分落ち着いてるな。大半の人間は別の世界に来たってなったら慌てる物だが」
「いや驚いてますよ十分。ただ俺の場合、既に同じ位不可思議な事を経験してるんで」
「なるほど。そういう経験有りで現実より夢の方が良いと思うタイプ。考えられる限り一番この世界に馴染みやすいタイプだ……真逆だと発狂するような人も居るからな」
「……でしょうね」
今の自分だからこうして自然に受け止められているけれど、例えば中学生の頃のあの一件を経験する前だったら普通にどうなっていたか分からない。
そして今の自分だから、此処からの事もある程度受け入れられるのではないかと思う。
「まあそんな訳で今の俺は大体何でも吸収していけると思うんで、俺の置かれた状況とかこの世界の事とか。分かる事は何でも良いんで教えて貰っても良いですか? 現状色々な世界の人が流されてくる異世界っていう情報しかないんで」
「勿論。最初からそのつもりだ。だからカウンターより座敷の方が落ち着けて良い」
アルバートは一口お冷を飲んでから言う。
「この世界はな、元居た世界に本来生まれる筈が無かった人間送られてくる世界なんだ。送り神に送られてな」
「送り神?」
生まれる筈が無かった云々の話は尋ねなかった。
自分の中でまあそれはそうかと納得は出来たし、アルバートもそれを察してかあえて触れてこず、素直に尋ねられた事を答えてくれた。
「白装束の死神みたいな奴。お前も意識を失う直前に見たんじゃないか?」
「ああ、居ましたね。鎌で貫かれました」
それが無ければもう少し位は早く夢ではないと気付けたと思う。
鎌程度に貫かれるという非現実的な事が無ければ。
「彼か彼女かは分からないが、あの鎌で貫かれればこの世界へと流れつく。どんな攻撃も通用せずどれだけ距離を離しても目の前へと現れる。まさしく神の所業だよ」
「神様……か」
神様なら自分の体相手でも好き放題できると思うから、それなら納得だと思う。
逆に言えばそうでもなければそれは難しいと思う。
「その神様はなんでそんな事をしてるんですかね」
「確定した情報がある訳ではないが、生まれてくる筈の無い人間なんてのは世界にとってはバグみたいな物だろうからな。取り除きたいんだろうさ」
「あー納得です……つまりこの世界はバグって生まれてきた人間が集められて暮らしている隔離所みたいなものなんですかね」
「隔離所って言い方はともかく、大体そんな感じだな。俺達は隔離されているんだ」
と、そこまで話した所で。
「はいチャーシュー麺お二つ! トッピング全乗せプラス炒飯餃子セットは兄ちゃんの分かな」
「あ、俺のです」
「じゃあごゆっくり……でもアルバート。今は良いが込みだして来たら早めに頼むぞ」
「分かってる。助かるよ」
「ならごゆっくり」
と、注文の品を置いて去っていく大将の背を見ながらアルバートが言う。
「まあこうして隔離された人間やその子孫が文明を築き上げている。さほど悪い世界ではない」
「ラーメンもありますしね……いただきます」
そして割り箸を割りラーメンを一口。
「うっま。え、最強ですよ。異世界最強でしょこれ」
「そうか。だが世界は広いぞ。これからそういうのもゆっくり探してこの世界の楽しみ方を見付けていくと良い。俺達はもうこの世界から出られない訳だからな」
「なんとなくそうなんじゃないかって思いましたけど……やっぱ帰れないんですね」
隔離という言葉を否定されなかった時点でそうだろうとは思ったけども。
「やっぱりお前みたいなタイプでも帰りたいっていう意思があったりはするのか?」
「いや……俺は正直別にというか、バグならバグらしくバグってる連中と居た方が馴染めるんじゃねえかなって思うんですよ。ただ明日バイトのシフト入ってて……元々少ない人員で回してるから、俺居なくても大丈夫かな? って思いまして」
「それなら大丈夫だと思うぞ」
「それは少人数でも根性でなんとかなる的な?」
「いや、そういう事じゃない。根性論は嫌いではないが……まあバグを取り除くという事は、ある程度のアフターケアはしてくれているという訳だ」
「……というと?」
「送り神の鎌に貫かれた者は、元の世界に最初から居なかった事になる。自分がやって来た事もうまく歴史が修正されて、違和感の無い形に落ち着く。お前のシフトも最初から別の誰かが入っていた事になるだろう」
一体元の世界に帰れないのにどうやってそんな事を知ったのだろうか?
同じ世界から知人同士が別々のタイミングで転移してきたりしたのだろうか?
それは分からないが、とにかくそれを聞けて色々と安心できた。
「じゃあ親とかも俺の事を忘れてる訳だ」
「そういう事になるな……ショックか?」
「いや、全然。寧ろ幾分か気が楽になります」
両親とはもう絶縁済みだ。
そんな関係性を完全に断ち切れるのなら、それは寧ろ朗報と言っても良いだろう……あの二人だってその筈だ。
そう考えながら、今度は餃子を一つ口へと運んだその時だった。
激しい破砕音と共に窓ガラスを勢いよく突き破って店内に女の子が飛び込んできたのは。
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